ある探偵<第一部>

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第一章:隠しごと

第八話:「隠しごと」④

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 ぼくらは、職員室に向かった。先生たちにもう一度話を聞くためである。
 一、二年生はとっくに下校しているし、他の学年の生徒も下校したり居残ったり散り散りになっていて、話を聞けそうなのは先生たちしかいなかったからだ。
 国木田先生を先頭にして、ぼくらは職員室を回った。一年生から、順に担任の先生を尋ねていく。
「吉田先生。ちょっと、ええですか」
 赤鉛筆を手に、さっ、さっ、と小気味いい音を鳴らしていた吉田先生が、手を止めて顔を上げた。痩せぎすで骨ばっている、若い女の先生だった。
 一年生の元気に押されているのか、いつも疲れたような先生で、国木田先生より若いらしいのだけど、同じくらいか、むしろ年上に見える。顔に散った、そばかすのせいかもしれない。
「ええ、なんでしょう」
「あのう、きょう聞いた、うちの生徒の教科書と上履きがのうなった話やけど……。何かの間違いで、例えばお姉さんがおる生徒とか、他の生徒が持っていってしもうたんじゃ、思いましてなあ。誰か、授業中に部屋を出ていった生徒なぞ、おらしませんやろうか?」
 回りくどくはあるが、国木田先生は、盗んだ、という言葉は使わなかった。
 あまり疑わしい言葉を使うと、生徒を預かる先生が口を閉ざしてしまうかもしれない、という予想から出た、宗平くんの発案だった。
「出ていった生徒……ですか。うちのクラスは、一階で歌の練習をしゆうたんやけど……おったかなあ。あ、一人、男の子でトイレに行った子がおったか。はじめくん、ゆう名前の子なんですけど、でも、お姉さんはおらんはずです」
「帰ってきたときは、なにか、手に持っておったり、せんかったですか?」
 宗平くんが訊ねる。
 吉田先生は、うーん、と目を瞑って考え込んだ。ややあって、あっ、と口を開いた。
「持っとらんかったね。手をべたべたにして帰って来ゆうたから、ちゃんと手を拭きなさいと、言うた覚えがあります」
「どんくらいの時間、トイレに行きおったんでしょうか?」
 と、また宗平くん。
「時間ねえ。五分もなかったやろうか。たしか、歌を一回唄ったあとには、帰ってきた気がしゆう」
「そん男の子は、どこのトイレを使うたんでしょう」
「一階じゃったね。ほら、階段の横にトイレがあるじゃろ? そこに入っていくんが、歌の最中に見えたけえ」
 トイレに入ったのと、五分後に帰ってきた姿が見えているということなら、そのはじめくんとやらが、犯人という可能性はかなり低い気がする。
 一度トイレに入って、今度は先生や一年生の目を盗んで四階へ上がり、亜里沙ちゃんの上履きや教科書を取って、それをどこかに隠し、更にどこかで手を濡らして、一階に戻ってきた……。
 その光景は、かなり慌ただしい。五分で足りるだろうか。
 宗平くんも、同じ結論に至ったらしく、それ以上の質問を辞めてしまった。
 そんな具合で、ぼくらは先生たちに話を聞いて回った。結果として分かったのは、四年生を除くすべての学年で、先生および生徒のうち、教室を出たのは、一年生のはじめくんだけということだった。
 宗平くんは、国木田先生をせっついた。教頭先生と校長先生にも話を聞きたいという。
 国木田先生は渋柿を食べたみたいな顔をしたけれど、ちらと、祈るような亜里沙ちゃんの顔を見て、決意を固めたように、頷いた。
 国木田先生が迷っていた気持ちも分かる。ぼくらが職員室内を渡り歩いている間、じっと見つめるような視線を感じていて、それは教頭先生のものだったからだ。
 ぼくらが教頭先生の机に近づいていく間、教頭先生はこちらを見ていたので、ぼくは国木田先生の後ろに隠れたくなった。
 毛の薄い、つやつやとした頭が、職員室の照明を跳ね返している。
「あのう、佐藤教頭。いま、ええですかのう」
「……国木田先生。今しゆうのは、犯人探し、ゆうことやろか」
 教頭先生は口をへの字に曲げて言った。
 その鋭い言葉は、ぼくの胸を、針のように貫いた。うっと、息が苦しくなる。教頭先生の視線を感じて、ぼくは俯いた。
「いやあ、そねんもんやのうてですね。誰かが、なんか知りおらんかという、ただそれだけで……」
「詭弁ですな。やっとることは、この学校に靴と教科書を盗んだ人がおると、そう決めて探しとる訳ですやろ」
「盗んだなんて、そんな」
「まず、そちらの……久住くんの家は探してみたんやろか。……なあ、国木田先生。子供の話じゃけえ、あんま大事にすると、言いたいことも言えんようになるゆうことは、考えなあきませんよ」
