嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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1万と2000年

1万1999年前

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 After Envynia
 The empire has fallen. What remains is not glory, nor ruin, 
 but the quiet breath of memory, carried far beyond the last dawn.
 Once, there was a city bathed in envy and light. 
 Now, only the stories remain—drifting like sea mist, waiting for a witness.

【1万1999年前・エンヴィニア滅亡1年後】

 何処かの名もなき漁村。
 朝のもやが立ち込める砂浜。
 夜明け前の潮風はまだ冷たく、白波が小さな祠の前で静かに跳ねていた。

「おーい、もうすぐ出港の時間だぞ」
 古株の漁師が、癖で祠に立ち寄る。
「海の神様、今日も一匹でも多く釣れますように……」
 手を合わせ、ふっと目を開けたそのとき。
 祠のすぐ脇、白い砂の上に人影が転がっていた。

「……なんだこりゃ? ……おい、誰か、こっち来てくれ!」
 慌てて仲間を呼びに走る。
 数人でそっと抱き起こすと、見慣れぬ旅装の青年。
 その首元、“特徴的な紋章”が提げられていた。
「あっ、この印……」
「あんた、神竜教の……」
「まさか、エンヴィニアの人間じゃねぇだろうな?」
 周りの者たちがどよめく中。
 古株の漁師は慎重に目を凝らし、そっと息を吐いた。

「いや、違う。こいつは……“司祭様”だよ。神竜教の高位聖職者――本物だ」
「とにかく、ここじゃ寒かろう。まず家まで運んでやろうや」
 彼らは司祭を抱え、漁村の小屋まで静かに運び込む。
 そのあいだも潮騒と祠の鈴の音だけが、ずっと鳴り響いていた。
「……神竜の加護を……」
 無意識に誰かがつぶやいたその瞬間。
 砂浜の朝もやが、ほんの少しだけ優しく晴れていくようだった。

---

 夜明けの海辺は、まだ霧に包まれていた。
 その静けさのなか、潮の香りに混じって、どこか異質な気配が漂っている。
 白波が祠の礎石を洗い、遠くでカモメが一声だけ鳴いた。
「……聞いたか?あの国が滅んだせいで、絶滅した動物や草花の数が“歴史上最大”だったってさ。
 世界中の生き物研究者が今も大騒ぎしてるらしいぞ」

「でもよ、逆に海の幸は増えた気がするんだ。
 ここいらじゃ見たことない魚が、エンヴィニア近海から流れてきたんだろうな。
 『大災害から逃げてきた』って感じで、ちょっと気味悪いくらいだ」
「……“終わった国”ってのは、こうやって、どこにも居場所がなくなるもんなんだな」
 穏やかな海も、遠くの雲も、昨日と同じ顔をしている。
 だが、確かに世界は変わった。
 何もかもが“かつて”のままではいられなかった。

 異国の漁村。朝もやの海辺、小さな祠のそば。 
 潮騒だけが静かに響き、白波が寄せては返す。
 その穏やかな砂浜で、一人の少年司祭が、ふと目を覚ます。
 視界はまだ白く、頭もぼんやりしたまま。
 まぶしい空に瞬きを繰り返し、現実感のないまま身体を起こす。

「……うぅ、ん……?」
 すぐ近くで、村の子供たちが「おきたよ!」と大声をあげている。 
 駆け寄ってきたおばさんが、興奮まじりにまくしたてる。
「アンタ、海岸で倒れてたんだよ。どうにか生きてるのが不思議なくらいだったんだけど……」 
「知ってるかい?あの、無敵のエンヴィニア帝国が滅んだんだ。
 1年たった今も、騒動が収まる気配がありゃしないよ」
 まだ世界は大混乱のさなか。 だけど、その波の外から“届いた”ものがあった。

