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第4章 糸の切れた凧
(9)
しおりを挟む学生証等、『佐納成行』の所持品だったものを戸ノ倉から取り上げ、その日はそれでおしまいにした。零が記憶喪失だったことは秘密のまま、偽名を使っていたとは自分たちも知らなかったと嘯いた。
「どうすると思う? 自首するかな」
「さあなあ。でも、学生証も免許証も持ち歩いていたところを見ると、そういう気持ちがなかったわけじゃないみたいだしな」
捨てることも、燃やすことも考えただろう。けれど、なぜか戸ノ倉はそれを後生大事に持ち歩いていた。例の俳優を手名付ける(脅す)ためだったかもしれないが。
「それより越崎。零、じゃなくて成行君は、事故のこと思い出してないのかな。転んだ場所が特定されれば、なんらかの物証が残ってそうだけど。防犯カメラとかも」
「どうだろう。一年前の話だからな。でも、私はそこのところ、思い出してないと思う」
「何故だ?」
戸ノ倉が帰った休憩室。二人はソファーに向かい合って座っている。長い脚を組み替えた越崎は背もたれに体を預けた。
「よくあることなんだよ。自分が誰だったかを思い出しても、記憶をなくしていた間のことと同様に、記憶喪失のきっかけも思い出せない」
「ふううむ。なんか、難しそうだな。まあ、それはいいや。俺が思い出してほしいのはそこじゃないし。彼にはノートを渡すよ。少しは『時游館』でのこと、思い出してくれるかもしれん」
航留は成行の残したノートを処分せずにいた。無駄とは思いつつ、もしかして空白の一年を思い出して、ここを訪ねてくれるかもしれない。それは航留の切なる願いでもあった。
「ただ、俺もノートの中身は読んでないから、なんて書いてるかわかんないけど」
「へえ。じゃあ私が読もうか。医者として」
「断固拒否する」
人の日記を読むほど落ちぶれていない。と言いたいところだが、本心ではない。何度もノートを手に取り、ページを捲ろうか逡巡してきたのだ。それでも、また帰ってきてくれるのを願い、願掛けするように読むことを諫めていた。
「とにかく、連休終わったら大学訪ねてみる。連休中は学生もいないだろうし、俺も忙しいから」
はやる気持ちはあった。けれど、それを無理やり抑えたのは、自分の気持ちの整理もしたかったからだ。
航留のことを覚えていない彼に、なんて話しかけようか。この事態をどう説明しようか。しっかりと準備して会いに行きたかった。加えて、免許証の現住所は本籍同様、東海地方だった。連休中は帰省している可能性が高い。
「大学に復学してるかな」
「うーん。でも、俺はしてると思うんだよな。それに、この学生証があれば、どうしてるかわかるし。行って損はないだろう」
「そうか。わかった。会えたら様子、教えてくれ。一応私は主治医だからな」
銀縁眼鏡のツルを右手の人差し指でついっと上げ、口元を緩めた。
「ああ。約束するよ」
不審者扱いされるだろう。それでも、会いたい気持ちが勝って胸が熱くなる。あの愛溢れた日々が戻ってくるわけでないとしても。
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