都市伝説の兄妹は、いずれ最強の伝説になる

進藤 樹

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第二十九話 都市伝説の兄妹は、動物園を楽しむ

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 新京都の観光地でもある動物園『新京都アニマ魔獣園』は、近隣小学校の遠足の地になっていた。

「先生~、あのヒナはなに~?」
「アメワタリドリのヒナですね。大人になると、天敵の少ない雨の日に渡りをするんですよ」
「じゃあ先生、あそこの、うでをくんでいる二人は大人になったらオシドリになるの?」
「こら、人を指差してはいけませんっ!」

 子供に指を差された黒髪の少女が、笑顔で手を振った。よく見れば、その耳は尖っている。

「それを言うならオシドリフウフかな? わたしたちは兄妹だから、オシドリ兄妹?」
「おい朔夜……!」

 重護は顔を真っ赤にして朔夜を窘める。必死にペコペコと頭を下げる女性教師に苦笑して掌を向け、そそくさとその場を立ち去った。
 夜行性魔鳥館に飛び込んで、重護はようやく足を止める。

「遠足中の子供たちに話しかけるんじゃねぇ。今日は髪の色しか変えてねーんだから、あんまり注目されるとなんのはずみで都市伝説の正体だって騒がれるかわからないんだぞ」
「いいじゃん、だいたい話振ってきたの向こうだし。ふふ、聞いた? 大人になったら――だって」

 照明の弱い建物に入ったからだろうか。朔夜の微笑には暗く影が差していた。

「……わたし、もう死んじゃってるのにね」
「笑えねーこと言うんじゃねぇ」

 ――できることならずっと一緒にいたい。

 重護はまだ、朔夜との決別を受け入れられずにいた。しかしここで足踏みしていては、いずれ魔人になって無関係の人を巻き込んでしまう。
 朔夜はそんな未来を嫌い、成仏を決意した。
 朔夜がそう決めたなら――心苦しくても、止めることはできない。
 そのために、せめてやってあげられることがあるなら尽くそう。そのつもりで、重護は新京都アニマ魔獣園までやってきた。
 朔夜が提示した二つの未練、その一つが、ここに来ることだったのだ。

「にしても、まさか未練の一つが動物園に行きたいだったとはな……。それくらい、これまでも言ってくれりゃあよかったのに」
「だって、お兄ちゃん動物ダメじゃん。これでもずっと我慢してたんだよ」

 背後霊になってからというもの、ずっと気を遣わせてしまっていたらしい。

「う……いや、ダメなのは四本足の獣系だけだって。メタやダニエル、シフォンとは触れあえてるだろ」

 言い訳がましく弁解すると、朔夜がじとっと呆れたような目をして返した。

「ホントそこがびっくりだよね。普通の人なら犬より虫の方がダメだと思うのに」
「ほっとけ。翅橋先輩に睨まれるぞ」
「ほっとけないよ。抗魔官になるなら、動物嫌いは克服しておかないと! 今日ここに来たいって言った理由の半分は、お兄ちゃんのためなんだからね⁉」
「マジかよ……」

 未練を晴らすためにそう言うということは、背後霊として化けて出るほどに朔夜が気にしていることであるとも言える。

「そういうことなら、いい加減克服しねーとな……」

     *     *     *

 まだ朔夜が生きていた頃、ケウロスイヌに襲われたことがある。
 当時は重護が八歳で、朔夜が六歳だった。公園で砂場遊びをしていると、近所の家が飼っていたケウロスイヌが飛び込んできたのだ――朔夜目掛けて。

「バウン、バウ!」
「朔夜、あぶねぇ⁉」

 咄嗟に朔夜を突き飛ばし、頭が二つあるケウロスイヌの激突を食らう。あっけなく押し倒され、強張らせた四肢が容易く押さえつけられた。

「わ、お兄ちゃんっ⁉ ママ! ママぁ!」

 不運にも、付き添っていた美月はさっきトイレに向かったばかりだ。この場にはいなかった。

「くそ、なんだこいつ……っ」

 人に飼われているおかげでケウロスイヌに魔力はほとんどない。しかし大型犬だ、突進されれば六歳男児が受け止められるはずもなく、馬乗りされたら自力では逃れようがなかった。
 生ぬるい息をかけられた恐怖で目を開く。血走ったケウロスイヌの四つの眼。白く磨かれた犬歯は鋭く、開いた口から真っ赤な舌がだらんと垂れている。

「ひ……!」

 怯えて全身が強張る重護はしかし、さらなる恐怖に目を見張った。ケウロスイヌの双頭が、グリンと首を曲げて朔夜の方を見たのだ。
 唸り、吠え、ケウロスイヌが朔夜の方へと飛びかかる。
 直後どうなるのか、恐怖の絶頂にいた重護の脳が一気に想像を掻き立てた。
 先の重護と同様に、朔夜は四肢を押さえつけられ、抵抗する余地なく、喉笛を噛みちぎられてしまうのだろうか――。
 重護は恐怖に涙しており、それからの記憶は、あまり憶えていない。

