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眠れない騎士団長
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ハイウェルは執務室の机に頬杖をつき、丁寧な字で綴られた「安眠を得るための十箇条」に目を通していた。
差出人はオフィーリア・バークスだった。
手紙に添えられていた茶葉については、悩んだ末に捨てた。毒を盛るような人には見えなかったが、立場上、安易に口にするわけにもいかなかった。
「手紙にはなんと?」
ハイウェルをオフィーリアに引き合わせた張本人、副官のランスが離れたところから声をかけてくる。ハイウェルの補佐として、彼もまた自身の机で報告書に目を通していた。
「なんてことはない。生活習慣を見直すことや、酒を控えるようにと書かれている。まぁ、今の私にはそれすらもできそうにないが」
ハイウェルが自嘲ぎみに笑うのに対し、ランスは咎めるような視線を送った。
「お言葉ですが、ハイウェル様。もっと真面目に仕事量を調節してください。あなたの副官はそんなに無能ですか?」
「有能だと思っているし、私は君たちの働きに満足している」
「でしたら、我々を信用してすこしは休息を取ってください。試しにその手紙に書かれていることを実践してみたらどうです」
実際、ランスを含む副官たちは有能だ。ハイウェルに万が一のことが起きても、騎士団の運営は問題ないだろう。自分が数日休んだところで、支障はないこともよくわかっている。
ハイウェルはただ、自身が生み出した苦悩から逃げるために仕事をしているのだ。
「だが、守らなくてはいけない項目が十個もある。それに、この手紙には不眠症の治療には時間がかかるとも書いてある。そこまでの時間はかけられない」
目眩の予感がして目を閉じる。目頭を揉んでやり過ごし、額を押さえて肘をついた。
「最も効率的な解決法があるというのにな」
オフィーリアのことを思い出し、深くため息をつく。
「ミーフィズのセイレーン」と聞いて、勝手に絶世の美人を想像していた。しかし、きわだって美人というわけではなかった。
おっとりとした顔立ちで、毒に冒されたらたちまち死んでしまいそうな儚さがあった。ローブをまとった身体の線が、細く頼りなかったせいかもしれない。
彼女は暗い金髪をひとつ結びにして、背中へと垂らしていた。サラサラと流れるような艶のある髪に何度も目が留まった。自分には持ち得ないものだからか、目がそちらに行ってしまうのだ。指を通したらどんなだろうかと、指間を滑る髪を想像して、胸の奥が浮き上がる感じがした。
外見ばかり意識していたハイウェルだったが、実のところ彼女に魅力を感じていた。それも、心の最も深いところで強く惹かれるものがあった。理由は自分でもわからなかった。
ハイウェルはオフィーリアと会ったあと、なぜ彼女があの時間に仕事をしているのか気になり、魔法士団長に尋ねてみた。
年老いた彼は、山羊髭のような枯れ枝色の髭を撫でながら虚空を仰いだ。
『歌うためです』
『歌うため? 彼女は歌えないと言っていましたが……。では、噂は本当に』
『ミーフィズのセイレーンというやつですかな』
『ええ。眠れない兵士たちを歌で眠らせたとか』
魔法士団長は深く頷いた。
『オフィーリアの歌声に魔力が秘められているのは確かです。彼女は小さいながらも歴史ある伯爵家の生まれで、セイレーンの血を引いている、あるいはセイレーンの呪いを受けているという言い伝えが残っているそうです。歌わなければ悪夢を見てしまい、眠れない日々を過ごして衰弱したのち、命を失ってしまうのです。部屋で歌うにしても宿舎の壁は薄い。しかし、彼女には自由に歌える時間が必要でした。ですから、外出規則に触れないよう薬草管理の仕事を与えました。明け方の畑には誰もおりませんから』
彼女はハイウェルが立ち去ったあとに歌ったのだろうか。激戦地で兵士の心を支えたという歌声は、どんなものなのか。
オフィーリアに会うまで彼女に興味はなかったが、歌えないと言われると、たちまち気になって仕方がない。
「魔法士団長の話を聞く限り、彼女は歌えるようだ。だが、頑なに依頼を引き受けてくれなかった。なぜだろう」
「シンプルに、仲良くないからじゃないですか」
「なに?」
柔和な顔立ちに似合わず、容赦ない言葉を投げつけられた。
「彼女の立場からして、あなたに臆してしまうのもわかります。それに、相手は年頃の女性ですよ? 仲良くない相手に、なんでそこまでしなくちゃいけないのって思っているのかも」
ハイウェルは指を絡めて組み、妙に納得した気分でランスを眺めた。
「彼女と仲を深めて歌ってもらうようお願いした方が、時間がかからないかもしれませんね」
「歌わせるために親しくなるのは不誠実じゃないか?」
「誠実に親睦を深めていけばいいんです」
ふむ、と一考し改めてランスを見る。
「君の協力が必要だ」
「またですか!? その女性に対する苦手意識、どうにかなりません? 私はもうセイレーンに会いに行くためだけに早起きなんてしませんからね」
