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第一章 転生者二人の高校生活
見舞いにて
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決戦を終え帰宅した玲奈は庭先で一心不乱に竹刀を振っていた。道場では今日も稽古があったけれど、顔を出す気分でもなく、ただ一人で素振りに励む。
「私は未熟だ……」
手の平に血が滲んでいた。もう軽く三千回は素振りをしている。けれど、休もうとは思えない。気を抜けば、昼間の光景が瞬く間に彼女の脳裏を支配してしまうからだ。
「どうしてなのだ……」
一八が前世と同じような悪であれば、こんなにも悩まなかったかもしれない。だが、彼が邪悪なままであったのなら、ケルベロスは失われ玲奈は今よりも深い闇に墜ちていただろう。
「一八……」
どうにも分からなくなる。前世であれだけの邪気を放っていた一八が人族に転生するだけで聖人となってしまうなんて。仮にそれが真理であれば、世の中はもっと平和であるはずだ。
いくら竹刀を振り続けても晴れぬ心。玲奈は薄々と解決方法に気付いていた。一人で思い悩んでいても無駄であること。明確な原因である事象への対処こそが解決策であることを。
「よし!」
玄関に回ることなく、玲奈は豪快に生け垣を跳び越えた。
玲奈は一八に会おうと思う。自ら会いに行くのは真相を知ってから初めてであったが、決意が揺るがぬうちに奥田家の玄関を開く。
「頼もう!」
必ずしも見舞いに相応しいとは思えぬ声掛けであったけれど、いつものことなのか気にする様子もなく三六が応対にでてきた。
「おお、玲奈ちゃんか! 相変わらず美人だな? まあ上がれ。一八は部屋におるぞ」
一八は既に晩ご飯を平らげ部屋にいるという。脳震盪を起こしていた一八だが、現在は回復しているようだ。
「では失礼する。三六殿、一八は元気なのか?」
「ああ、問題ない。何やら良い一撃を食らわせたらしいの! ウチの一八をのしてしまうとは、おなごにしておくのが勿体ないな!」
「いやそれは…………」
詳しく語ろうと思うも上手く言葉にならない。結局は濁すような話しかできず、玲奈は一八の部屋へと向かった。
本当に久しぶりだ。幼い頃に何度か入っただけである。階段を上った突き当たり。一八の部屋は畳のある和室だったと記憶している。
軽く声を掛け応答を確認してから襖をそっと開く。
「失礼する……」
一八は机に向かって勉強していた。意外な光景であったけれど、寝込んでいない状況には少しばかり安堵している。
目が合うや眉根を寄せる一八。まさか玲奈が訪ねてくるとは思いもしなかったらしい。
「何だ? まだ俺に用事でもあるのか……?」
黙り込む玲奈を一八は訝しむように見ている。彼とて玲奈が訪問した理由を予想できたはずなのに。
「一八、色々とすまない……。貴様が割って入らなければ私は子犬を殺めていた……」
語られた内容は意外でも何でもなかった。気の利いた冗談でも期待していたのか、一八は不機嫌そうにフンと息を吐く。
「タロウは俺が拾ったんだ。いつも餌をやっているからな。いわば俺の下僕。俺にはタロウを守る義務があっただけだ。あのタイミングで飛び出してきたのは驚いたが、それによる結果はお前が気にすることじゃねぇよ……」
椅子の背もたれに体重を預け、一八は天井を見上げるようにして言った。
その表情は間違いなく悔しさを滲ませている。やはり彼も武道家なのだ。如何なる理由があろうとも、勝負に負けるのは我慢ならなかったらしい。
「まあ効いたぜ……」
付け加えられたのは玲奈の一撃に関して。しかし、玲奈は首を振る。それは狙い澄ました一撃ではなく、ただ当たっただけ。振り下ろしたところに一八がいただけのことだ。
「私としては不本意だ。あのような形で試合が終わってしまうなんて……。結果として子犬が助かったのは喜ぶべきことでもあるのだが……」