 インマールは、ぽかんとした顔で、最初は意味がわからなかった。
 けれど――記憶が、時間が、ゆっくり繋がっていく。
(1年後――) 
 転送装置の光、クロノチームの叫び、すべてがフラッシュバックする。 
 彼の指先が小刻みに震え、 胸の奥に熱い何かがこみ上げてきた。

「……“1年後”……」
 そして、彼はゆっくりと微笑む。
「届いたんだ……本当に」
 誰にも聞こえない声で、祈るように呟いた。
 手を胸に当て、涙と笑顔のまじった顔で、彼は頷いた。
「……よかった……」
 たしかに、クロノチームが託した“希望”はここに届いた。
  エンヴィニアは滅びても、物語は“語り継がれる”。 
 そう、インマールの存在そのものが、失われなかった“灯火”だった。



 その朝の海は、どこまでも静かで優しかった。
 ただ一人、あの帝国の最後の証人が、波の音に包まれていた。

---

 朝霧の残る漁村の小さな台所。
 囲炉裏の上ではあら汁がグツグツと音を立て。
 湯気がほんのり魚の香りを運ぶ。
 インマール司祭は、まだ半分ぼんやりした顔で座っている。
 そこに村の子供が両手で椀を抱えて駆け寄ってきた。

「司祭様、お魚!」
「食べやすいようスープにしたよ!」
 差し出されたのは、漁村の朝の定番――あら汁。
 熱々の汁の中には、今朝あがったばかりの魚の切れ端と。
 浜で採れた野菜が一緒に煮込まれている。
 司祭は一瞬だけ驚いたように目を見開き、やがて小さく微笑んだ。
「……ありがとう。いただきます」
 その横では、朝から手際よく働く主婦さんたち。
 鍋を混ぜながらざっくばらんに世間話を続けている。

「ったく、信じられないよねぇ……あの無敵のエンヴィニアが、ぽーんと消えちゃうなんてさ」
「他国の連中、今もてんやわんやだよ。なんせ“記録にも映像にも残らない”んだもん」
「世界中の偉いさんも学者も、口開けて首かしげてるらしいわよ」
 縁側では、漁師のおっちゃんたちが煙草をくゆらせながら
 ぶっきらぼうに世相を語っている。

「憤怒界の貴族たちはよォ」
「“次の戦争はエンヴィニアだ!”って息巻いてたヤツらが、
 城が消えた次の朝には“地形ごと吹っ飛んだ”ってさ……」
「殴る相手いなくなって、矛先なくしてプチ暴動さ」
「八つ当たりで髪燃やしてたヤツもいたな、あれは笑ったなぁ」
 家の中には、静かで穏やかな朝が流れている。
 だが大帝国の「終わり」が、遠い海辺の漁村にも確かに波紋を残していた。

 司祭はそんな日常の雑踏のなかで、静かに、あたたかいスープを啜る。
 その味はどこか懐かしく、“生き残ったもの”の優しさがしみ込んでいた。
 素朴で賑やかな人々の会話のなかに、“滅びた国”の残響が漂っていた。
 お姉さんが洗い物の手桶を抱え、しみじみと言う。

「嫉妬界の淫魔たち、鏡見て涙ぐむのよ」
「サロメ様に憧れて整形したのにって……」
「そりゃそうよ、美の頂点が消えたんですもの。 
 流行も化粧品も、全て“サロメを模したもの”だったんだから」
 その声に被せるように、物知りジジイが遠くからぽつり。

「……砂の中から“ねじれた螺旋石”が見つかったそうだ」 
「あれは……エンヴィニアの王冠の一部じゃないかって、学者連中が騒いでる」
「けど……誰も“国の名前”を思い出せないんだとよ……。不気味な話さ……」
ちょうどそのとき、旅の商人が通りかかる。

