【完結】これからはあなたに何も望みません

春風由実

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縁切

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「今日は気持ちがいいですね」

 通りを歩けば、風が柔らかく、頬を撫でていきます。
 届く陽光はぽかぽかと温かくて、芝生にでも横になればすぐに眠ってしまいそう。

「だがすぐに冬が来るからな。身体を冷やさないようにしてくれ」

「大丈夫ですよ、旦那さま。もう三度目ですから、私だって学んでいます」

 膨らんだお腹を擦れば、旦那さまの手がそこに重なりました。


 あの人と同じく三人の子どもを持つことになるとは、あの頃は思ってもみませんでしたけれど。

 あの人もまた、妊娠中に色々と生じる身体の変化を乗り越えて、強い痛みも乗り越えて、私たちを産んでくれたのですよね。

 それは有難いことです。

 と思えるくらいには、自分が変わっていることを私は実感します。

 それもあの人が心も身体も壊すくらいに、もうすでに沢山の罰を受けているからでしょうか。

『もうあの人のことは忘れて生きようと思っているよ』

『そうね。私もあの人の真似はもうやめたし。忘れて生きることにするわ!』

 可愛がっていた弟たちからも、忘れられようとしているあの人。

 そして私も、もう母親としてのあの人を望むことはないでしょう。


 子どもたちから何も望まれないこと。
 それは母親ではなくなることだと私には思えるのです。


 母親になれないまま、子どもたち全員を失ったあの人は、正気に戻れたときに何を感じるのでしょうね。


 回復されて、お話が出来るようになれば。
 私たちと会う日も来るかもしれません。

 その頃には私もまた違う考えを持っているかもしれませんが。
 なんとなくそれは分かります。

 今に想う言葉と、きっと同じ言葉を掛けるのだと。


 これからはあなたに何も望みません。
 ですからどうか、今度こそあなたらしく──。



 誰かの娘であることにずっと囚われてきたあの人。
 子どもたちの母親であることにも囚われ続けてきたのではないでしょうか?

 でももうこれからは。

 誰かの娘でもなく。
 誰かの母親でもなく。

 誰の妻でもなく。
 誰の嫁でもなく。

 どこの家の者でもなくて。
 貴族としてでもなく。

 女性らしさとか、男性らしさとか。
 淑女であれとか、マナーだとか。
 そういうことも遠くに置いて。

 それはただ一人の人間として──。


 私たちの誰にも望まれないことが、あの人にとってはもっとも重い罰になってしまうかもしれません。
 私に置き換えて考えれば、子どもたちに望まれる喜びをすでに知った今、これを手放すなんてとても出来ない。

 でも私はそれが、あの人にとっては罰でありながら赦しでもあると思うのです。

 父の解釈を受け入れるなら。
 長く周囲に求められるものに振り回されてしまったあの人。
 沢山の悪意に触れて苦しんだその救いを子どもへと向けてしまったあの人。

 今度は一から、それこそ赤ん坊が成長していくように、何も望まれていない状態から生き直して欲しいなと。
 そして今になって知った父ならば、あの人がずっと望んできたものを与えられるのではないかとも感じています。

 私に旦那さまがいてくださるように。
 あの人にも誰か大切な人が、それが父であるかは分かりませんが、そうすれば……。

 あの人も変わって、そしていつかは……。


 そうですね。
 私はまだ望んでいるのかもしれません。

 弟たちにも、心の奥ではあの人に望んでいることが沢山あることでしょう。

 母親にして欲しかったこと。望んでいたこと。
 それらはこの先もずっと、私たちの心を満たす日が来ないから。


 それでも私は言います。

 これからはあなたに何も望みません。
 ですからどうか、今度こそあなたらしく──。

 私にももう何も求めずにお幸せに。



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