「そう気に病むな。別に現世で最後の戦いでもねぇだろ? 俺もお前もまだ生きている。きっと、この先は長い。明日も明後日も十年後ですら俺は奥田一八であり、お前は岸野玲奈だ。たぶんだが、それが答えだと俺は思うぞ?」
淡々と語るのは過ぎたことと割り切っているからだ。悔しくはあっても時は戻らない。世の理は転生をした二人ならば良く知るところであったことだろう。
「一八のくせに生意気だな……?」
「この世の俺は理性的なんだよ。前世と一緒にするな……」
よくよく考えるとおかしな光景だった。かつては命を取り合った仲。死闘を繰り広げたあの頃の二人ならば、今の状況はあり得なかっただろう。互いを憎み合い、罵倒し、遂には剣を取っていたはずだ。
現世を限界まで巻き戻したとしても玲奈は玲奈でしかなかった。それは一八も同じであり、一八の人生をリセットしたところでオークキングの彼はそこにいないのだ。
玲奈は小さく頷いていた。どうやら彼女も気持ちの整理がついたらしい。
「やはりこの転生は女神殿の思惑通りか……」
女神マナリスの意図。玲奈の希望は無下にされたようで叶ってもいたのだ。どこを見渡そうと玲奈の周囲にオークキングはいない。この先も岸野玲奈の人生にオークキングという魔物は現れないのだろう。因縁のある隣人は歴とした人族であったのだから。
「なあ一八……。私は今日で前世を終わらせようと思う……」
一八の顔を見るたびに思い出す前世の自分。レイナ・ロゼニアという騎士は玲奈の心に今も残っている。
思わぬ話に一八は小首を傾げていた。眉根を寄せながら彼は問いを返している。
「それは俺が許されたってことか?」
事あるごとに嫌味を言われていた。一八は玲奈が自身を恨んでいると分かっているのだ。仲良くしたいと考えていても踏み込めずにいるのは彼自身も過去の記憶を持っているからである。
ところが、玲奈は首を振った。その様子が一八の問いに対する答えならば、彼はまだ許されていないのかもしれない。
「始めから許すも許さないもなかったのだ。貴様は奥田一八。私が憎んでいたオークキングじゃない。また憎んでいたのはこの私でもないのだ。だからもう気にするな。私ももう忘れることにする」
玲奈にとって決別すべきは一八ではない。この世に生きる玲奈にとって不要なものは明らかに前世の自分であった。
「レイナ・ロゼニアという女騎士の怨念は今もベルナルド世界に漂っているだろう。けれど、チキュウ世界に彼女は存在していない。私と貴様の記憶にあるだけ。不幸な女がいたことを私たちが知っているだけだ……。ようやく私はそれに気付いた……」
言って玲奈は目を閉じた。まだ鮮明に思い出せるあの日の記憶。横殴りの激しい風雨は閉ざされた玲奈の心を今も叩いている。直ぐに思い出せるようにと、その記憶の在りかを示し続けていた。
「レイナ・ロゼニアなど始めからいないのだ――――」
その決意表明は一八を驚かせた。決して許されないことをしたと彼自身も認めている。トラウマを抱えるような問題であったのは聞くまでもないことだ。
「今から私は完全に岸野玲奈だ。恨みや後悔なんてものが人を前に歩ませるはずがない。そんなものは捨ててしまうべき。よって今日がレイナ・ロゼニアの命日となるのだ!」
それは違うだろうと思ったりする一八だが、玲奈の決意を尊重している。彼女が抱えた負の感情はキチンと線引きしなければ拭いきれるものではなかったのだ。
「その……なんだ……。えっと、お悔やみ申し上げます……」
「なんだそれは!? まあいい。私は岸野玲奈。そして貴様は奥田一八。阿呆で脳筋の柔術馬鹿だ。しかし、強さだけでなく優しさも持ち合わせた幼馴染み。貴様はこれに違いないな?」
同意を強要するような玲奈。彼女の態度は変わったように思えない。
さりとて一八は笑みを浮かべた。ようやく現世が始まるような気になっている。心にあるつっかえが取れたような気分だ。
「それは間違いなく俺だ。これからも宜しく頼む……」
一八は右手を差し出した。