     *     *     *

「お兄ちゃん大丈夫?」

 トラウマの記憶を引っ張り出した重護の全身には、鳥肌が立っていた。

「だ、大丈夫だ。あの時のこと、思い出しただけだから」

 朔夜が絡めている重護の右腕を指先でなぞる。

「思い出しただけで鳥肌が立つって、重傷でしょ。見てよ、イザヨイフクロウがびっくりしてるよ。ボクよりよっぽど鳥肌~って」

 分厚い抗魔ガラスの向こう側、止まり木に立つスタイリッシュな紫色のフクロウが、満月のような瞳をまじまじと重護に向けていた。

「鳥肌って鳥の肌って意味じゃねーからな? てか、目ぇ怖……っ」

 久しぶりに思い出して、重護は今さらながらに疑問を抱いた。

「今思えば、朔夜はよく無事だったよな……。無事だったんだよな?」
「なんで疑問形……。憶えてないの?」
「ケウロスイヌが朔夜に襲いかかったところまでは、今でも鮮明に思い出せるんだが」

 それからは自分が死ぬかもしれない恐怖や絶望感ばかりに心が占領されていて記憶が曖昧だが、重護も朔夜も大泣きしていたものの、朔夜に怪我はなかったような気がする。
 朔夜は不服そうな顔で溜息を吐くと、教えてくれた。

「お兄ちゃんがケウロスイヌの太い尻尾を強く掴んで、追い払ってくれたじゃん」

 ケウロスイヌの弱点は尻尾だ。全身の魔力バランスを調節する器官があり、握られると全身の力が抜けてしまう。その習性は人に飼われて魔力が弱体化しても変わらない。

「そうだっけ? あまりの恐怖で憶えてねーや……」

 どうやら、朔夜の喉元にケウロスイヌの前脚が触れる寸前で、ケウロスイヌは豪快に身を翻し逃走したらしい。

「もう……お兄ちゃんったら」

 朔夜が、重護の腕に絡めた腕を、より強くぎゅっと抱く。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。動物園では平和に過ごせるって、海原先輩に占ってもらったんだもん」
「う、占いか……」

 小夏の魔占術はよく当たるらしい。平時の重護なら無関心に聞き流していたが、今は藁にも縋る思いだった。

「信じますよ、海原先輩……っ」

 忌避感は強いが朔夜のためだと自分を奮い立たせ、重護は四足動物たちの跋扈する世界へ足を踏み入れる。

「それじゃあさっそく、ギガタイガーを見に行こう!」
「いきなり虎かよ⁉」

 文句をつけるも、朔夜は意見を変えてくれない。結局、夜行性魔鳥館からサバンナエリアまで移動するハメになった。
 ギガタイガーは、普段は体長一五〇センチ程度のサイズだが、獲物に飛びかかる時は魔法で身体を巨大化させるのだ。
 しかしサバンナの猛者も、生まれた時から人に飼われていれば可愛らしいものだ。青々とした芝の上で、のんきに昼寝などしている。

「さすがに二重の檻の向こうなら平気でしょ?」
「まあこれくらいならな」

 余裕ぶって鼻を鳴らすと、ぴくり、とギガタイガーの耳が動いた。目を覚ましたようだ。
 のっそりと起き上がったギガタイガーに、そばで見ていたギャラリーたちが「お」と声を上げる。
 雄々しい顔を真っ直ぐに朔夜に向け、のっそのっそと歩いてくるではないか。

「わわ、お兄ちゃんこっちくるよ?」
「お前の魔力に反応してるんじゃね―の?」
「まっさかぁ」

 理由はなんにせよ、ギガタイガーは迷いなく歩み寄って、ガシャンと金網に前脚をかけた。

「おお~っ! お兄ちゃん見て、肉球すごい! おっきい! ごつい!」
「お、おぉ……そ、そうだな……」

 あまりの迫力につい腰が退けてしまう。しかし朔夜はギガタイガーの真似をするように金網に近寄りたがるので、遠ざかるわけにはいかない。
 朔夜の挙動をできる限り自由にするべく、朔夜の肩に手を乗せる。朔夜は重護の服を掴んでいなくても両手が自由になり、いよいよギガタイガーと鏡になるように腰をかがめた。
 ギガタイガーがグルルと喉を鳴らすと、朔夜も子供っぽく返事する。

「がうがう!」

 檻越しにギガタイガーと喋る朔夜の丸まった背中を見ていると、不思議と声を上げて笑ってしまった。
 ギガタイガーは程なくして朔夜に興味をなくしたのか、先ほど居たところまで戻っていく。

