闇の王

塔ノ沢渓一

文字の大きさ
30 / 44

エルマン

しおりを挟む



 砂埃が収まらないうちに目の前で何かが爆発するような気配があった。
 俺が距離を取ると、砂埃の中から長い昆虫の足のようなものが現れる。
 騎士たちは範囲攻撃に特化しているから、エルマンの近くに居れば魔法は来ないと踏んでいるが、距離を取り過ぎればいつ魔法が飛んできてもおかしくない。

 それでも距離を取ってしまうほどの威圧感を感じたのだ。
 砂埃が晴れると、巨大な蜘蛛に乗ったエルマンの姿が現れる。
 これだけの金と権力を持った奴なら、虎かドラゴンでも出てくるかと思ったが、大きなサイズになったら昆虫こそ最強の類ということなのだろうか。

 そしてエルマンの背中にも、昆虫を思わせるかぎ爪の付いた長いカブトムシの足のようなものがいくつも生えている。どちらも奈落と同じくらい希少な妖魔だろうと思われる。

「木登りに便利そうな妖魔だな」

 俺は軽口を叩いてみたが、エルマンは怒りの形相でそれに取り合うつもりが無いようだった。
 どでかい蜘蛛は、その巨体から想像も出来ないほど静かに俺の横を通り過ぎた。馬と違って移動の時に揺れないから、蜘蛛の上から放たれたかぎ爪は正確に俺の首筋を狙ってきた。
 かぎ爪の内側には刃が付いているらしく、俺のマントの端っこを切り裂いていった。

 マントの方は後で血界魔法を使って直そうと思いながら、俺は鞘から太刀を引き抜いた。
 エルマンの背中から生えているかぎ爪の付いた、手だか足だかわからないものは、節がいくつもあって鞭のように動くから軌道が読みづらい。
 次にエルマンは、蜘蛛ごと俺に向かって突進してきた。

 太刀を下に構えて蜘蛛を斬りあげる。
 でかい割りに軽いので、エルマンを乗せた蜘蛛は宙を舞った。
 実体を表す妖魔は切りつけたところで死んだりはしない。それでも実態を維持できなくなれば消えてなくなるので、これだけの妖魔をもう一度召喚することは不可能だろうと思われる。

 俺は宙に舞い上がったでかい蜘蛛を奈落を使って叩き落とした。そのまま落ちたところに奈落を鞭のように使い何度も叩き付ける。
 地面に生えた太い触手がべしべし叩く姿はどこか滑稽で、あまり見た目はよろしくない。
 エルマンは背中から生えた妖魔でそれを防いでいるが、ダメージはあまりなさそうだ。
 まあレベル1の奈落ではそんなものだろう。

 まったく育てていないから、今の攻撃には最初からそれほど期待していない。
 あまり長引くとエルマンの手下が入ってきそうなので、今度は俺から仕掛けるために動いた。
 俺は全力で、蜘蛛の足の下を駆け抜ける。
 エルマンを乗せた蜘蛛はとてつもないスピードで対応しようと動いたが、それでも後ろに回り込まれては対応しきれていない。

 俺の太刀が数本の足を斬り離しながら蜘蛛の胴体に潜り込んだ。
 太刀を引き抜くと同時に蜘蛛の足で蹴られるが、なんとか腕で受けて衝撃を殺しながら俺は宙を舞う。
 距離を取った形になったが、騎士共は動いていない。
 生命力が強いのか、まだ動きの鈍っていない蜘蛛がこちらに突っ込んでくる。

 蜘蛛に低い体勢を取らせ、蜘蛛の足とエルマンの背中に生えた妖魔による同時攻撃を狙っているようだった。
 しかし多動機会のある俺にそんな数の攻撃は通用しない。
 蜘蛛の足は胴体から斬り離し、その動きに割り込ませてかぎ爪の方は太刀の側面で受ける。そして、つばめ返しの能力も発動させた。
 蜘蛛が低い体勢を取っていたから、今度はしっかりと動体を狙って両断した。

 そこで蜘蛛とかぎ爪の方に気を取られていた俺は、エルマン自身に後ろから抱きつかれた。

「ジャクソン!! ワシごとやれぇえ!!」

 騎士の一人が、ひと抱えもあるような矢の束を宙に放ったのが見えた。
 レベルが高いだけあってエルマンの腕力は大したものだが、振り払えない程じゃない。しかし、振り払ったところで、この空に広がった矢の雨は避けられそうにない。
 奈落なら防御が間に合うかもしれないが、威厳を保つために戦っている以上、マキグソになるのは避けたい。

