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番外編 カフェ時游館にようこそ
その3 1年後の春
しおりを挟む春休みから入学式、始業式という、お母さま方が何かと時間を取られる時期が過ぎ、ようやく落ち着いてきた頃。
「やっと園も学校も給食になったよねえ」
「ホントにー。子供達も新しいクラスに慣れたみたい」
いつものママ友4人組が、赤い扉を開けてやってきた。その間もおしゃべりには止まらない。
「久しぶりよねー、時游館もさあ」
「いらっしゃいませ!」
店に入るや否や、元気な声が耳に飛び込んで来た。だがその時、思いがけない高音にみな一瞬固まった。
「あ、あれ? 真紀ちゃん」
「お久しぶりです。どうぞ、奥空いてますよ」
「あ、はい」
4人は顔を見合わせながら、いつもの四人掛けのテーブルに付いた。
「どうしたんだろ。就職したって聞いたけど」
椅子を引く音を鳴らしながら、お互い困惑の表情を晒している。
「さあ、零君いないから、ピンチヒッターなんじゃない? 風邪でも引いたのかも」
「そっか。まあ、春先は風邪ひきやすいしね」
奥様方は勝手に納得し、メニューを眺める。いつも頼むものは決まってるくせに眺めたくなるのだ。そこに、お水とおしぼりを持って真紀がやってきた。
「あ、真紀ちゃん、今日お仕事大丈夫なの? 零君、風邪?」
リーダー格の女性がコップを並べる真紀に尋ねた。
「あー。いえ、私の方は今まさに失業中でして。でも就活はしてるんです。あの会社には縁がなかったようで」
「ああ、そうなんだ。そういうこともあるよね」
4人ともそこは追及しても仕方ないので、うんうんと相槌を打つ。気になっているのはその後だ。
「零は辞めちゃったんです。こちらも残念なことで」
「ええっ! ま、マジで。なんで?」
真紀の一言に、空気がザワッと音を立てるがごとく変わった。思わず身を乗り出す奥様方。
「あ、えーと。あの、大学に復学したんですよ。去年1年は休学してたんですけど。まあ、経済的な問題で? それでバイトでお金貯まったんで。御挨拶もせず申し訳ございませんでした」
ぺこりと真紀は頭を下げる。零がいなくなってから半月。何人もの常連客から尋ねられた。面倒になった真紀は、適当にストーリーを考え客たちを納得させていた。
「ねえ、どう思う?」
注文を終えた真紀がテーブルを去った途端、4人は額をくっつけんばかりに顔を寄せる。
「どうって。そういうことなんじゃない?」
「だって、見てごらんよ。カウンター」
年長の女性が顎をついっと向ける。3人は言われるままカウンターに顔を向けた。
「や、やばっ。生気がないっ」
「マスター、一人だけ暗雲垂れ込めたみたいになってる!」
「入った時も存在感じなかったけど。気配消してるよね、あれ」
「死相出てるよ」
4人同時に首を縦に振る。
「付き合ってたっていうのはやっぱり間違いじゃなかったんだ」
零が店員になって半年ほど経つ頃、彼女たちはまことしやかに噂していた。
『マスターと零君って、もしかして恋人同士なんじゃない?』
『ええ? マジでー。まさかの私好みの展開っ!』
『それ、私も思ってた。こう、距離感が凄く近いの』
『激しく同意だわ。イケメン×美少年とか、いやいや。これは目の保養が過ぎる』
それからはここに集まるたび、二人のイチャイチャぶりに胸キュンさせていたのだ。
「あの様子では、喧嘩したかフラれたかだね」
「出てっちゃったってこと? じゃあ、もう帰ってこないのかな」
心底残念そうに言うと、四人は再びカウンターの向こう、航留に視線を映した。
「あんなマスターは見たくないね」
「頑張って謝ってさ、帰ってきてもらわないと」
「ありゃあ、相当重症だねえ。きっと迎えに行くんじゃない?」
「私もそう思う。そうじゃないと、こっちも困るよ。栄養補給だもん」
「なにで栄養補給してんのよっ」
ワッと笑いが起こる。それを合図に、彼女たちはいつもの調子を取り戻し、様々な話題が飛び交いだした。旦那の悪口から実家の話、芸能界の噂話まで多岐にわたる。
誰もがみな、すぐに零は帰ってくるものと思っていた。あの様子から、マスターがこのままにしておくはずがないと。
もし、彼女たちが思うように、零が喧嘩して飛び出したのなら、航留は店を閉めてでも連れ戻しに行っただろう。それがどうにも叶わないなんて、彼女たちはこれっぽっちも想像していなかった。
果たして……零が時游館に戻ることはあるのだろうか。
つづく
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