「……なに、お兄ちゃん?」

 朔夜がジッと睨んでくるが、恥ずかしさを隠しきれないのか、迫力がなかった。

「いや、なんでもねーよ」
「……? で、怖くなかった?」
「ああ。たぶん、なにがあっても触ることはないって安全が保証されているからだろうな」
「そっか……。ふうん……?」

 朔夜はしばらく企むように考え込むと、突然パッと笑顔になって人差し指を立てた。

「じゃあお兄ちゃん、次はペガサスポニーの乗馬体験、してもいい?」
「う、馬にも乗るのか……⁉」
「トラウマを克服するためだよ!」
「トラウマって虎と馬って意味じゃないからな⁉ だいたいペガサスポニーって飛ぶだろ! 危険そうなんだが⁉」
「飛べるほど魔力ないでしょ、動物園にいる個体は。ほら、いこいこ!」

 仲睦まじそうに、二人は動物園を楽しんだ。

     *     *     *

 ひとしきり動物園で遊び呆けた重護は、青々とした顔で出入口のゲートをくぐる。

「なにが飛べるほど魔力ないでしょ、だよ……おもくそ飛んだじゃね―か……」
「ねー! ジェットコースターみたいだったー!」

 重護と腕を組んで歩く朔夜の顔からは、ほくほくした興奮が醒めていない。
 ペガサスポニーは大型の魔導バイクくらいの体格をしていて、純白の柔らかい翼は体温の熱を帯びており、もふもふで触り心地がよかった。
 重護は飛んだと表現したが、実際には滑空だ。こぶのような大きな丘から高く跳ね、追い風に乗って空を泳いだのである。
 時間にして四〇秒ほどだったが、急カーブに急降下と、スリルは満点。苦手な人なら、飛ぶと言語化してもおかしくない。

「まぁ、朔夜が楽しめたんならそれでいいけどよ……」

 しばらく道沿いに歩いていると、正面の交差点でケウロス犬の散歩をしている女性を見つけた朔夜が「あ」と声を上げる。

「じゃあお兄ちゃん、あの人の飼ってるケウロスイヌに触らせてもらおうよ」
「なんでだよ!」
「お兄ちゃんがトラウマ克服できたか確認したいの」

 重護は一瞬躊躇った。たしかに動物園での触れ合いも怖くはあったが、あちらはちゃんと園のスタッフが来場客に怪我がないよう配慮が行き届いている。一方、飼い犬に触れるとなると、噛まれることもあるかもしれない。
 しかし、トラウマを克服した重護の姿を、朔夜が見たがっているのだ。ここは勇気を振り絞るしかなかった。

「しょうがねーな……すみませーん」

 お宅のワンチャン可愛いですね、触らせてもらっていいですか。と、それらしく声をかけ、朔夜と並んでしゃがみ込んだ。
 朔夜が猫なで声と共に手を伸ばすと、ケウロスイヌは顔を持ち上げ嘗めようとする。

「あはは、くすぐったいよ~!」

 朔夜は笑いながら二つの頭を撫で、首を撫で、と手を動かすが、ケウロスイヌの双頭はどちらも朔夜の腕を嘗めることを止めようとしない。

「ほら、お兄ちゃんも撫でさせてもらったら?」
「お、おう」

 重護も腰を下ろし、おそるおそる手を出した。緊張が伝わったのか、ケウロスイヌはグルルと喉を鳴らす。
 びくり、と怖じ気づく重護。しかし必死に心を奮い立たせ、素早く、しかし優しく、ケウロスイヌの首を撫でた。

「おお……あったけぇ」

 今まで、恐怖の対象でしかなかった犬。しかし、いざ触れあってみると、恐れることはないのだと実感する。

「ね。ふさふさしてていいよー。あ、見てお兄ちゃん、この子大人しくなった」

 重護が心を開いたからか、ケウロスイヌは朔夜の腕を嘗めることも止めてされるがままに撫でられている。
 今までなんで怖がっていたんだろうかと、重護の中で凝り固まっていたなにかがほぐれた。

「あ、すみません長々と。ありがとうございました」

 飼い主にお礼を告げて、重護たちは再び帰路に着く。

「どうだ朔夜、俺ちゃんと克服してみせたぞ」
「ハイハイ、偉い偉い。……うん。じゃあ、残る未練は一つだね……」

 哀愁を漂わせる朔夜の横顔を見て、トラウマを克服せずに朔夜を現世に留めておけばよかったという後悔が過った。
 しかし、頭を振る。それで重護が魔人化してしまったら、目も当てられない。朔夜との別れを躊躇うのは、もうこれで何度目だろうか。

「そろそろ、だよな……」
「もう? そっか、もうそんな時間だね……」

 見上げれば透き通る晴れた青い空。昼下がりの太陽はまだまだ沈みそうにないが、それでも正午はとっくに過ぎている。
 京魔高専のある比叡山の方角を見て、朔夜がぽつりと呟いた。

「うまくいく、かな……」
「信じよう。先輩たちを」
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