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第1章〜塔の上の指揮者〜
第4話・前編〜火の消えた鍛治小屋〜
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村の外れにある、小さな鍛冶小屋。
そこに、一人の男がいた。
火を使う予定などないと分かっていながら、
彼は今日も炉に薪をくべる。
……ただの習慣か、それとも、諦めきれぬ未練か。
◇ ◇ ◇
昼を過ぎた頃だった。
鍛冶小屋の前に、誰かが立った気配がした。
わざわざ「失礼します」と声をかけてくる律儀な奴は、珍しい。
扉の隙間から現れたのは、若い青年だった。
見覚えのない顔立ち。
けれど、どこか他の村人とは違う“何か”を纏っていた。
「オルトさん、ですよね。フェルザ村の領主です。ルノスといいます」
……領主?
思わず、口にくわえていた煙管をずらした。
「お願いがあって来ました。農具が足りず、作業が滞っているそうなんです」
ふう、と煙を吐く。
「……だからなんだ。領主様が欲しがるようなもんは、ここにはもうねぇよ」
言いながら、自分の声が卑屈に響くのが分かった。
「もし、鍛冶の腕があるのなら……力を貸していただけませんか」
――またか。
……いや、ちがう。こんなふうに正面から頼みに来たのは、実際には“初めて”だった。
でも俺は、ずっと怖れていた。
誰かに期待されることが。
昔と同じように、誰かの“役に立つ”ことが。
「悪いな。俺はもう、そういうのはやってねぇんだ」
「理由を聞いても?」
「関係ねぇだろ」
……それで終わるはずだった。
なのに、こいつは食い下がった。
「せめて、鍛冶台だけでも貸してもらえませんか」
……は?
「道具は傷めません。材料も持ち込みます。
俺が、どうしても一本、試してみたい鍬があって。
それだけです。場所を少し、お借りしたいんです」
その目は、まっすぐだった。
押しつけがましさも、憐れみもない。
ただ、自分のやるべきことを静かに語る――不思議な奴だった。
断る理由はいくらでもあった。
なのに、そのときの俺は……なぜか、言ってしまった。
「……勝手にしろ」
自分でも驚くほど、あっさりと。
普段なら、追い返していたのに。
その理由は、うまく言葉にできなかった。
――夕方。
作業の音も止んで、俺はふと小屋に戻った。
そして――それを見た。
一本の鍬が、台の上に置かれていた。
「……嘘だろ」
思わず声が漏れた。
手に取る。持ち手と刃の接合はしっかりしている。
鉄はこの村にある安物の素材だ。
それなのに、重さのバランスも、刃の厚みも――すべてが理想的だった。
どれだけ打ち込めば、これほどの精度が出せる?
しかも、たった数時間で――?
「これ……お前が作ったのか?」
「はい。手順を、知っていただけです」
嘘じゃない。
こいつの目が、そう物語っていた。
眩しかった。
そのまっすぐさに、胸が焼けた。
握りやすい柄。刃の厚みと角度。鉄の焼き入れの痕。
どれをとっても――理想的だった。
あの青年は、無理を言ったわけじゃなかった。
本当に、ただ“作ってみたかった”のだ。
だが、それがこの精度とは。
手が震える。
否応なく、過去が脳裏をよぎる。
――かつての自分。
火の前で汗を流し、鍛冶と向き合っていた日々。
それをすべて焼かれた。
仲間も、誇りも、何もかも。
逃げて、背を向けて……そして今日まで。
「……俺は、何やってたんだ」
無意識に、炉の前に立っていた。
そこには、使いもせずくべ続けていた薪の山。
かすかに火種が残っていた。
それが、自分を嘲笑うように、赤く瞬いている。
「……俺は……」
気づけば、口が勝手に開いていた。
「……昔、鍛冶屋をしてた。小さな村でな。
でも、ある日……盗賊が来て、全部焼かれた。村も、工房も、仲間も」
話しながら、胸の奥がずきずきと痛んだ。
恥ずかしかった。
けど、不思議と――語ることが、少しだけ楽だった。
「俺は、何もできなかった。逃げて、生き残っただけだ。
意味もなく、な」
言った直後、自分の口から出たその言葉に――俺自身が、戸惑っていた。
なんでこんなことを話したんだ。
無意識に煙管を強く噛みしめる。
口元が乾いていた。
「……悪い。聞かなかったことにしてくれ」
視線を逸らしながら、そう呟いた。
炉の火が揺れていた。
胸の奥も、同じように揺れていた。
