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会社員井口の場合 1

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某企業S社にて、ぼ~っとしている一人の会社員がいた。
井口というこの男はもう25歳。周りはぼちぼち結婚する者も出て来ている中、この男はいまだ身を固められないでいた。
……というか、仕事に対しても今ひとつ情熱を捧げられない。いわゆるぐうたら社員であった。
「おい…井口。井口。」
「……。」
「井口!」
「…ふぁっ⁉︎は、はい!」
気がつくと、彼の上司である課長が目の前で目を尖らしていた。
「お前、ちゃんと仕事してんのか?」
「は、はい!もちろんです!」
「……さっきまで手が動いてなかったが?」
「それは…ちょっと休憩ですよ。休憩…。」
「休憩時間はまだ一時間後だ!バカモン!」
オフィスに課長の怒声が響き渡る。彼のその後の説教を、井口は身をすくませて聞いていた。


「はあ……。」
課長から大目玉を食らってため息をつく井口。実はこんな説教は井口にとっては毎度の事なのだが、とはいえやはり気が滅入っていた。
「よう!またこってり絞られたな。」
落ち込む井口を見かねてか、彼の同僚が声をかけてきた。
「……なんだよ。からかいに来たのかよ。」
「はは。ちげえよ。また気分直しに一緒に飲みにでもどうかと思ってよ。どうだ?行くか?」
「……行くよ。」
彼の返事を聞いて同僚は飛び跳ねるように喜んだ。
「よっし!決まりだな!またいつもんとこにいつもの時間集合な!」
「……ああ。」
陽気な同僚と対照的に、井口は気のない返事で答えた。




「カンパァ~~イ!」
いつもの仲間たちと共に、井口はいつもの飲み屋にやって来ていた。これが退社後の唯一の楽しみである。
「いや~しかし井口、また災難だったな。課長に絞られてよ。」
「…全くだよ。俺が何したんだよ。ったく……。」
「いや何もしてなかったのが問題だったんだろ。気付いたらぼけ~としてたんだから。」
「だからってあんなにグチグチ説教しなくていいじゃないか。そう思わねえ?」
「ハハ…!お前、全然反省してねえな!」
井口の事を笑う同僚。しかし中には真剣な表情で話を聞く者もいた。
「……なあ、井口。お前、いつまでもそんなんでいいのか?周りの奴らは出世もした。結婚もした。お前はどうだ。いつまでも独り身でヒラのまんまじゃないか。」
「…あん?なんだよ。お前まで説教かよ。」
「真面目な話をしてるんだ。お前、このままだったら絶対後悔するぞ。せめて奥さんでも持って身を固めたら、仕事にも身が入るんじゃないか?」
「……余計なお世話だ。チクショー。」
井口は同僚の忠告を振り払うようにビールを煽り、空になったジョッキをガン!と置いた。
「おーい!ビールおかわり!」
「おお⁉︎いつになくいい飲みっぷりだな!」
「今日は飲むぞ~!ガンガンもってこい!ガンガン!」
そんなこんなで、その日の飲み会は夜遅くまで続いた……。



……翌日の日曜日。
井口は自宅の寝室で目が覚めた。いつのまにか帰宅していたらしい。
「……う~……。頭が痛え……。」
完全に二日酔いである。井口はあれから自分がどうやって帰ってきたのかの記憶すらなかった。頭はガンガン痛み、胸はムカムカする。最悪の気分だ。


「……うん?」
井口は自室に見慣れないものがあることに気がついた。
一体の人形が、彼の横でちょこんと座っていたのだ。
「…あっちゃ~……。またやっちまったか。」

彼は以前から、酔っ払った勢いで帰り道になにかを持って帰ってしまうくせがあった。ひどい時はどこかの看板やマスコット人形を持ち帰ったこともある。どうやら今回もご多聞に漏れず持ち帰ってしまったらしい。

「参ったな……。これ明らかに誰かの所有物だぞ。返すにも返せないし……。かと言って……。」
どうしたものか困り果てた井口。
というのも、拾ってきた人形が愛玩用、つまりラブドールであったからだ。拾得物として警察に持ち込もうにも、外に持ち出すのもはばかられる。

「しかし……それにしても……。」
井口は人形をまじまじと見つめた。
その人形は実に精巧に出来ており、人間にも見劣りしない程の出来栄えだったのだ。
顔は外国人の女性を象っていて、目元はパッチリと二重で眼は透き通ったブルー、鼻筋も通っていて顔も小さめ。人間であるなら間違いなく美人と言える顔だ。
胸や両脚も美しく均整がとれていて、なおかつ艶めかしい。
細部のパーツも、指先や髪の毛の一本一本に至るまですべて丁寧に仕上げられ、また手入れもされている。

その人形のあまりの美しさに、井口は思わずうっとりしてしまった。
「……なんて……綺麗なんだ……。」


……ありがとう……


「……へっ⁉︎」
気のせいだろうか?突然女の声が聞こえてきた。
「…まだ酔ってるのかな?」
「酔ってなんかないわ。」
「ひぁっ!?」
井口は段々と声の主の正体が理解できてきた。ここは自宅。自分以外に誰かが居る訳がない。とすると……。
「もしかして……。この人形が……?」
「そうよ。私はずっと貴方の目の前にいるわ。」
「お、驚いた……。話ができる人形だなんて。」
「ふふふ……。普通は驚くでしょうね。でも綺麗だなんて言ってもらえて、私嬉しかったの。だからつい話しかけちゃったの。驚かせてごめんなさい。」
こちらに語りかける人形はあいもかわらず無表情だったが、丁寧な態度に井口は幾分か安心した。
「い、いや。いいんだ。俺の方こそ、君を勝手に持ち出しちまって悪く思ってる。」
「あら、そんなこと気にしなくていいわ。あなた、寂しかったんでしょう?」
「え……?」
「あなた、ひとりぼっちで暮らしていて寂しかった。だから私を持ち出して寂しさを紛らわそうとした。ね、そうでしょう?」
「そんなこと……。」
井口はそれ以上の否定ができなかった。
なんだか身の入らない仕事。どんどんと幸せになっていく同期。取り残される自分。埋まらない心の穴……。
人形の考察は、そんな自分を見透かしたように感じられた。
「……。」
「ねえ……。そんなに寂しいなら、私があなたの心を満たしてあげようか?」
「え……?」
「私があなたの恋人になってあげる。そうすればあなたは寂しくなくなるわ。」
「いや、しかし人形の恋人なんて……。」


「嫌なの?」


人形は突然虚ろな表情のまま起き上がり、井口を睨みつける。その美しい瞳はやがて黒く濁っていく。どこまでも深い昏い漆黒くろへと……。
「あなたは私の恋人。あなたは私に尽くすのよ。あなたの全てを私に捧げなさい……。」
「君が……俺の……恋人……?」
井口の目が段々と暗くなる。まるで麻薬を流し込まれたように、頭は判断力を失い、何も考えられなくなる。聞こえるのは彼女の声だけ……。
「私はミリア……。あなたの恋人の名よ。」
「み……り……あ……。」
「そして言葉に出して言うの。『ミリア、愛してる。今日から俺たちは恋人同士だ』。」

「うふふふふふ……。」
井口は言われるがまま、彼女の言葉に従った。理由も根拠もない。だが彼女の言葉がなぜか心地よかったのだ。
……。」



【さあ、遊びましょう……。】
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