 矢が降り注ぐと、幸運なことに砂埃が巻き上がった。
 その砂埃の中ではかぎ爪に対処できないので、エルマンを背負い投げで遠くに放り投げる。
 二本ほど矢が体に刺さったが、素早く引き抜いて傷を治した。
 エルマンの部下が動いたのを感知したので、砂埃の中で魔眼を発動出せると、俺は氷精使役により氷の槍を作り出して撃ち出した。

 氷の槍は見事にすべて命中し、動いた騎士たちを氷の槍に繋げた地蜘蛛の糸を引っ張って観客席から下に引っ張り落とす。
 致命傷だけは外しているが、氷の槍に刺さって3メートルは落としたから治療しなければ命は保証できない。
 氷の槍を食らいながらも、兵士たちは俺に向かって魔法を放っていた。しかし氷と炎の魔法は俺に届く前に打ち消される。

 氷精と火精を使役する力は、他人の魔法についても作用する。ただ魔法による攻撃を撃ち出すだけの単純な能力ではない。
 砂埃が晴れると、俺は倒れているエルマンに歩み寄った。
 力を見せるだけのつもりが、このままいけば殺しかねないところまで来ている。これでエルマンが闘志を失わなければ、その時はやるしかないなと考え、肩に担いだ太刀のつかを握る手に力が入った。

 腹が決まらずに、おいおい本当にやるのかよと思いながらエルマンを見下ろすと、彼は疲労の見える顔で笑っていた。

「まいった。ワシの負けである!」

 何が面白いのか、いくつも矢が刺さったエルマンは地面に倒れながら笑い続けている。アダマンタイト製の鎧のおかげで、致命傷になりそうなところは矢が刺さっていない。

「ベルトワール家が明日も存続するのは、俺の慈悲のおかげだな」

 俺は心の中で胸をなでおろしながら、そんなことを言ってみた。
 こんな広いところで、この数の騎士を相手にするのは正直に言ってキツイ。いや、キツイなんてレベルではない。
 それでもアドレナリンが出ているのか、やる気ならやってやるぞという気持ちになっている。

 しかし、俺に向かってくる兵士などいなかった。
 ヘンリエッタとエリオットが氷の槍の刺さった兵士たちを治療し始めたので、ローレルたちにもそれを手伝わせた。
 エルマンも治療を受け始めて、人手が足りていないように思える。

 こんな魔素が薄いところでも藻草は魔力を集めてくれているので、既に余裕があるくらいには回復しているのだが、いざというときのために魔力を残しておきたいから、俺が治療を手伝うわけにはいかない。
 他の兵士たちは俺のことを見ようともしなかった。彼らの表情から読み取れるのは俺に対する恐怖だけである。

 俺よりも、このエルマンの方がよほど質の悪い人間であるというのに失礼な話だ。
 それで日陰を探して休んでいたら、治療に魔力を使い果たしたヘンリエッタがやってきて言った。

「さすがに無傷でエルマンを倒してしまうとは思わなかった。力試しだから崩壊の魔法は使わなかったようだが、あれを使われていたらハルトの能力がバレていたぞ。心配させないでくれ。こんなことをするつもりだったなら、前もって私に一言くらい言ってくれなくては困る。もう少し私を信頼して欲しい」
「威厳を見せろと言ったのはお前だぞ。俺はお前の言葉に従っただけだよ」

 へんな注文を付けて俺を追い込んだのはヘンリエッタである。
 詳しく話を聞くと、エルマンはイビルアイと同じような魔法が使えるとのことだった。
 目潰し程度のものらしいが、それを使われていたら俺の能力がバレてしまっていただろう。
 それに無傷でとヘンリエッタは言ったが、傷を治しただけで矢を二本も受けている。これも治りやすい傷で助かった。

「終わったのかい」

 のん気な声でそう言ったのは、今更になってやってきたナタリヤである。
 ナタリヤは周りを見渡して満足げに頷くと、俺を見て言った。

「さぞかし酷い恐怖を植え付けてやったみたいだね。そうすると思っていたよ。あいつらは思いあがっていたんだ。いい気味だよ」
「俺はお前が思ってるより善良な人間だ」
「もちろんわかってるさ。でも思いあがってる奴には、ハルトみたいな存在が一番の薬になるんだよ」

