不器用”勇者”の幸せな契約婚 ―奥手で誠実すぎる二人は、最高に相性がいいようです―

時田唯

文字の大きさ
8 / 38
第一章

2-3.「旦那様は、私を怖がらないのですね」

しおりを挟む
(どうして、こうなったのだろう)

 困惑のなか、ハタノは誤魔化すように湯を浴びていた。
 背後で、チヒロがゆるりと湯浴みをする水音が響いている。
 もちろん、双方ともすでに衣類ははだけ、一糸まとわぬ姿を晒しながら。

 勇者チヒロ家の風呂場は元々、血を洗い流すためか広々としていた。
 大きな湯船のみならず、シャワーと呼ばれる自動でお湯が流れる道具がある。先端部に複数の穴があり、奥に仕込んだ給水機からお湯が出る仕組みらしい。
 ハタノは(便利だなあ……)と感謝しながら身体を洗いつつ、彼女を伺う。

 チヒロはすでに全身の血を洗い流し、ついでに裸のまま、身につけていた鎖帷子をじゃぶじゃぶと水洗いしていた。装備品も自前で洗浄しているらしい。
 こびり付いた血が取れず、苦戦しているようだ。

「チヒロさん。洗浄作業は、他の者に任せられないのですか?」
「前は任せていたのですが、あまりに返り血が多いと怖がられてしまいまして……」
「そんなに、血を浴びるのですか」
「大型の魔物はやはり血の量も多いですし、血液そのものを攻撃に使う者もおります。血は、魔力の源でもありますし」

 生物に宿る魔力は、その多くが血液に混じっている。
 血塗れになるのは職業柄、やむを得ないのかもしれない。

 とはいえ、過酷な業務のあとに洗濯までするのは大変だろう。

「チヒロさん。宜しければ、業務後に治癒院に寄って頂けませんか。血や毒で汚染したものであれば、こちらで洗浄します。元々、治癒院には患者の血液や毒を浄化する部署がありますので」
「……ご迷惑では?」
「専門家に任せることは、業務の効率化に繋がります。それは勇者の仕事をこなす上でも、良いことでしょう?」

 彼女の装備品ひとつ増えたところで、負担はそう変わるものでもない。

「……確かに。ですが、毎日血に塗れた装備を渡して、気になりませんか?」
「もともと血の気の多い仕事ですし、洗浄師も慣れてます。あと私、一応は院長ですので、命令すれば、まあ」
「越権行為では?」
「給与を支払えば問題ありません。人員増加の口実にもなりますしね」
「成程。でしたら、お願いできますでしょうか」

 チヒロはハタノと同じく、効率的と思われる方法には素直に受け入れる。
 価値観が近い部分があるのは、女性に不慣れなハタノとしては有難い。

 まあ幾ら価値観が近くとも、女性の素肌を直視するのは……また、別だが。

 昨日その身体を抱き合わせた身でありながら、ハタノは――或いはチヒロも意識しているのか、背を向けたまま顔を合わせようとしない。
 その仕草が微妙に伝わってしまうせいで、動作がぎこちなくなってしまう。

 誤魔化すように、ハタノは先に湯船に浸かることにした。
 未だ血を流す彼女から目を逸らし、ふぅ、と大きく息をつく。

 檜でできた大型の湯船は、全身の疲れをゆるりと溶かすかのように心地良かった。
 帰宅して湯船に身体をつけられるのは、それだけで大変に、気が休まる。

 身体をほぐし、ふー、と息をついていると……
 ふと、妻が思い出したように呟いた。

「旦那様は、私を怖がらないのですね」
「と、言いますと?」
「普通、血塗れの女が帰宅すれば怖がるものでしょう。私は返り血もよく浴びるものですから、慣れた狩人や冒険者でも怖がるものですが」
「……そうですね。驚いたことは驚きましたが、職業柄、怪我が無いかを先に心配してしまいます」

