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第3章

第125話 妖精のおやつ

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澄み切っていて清々すがすがしい空気。ガラスの壁から差し込む優しい光。なんて居心地のいい場所なんだろう。光の中を、花の中を泳ぐようにひらひら、ひらひらと、たくさんの妖精たちが楽しげに飛び回っている。

(いいな、ここ。とっても気持ちがいい。ずうっとここにいたいな。)

ベルト家の温室に着くと、見たことのない花が所狭しと咲いていた。僕は興奮し、みんなを置いてどんどんと奥に進んでいく。

(ん? 何これ!?)

温室の中央付近には巨大なピンクの花があった。僕の身長より遥かに大きな花を咲かせている。すごい!!
肉厚で大きな花びらを触ってみたい、と手を伸ばすと……。

「待て、キルナ」
「ふぇ?」

クライスに腕を掴まれて体がぐいっと後ろに引っ張られた。バランスを崩しそうになったけれど、ぽすんとクライスの胸にうまいこと支えられる。

「このお花。初めて見たよ!! すごい大きな花だね」

僕を支えるクライスを見上げて言った。彼は危ないから先に行くな、と少し怒っている。

「それはラタスという異国の花ですよ。南の暖かい国に咲く花です。ただ、人が近づくと液を飛ばして攻撃してきます。花に捕まると食べられてしまうので気をつけてください」
「え!? 花に食べられる? そ、そんな大事なことは早く言ってよ~」

やばい、危なかった。ベルトの言葉に冷や汗が背中を伝う。僕の植物図鑑には国内の草花しか載っていないから異国の花のことは全然知らない。まさかそんなに怖い花があるなんて!!

「ねぇねぇ、これは?」

他にも知らない花のことを尋ねると、ベルトが一つ一つ詳しく説明してくれた。その栽培方法まで彼はとてもよく知っている。温室の管理はほとんど使用人がやっていると言っていたけれど、彼もよく手伝っているに違いない。

甘くかんばしい香りで妖精たちを誘う異国の花は、この国の花に比べるとすこし自己主張の激しい強い香りがするけれど、これはこれで好き!
この世界には僕が見たこともない花がまだまだたくさんある。他にはどんな花があるのだろう、と想像するだけでわくわくする。

前世(七海のとき)から植物を育てることが好きだった僕は、フェルライト家でも暇さえあれば温室で植物の世話をして過ごしていた。みずみずしい草や花に囲まれていると幸せな気持ちになる。どんなに辛くても悲しくても、そこでは何も考えずにいられる。たとえどこへも行けなくとも、そこでだけは自由を感じることができた。

ここはそんな僕の温室よりもずっと大きい。世界中の花を咲かせ、もっと広い世界に繋がっている。

(そうだ、久しぶりにあれ、やってみよ。)

いつも自分の温室でやっていたように、目をつぶって何度も何度もゆっくりと深呼吸をしてみた。たちこめる花の香りに余計な考えが押し出されて頭の中が空っぽになっていく。耳をすませばいつもと同じように、が聞こえてくる。






ザザー……ザザー

チャプチャプチャプ……


ーー波の音が聞こえる




このままもっと耳をすませば……が……聞こえる?




ザザー……ザザー……







…こ………よ




「……い! おい、キルナ。大丈夫か?」

肩を揺すられ僕はぱちっと目を開いた。クライスが心配そうな表情で僕を見つめている。

「どうした? 何度呼んでも返事がないからまた眠ったのかと思った。やはりまだ体調が良くないのか?」
「あ、ごめん。大丈夫……。少し……考え事をしていただけなの。さすがに立ったまま眠ったりしないよ」

いけない、妄想遊びについ夢中になってしまった。公爵家にいるときは時間だけはたっぷりあったから長い間こうしていることもあったけれど、今はそんなことをしている場合じゃなかった。

(早くトリアのことを解決しなくっちゃ。)



見たところ土や温度、湿度は完璧で何も問題はなさそうだ。ん~。わからない……。せっかく期待して僕を呼んでくれたのに役に立てず申し訳ない。僕はしゃがみこんで、ダメ元でその花壇に寝転んでいる妖精にこそっと声をかけた。

「あのさ、どうしてトリアの芽が出ないのか、わかる?」

妖精は話しかけるとうれしそうに答えた。

「とりあ? あぁ、あのおいしいたねのこと~?」

ん? おいしい?

「とりあのたねはね、あま~くてとってもおいしいの。このへんのはぜ~んぶたべちゃったからもうないよ」
「うんうん、あれ、ほっぺがおちそうなくらいおいし~から、みつけたらすぐたべちゃう」

他の妖精たちも口々に、あれまた食べたいな~と言って涎をたらしている。

(え!? 種。食べちゃったの!?)

驚愕の事実に固まっている僕の隣にクライスが、同じようにしゃがみこんだ。

「何かわかったか?」

僕は彼の耳に口を寄せて他の誰にも聞こえないように小声で今聞いた話をした。

「そう…なのか。種はもうないのか。じゃあ育てようがないな」

クライスも予想外の話に戸惑っている。うん、誰にも想像つかないよね。トリアが育たないのがまさか食いしん坊の妖精のせいだったなんて。フェルライト公爵邸はセントラが長いこと結界を張っていて、温室にも妖精が入ってこられなかった。そのおかげで無事にトリアが成長したみたい。だけどここにはあふれんばかりの妖精たちがいる。

(ここでトリアを育てるのは難しそう……。)

ベルトがっかりするだろうな、と考えていると、一人の妖精がにこにこしながら何か焦げ茶色で丸っこいものを持ってきた。小さいどんぐり? いや違う……これは。

「ぼくのおやつにとっておいたたね、あげるよ」
「それ、もしかしてトリアの種!? いいの?」

金色の大きな目に雪のような真っ白い髪の妖精はこくりと頷いた。原因もわかったし、種があればなんとかなるかもしれない。妖精が食べないように彼らがいなさそうなところに植えるとか、食べられないように見張っているとか。

「かわりにきみのまりょくをちょっとちょうだい?」
「僕の魔力? そんなものでいいのならあげるよ」

よいしょっ、と小さじ1くらいの魔力の水を指先に集めて差し出した。授業で何度もやったからこれはもう簡単にできる。

ごくごくごく

「あまぁい。ねえ、もっとちょうだい。そうしたらトリアのたねのてだすけをしてあげてもいいよ」

手助けがどういうものかよくわからなかったけれど、もう少しくらいならと思って、また小さじ1の魔力の水を出してどうぞと差し出す。僕の人差し指の先を持って彼はまたごくごくと喉を鳴らしている。小さいのにすごい飲みっぷりだ。ふふっ、指先に妖精がとまっている……少しくすぐったい。

「ぷはぁっごちそうさま!!」

飲み終わると、彼はトリアの種にチュッとキスをして土の上に置いた。すると、

(ええ!? なにこれなにこれなにこれ!!!)

きらりと光った種からにょきにょきと芽が出てきた。そのままふさふさと葉をつけ、あっという間に空っぽだった花壇一面を急成長したトリアが埋めつくしてしまった。


「トリアがこんなに!? 植物を育てる魔法ですか? キルナ様すごいです!!」

ベルトが急にもさもさと茂ったトリアを見て目をキラキラさせている。

「あ、そう…なの」

やったのは妖精だけど、妖精のことはまだクライスにしか話したことがない。
僕は何をどう説明したらいいのかわからなくて、とりあえず頷くことにした。
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