割と勇気を要したその手は直ぐさま握られている。玲奈は言葉の通りにわだかまりを精算していた。
前世を終わりにするといった台詞は本心のよう。一八への返答には過去を振り返らない前向きな言葉が選ばれている。
共に新しい世界と人生を楽しもうじゃないか!――――。
「私は未熟だ……」
手の平に血が滲んでいた。もう軽く三千回は素振りをしている。けれど、休もうとは思えない。気を抜けば、昼間の光景が瞬く間に彼女の脳裏を支配してしまうからだ。
「どうしてなのだ……」
一八が前世と同じような悪であれば、こんなにも悩まなかったかもしれない。だが、彼が邪悪なままであったのなら、ケルベロスは失われ玲奈は今よりも深い闇に墜ちていただろう。
「一八……」
どうにも分からなくなる。前世であれだけの邪気を放っていた一八が人族に転生するだけで聖人となってしまうなんて。仮にそれが真理であれば、世の中はもっと平和であるはずだ。
いくら竹刀を振り続けても晴れぬ心。玲奈は薄々と解決方法に気付いていた。一人で思い悩んでいても無駄であること。明確な原因である事象への対処こそが解決策であることを。
「よし!」
玄関に回ることなく、玲奈は豪快に生け垣を跳び越えた。
玲奈は一八に会おうと思う。自ら会いに行くのは真相を知ってから初めてであったが、決意が揺るがぬうちに奥田家の玄関を開く。
「頼もう!」
必ずしも見舞いに相応しいとは思えぬ声掛けであったけれど、いつものことなのか気にする様子もなく三六が応対にでてきた。
「おお、玲奈ちゃんか! 相変わらず美人だな? まあ上がれ。一八は部屋におるぞ」
一八は既に晩ご飯を平らげ部屋にいるという。脳震盪を起こしていた一八だが、現在は回復しているようだ。
「では失礼する。三六殿、一八は元気なのか?」
「ああ、問題ない。何やら良い一撃を食らわせたらしいの! ウチの一八をのしてしまうとは、おなごにしておくのが勿体ないな!」
「いやそれは…………」
詳しく語ろうと思うも上手く言葉にならない。結局は濁すような話しかできず、玲奈は一八の部屋へと向かった。
本当に久しぶりだ。幼い頃に何度か入っただけである。階段を上った突き当たり。一八の部屋は畳のある和室だったと記憶している。
軽く声を掛け応答を確認してから襖をそっと開く。
「失礼する……」
一八は机に向かって勉強していた。意外な光景であったけれど、寝込んでいない状況には少しばかり安堵している。
目が合うや眉根を寄せる一八。まさか玲奈が訪ねてくるとは思いもしなかったらしい。
「何だ? まだ俺に用事でもあるのか……?」
黙り込む玲奈を一八は訝しむように見ている。彼とて玲奈が訪問した理由を予想できたはずなのに。
「一八、色々とすまない……。貴様が割って入らなければ私は子犬を殺めていた……」
語られた内容は意外でも何でもなかった。気の利いた冗談でも期待していたのか、一八は不機嫌そうにフンと息を吐く。
「タロウは俺が拾ったんだ。いつも餌をやっているからな。いわば俺の下僕。俺にはタロウを守る義務があっただけだ。あのタイミングで飛び出してきたのは驚いたが、それによる結果はお前が気にすることじゃねぇよ……」
椅子の背もたれに体重を預け、一八は天井を見上げるようにして言った。
その表情は間違いなく悔しさを滲ませている。やはり彼も武道家なのだ。如何なる理由があろうとも、勝負に負けるのは我慢ならなかったらしい。
「まあ効いたぜ……」
付け加えられたのは玲奈の一撃に関して。しかし、玲奈は首を振る。それは狙い澄ました一撃ではなく、ただ当たっただけ。振り下ろしたところに一八がいただけのことだ。
「私としては不本意だ。あのような形で試合が終わってしまうなんて……。結果として子犬が助かったのは喜ぶべきことでもあるのだが……」
「そう気に病むな。別に現世で最後の戦いでもねぇだろ? 俺もお前もまだ生きている。きっと、この先は長い。明日も明後日も十年後ですら俺は奥田一八であり、お前は岸野玲奈だ。たぶんだが、それが答えだと俺は思うぞ?」