 そもそも血が怖い、等と口にできる仕事ではない。
 むしろ本当に恐ろしいのは、血や、死体ではなく――

「チヒロさん。私は血や肉よりも、生きている人の方が、怖くはあります」
「そうなのですか?」
「ええ。死者はそれ以上死ぬことはありませんが、生きている人は私がミスをすれば、死ぬ危険性がありますから。……まあ、亡くなった人はそれはそれで、印象に残りますけれど」

 大分昔――帝都魔城から飛び降り、二人が巻き添えになる事故があった。
 ハタノがたまたまかけつけた所、自殺を試みた女性は腕から落ちたのだろう。腕の骨が自らの心臓を貫くように身体から突き出し、背中から生えたような姿で絶命していた。
 その壮絶さに面食らったものの、ハタノはすぐに死体を押しのけ、巻き添えを受けた二人の治療に尽力した。

 凄惨な死体に驚く暇があるなら、生きてる者を救う。
 それが、彼の仕事だ。

「まあ、チヒロさんは私より遙かに過酷な現場にいるのでしょうが……」
「そうとは限りませんよ。旦那様とは、質が違うだけです。……まあ、似たような場面には、私も遭遇しますね。結局のところ、死体はただのモノであり、私の仕事は生きてる人のためにあるものです」

 その感覚を共有できるのは不思議だなと、ハタノは感じる。
 人間の生死が身近でなければ得られない価値を理解してもらえるのは、嬉しくもあり、複雑でもある。

 会話が途切れ、さああ、とシャワーの水音が響いた。
 チヒロがようやく装備品を洗い終え、ゆっくりと銀色の髪を梳くように手を伸ばしていく。

「……旦那様。生きてる人間についてですが。今日、ミスをしてしまいまして」

 その発言は、告解のようにも聞こえた。

 ――本日、チヒロの仕事は山岳地帯に現われたゴブリンの集団を屠ることだった。
 討伐は元々計画されていた。勇者チヒロは地元の魔物ハンター達に通達をかけ、ゴブリンの巣に近づかないよう指示を出していた。
 その上で糸粘草と呼ばれる燃えやすい草木を散布し、彼女の火炎魔法で一気に焼き払ったという。

 が、通達漏れがあったのだろう。
 山菜を取りに来ていた人間をひとり、誤って焼いてしまったのだ。

「事前に確認はした、と連絡は受けていました。しかし気付いた時には、男は火だるまになっていた」
「……チヒロさん。仕事はいつだって、完璧にはいかないものです」
「ええ。存じています。が、やはり気は重くなりますね。無意味な後悔だ、と分かっていても」

 ハタノも、ミスの経験は何度もある。
 病の見落とし、薬の処方間違い、治癒手技時に誤った血管を傷つけそうになった――自分のミスで人を殺したことがない訳でも、ない。
 だがそれは、人が仕事を行う上で、避けられないものだ。

 悔いも涙も残るが、やるべきことは変わらない。
 二度と同じミスを起こさないよう心がけ、改善し、実戦するしかない。

 ――と、頭では分かっていても落ち込んでしまうのは、人の常。

 ハタノは湯船から出て、そっと彼女に近づいた。
 そのまま「チヒロさん」と声をかけ、背中から、彼女の柔らかな銀の髪を梳くように優しく手をかける。

「頭、洗いますよ。血が絡んで洗いにくいでしょう」
「……どうしたのです、突然。不要ですが」
「私には一般的な夫婦愛など分かりませんが、まあ、親睦を深める一種だと思ってください」

 ハタノは恋心や女性の扱いは分からない。
 が、仕事で落ち込んでいるのは理解できる。

 チヒロ本人が自覚しているかは分からないが……
 今の話を聞いて、ちょっと、彼女を励ましてあげたいな、と。身勝手にも思っただけだ。

 さらりとした銀髪をすくい、風呂場に添えられた洗髪剤を手に取る。
 勇者の気品を示すためか、自前の洗髪剤を使っているらしい。
 指先で泡立てしゃかしゃかと軽くこすると、チヒロが気持ち良さそうに、ん、と瞼をとじるのが鏡に映った。
 ハタノは微笑ましいものを見るように、優しく笑う。