「魔界航路が狂ってるの、あんたら知ってるかい?」
「“あったはずの領域が丸ごと空白”になってるんだよ。 
 地図にも載らない、記憶にも残らない―― でも、船を出すと“何かを通った気がする”……」
「……空間が、“何かの幻”を引きずってるんだ」
 この村に生きる誰もが“消えた国”に気づき、だけど真実には手が届かない。
 それでも会話の端々に残るのは、名残惜しさと、ほんの少しの恐れだった。
 主婦さんは、最後にふっと笑って、司祭に語りかける。

「ま、なんにせよ……あんたが生きていてよかったよ。
“あの嵐の中で助かった”ってだけでも奇跡なのに」
「……だからこそさ。聞かせてよ、司祭さま」
「本当に、エンヴィニアって――どんな国だったの?」
 インマール司祭は、遠くを見つめて静かに微笑む。
「……それは、“語られぬ物語”でした」 
「けれど、確かにあったのです――妬まれるほど、美しい国が」
 この手に残るのは、確かに“かつて”の記録。
 けれど、これからの時間は、私が生きて書いていく。
 祈りが届いたことを、誰かに伝えられるなら。
 そのためだけに――私はここに来た。

 波の音が静かに響く朝。
 消えた国の最後の語り部は、今日も“生きた証”を心に刻むのだった。

 波の音が優しく響く、昼下がりの海辺の祠。
 漁の男たちが沖へ出ていったあとの静かな時間。
 インマール司祭は祠の前で、子供たちにぐるりと囲まれていた。
 みんな目を輝かせて、好奇心いっぱいに質問攻め。
「ねぇ司祭さま、どうして“あの嵐”から生きのびたの?」
 と、声を揃えて尋ねる。

 インマールは優しく微笑みながら、答えた。
「……それは、“天使様方”に導かれたからです」
「てんし!?マジで!?翼あった!?」
「輪っかあった!?」
 司祭は小さく首を振って、静かに続ける。

「……いいえ、そういう形ではありませんでしたが」
「けれど、その在り方は、まぎれもなく“天の導き”でした」
「彼らは私に言ったのです。“貴方だけは、生き延びて”と……」
「……ちょうど聖書のロトのように、ですね」
「滅びの都市から逃れ、背を向けて、ただ進むしかなかったのです」
 もしも、この場に彼等がいれば口を揃え「天使ではない」と言っただろう。
 しかしあの日の導きは、神の使徒以外の何物でもなかった。

「うわ~~~!!絶対本物の天使じゃん!!」
「ねぇ、名前は!?天使様の名前ってなに!?“ガブリエル”とか!?」
 インマールは遠くを見て、懐かしむように空を見上げる。
「あぁ……お名前、ですか」
「“雷の剣士”に、“黒き自由の翼”、それに“仮面の喜劇者”……」
「なんそれ!?かっこいい!!!」
「おれ、“黒き自由の翼”がいい!!」「それ女の子?男の子!?!?」

「ふふ、性別も境界も超えた方々でしたよ。まるで、祈りの化身のように」
「……あの日、私に残ったのは、“希望”だけでした」
「だからこそ、こうして“語り継ぐ”ことが、私にできる祈りなのです」
 ひとりの子供がぽつりと、問いかける。
「司祭さま、お名前は?」
 インマールはまっすぐその子に向き合い、答える。
「ユーリス、です。ユーリス・インマール」

「……ユーリスって、どういう意味?」
「“光”――そして“語り部”。
 いつか君たちの物語も、誰か語り継ぐ日が来るでしょう」

 ――ユーリス・インマール(Euris Inmaar)
 エンヴィニア滅亡後、すべての物語を後世に残した“最後の語り部”。
 司祭家インマールの若き末裔。
 静かな眼差しの奥には、かつてクロノチームと旅した“永遠の思い出”と。
 世界が滅んだ後も“光”を伝え続ける意志が、確かに宿っていた。

 その名はやがて伝承となり、現代のヴァラへと受け継がれていく。
 彼の語りが、誰かの“希望”になるように。
 そしていつか、また新しい物語が生まれるように。
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