眠れずの騎士団長と夢結びのセイレーン

散りぬるを

文字の大きさ
1 / 10

歌えないセイレーン

しおりを挟む

「もし」

 と呼びかけられ、オフィーリアは緊張した顔で振り返った。

 立っていたのは、成熟した大人の男だった。

 紺碧の空が焼けるようなオレンジ色と混ざり合う、春の夜明けのこと。

 魔法士団の詰め所内にある薬草畑の管理は、オフィーリアの仕事のひとつだった。こんな時間に畑に来る者は自分くらいなので、声をかけられたことにひどく驚いた。おまけに、見える所にはいないが、この男以外にも人の気配がある。

「あなたがオフィーリア・バークス殿か。私は」
「存じております」

 わざわざ名乗ろうとするところに、彼の律儀な一面を見た。
 知らないはずがない。
 自らが所属するセプテット騎士団の若き騎士団長、ハイウェル・ブリッグズ。

 魔法士団は騎士団に編制された組織。これまで、こんな風にまじまじと顔を合わせる機会はなかったが、何度か見たことはあったから見間違えるはずがなかった。風の噂で、二十九歳だと聞いたことがある。

「いつもこんな時間から仕事をしているのか」
「はい」
「誰かに命じられているのか」
「いいえ。私の判断です」
「あなた眠れないのか」

 オフィーリアは内心眉をひそめつつも「いいえ」と答えた。
 ハイウェルは一瞬気まずそうな顔をした。深緑色の外套がいとうを翻し、ゆっくりと歩き出す。

(まだ芽が出たばかりだし、見ても楽しくないと思うけど)

 水やりの仕事に戻るわけにもいかず、無言でハイウェルの後に続いた。

 彼の短い髪と外套が春風に揺れる。朝日に照らされた金糸のような髪が美しいと思った。

「これはなんという薬草だ?」
「オレンジヒールです。ポーションの生成に使用します」
「こちらは?」

 美しいのは髪だけではない。一度見たら忘れられない、上品な美貌を持っていた。厳しく精悍せいかんな顔をしているところしか見たことがなかったが、今は荒々しさが削ぎ落とされ、静謐せいひつとした雰囲気があった。

 その美しい横顔を見ながら、オフィーリアはひとつひとつ質問に答えていく。
 オフィーリアは二十四歳。年頃の女としてこの時間に心がときめかないはずもなく、しかし、あまりにも立場に隔たりがあるため、都合の良い夢を見ることはしなかった。
 それからしばらくして、彼はおもむろに振り返った。

「あなたの噂を聞いた」

 オフィーリアの善良で慎ましやかな顔に、ピリッとしたものが走る。
 ほんのすこし鼓動を速めて身構える自分がいた。

「あなたの歌声を聞けば、どんな者でも眠りに落ちると。もしその噂が本当なら、私のために歌ってくれないだろうか」

 オフィーリアは目をそらし、うつむいた。

「歌えません」
「それは、歌いたくないのか、本当に歌えないのか。どちらだ」

 どちらも正しかった。だが、騎士団長相手に「歌いたくない」とは言えなかった。自分は特別な地位を持たない一介の魔法士。たったひとつの本心が無礼と捉えられることもある。だから、話題をそらすしかなかった。
 
「眠れないのですか」

 ハイウェルはすこし黙ってから、オフィーリアの態度を咎めるでもなく「ああ」と頷いた。

「二年前から、もうずっと満足に眠れていない。最近、業務にも支障が出てくるようになってしまってな。そんなとき、あなたの噂を聞きつけた副官があなたに会うよう勧めてきた」

 頭に浮かんだのは、三年前に起きた隣国カクーンとの間で起きた戦争だった。あれはカクーンによる一方的な侵略だった。
 西の国境ミーフィズは激戦地となり、オフィーリアは治療部隊として送り込まれた過去がある。セプテット騎士団は防衛に成功しただけでなく、カクーンの都市をひとつ攻め落とすという歴史的な勝利を収めた。そのおかげか、カクーンとの停戦交渉はすんなりと進んだ。

(終戦から二年が経つというのに、この人はまだ眠れない日々を過ごしているのね)

 騎士団長という立場なのだから、実務、政務どちらも多忙であろうことは容易に想像できる。噂に縋るほどなのだから、相当に追い詰められているのかもしれない。
 オフィーリアは目をあげて、とても控えめに、ゆっくりと話し始めた。

「噂をご存知でしたら、私がミーフィズの戦線にいたこともご存知かと思います。あの頃、眠れない戦士がたくさんいました。以来、私は睡眠に関する研究を始めたのです。歌うことはできませんが、眠るためのお手伝いはできるかと」

 ふたりは静かに見つめ合う。互いの心のうちを覗き込むような時間だった。
 よく見れば、彼は疲れた顔をしていた。肉体的にも、精神的にも。かわいそうだと思った。かつて戦地で見た負傷兵たちの表情と重なる。

 噂は真実だった。
「悪夢を見るから眠れない」という負傷兵のために歌ったことがある。刹那的なものだとしても、安らかな夢を見られるようにと願っていた。自分の願いが、偽善的で独善的であったとも知らずに……。