 彼女の頭からシャワーを被せ、艶を帯びた銀髪が滑らかな雫を帯びた頃。
 チヒロは心地良さそうにふるりと震えた後、ハタノの腕をそっと掴んだ。

「旦那様。宜しければ、背中もお願いできませんか」
「ええ、構いませんが――」
「それが終わりましたら、前の方も」

 う、とハタノが硬まる。

 ……いやまあ。
 彼女を励ましたいのは本心だが、さりとて、彼女の柔肌に遠慮無く触れられるほど女慣れはしていない。

 つい頬を熱くしながら、失礼のないよう、わざとらしい咳払いをするハタノ。

「チヒロさん。私も男なので、そういうのは」
「ですが、私達は昨夜すでに肌を重ね合わせた仲でしょう。今さらの話です」
「理屈では、そうですが」
「それに、せっかくなら子作りの過程を楽しみましょう、とお誘いをかけたのは旦那様ですよ」

 チヒロが背中に立つハタノを振り返る。
 その無表情なはずの瞳に、うっすらと色づいた欲を見逃すほど……ハタノは愚鈍ではない。

 勇者と呼ばれた女の意外な一面を目の当たりにしつつ、ハタノは丁寧に背中を洗い、そのまま腕を回して抱き締める。

 業務、と言い訳するには苦しいなと思いながら、ハタノは妻である女にそっと唇を下ろした。

*

 そうして愛のない絡みを終え、ハタノは妻を抱きベッドの中でごろりと横になりながら――
 当時の状況について、改めて聞いてみた。

 ふと思ったのだ。
 彼女は本当に、男を焼いたのか?
 職務に忠実すぎる彼女が、そんな単純ミスをしたのだろうか?

 彼女は「業務の詳細までは、話せない」と前置きしつつも、部分的に語ってくれた。
 地元にある魔物ハンター達との連携。
 山岳で普段、山菜採りをしている地元の狩人達との連携について。

 ハタノは患者であった男の姿を思い起こしつつ、ふと、疑問点に気がついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】

水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】 【一次選考通過作品】 ---  とある剣と魔法の世界で、  ある男女の間に赤ん坊が生まれた。  名をアスフィ・シーネット。  才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。  だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。  攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。 彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。  --------- もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります! #ヒラ俺 この度ついに完結しました。 1年以上書き続けた作品です。 途中迷走してました……。 今までありがとうございました! --- 追記:2025/09/20 再編、あるいは続編を書くか迷ってます。 もし気になる方は、 コメント頂けるとするかもしれないです。

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

掃除婦に追いやられた私、城のゴミ山から古代兵器を次々と発掘して国中、世界中?がざわつく

タマ マコト
ファンタジー
王立工房の魔導測量師見習いリーナは、誰にも測れない“失われた魔力波長”を感じ取れるせいで奇人扱いされ、派閥争いのスケープゴートにされて掃除婦として城のゴミ置き場に追いやられる。 最底辺の仕事に落ちた彼女は、ゴミ山の中から自分にだけ見える微かな光を見つけ、それを磨き上げた結果、朽ちた金属片が古代兵器アークレールとして完全復活し、世界の均衡を揺るがす存在としての第一歩を踏み出す。

アルフレッドは平穏に過ごしたい 〜追放されたけど謎のスキル【合成】で生き抜く〜

芍薬甘草湯
ファンタジー
アルフレッドは貴族の令息であったが天から与えられたスキルと家風の違いで追放される。平民となり冒険者となったが、生活するために竜騎士隊でアルバイトをすることに。 ふとした事でスキルが発動。  使えないスキルではない事に気付いたアルフレッドは様々なものを合成しながら密かに活躍していく。 ⭐︎注意⭐︎ 女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

転生したら領主の息子だったので快適な暮らしのために知識チートを実践しました

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
不摂生が祟ったのか浴槽で溺死したブラック企業務めの社畜は、ステップド騎士家の長男エルに転生する。 不便な異世界で生活環境を改善するためにエルは知恵を絞る。 14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。

処理中です...