淡々と語るのは過ぎたことと割り切っているからだ。悔しくはあっても時は戻らない。世の理は転生をした二人ならば良く知るところであったことだろう。
「一八のくせに生意気だな……?」
「この世の俺は理性的なんだよ。前世と一緒にするな……」
よくよく考えるとおかしな光景だった。かつては命を取り合った仲。死闘を繰り広げたあの頃の二人ならば、今の状況はあり得なかっただろう。互いを憎み合い、罵倒し、遂には剣を取っていたはずだ。
現世を限界まで巻き戻したとしても玲奈は玲奈でしかなかった。それは一八も同じであり、一八の人生をリセットしたところでオークキングの彼はそこにいないのだ。
玲奈は小さく頷いていた。どうやら彼女も気持ちの整理がついたらしい。
「やはりこの転生は女神殿の思惑通りか……」
女神マナリスの意図。玲奈の希望は無下にされたようで叶ってもいたのだ。どこを見渡そうと玲奈の周囲にオークキングはいない。この先も岸野玲奈の人生にオークキングという魔物は現れないのだろう。因縁のある隣人は歴とした人族であったのだから。
「なあ一八……。私は今日で前世を終わらせようと思う……」
一八の顔を見るたびに思い出す前世の自分。レイナ・ロゼニアという騎士は玲奈の心に今も残っている。
思わぬ話に一八は小首を傾げていた。眉根を寄せながら彼は問いを返している。
「それは俺が許されたってことか?」
事あるごとに嫌味を言われていた。一八は玲奈が自身を恨んでいると分かっているのだ。仲良くしたいと考えていても踏み込めずにいるのは彼自身も過去の記憶を持っているからである。
ところが、玲奈は首を振った。その様子が一八の問いに対する答えならば、彼はまだ許されていないのかもしれない。
「始めから許すも許さないもなかったのだ。貴様は奥田一八。私が憎んでいたオークキングじゃない。また憎んでいたのはこの私でもないのだ。だからもう気にするな。私ももう忘れることにする」
玲奈にとって決別すべきは一八ではない。この世に生きる玲奈にとって不要なものは明らかに前世の自分であった。
「レイナ・ロゼニアという女騎士の怨念は今もベルナルド世界に漂っているだろう。けれど、チキュウ世界に彼女は存在していない。私と貴様の記憶にあるだけ。不幸な女がいたことを私たちが知っているだけだ……。ようやく私はそれに気付いた……」
言って玲奈は目を閉じた。まだ鮮明に思い出せるあの日の記憶。横殴りの激しい風雨は閉ざされた玲奈の心を今も叩いている。直ぐに思い出せるようにと、その記憶の在りかを示し続けていた。
「レイナ・ロゼニアなど始めからいないのだ――――」
その決意表明は一八を驚かせた。決して許されないことをしたと彼自身も認めている。トラウマを抱えるような問題であったのは聞くまでもないことだ。
「今から私は完全に岸野玲奈だ。恨みや後悔なんてものが人を前に歩ませるはずがない。そんなものは捨ててしまうべき。よって今日がレイナ・ロゼニアの命日となるのだ!」
それは違うだろうと思ったりする一八だが、玲奈の決意を尊重している。彼女が抱えた負の感情はキチンと線引きしなければ拭いきれるものではなかったのだ。
「その……なんだ……。えっと、お悔やみ申し上げます……」
「なんだそれは!? まあいい。私は岸野玲奈。そして貴様は奥田一八。阿呆で脳筋の柔術馬鹿だ。しかし、強さだけでなく優しさも持ち合わせた幼馴染み。貴様はこれに違いないな?」
同意を強要するような玲奈。彼女の態度は変わったように思えない。
さりとて一八は笑みを浮かべた。ようやく現世が始まるような気になっている。心にあるつっかえが取れたような気分だ。
「それは間違いなく俺だ。これからも宜しく頼む……」
一八は右手を差し出した。
割と勇気を要したその手は直ぐさま握られている。玲奈は言葉の通りにわだかまりを精算していた。
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