不器用”勇者”の幸せな契約婚 ―奥手で誠実すぎる二人は、最高に相性がいいようです―

時田唯

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第一章

2-3.「旦那様は、私を怖がらないのですね」

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(どうして、こうなったのだろう)

 困惑のなか、ハタノは誤魔化すように湯を浴びていた。
 背後で、チヒロがゆるりと湯浴みをする水音が響いている。
 もちろん、双方ともすでに衣類ははだけ、一糸まとわぬ姿を晒しながら。

 勇者チヒロ家の風呂場は元々、血を洗い流すためか広々としていた。
 大きな湯船のみならず、シャワーと呼ばれる自動でお湯が流れる道具がある。先端部に複数の穴があり、奥に仕込んだ給水機からお湯が出る仕組みらしい。
 ハタノは(便利だなあ……)と感謝しながら身体を洗いつつ、彼女を伺う。

 チヒロはすでに全身の血を洗い流し、ついでに裸のまま、身につけていた鎖帷子をじゃぶじゃぶと水洗いしていた。装備品も自前で洗浄しているらしい。
 こびり付いた血が取れず、苦戦しているようだ。

「チヒロさん。洗浄作業は、他の者に任せられないのですか?」
「前は任せていたのですが、あまりに返り血が多いと怖がられてしまいまして……」
「そんなに、血を浴びるのですか」
「大型の魔物はやはり血の量も多いですし、血液そのものを攻撃に使う者もおります。血は、魔力の源でもありますし」

 生物に宿る魔力は、その多くが血液に混じっている。
 血塗れになるのは職業柄、やむを得ないのかもしれない。

 とはいえ、過酷な業務のあとに洗濯までするのは大変だろう。

「チヒロさん。宜しければ、業務後に治癒院に寄って頂けませんか。血や毒で汚染したものであれば、こちらで洗浄します。元々、治癒院には患者の血液や毒を浄化する部署がありますので」
「……ご迷惑では?」
「専門家に任せることは、業務の効率化に繋がります。それは勇者の仕事をこなす上でも、良いことでしょう?」

 彼女の装備品ひとつ増えたところで、負担はそう変わるものでもない。

「……確かに。ですが、毎日血に塗れた装備を渡して、気になりませんか?」
「もともと血の気の多い仕事ですし、洗浄師も慣れてます。あと私、一応は院長ですので、命令すれば、まあ」
「越権行為では?」
「給与を支払えば問題ありません。人員増加の口実にもなりますしね」
「成程。でしたら、お願いできますでしょうか」

 チヒロはハタノと同じく、効率的と思われる方法には素直に受け入れる。
 価値観が近い部分があるのは、女性に不慣れなハタノとしては有難い。

 まあ幾ら価値観が近くとも、女性の素肌を直視するのは……また、別だが。

 昨日その身体を抱き合わせた身でありながら、ハタノは――或いはチヒロも意識しているのか、背を向けたまま顔を合わせようとしない。
 その仕草が微妙に伝わってしまうせいで、動作がぎこちなくなってしまう。

 誤魔化すように、ハタノは先に湯船に浸かることにした。
 未だ血を流す彼女から目を逸らし、ふぅ、と大きく息をつく。

 檜でできた大型の湯船は、全身の疲れをゆるりと溶かすかのように心地良かった。
 帰宅して湯船に身体をつけられるのは、それだけで大変に、気が休まる。

 身体をほぐし、ふー、と息をついていると……
 ふと、妻が思い出したように呟いた。

「旦那様は、私を怖がらないのですね」
「と、言いますと?」
「普通、血塗れの女が帰宅すれば怖がるものでしょう。私は返り血もよく浴びるものですから、慣れた狩人や冒険者でも怖がるものですが」
「……そうですね。驚いたことは驚きましたが、職業柄、怪我が無いかを先に心配してしまいます」

 そもそも血が怖い、等と口にできる仕事ではない。
 むしろ本当に恐ろしいのは、血や、死体ではなく――

「チヒロさん。私は血や肉よりも、生きている人の方が、怖くはあります」
「そうなのですか?」
「ええ。死者はそれ以上死ぬことはありませんが、生きている人は私がミスをすれば、死ぬ危険性がありますから。……まあ、亡くなった人はそれはそれで、印象に残りますけれど」

 大分昔――帝都魔城から飛び降り、二人が巻き添えになる事故があった。
 ハタノがたまたまかけつけた所、自殺を試みた女性は腕から落ちたのだろう。腕の骨が自らの心臓を貫くように身体から突き出し、背中から生えたような姿で絶命していた。
 その壮絶さに面食らったものの、ハタノはすぐに死体を押しのけ、巻き添えを受けた二人の治療に尽力した。

 凄惨な死体に驚く暇があるなら、生きてる者を救う。
 それが、彼の仕事だ。

「まあ、チヒロさんは私より遙かに過酷な現場にいるのでしょうが……」
「そうとは限りませんよ。旦那様とは、質が違うだけです。……まあ、似たような場面には、私も遭遇しますね。結局のところ、死体はただのモノであり、私の仕事は生きてる人のためにあるものです」