……みっともない。
そう思って、口をつぐんだ――そのときだった。
……そいつは、一歩前に出てきた。
「……俺も、同じです」
そして、はっきりと言った。
「理由は言えません。でも、すべてを失いました。
家も、家族も……未来も。でも、生き残った。だから――」
その目が、俺の弱さを見透かしてくるようで、思わず顔を背けたくなった。
「俺は前に進むって決めたんです。
奪ったやつらに、負けてたまるかって。
……生き残った意味を、自分で証明したいから」
……ずるい奴だ。
そんなの、まるで昔の自分に言われてるみたいだった。
その言葉を、ただまっすぐにぶつけてくる。
「……お前さん、変わってるな」
「そうかもしれません。でも、変えたいんです。何かを。
だから、やるしかないんです」
――変えたい、か。
その一言が、妙に胸に引っかかった。
若造のくせに、大それたことを言いやがって……と、どこかで思っているくせに、
その言葉だけは、なぜか鋭く刺さった。
ぐっと奥に沈んでいた古傷に、そっと触れられたような感覚だった。
変えたかったのは、俺のほうだったのかもしれない。
あの時に戻れたなら――なんて、何度も思ったくせに。
……今さら、何を。
苦笑いがこみ上げてきた。
けれど、それと一緒に、胸の奥で何かがくすぶる。
ずっと消えていたはずの小さな種火が、
あの言葉に焚きつけられて――
その時だった。
ようやく、俺の心のどこかに、火が灯った気がした。
そっと煙管を外し、灰皿に叩きつけた。
そして、立ち上がる。
「……あんたの言う通りだ。
俺は、現実を受け入れられずに逃げてた。
でも、生き残った意味ってのは、自分で作るしかねぇよな」
目の前の鍬を見る。
それはまるで、もう一度歩き出すための道しるべだった。
「確か、農具が足りねぇって言ってたな。
だったら……俺に、その役割、任せてくれねえか」
青年は、深く頭を下げた。
「お願いします。村の皆のために。
あなたの力が、必要です」
今度は、俺の方が――素直に、頷いていた。
そこに、一人の男がいた。
火を使う予定などないと分かっていながら、
彼は今日も炉に薪をくべる。
……ただの習慣か、それとも、諦めきれぬ未練か。
◇ ◇ ◇
昼を過ぎた頃だった。
鍛冶小屋の前に、誰かが立った気配がした。
わざわざ「失礼します」と声をかけてくる律儀な奴は、珍しい。
扉の隙間から現れたのは、若い青年だった。
見覚えのない顔立ち。
けれど、どこか他の村人とは違う“何か”を纏っていた。
「オルトさん、ですよね。フェルザ村の領主です。ルノスといいます」
……領主?
思わず、口にくわえていた煙管をずらした。
「お願いがあって来ました。農具が足りず、作業が滞っているそうなんです」
ふう、と煙を吐く。
「……だからなんだ。領主様が欲しがるようなもんは、ここにはもうねぇよ」
言いながら、自分の声が卑屈に響くのが分かった。
「もし、鍛冶の腕があるのなら……力を貸していただけませんか」
――またか。
……いや、ちがう。こんなふうに正面から頼みに来たのは、実際には“初めて”だった。
でも俺は、ずっと怖れていた。
誰かに期待されることが。
昔と同じように、誰かの“役に立つ”ことが。
「悪いな。俺はもう、そういうのはやってねぇんだ」
「理由を聞いても?」
「関係ねぇだろ」
……それで終わるはずだった。
なのに、こいつは食い下がった。
「せめて、鍛冶台だけでも貸してもらえませんか」
……は?
「道具は傷めません。材料も持ち込みます。
俺が、どうしても一本、試してみたい鍬があって。
それだけです。場所を少し、お借りしたいんです」
その目は、まっすぐだった。
押しつけがましさも、憐れみもない。
ただ、自分のやるべきことを静かに語る――不思議な奴だった。
断る理由はいくらでもあった。
なのに、そのときの俺は……なぜか、言ってしまった。
「……勝手にしろ」
自分でも驚くほど、あっさりと。
普段なら、追い返していたのに。
その理由は、うまく言葉にできなかった。
――夕方。
作業の音も止んで、俺はふと小屋に戻った。
そして――それを見た。
一本の鍬が、台の上に置かれていた。
「……嘘だろ」
思わず声が漏れた。
手に取る。持ち手と刃の接合はしっかりしている。
鉄はこの村にある安物の素材だ。
それなのに、重さのバランスも、刃の厚みも――すべてが理想的だった。
どれだけ打ち込めば、これほどの精度が出せる?
