僕の中のボクと君の中のキミが出逢ったら(完結保証)

せせらぎバッタ

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 部屋には後で呼ばれた心理療法担当職員の如月、事務長の毛塚と施設長の福山の3人となった。徹は腹を括った。スマホで録音することも予め告げる。ここで有耶無耶にされたら遥香と美央の気持ちはなかったことにされる。自分たちの人生だってそうだ。激高した淳を宥めはしたが、徹とて腹が煮えくり返る思いだ。ここで立ち向かわなくては。ただ、自分には自分のやり方がある。

「お待たせしました。状況を教えてもらえますか?」
 改めてそれぞれが自己紹介し、事務長の毛塚が口を開いた。
「まず、お騒がせしましたことはお詫び申し上げます」徹は一同に頭を下げた。

「遥香も乖離性同一性障害です。耳慣れない言葉ですが、以前はそうですね、多重人格と呼ばれてました。いわゆる、ひとつの身体にいくつかの人格があるということです。
 そういう二人が出会い、わたし達は結婚しました。お互いをこれ以上にないくらい理解しあえますから」

 如月の表情は変わらなかったが、他の二人は息を大きく吸い込んだ。目には驚愕の表情が浮かんでいる。映画やマスコミは本当のことを伝えていない。凶暴な人格が社会的に問題を起こすとセンセーショナルに書き立てられ、当事者は置き去りにされている。

『暴力的な人格』か。徹もそれを最初危惧していた。だが、美央を通じて、彼らの生い立ちを知るにつけ、それは誤りだと気がついた。

 ―主人格を護るために現れた―

 精子と卵子が結合し命が始まる。親のクローンになるわけではない。同じように自分と遥香から生まれた彼らも独立した存在なのだ。親の一部を受け継ぐように似通ったところもあれば正反対のものもある。

 愛しい者達だ。ずっと一緒にいられないかもしれない。時が満ちて、融合されてしまう日がくるかもしれない。それを思うといたたまれないが、彼らの意思を尊重しよう。自分たちは今、この時を抱きしめるしかないのだから。

「診断記録があるので、それで嘘を言ってないことはお判りいただけると思います。あいにく今は手元にないですが。なぜ他の人格が現れてしまうのか、如月さんはお詳しいでしょうから、後でお二人にご説明いただけますか。もっともいろいろな症例があるので何ともいえませんが」

 如月がコクリと頷いた。徹は男と何があったのかを時系列にそって話す。こういう時は事実のみを話すのが肝心だ。

「先ほどの大橋とのやり取りの録音はしておりませんが、本人たちがそう認めている以上、彼が性的虐待を行ったことは明白であり、混乱した遥香が性交渉を担当する人格を作り出したと思われます。このことを遥香は知りません。ですので、席を外させました。またわたしにも別人格が現れました。恐らく遥香を苦しめた男が目の前にいるという事実に堪えられず、咄嗟にでてきたと思われます」

 徹は冷たくなっていたお茶を一口啜った。淳のことはもう少し話した方がいいかもしれない。しかし淳と遥香がつきあっているということは言わない方がいいだろう。二人だが4人で愛し合っているのは倫理上歓迎されるわけじゃないだろうから。
 世間一般の常識からはずれた者は信用されにくい。手の内を晒せばいいというわけじゃないのだ。

 部屋の中には重苦しい沈黙が訪れている。強くならなければ。自分をコントロールしなければ。淳が先ほどから苛立っている。

「その、一ノ瀬さんの別人格の方は、遥香さんをご存知なのですね」
「はい、交代人格はわたしの中でわたしを見ていますから。遥香がわたしにとってとても大切な人という認識があります」
「なるほど、わかりました」
「今後のことは遥香と相談して‥‥、かなりショックを受けるでしょうから、自分でも決めかねてますが、」

 一番信頼していた人間からの虐待。親に見放され、施設で生活せざるを得なかった遥香。彼が支えていたとしても、越えてはならない一線を越えてしまった男。美央が生まれたのが中学生くらいと言っていたから、グルーミング行為といって差し支えないだろう。たとえ恋愛感情からきていたとしても、弱者が強者に搾取される構図は変わらない。成人している立派な大人ならブレーキをかけるはずだ。結果的には既婚男性の性のはけ口でしかなかった。 

 彼に嫌われたくない、だが拒否反応は抑えられない。もともと生真面目なところのある遥香が生み出したのは、セックスを担当する美央の存在だ。彼女が嫌な部分をすべて引き受ければ自分は平穏でいられる。
 美央が気の毒になった。遥香を守るために、嫌な役を進んで引き受けた。そこにいじらしい想いを感じとり、徹は切なくなった。

「わたしってバカだから。セックスくらいしか能がないのよ」

 自虐的に振る舞いながらも遥香のためなら何でもする美央。
 徹は下唇を噛んだ。自分も淳に押し付けたのだ。何をされたのだろう。思い出すのもはばかれる、忌まわしい記憶を淳は抱えている。遥香に事実を告げるかどうか決める前に、自分にも向き合わねばならない。

「お話はわかりました。こちらでも調査をいたします。他にも被害者がいるかもしれません。謝って済むことではありませんが、遥香さんへの虐待、申し訳なく思っております。」
 福山が両手を膝につき深々とお辞儀をした。その場の全員も頭を下げる。

「あの、すみません。遥香さんですが、無理に事実を知らせなくてもいいのではないかと。決めるのは本人‥‥事実を知らないままでは決められないかもしれませんが、他の人格が現れるとか、フラッシュバックで日常に支障をきたすとか、体調をくずすとか、問題がでてきた時でいいと思います」如月が口を開いた。

「なかったことにするということですか?」

 徹は内心の苛立ちをこらえ、鋭い視線で如月をねめつけた。彼女はひるまない。以前行った精神科医のように表情は穏やかなままだ。

「そういうことではありません。いきなり説明して、混乱するのは目に見えてます。自殺衝動、自暴自棄による犯罪行為等、最悪の結果も起こりえます」

「では、このままあの男は刑事告訴もされず、のうのうと生活していくんですか?」
 淳が頭の中でがなりたてる。落ち着け、と徹はなだめるが、彼とて同じ気持ちだ。

「ああ、徹さん。性被害はデリケートな事案なので、現在の法律では非親告罪というのを適用できるのです。刑事告訴をしなくても検察官の判断のみで起訴ができます」
 如月はそこで福山に視線をやった。

「調査後、他に被害があったとしてもなかったとしても、警察に連絡するという方向性に変わりはないですよね。遥香さんのことは既に告訴の事案ですし」

 福山は重々しく頷いた。昨今、性被害は告発の方向に動いている。かつては闇に葬られていたものが、白日の下に晒されるようになった。

 ホッと胸をなでおろし、徹は遥香を迎えに行った。案内されて廊下を歩く。表では児童が砂遊びをしていた。大橋は恐らく懲戒解雇となるだろう。自業自得だ。何も知らない児童は一時的に悲しむかもしれないが、時間が立てば記憶も薄れるだろう。

 門を出て、見送りにきた職員に挨拶をし帰途についた。運転中ずっと無言だったが、サービスエリアで休憩した後、遥香が思いつめたような顔で訊いてきた。
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