 その感覚を共有できるのは不思議だなと、ハタノは感じる。
 人間の生死が身近でなければ得られない価値を理解してもらえるのは、嬉しくもあり、複雑でもある。

 会話が途切れ、さああ、とシャワーの水音が響いた。
 チヒロがようやく装備品を洗い終え、ゆっくりと銀色の髪を梳くように手を伸ばしていく。

「……旦那様。生きてる人間についてですが。今日、ミスをしてしまいまして」

 その発言は、告解のようにも聞こえた。

 ――本日、チヒロの仕事は山岳地帯に現われたゴブリンの集団を屠ることだった。
 討伐は元々計画されていた。勇者チヒロは地元の魔物ハンター達に通達をかけ、ゴブリンの巣に近づかないよう指示を出していた。
 その上で糸粘草と呼ばれる燃えやすい草木を散布し、彼女の火炎魔法で一気に焼き払ったという。

 が、通達漏れがあったのだろう。
 山菜を取りに来ていた人間をひとり、誤って焼いてしまったのだ。

「事前に確認はした、と連絡は受けていました。しかし気付いた時には、男は火だるまになっていた」
「……チヒロさん。仕事はいつだって、完璧にはいかないものです」
「ええ。存じています。が、やはり気は重くなりますね。無意味な後悔だ、と分かっていても」

 ハタノも、ミスの経験は何度もある。
 病の見落とし、薬の処方間違い、治癒手技時に誤った血管を傷つけそうになった――自分のミスで人を殺したことがない訳でも、ない。
 だがそれは、人が仕事を行う上で、避けられないものだ。

 悔いも涙も残るが、やるべきことは変わらない。
 二度と同じミスを起こさないよう心がけ、改善し、実戦するしかない。

 ――と、頭では分かっていても落ち込んでしまうのは、人の常。

 ハタノは湯船から出て、そっと彼女に近づいた。
 そのまま「チヒロさん」と声をかけ、背中から、彼女の柔らかな銀の髪を梳くように優しく手をかける。

「頭、洗いますよ。血が絡んで洗いにくいでしょう」
「……どうしたのです、突然。不要ですが」
「私には一般的な夫婦愛など分かりませんが、まあ、親睦を深める一種だと思ってください」

 ハタノは恋心や女性の扱いは分からない。
 が、仕事で落ち込んでいるのは理解できる。

 チヒロ本人が自覚しているかは分からないが……
 今の話を聞いて、ちょっと、彼女を励ましてあげたいな、と。身勝手にも思っただけだ。

 さらりとした銀髪をすくい、風呂場に添えられた洗髪剤を手に取る。
 勇者の気品を示すためか、自前の洗髪剤を使っているらしい。
 指先で泡立てしゃかしゃかと軽くこすると、チヒロが気持ち良さそうに、ん、と瞼をとじるのが鏡に映った。
 ハタノは微笑ましいものを見るように、優しく笑う。

 彼女の頭からシャワーを被せ、艶を帯びた銀髪が滑らかな雫を帯びた頃。
 チヒロは心地良さそうにふるりと震えた後、ハタノの腕をそっと掴んだ。

「旦那様。宜しければ、背中もお願いできませんか」
「ええ、構いませんが――」
「それが終わりましたら、前の方も」

 う、とハタノが硬まる。

 ……いやまあ。
 彼女を励ましたいのは本心だが、さりとて、彼女の柔肌に遠慮無く触れられるほど女慣れはしていない。

 つい頬を熱くしながら、失礼のないよう、わざとらしい咳払いをするハタノ。

「チヒロさん。私も男なので、そういうのは」
「ですが、私達は昨夜すでに肌を重ね合わせた仲でしょう。今さらの話です」
「理屈では、そうですが」
「それに、せっかくなら子作りの過程を楽しみましょう、とお誘いをかけたのは旦那様ですよ」

 チヒロが背中に立つハタノを振り返る。
 その無表情なはずの瞳に、うっすらと色づいた欲を見逃すほど……ハタノは愚鈍ではない。

 勇者と呼ばれた女の意外な一面を目の当たりにしつつ、ハタノは丁寧に背中を洗い、そのまま腕を回して抱き締める。

 業務、と言い訳するには苦しいなと思いながら、ハタノは妻である女にそっと唇を下ろした。

*

 そうして愛のない絡みを終え、ハタノは妻を抱きベッドの中でごろりと横になりながら――
 当時の状況について、改めて聞いてみた。

 ふと思ったのだ。
 彼女は本当に、男を焼いたのか?
 職務に忠実すぎる彼女が、そんな単純ミスをしたのだろうか?

 彼女は「業務の詳細までは、話せない」と前置きしつつも、部分的に語ってくれた。
 地元にある魔物ハンター達との連携。
 山岳で普段、山菜採りをしている地元の狩人達との連携について。

 ハタノは患者であった男の姿を思い起こしつつ、ふと、疑問点に気がついた。
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