 ハイウェルは諦めきれないのか、ため息をついた。

「なぜ歌えないんだ」

 オフィーリアはまた目を伏せた。

「……ごめんなさい」

 ――その日の夕方、オフィーリアは魔法士団詰め所に隣接する騎士団の訓練場に訪れた。
 せめて不眠症を治す一助となればと思い、ハイウェル宛に手紙をしたためた。鎮静作用が期待されるハーブティーの茶葉も添えて。

 夕日に染まる訓練場には剣を振る数人の兵士たちがいた。しかし、当のハイウェルが見つからない。

(執務所に行く勇気がなかったからこっちに来てみたけど、やっぱりいないか。執務所の警備兵に受け取ってもらえる気もしないし、どうしようかな)

 訓練場内をキョロキョロと見渡しているときだった。

「そこのお前、ここでなにをしている」
「っ!」

 オフィーリアは肩を震わせ、弾かれたように振り返った。
 同じ年頃の男が訝いぶかしげに首をかしげる。
 今日は厄日なんだろうか。嫌な人に会ってしまった。くせのついた柔らかな金髪や、この鋭い目つきを忘れてしまったとしても、この男との間で起きたことは忘れられない。

「その格好、魔法士か」

 確かに誰が見ても、一目でセプテット騎士団の魔法士だとわかる装いだった。黒いローブの肩と裾には深緑色で「風」を象徴する刺繍がされており、おまけにローブが翻るたびに裏地の深緑色が見えるという凝ったデザインをしていた。

「ん? アンタ、どこかで……」

 うっと身を引いて、立ち去る口実を考える。気づかれる前にどうにか逃げたい。
 しかし、男はすぐにハッとした。

「オフィーリア・バークスか」

 彼、ロレンス・コーデンは苦いものでも噛んだような顔をした。
 それが睨まれているように感じて、いっそう居心地が悪くなる。目礼だけをして立ち去ろうとするオフィーリアをロレンスは腕を掴んで引き留めた。

「待て。その手に持っているものはなんだ」

 運悪く掴まれた腕は手紙を持っている方だった。
 ぐいと腕を引き上げられて、オフィーリアは慌てた。

「た、ただの手紙です!」
「仕事に関わるものか。誰を探してる」
「ハイウェル様です」
「恋文か」

 聞いた途端、ロレンスは笑った。その笑い方は蔑みでもようであり、責めているようでもあった。
 この人はいまだに私を許していないのだと痛感した。そうでなければ、親しくない相手にこんな嫌な笑い方はしないだろう。
 オフィーリアは腕を振り払って、二歩後ろに下がった。

「そんなわけないじゃないですか!」
「なんだ、違うのか」

 あっけなく引き下がられて、振り上げた腕と気持ちをどうすればいいのかわからなくなる。
 心と手紙を守るように手を胸に引き寄せて、目をそらす。

「これは、その、個人的にご相談いただいたものに対しての回答です」
「ふーん。あの方ならもういない。今は執務所にいるはずだ。代わりに渡してやろうか」

 思いのほか、優しい提案をされて面食らう。

「よろしいんですか」
「……二年前の借りを返すだけだ」

 ズキリ、と胸の奥が痛む。
 それはきっとロレンスも同じで、気を落とした暗い表情を浮かべていた。

「そう、ですか。それでしたら、お願いします」

 これで自分たちの縁が切れますようにと祈りを込めてロレンスを見つめ、そっと手紙と茶葉の入った小包を渡した。
 ロレンスの長くて節のある指が軽々と受け取る。

「アンタ、歌わなくなったのか」

 呟くように問われ、オフィーリアは言葉を詰まらせた。
 なにも聞こえなかったふりをして頭を下げ、逃げるように駆け出す。息が苦しくなって足が止まるまで走り続けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

カリスタは王命を受け入れる

真朱マロ
恋愛
第三王子の不始末で、馬に変えられた騎士との婚姻を命じられた公爵令嬢カリスタは、それを受け入れるのだった。 やがて真実の愛へと変わっていく二人の、はじまりの物語。 別サイトにも重複登校中

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】番としか子供が産まれない世界で

さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。 何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。 そんなニーナが番に出会うまで 4話完結 出会えたところで話は終わってます。

契約妻に「愛さない」と言い放った冷酷騎士、一分後に彼女の健気さが性癖に刺さって理性が崩壊した件

水月
恋愛
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件の旦那様視点短編となります。 「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。

側近女性は迷わない

中田カナ
恋愛
第二王子殿下の側近の中でただ1人の女性である私は、思いがけず自分の陰口を耳にしてしまった。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

完結·異世界転生したらアザラシ? でした〜白いモフモフでイケメン騎士たちに拾われましたが、前世の知識で医療チートしています〜

恋愛
ネットでアザラシを見ることが癒しだった主人公。 だが、気が付くと知らない場所で、自分がアザラシになっていた。 自分が誰か分からず、記憶が曖昧な中、個性的なイケメン騎士たちに拾われる。 しかし、騎士たちは冬の女神の愛おし子を探している最中で…… ※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿しています ※完結まで毎日投稿します

処理中です...