そうして、ハイウェルはオフィーリアと親睦を深めるために動き出した。
差出人はオフィーリア・バークスだった。
手紙に添えられていた茶葉については、悩んだ末に捨てた。毒を盛るような人には見えなかったが、立場上、安易に口にするわけにもいかなかった。
「手紙にはなんと?」
ハイウェルをオフィーリアに引き合わせた張本人、副官のランスが離れたところから声をかけてくる。ハイウェルの補佐として、彼もまた自身の机で報告書に目を通していた。
「なんてことはない。生活習慣を見直すことや、酒を控えるようにと書かれている。まぁ、今の私にはそれすらもできそうにないが」
ハイウェルが自嘲ぎみに笑うのに対し、ランスは咎めるような視線を送った。
「お言葉ですが、ハイウェル様。もっと真面目に仕事量を調節してください。あなたの副官はそんなに無能ですか?」
「有能だと思っているし、私は君たちの働きに満足している」
「でしたら、我々を信用してすこしは休息を取ってください。試しにその手紙に書かれていることを実践してみたらどうです」
実際、ランスを含む副官たちは有能だ。ハイウェルに万が一のことが起きても、騎士団の運営は問題ないだろう。自分が数日休んだところで、支障はないこともよくわかっている。
ハイウェルはただ、自身が生み出した苦悩から逃げるために仕事をしているのだ。
「だが、守らなくてはいけない項目が十個もある。それに、この手紙には不眠症の治療には時間がかかるとも書いてある。そこまでの時間はかけられない」
目眩の予感がして目を閉じる。目頭を揉んでやり過ごし、額を押さえて肘をついた。
「最も効率的な解決法があるというのにな」
オフィーリアのことを思い出し、深くため息をつく。
「ミーフィズのセイレーン」と聞いて、勝手に絶世の美人を想像していた。しかし、きわだって美人というわけではなかった。
おっとりとした顔立ちで、毒に冒されたらたちまち死んでしまいそうな儚さがあった。ローブをまとった身体の線が、細く頼りなかったせいかもしれない。
彼女は暗い金髪をひとつ結びにして、背中へと垂らしていた。サラサラと流れるような艶のある髪に何度も目が留まった。自分には持ち得ないものだからか、目がそちらに行ってしまうのだ。指を通したらどんなだろうかと、指間を滑る髪を想像して、胸の奥が浮き上がる感じがした。
外見ばかり意識していたハイウェルだったが、実のところ彼女に魅力を感じていた。それも、心の最も深いところで強く惹かれるものがあった。理由は自分でもわからなかった。
ハイウェルはオフィーリアと会ったあと、なぜ彼女があの時間に仕事をしているのか気になり、魔法士団長に尋ねてみた。
年老いた彼は、山羊髭のような枯れ枝色の髭を撫でながら虚空を仰いだ。
『歌うためです』
『歌うため? 彼女は歌えないと言っていましたが……。では、噂は本当に』
『ミーフィズのセイレーンというやつですかな』
『ええ。眠れない兵士たちを歌で眠らせたとか』
魔法士団長は深く頷いた。
『オフィーリアの歌声に魔力が秘められているのは確かです。彼女は小さいながらも歴史ある伯爵家の生まれで、セイレーンの血を引いている、あるいはセイレーンの呪いを受けているという言い伝えが残っているそうです。歌わなければ悪夢を見てしまい、眠れない日々を過ごして衰弱したのち、命を失ってしまうのです。部屋で歌うにしても宿舎の壁は薄い。しかし、彼女には自由に歌える時間が必要でした。ですから、外出規則に触れないよう薬草管理の仕事を与えました。明け方の畑には誰もおりませんから』
彼女はハイウェルが立ち去ったあとに歌ったのだろうか。激戦地で兵士の心を支えたという歌声は、どんなものなのか。
オフィーリアに会うまで彼女に興味はなかったが、歌えないと言われると、たちまち気になって仕方がない。
「魔法士団長の話を聞く限り、彼女は歌えるようだ。だが、頑なに依頼を引き受けてくれなかった。なぜだろう」
「シンプルに、仲良くないからじゃないですか」
「なに?」
柔和な顔立ちに似合わず、容赦ない言葉を投げつけられた。
「彼女の立場からして、あなたに臆してしまうのもわかります。それに、相手は年頃の女性ですよ? 仲良くない相手に、なんでそこまでしなくちゃいけないのって思っているのかも」
ハイウェルは指を絡めて組み、妙に納得した気分でランスを眺めた。
「彼女と仲を深めて歌ってもらうようお願いした方が、時間がかからないかもしれませんね」
「歌わせるために親しくなるのは不誠実じゃないか?」
「誠実に親睦を深めていけばいいんです」
ふむ、と一考し改めてランスを見る。
「君の協力が必要だ」
「またですか!? その女性に対する苦手意識、どうにかなりません? 私はもうセイレーンに会いに行くためだけに早起きなんてしませんからね」
そうして、ハイウェルはオフィーリアと親睦を深めるために動き出した。
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