しかも、たった数時間で――?
「これ……お前が作ったのか?」
「はい。手順を、知っていただけです」
嘘じゃない。
こいつの目が、そう物語っていた。
眩しかった。
そのまっすぐさに、胸が焼けた。
握りやすい柄。刃の厚みと角度。鉄の焼き入れの痕。
どれをとっても――理想的だった。
あの青年は、無理を言ったわけじゃなかった。
本当に、ただ“作ってみたかった”のだ。
だが、それがこの精度とは。
手が震える。
否応なく、過去が脳裏をよぎる。
――かつての自分。
火の前で汗を流し、鍛冶と向き合っていた日々。
それをすべて焼かれた。
仲間も、誇りも、何もかも。
逃げて、背を向けて……そして今日まで。
「……俺は、何やってたんだ」
無意識に、炉の前に立っていた。
そこには、使いもせずくべ続けていた薪の山。
かすかに火種が残っていた。
それが、自分を嘲笑うように、赤く瞬いている。
「……俺は……」
気づけば、口が勝手に開いていた。
「……昔、鍛冶屋をしてた。小さな村でな。
でも、ある日……盗賊が来て、全部焼かれた。村も、工房も、仲間も」
話しながら、胸の奥がずきずきと痛んだ。
恥ずかしかった。
けど、不思議と――語ることが、少しだけ楽だった。
「俺は、何もできなかった。逃げて、生き残っただけだ。
意味もなく、な」
言った直後、自分の口から出たその言葉に――俺自身が、戸惑っていた。
なんでこんなことを話したんだ。
無意識に煙管を強く噛みしめる。
口元が乾いていた。
「……悪い。聞かなかったことにしてくれ」
視線を逸らしながら、そう呟いた。
炉の火が揺れていた。
胸の奥も、同じように揺れていた。
……みっともない。
そう思って、口をつぐんだ――そのときだった。
……そいつは、一歩前に出てきた。
「……俺も、同じです」
そして、はっきりと言った。
「理由は言えません。でも、すべてを失いました。
家も、家族も……未来も。でも、生き残った。だから――」
その目が、俺の弱さを見透かしてくるようで、思わず顔を背けたくなった。
「俺は前に進むって決めたんです。
奪ったやつらに、負けてたまるかって。
……生き残った意味を、自分で証明したいから」
……ずるい奴だ。
そんなの、まるで昔の自分に言われてるみたいだった。
その言葉を、ただまっすぐにぶつけてくる。
「……お前さん、変わってるな」
「そうかもしれません。でも、変えたいんです。何かを。
だから、やるしかないんです」
――変えたい、か。
その一言が、妙に胸に引っかかった。
若造のくせに、大それたことを言いやがって……と、どこかで思っているくせに、
その言葉だけは、なぜか鋭く刺さった。
ぐっと奥に沈んでいた古傷に、そっと触れられたような感覚だった。
変えたかったのは、俺のほうだったのかもしれない。
あの時に戻れたなら――なんて、何度も思ったくせに。
……今さら、何を。
苦笑いがこみ上げてきた。
けれど、それと一緒に、胸の奥で何かがくすぶる。
ずっと消えていたはずの小さな種火が、
あの言葉に焚きつけられて――
その時だった。
ようやく、俺の心のどこかに、火が灯った気がした。
そっと煙管を外し、灰皿に叩きつけた。
そして、立ち上がる。
「……あんたの言う通りだ。
俺は、現実を受け入れられずに逃げてた。
でも、生き残った意味ってのは、自分で作るしかねぇよな」
目の前の鍬を見る。
それはまるで、もう一度歩き出すための道しるべだった。
「確か、農具が足りねぇって言ってたな。
だったら……俺に、その役割、任せてくれねえか」
青年は、深く頭を下げた。
「お願いします。村の皆のために。
あなたの力が、必要です」
今度は、俺の方が――素直に、頷いていた。
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