 それは実体験から来る教訓なのだろうか。
 そんなことを考えていたらエリオットも俺のところにやってきた。

「僕は今日までエルマンが人類最強なんだと思っていましたよ。いったい貴方は何者なんですか」
「寝言は寝てから言いな。ハルトは力を半分も出してないよ」

 俺よりもナタリヤの方がよっぽど自分を大きく見せるのがうまい。さっきまで寝ていたのがまるわかりの寝ぐせを風になびかせながら、戦いを見てもいないのに、よくそんなそれらしい言葉をペラペラと吐けるものだ。
 俺が疲れたなと思いながら闘技場の壁に寄りかかっていると、俺の周りから人が離れた。
 顔を上げると、エルマンが笑顔で俺の前に立っている。

「ワシは初めて全力で戦うことができたような気がする。感謝するぞ」
「俺は退屈であくびが出そうだったよ」
「信じられんな。世界はワシが思ってたより広いようだ。中枢の金は今持ってこさせる。もしよければ、今夜にも館に来てもらいたい。そしたら対等な客としてもてなそうではないか。話したことが山ほどある」
「どうかな。気が向いたら行くよ」

 威厳を保ったまま話をするというのは思った以上に難しい。安っぽいチンピラみたいな言葉しか出てこない。
 こいつの話を聞くのが最初からの目的だったので、会いに行くに決まっている。まるでツンデレになったような気分である。
 まだ傷が治りきっていないのか、エルマンはふらふらとして頼りない足取りで、誰にも肩を借りず自分の力だけで闘技場を立ち去った。

 強がっているところで悪いが、闘技場の外で膝をついたのが俺にはわかった。
 あいつも色々と大変そうである。
 俺が受け取った金貨の箱を大ヒキ蛙のなかに仕舞う頃になって、やっと周りから騎士たちがいなくなった。
 それで俺もやっと肩の力を抜いて大きなため息をついた。

「さあ、俺たちも帰ろうぜ」

 その言葉に四人が頷いた。
 ヘンリエッタは騎士たちと行かなくていいのだろうか。もうすっかり俺の家来のようになって、ついて周ってくるが、まだエルマンのところの筆頭騎士の肩書は生きているはずである。
 確かに家来にすると言ったような気がするが、まだ騎士でいてもらった方が都合が良い。
 俺はあまり考えずに四人を連れて家に帰って風呂に入り、昼間からだらだらと過ごした。

 日が沈むころになって、エリオットが俺の家までやってきた。

「エルマンの命によりお迎えに上がりました」

 恭しく礼をするエリオットを見て、俺は気分が悪くなってくる。

「どうしたのだ。なぜ嫌そうな顔をする」
「いや、罠が仕掛けられていたり、エルマンのところにいる騎士が全員で待ち伏せでもしてたらどうしようかと思ってさ」
「それはあり得ませんよ。何よりも僕がそんな話を聞いていません。それに、彼が僕を寄こしたのが何よりの証拠ですよ。僕なら相手の心証を悪くしませんからね。彼が僕に出迎えを命じるのは最上級の客人を迎える時だけです」
「こいつが嘘を言ってる可能性は?」

 こいつと言われてエリオットが顔をしかめた。僕があなたに嘘をつくわけないでしょうという抗議の顔だ。

「ないだろうな。もし罠だったら全員血祭りにあげればいいだけだろう」
「全員を血祭りにするのが難しそうだから悩んでいるんだよ」
「ボクもついていくから心配いらないよ」

 ナタリヤが付いてくると聞いて、俺は余計な心配事がまた一つ増えたような、なんとも釈然としない気持ちになった。
 だいたい昼間の演技だってかなり疲れたというのに、またあれをやるというのが嫌だ。そんな年中イキって生きていられるような性分ではない。
 さすがに奴隷を連れて行くのは、とヘンリエッタが言うので、二人には留守番をしてもらうことになった。

 エリオットが裏組織がどうとか言っていたので、使い魔を残しておくことは忘れずに家を出る。
 俺は家の前に停められたやたら豪勢な馬車に乗った。
 どうやら御者はエリオットがやるらしい。多才な奴である。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ

シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。  だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。 かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。 だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。 「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。 国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。 そして、勇者は 死んだ。 ──はずだった。 十年後。 王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。 しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。 「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」 これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。 彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

☆ほしい
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

心が折れた日に神の声を聞く

木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。 どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。 何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。 絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。 没ネタ供養、第二弾の短編です。

処理中です...