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第1章 12歳:出会い

第16話 「ねぇ、話して」

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 一分は長かった。前世でよく食べたカップラーメンの三分が、意外と長く感じたなぁ、と思って一分にしたのに。
 しかも、正確に計っていないから、一分かどうかも怪しい。だけど、あれが私の限界だった。

 エリアスは無自覚なのかもしれないけど、髪や背中を撫でようとするから。

 あれ以上されたら、好きって言ってしまいそうになる。エリアスを侯爵にしなければならないのに。これじゃ、離れがたくなっちゃう。

 さらに、私には頭を抱える、もう一つの問題があった。そう、リュカのことだ。

 言い過ぎたと思い、リュカに会いに行こうとした。一人では出歩けないから、ニナに同行を求めて。けれどなぜか、途中でエリアスに会ってしまい、断念せざるを得なかった。

 どこに行くの? とは聞かれなかったけど、目がそう言っていたから。

 うう。私としては、純粋にリュカが心配なんだけど、エリアスの機嫌も損ねたくはない。……八方美人になるつもりはないのに!

 世の乙女ゲームのヒロインは、これをどう攻略しているの!

 ん? 乙女ゲーム……そうよ。こんな時こそ、選択肢じゃない。出でよ、選択肢!

 1.リュカに会いに行く
 2.エリアスを説得する
 3.何もしない

 ……この選択肢はダメでしょう。ニナを味方にして、リュカに会いに行こうとしても、エリアスに邪魔される。そのエリアスを説得しても、首を縦に振るとは思えない。

 ニナの話以外にも、他の使用人たちから、リュカがエリアスの悪口を、至る所で言い触らしていると聞いた。あの二人の関係を改善しようにも、壊滅的過ぎて修復不可、というのがよく分かる。

 最後の“何もしない”は、一番選んじゃいけない選択肢だ。別にヒロインは、攻略対象者に愛されなければならない、ということはないと思う。

 だけど、好感度が下がり続けて、マイナスになったら? 特に、リュカは屋敷にいる使用人。内部の人間だ。良くない気がする……。リュカは特に、思い込みが激しいみたいだから。

 よし、もう一度選択肢よ、出でよ!

 1.お父様に頼んで、リュカと会う
 2.リュカに手紙を書いて、ニナに頼んで渡してもらう
 3.エリアス、もしくはお父様を説得して、外出をする

 ちょっと、具体的にしたことで、難易度が下がったような気がする。う~ん。いきなりお父様に頼むより、手紙を書く方が良いかな。それなら、エリアスを刺激させないで済みそう。

 リュカも、お父様から呼び出されるよりも、こっちの方が精神的に良いと思う。

 そこで早速私は、引き出しから紙を取り出した。便箋びんせんだと、部屋に控えているエリアスに、勘づかれる可能性があったからだ。

 けれど、この時の私は、何かを見落としていた。そのことに気づいたのは、エリアスに話しかけられた後だった。

「今日は、絵を描かないの?」
「あっ、それは、その……」

 しまった! 一昨日までこの時間は、絵を描いていたんだ。それに手紙を書くなら、エリアスやニナがいない、深夜にすればよかったのに。私ったら、思いついたら即行動するなんて!

 内心、冷や汗を搔きながら、必死に言い訳を考えた。

「もしかして……」

 もしかして? 何? その間が怖い……。

「俺の話を聞く準備?」
「う、うん。いつでも準備できるように、机の上に置いておこうかなって」

 ははははは、と笑って誤魔化した。都合よく、ヒロイン補正が発動したみたいで、良かった良かった。

「で、何を書こうとしたの?」
「え? だから、エリアスの話を……」
「俺じゃなくてリュカに、でしょう」

 全然、ヒロイン補正、発動していなかった。というか、何で分かったの? 攻略対象者だから?

「昨日もこの時間、絵を描いていなかっただろう。何もしないで、ソファに座ったり、寝っ転がったりしていたから、すぐに分かったよ。あいつのことを考えているんだって」
「エリアスのことも考えているよ」
「それは、俺に遠慮しているからだろ!」

 突然、怒鳴られて、思わず体が後ろに傾いた。

「あっ、ごめん、俺……」
「ううん。そもそも悪いのは私なんだから。ごめんなさい」

 エリアスのいるところで、リュカへ手紙を書こうとしたんだから。自分の悪口を言い触らして、こそこそ攻撃してくる相手に、好きな子が手紙を書いていたら、私だって怒る。

「でもね、リュカは幼なじみで友達だから、何とかしたいの。こないだは言い過ぎたから」
「それはあいつの自業自得だろう」
「うん。そうなんだけど、どんどん嫌な人間になっていくのを見るのは嫌なの」

 原因が私なら、余計に。私がエリアスを連れて来なければ、リュカは『アルメリアに囲まれて』の攻略対象者、そのままだっただろうから。

 プレイする皆に愛されたキャラクター。恋愛したいと思われなければ、攻略対象者にはなれない。

「勿論、エリアスも」

 また同じだった。どうしたら、戻ってくれるのかは分かっている。でも、それじゃ前に進めない。私もエリアスも、そしてリュカも。

「ねぇ、話して。叔父様の話だけじゃなくても聞くから。例えば、リュカの愚痴とか。吐き出すだけでも、すっきりするよ」
「嫌じゃないの。幼なじみの愚痴なんか」
「そんなことはないよ。いくら幼なじみっていっても、リュカのことを全部知っているわけじゃないし。勿論、エリアスのことだって。これを機に知りたいわ」

 本心だった。リュカとの関係は、あくまでマリアンヌであって、私じゃない。だから、愚痴を聞いてもダメージはない。

「酷いことを言っても?」
「うん。大丈夫」
「俺は? 小さなことで腹を立てている、情けない男だって思わない?」
「思わないよ。私だって、よくあるもの。寝癖が付いているのを見て腹を立てたり、嫌いな物が食卓に出て機嫌を悪くしたりするんだから」

 ほら、私もエリアスも、何も変わらないでしょう。

「分かった。でも、不愉快に思ったら、すぐに言って。やめるから」
「大丈夫」

 なにせ、中身は二十代半ばなんだから。十二歳じゃないのよ。十五歳の男の子の悩みなんて、なんてことはないわ。

 あれ、そうなると、今のエリアスを好きな私は、犯罪者なのでは? いやいや、一応体は子供だから、セーフ……だと思いたい。

 内心、冷や汗を再び掻きながら、ソファに誘導した。愚痴でも相談でも、同じ目線でするのが基本だからだ。
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