「それは、まあ。ええ。まだ家を探しては、ねえんですけど……」
 しどろもどろの国木田先生をよそに、ぼくの顔は、熱を持っていくのを感じた。亜里沙ちゃんが、耳を赤く染めて俯いていた。
 ぼくの顔が熱いのは、恥ずかしさではない。
 教頭先生が言ったことは、つまり、亜里沙ちゃんが忘れ物をした言い訳に嘘をついているのではないか、ということなのだ。
 言葉にできない悔しさが溢れてくる。亜里沙ちゃんは、恵香ちゃんや晴美ちゃんみたいに、強くない。だから、教頭先生の言葉を跳ね返すことはできなくて、傷ついて、悲しむだろうと思った。
「先生は、亜里沙ちゃんの何を知ってるんですか?」
 ぼくは顔を上げて、そう言っていた。教頭先生の蛇みたいな目が、こちらを向く。
「よう知りおる。名前も、すんどる場所も、知りおる」
 そんなものは、人の顔みたいなものだ。目に見えているだけのものだ。再び口を開こうとしたぼくを遮ったのは、宗平くんの明るい声だった。
「さすが教頭先生。先生は立派じゃけ、一度も嘘ついたこともないんじゃろうな」
 ぴくり、と教頭先生の頬が震えたのが分かった。
「梶山……宗平くんやな。梶山善治さんとこの子や。君のこともよう知りおる。……で、何を言いたいんじゃ?」
「いや。教頭先生なら、亜里沙が好きな色が藍色やゆうことも、好きな食べ物がトマトやゆうことも、四年生まで一度も忘れ物をしたことがないゆうことも、よう知っとるんじゃろう思おただけです」
 教頭先生の目が、きっ、と国木田先生を責めるように睨んでから、宗平くんに戻った。
「君なあ。そうゆうのを、屁理屈ゆうんじゃ。なんもかんも知るゆうのは、どだい無理なことじゃ。君は今、わしを、嘘をついたと責めようとしたやろうが、それはおかしなことじゃ。よう知っとることと、何でも知っとるゆうがは、違う」
 宗平くんは、教頭先生の鋭い目を、じっと見つめ返している。
「そうじゃ。確かに先生は、亜里沙のことをよう知りゆうかもしれませんが、何でもは知らんのです。それやのに、何でも知っとるかのように決めつけて言うんは、わしが言うたのと同じくらい、おかしなことやないですか?」
 教頭先生は耳まで血を回らせて、気分を悪くしたみたいだった。
「……国木田先生は、ようけえ、しっかり生徒を教えとるみたいやな。口だけは!」
「口だけやありません。人情も、教えてもろうとります。困っとる人には優しくせい、と」
 宗平くんは、ここぞとばかりに、会心の笑みをこぼした。
 ぼくは、そのやりとりを意外に思って見ていた。宗平くんがここまで明らかに、誰かをおちょくるようなことを言ったのは、初めてだった。
 空気が張り詰めていた。いやに静かで、職員室の先生は、みんな、このやりとりに注目しているだろうことは、背中に感じる刺さるような視線で分かった。
 教頭先生は、赤を通り越して、ゆでた蛸みたいになっていた。それはもう、ぱんぱんに膨らんだ風船みたいに、もう爆発寸前だった。
「なんじゃ、どうしたんじゃ」
 教頭先生の後ろの扉が開いて、大柄な人物が現れた。教頭先生と違って、頭はお坊さんのようにつるつるとしている。
 教頭先生が、さっと振り返った。
「校長……!」
「後ろのわしの部屋まで聞こえてきようたわ。なんや、声を荒げて」
「失礼しました、お騒がせを……。国木田先生から報告のあった件で、先生と生徒たちと、話をしおったんです」
「ああ、そねん話か。どうじゃ、なんか分かったか」
 校長先生は、目線をぼくらに投げかけた。教頭先生は、怒りの矛先をうしなったみたいに、色を消していった。
 ぼくはこっそり、ほっとした。宗平くんが戦ってくれたおかげで、ぼくの怒りももう、おさまっていた。
「いま、探しとります」
 国木田先生が、おずおずと答えた。
「そうじゃ、校長先生。今日は、学校に誰か来ゆう人は、おったじゃろうか。なんかの修理とか、用事とか」
 国木田先生の言葉を引き継いで、宗平くんが質問を投げる。校長先生は、顎に手を当てるようにして考え込んだ。
「うん? いやあ、わしは知らんが。教頭先生は、どうじゃ」
「……私も、今日はそういった人間は、おらんかったと記憶しとります」
 しぶしぶ、といった様子で、教頭先生は答えた。
「先生らも、ずっとここにおったんですよね。怪しい人が見えた、ゆうのはありませんでしたか?」
 二人は、首を振った。
 一時はどうなることかと思ったが、それで話は終わった。そそくさと職員室を出ていく国木田先生の後を追い、ぼくらも廊下に出た。
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