愛しの My Buddy --イケメン准教授に知らぬ間に溺愛されてました--

せせらぎバッタ

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 時計を見ると16時を過ぎたくらいだった。抱き合いながら余韻を噛みしめる、この時間も好きだ。女にとって前戯も後戯もなくてはならないものだ。

「なほっち、大好き。ああ、いつまで俺は、愛人でいなきゃいけないの」
「ねえ、かしわぎっちぃ。遊びと本気の境界はどこにあるの?前、言ってたよね。いっぱいやった後に残るものがあればって。ねえ、何が残るの。何が残らないの」

 柏木は少し考えてから、恥じらうように微笑んだ。中年の顔に一瞬少年が宿る。

「愛おしい、という気持ちかな。俺の場合、遊びというか、短期間で終わるのは、愛という名の欲望だったのかと思う。短いから世間的には遊びと思われちゃうけど、どれも始まりは好きという気持ちなんだ。

 だいたい『遊び』って失礼な話じゃないか。身体をはってセックスしてるのに、行為そのものを貶める言い方、俺は好きじゃないなぁ。あの娘とは遊びで本気なのはキミだけだって、しらけるはずなんだけど、喜ぶ人多いんだよね。無意識に『遊ばれてた娘』に優位性を感じて、マウントとってるだけだろ。人の気持ちをおもちゃにする男と、マウントする女。まっ、レベルは同じだからつりあってるんだけど。

 で、短期間で終わる恋は、不思議なことに、性欲が満たされると、色あせて見えるんだよね。感覚的なものだけど、目の前にいるのに、その人が景色と一体となっちゃうんだ。出会った時は天然色なのに。案外相手も同じだからか、別れる時に揉めたことないなぁ」

「天然色かぁ。山岸さんのポートレートはモノクロだけど、セックスした後、色がなくなったのかなぁ。風化していく古い建物のような、関係が終わろうとしている一瞬を切り取っているのかなぁ。朽ちていく一瞬の美」

 でも、待って。なんで唇にだけ色があるの。女性の象徴である性器を暗喩として表現しているのか。セックス後の静から動への移行、夜から朝に向かう、生の再起動に向けた狼煙なのか。ちょっと聞いてみたいような気がする。

「だめだよ、なほっち。彼のモデルになんかなっちゃ」
「あの人、わたしたちの関係に気づいてたよね。何でわかるんだろう」
「そりゃ、わかるさ。写真家なんて一般人より感性が鋭いんだから。すぐ気づくよ」
 菜穂は真っ赤になった。柏木とのセックスをのぞき見された気分だ。
「ああ、可愛いな。早く俺だけのモノにしたい。みんなに俺の女って紹介したいよ」

 モノ?俺の女?心が揺れる。そういう言葉は世間に愛の言葉として認知されている。でも、菜穂は全然嬉しくなかった。所有されたいと思うほど好きでないからか。
 いや、ちがう。わたしは誰のモノでもない!わたしはわたしのモノなの。

「どうしてわたしのことは最初から遊びじゃないって言いきれるの」
「そうだな。俺にも過去に本気で惚れた女は何人かいた。そういう女って最初からちがうんだ。天然色どころじゃない。ピッカピカで無垢な笑顔がまぶしくて。ちなみにみんな一目ぼれ。最初からぐいぐいいっちゃって、会ってすぐベッドイン」
「すぐ寝るのはヤリモクというわけじゃないんだ」
「菜穂ちゃんが応えてくれて、俺、すごく嬉しかったんだよ。次の日、1日中ニヤニヤして部下に気持ち悪がられたくらいだ」
「応えたというか、押し切られたというか」
「どっちでもいいよ。こうして会えれば」菜穂の肩を抱き寄せる。
「まあ、俺もかなりがっついてたけど。男はずるいから、ぐいぐい押して、キョドっているうちに既成事実をつくりたくなっちゃうんだよね」
「普通、デートを数回重ねてからベッドインというのが、真剣交際のセオリーなんだそうです」
「ああ、そういうとこあるね。俺にはそういう考えはない。むしろそんなに惹かれないタイプだとそういう手順を踏むかな。つきあってみれば好きになるかもと思ってさ。
 国際ロマンス詐欺だって1年以上仕込むんだから、数回デートのお約束ってなんだろう。直感が働かない人のためだよね。買い物や、注文に時間かかる人いるじゃないか。そういう人はたっぷり時間取った方がいいよ、自分のために。
 俺は、直感と、拘束時間よりも密度。自分を信じていれば、どんな結果が待ってようがかまわないんだけど。まあ、これも俺が男だからかな。ということで、俺、本気だから」
「ちゃらそうに見えるのにね」
「言ったなぁ。身体だって相性最高だろ」

 柏木が起き上がると、菜穂の足首をつまみクンニングスを始めた。
「次にいつ会えるかわからないから、たっぷり味わっておく」

 夏至が近いせいか、ホテルをでても陽はかなり高かった。何となく後ろめたい気がする。雄太に知られたらと思うと、手のひらがじっとり汗ばんでくる。

「大丈夫?なほっち、元気なさそうな顔だけど」
「ううん、わたしってビッチだなと思って。彼がいるのに柏木さんともデートして。二股かけてるんだよね。すごいイヤな女だ」
「彼と別れて俺と正式につきあえばいいだけだよ。なほっちにそんな顔させたくないな」
「そろそろ決めないといけないよね。どっちも傷つけてる。ああ、わたしって最低!最低、最低!」

 泣くもんか!加害者が被害者面してなにさまだ。泣けば柏木は優しく慰めてくれるだろう。でも、それじゃあ、ダメなんだ。

「なほっち。俺、待ってるから。嫉妬で狂いそうになるけど、焦んないで。どちらかに決められないなら、決めなくていいよ。俺はなほっちと会えるだけでいいから、ほら、笑って、いつものように笑ってさ。考え込まなくていいから」
「考えなくていいの?このままズルズル周りをまきこんで自己嫌悪に陥って、二人を悲しませるようなことをして。それでいいの?わたしにそんな価値ある?」
「なほっちらしくないなぁ。理詰めで男女の関係なんて説明できないよ。俺を飲み込んでいる時、理性なんてある?」

 あっ、わかってない。ちゃんと自分の意志で抱かれたいと思うから、身体に指示をだして抱かれているんじゃないか。それは理性じゃないの?

「なほっちは考え込むクセがあるから心配なんだ」
「いろいろ考えちゃうわたしじゃだめ?」

 すっと、気持ちが冷えていくのを感じた。自分のアイディンティティ。考えることが好きな自分。それが自分らしさ。それを魅力と感じない男とどうしてつきあえようか。

 ああ、これが蛙化現象なのかな。
 顔をあげると、柏木が一瞬景色にまぎれたように見えた。

 景色化現象??

「心配してくれてありがとう」
 最寄り駅までタクシーで送ろうとする柏木を説き伏せ、菜穂は新大久保の改札をくぐった。

 数日後、柏木にLINEで別れを告げた。イケオジだけあって引き際は見事で、いっそ清々しかった。菜穂もそっけなかったが、「ありがとう」のスタンプだけが送信されてきたのは想定外だった。柏木も同じように菜穂が景色化していたのかもしれない。

 うまいなぁと思う。やっぱり憎み切れないなぁ。ちょっと後ろ髪惹かれるなぁ。
 だが、柏木と別れたことで、二人の男性の間でもう気持ちが揺れなくていいと思うと、安堵感で身体が軽くなるのを感じた。

 週末は雄太と会う。それなりに楽しいが、どこかぽっかり空いたような気がする。雄太だけでは何かが足りず、それを柏木で補っていたのかもしれない。気のせいと、その思いを何度も振り払ったが、喪失感は夜の闇のように静かに広がっていった。

 7月の授業は蛙化現象についてディスカッションすることになった。もちろん菜穂が提案したものだ。テーマを読み上げた時、藤枝に意味ありげに一瞥されたような気がするが、そんなはずはないだろう。

「蛙化現象とは、片思いの相手が振り向いてくれた途端、急にイヤになるそうで、まだ社会経験の浅い10代の女性によく見られる現象だそうです。しかし、最近は、うまくつきあってた二人の、俗にいう「100年の恋も一瞬で醒める」という時にも使われるようです。わたしはこれを、相手に理想像を押し付けてる、『恋に恋している状態』だったためと解釈しています。大人になるにしたがい現実を見てくると落ち着くのはそのせいではないでしょうか」

「俺、蛙化されたことある」

「聞いてねーよ。コホン、えっと、自分の経験では同じことでも許せる子と許せない子がいるのに気がつきました。例えば、毛深いとか」外野にうるさいと怒鳴りながら、「相手の本質を見る目が養われると見方が変わってくる。内面を好きになれば、持って生まれたささいなことは気にならなくなり、むしろそれが嬉しさに変ってくるかと」

「あー、いいな、彼女持ちは」

「みんな、異性に思うところはいろいろあるだろうが、これは講義なので控えるように」
 伸がビシッというと、たちまち教室が静かになった。

「あの、わたし自身もそうだったのですが、高校生って、一番潔癖症というのか、身近な父親さえも嫌悪感を抱くんですよね。だから、赤の他人の男性に対してもそういうところが出てくるのではと。父親を普通に見られるようになれば、それも治まるのではないかと。一種の成長痛でしょうか。相手が被害者ですけど」

「聞いた話ですと、合コンの時、女性は第一印象で生理的に受け付けない男性が7割というデータがあるようなのですが、残りの7割にもいい奴たくさんいると思うんですよ。そこらへんを解消しないと、少子化の問題も前に進まないかと。あ、自分7割の方っす」

「男性も1回目のデートで、2回目ないことありますよね」

「というか、デートする時って、どこかに行ったり食事したりするじゃないですか。その過程でその子の育ち、バックグラウンドの文化を見て、受け入れらなかったとかの場合でも、蛙化とか使ってるんじゃないですか。食べ方が汚いとか、店員に横柄とか。頬杖ついてパスタ食べられた時は、ないわ~と思いました。でもそれって、個人‥‥その家庭の文化だから、矯正するのもどうかと思うんですよね。自分の育ちを否定されるわけですから。同じ価値観の人とつきあった方がいいと思うんですよ。それを見極めるためのデートですから」

「『100年の恋も冷める』って、何すかね。100年もつきあって、突然冷める。結局、理想と現実をごっちゃにしているんじゃないですか。幻想で結婚して子供を育てて、老い先短くなったら覚醒しちゃう。お互いの遺伝子の相性に操作されてるだけで、まあ、ホモサピエンス的にはそれでいいんでしょうけど。逆に、何で遺伝子は覚醒させるようなことしちゃうかわかりませんね。最後まで夢を見させておけばいいのに」

「ヒトは変わるってことでしょう。日々変化していく状態を、日々すり合わせていくってことですか。昨日の自分と今日の自分は少しちがう。相手もそう。だからお互い理解しあうことが大切なんじゃないでしょうか」

 恋愛がからむと学生の意見が活発になる。一番興味がある年代に社会的な制約がかかるのが問題だな。
 まだ人を見る目がない。結婚するには早すぎる。性欲が強すぎて愛とか考えられない。自分が何を求めているかもわからない。お金もない。将来の保証もない。長生きが過ぎる。経済的な不安もさることながら、子供を持つことに疑問を持つ者もいる。

 繁殖可能年齢には限りがある。適当なところで番(つがい)を見つけなければならない。ガチャのように予測不能な中、遺伝子はどうでるか。

 やっぱり『愛』という宗教は遺伝子にとっても、国家にとって魅力的なんだろうな。
 ホモサピエンスの滅びのタイマーのスイッチが入ってしまったのか。新しい時代に入っていくのか。
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