妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

文字の大きさ
1 / 55
第1章 人生の転換期

第1話 崩れる日常

しおりを挟む
 朝の食卓には、食器の触れ合う乾いた音だけが響いていた。トーストの焦げ目から立ち上る薄い湯気と、冷えたコーヒーの苦い匂い。恩塚《おんづか》 聖士《せいじ》は黙ったままカップを口に運び、味のない液体を喉へと流し込んだ。

 妻の彩花《あやか》はスマートフォンの画面を見つめ続け、娘は小さな足音だけを残して玄関へ消えていく。挨拶はない。目すら合わない。

 ここ数年、この家の朝はいつもこうだった。

「いってきます」

 小さく声を出してみたが、返事はどこからも返ってこなかった。彩花の指は画面の上を滑るばかりで、顔を上げようともしない。聖士は視線を落とし、靴紐を結び直すと、外の冷たい空気へと踏み出した。

 通勤電車は満員だった。誰もが無言で、同じ方向へと押し流されていく。その波の中で、自分もただの一つの駒に過ぎない――そう思うたび、胸の奥に小さな痛みが走る。会社へ着くと、会議室の蛍光灯が白く瞼を刺した。

「この案件、誰が責任を取るんだ」

 上司の声は鋭く、空気を一瞬で硬く縛った。聖士は静かに手を挙げる。

「私の管理不足です。改善案をまとめて――」

 言い終える前に、机を叩く音が響いた。

「言い訳はいらん。結果がすべてだ」

 部下は誰も目を合わせようとしない。かばう言葉も、労わりの視線もない。聖士は短く息を吐き、沈黙を飲み込んだ。

 会議が終わり、机に戻ると、背中に疲労が重くのしかかった。四十代半ば。積み上げてきたはずの年月は、いつの間にか「責任だけを押し付けられる中間管理職」という役割へすり替わっていた。

 仕事を終える頃には、足取りはすっかり重くなっていた。夜風がスーツの隙間から入り込み、体温を奪っていく。玄関の扉を開けると、リビングは淡い照明に照らされ、彩花がソファに座っていた。テーブルの上に水の入ったグラス。両手は膝の上で固く組まれている。

「……話があるの」

 嫌な予感が、骨の奥底へと沈んでいく。

 聖士はコートをかけ、向かいに座った。彩花は深く息を吸い、まっすぐ彼を見た。

「……高橋くんと付き合ってる。もう、隠すのはやめようと思って」

 時間が止まったようだった。耳鳴りがする。室内の音が遠ざかり、自分の心臓の鼓動だけが大きく響く。

「冗談だろう」

 唇が乾き、かろうじて声になった。

 彩花はまばたきもせず、淡々と続ける。

「もう、あなたを夫として見られない。生活は楽だけど、心が何も感じない……離婚したい」

 テーブルの上の水が、わずかに揺れた。聖士は言葉を探した。しかし、何一つ見つからない。十四年間の記憶が、砂丘のように音もなく崩れ落ちていく。

 その夜、二人の間に会話はほとんどなかった。冷めた夕食だけが、テーブルの上に取り残されていた。

 翌日。会社に着くと、総務から呼び出しがあった。

「人員整理の対象になりました。申し訳ありませんが――」

 薄い書類一枚。退職日と、わずかな退職金額。

 廊下の向こうで笑い声がした。視線をやると、高橋が同僚と談笑していた。余裕のある笑み。目が合った瞬間、口角がわずかに上がった気がした。

「今までお疲れさまでした」

 事務的な声。聖士は自席へ戻り、ダンボールへ荷物を詰め始めた。本、書類、安物のマグカップ。どれも色を失って見えた。

 誰も近づいてこない。握手も、ねぎらいの言葉もない。椅子の脚が床を擦る音だけが、やけに大きく響いた。

 会社を出ると、空は灰色の雲に覆われ、雨が落ち始めていた。傘を差す気にもなれないまま、冷えたアスファルトの匂いを胸いっぱいに吸い込む。

「家族も、仕事も……全部、終わったんだな」

 言葉にした瞬間、胸の奥で何かが崩れ落ちた。街灯の明かりが滲み、世界がぼやける。頬を伝うものが雨なのか涙なのか、自分でも分からなかった。

 ふらりとコンビニに入り、ホットコーヒーを買う。財布の奥に押し込まれていた年末ジャンボの束を取り出す。レシートの裏に書かれた当選番号を照らし合わせる。

「どうせ外れてるさ」

 乾いた笑いを浮かべながら、一つずつ数字を追う。

 一桁、合っている。
 二桁、三桁――指先が震え始めた。

「……まさか」

 胸の奥が熱くなり、息が詰まる。最後の数字まで一致していた。

 通帳に印字された数字を見たのは、翌日の銀行の応接室だった。

 1,000,000,000円。

 喉が締め付けられ、視界が滲む。拳が静かに震えた。

「おめでとうございます」

 職員の声は遠くで反響しているようだった。聖士は深く頭を下げ、涙を必死に堪えた。

 ビジネスホテルの小さな部屋に戻り、机にノートを広げる。真ん中に、ゆっくりとペンを走らせた。

 ――もう、誰にも支配されない。
 ここから、人生を作り直す。

 窓の外では、雨が止んでいた。夜景の灯りが、以前より少しだけ温かく見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

卒業パーティでようやく分かった? 残念、もう手遅れです。

ファンタジー
貴族の伝統が根づく由緒正しい学園、ヴァルクレスト学院。 そんな中、初の平民かつ特待生の身分で入学したフィナは卒業パーティの片隅で静かにグラスを傾けていた。 すると隣国クロニア帝国の王太子ノアディス・アウレストが会場へとやってきて……。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

誰の金で生活してんの?

広川朔二
ライト文芸
誰よりも家族のために尽くしてきた男がいた。朝早くから働き、家事を担い、家庭を支えてきた。しかし、帰ってきたのは妻の裏切りと娘の冷たい視線。不倫、嘲笑——すべてを悟った男は、静かに「計画」を始める。仕組まれた別れと制裁、そして自由な人生の再出発。これは、捨てられた“だけの男”が、すべてをひっくり返す「静かなる復讐劇」。

愛する夫にもう一つの家庭があったことを知ったのは、結婚して10年目のことでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の伯爵令嬢だったエミリアは長年の想い人である公爵令息オリバーと結婚した。 しかし、夫となったオリバーとの仲は冷え切っていた。 オリバーはエミリアを愛していない。 それでもエミリアは一途に夫を想い続けた。 子供も出来ないまま十年の年月が過ぎ、エミリアはオリバーにもう一つの家庭が存在していることを知ってしまう。 それをきっかけとして、エミリアはついにオリバーとの離婚を決意する。 オリバーと離婚したエミリアは第二の人生を歩み始める。 一方、最愛の愛人とその子供を公爵家に迎え入れたオリバーは後悔に苛まれていた……。

魔物に嫌われる「レベル0」の魔物使い。命懸けで仔犬を助けたら―実は神域クラスしかテイムできない規格外でした

たつき
ファンタジー
魔物使いでありながらスライム一匹従えられないカイルは、3年間尽くしたギルドを「無能」として追放される。 同世代のエリートたちに「魔物避けの道具」として危険な遺跡に連れ出され、最後は森の主(ヌシ)を前に囮として見捨てられた。 死を覚悟したカイルが崩落した壁の先で見つけたのは、今にも息絶えそうな一匹の白い仔犬。 「自分と同じように、理不尽に見捨てられたこの子だけは助けたい」 自分の命を顧みず、カイルが全魔力を込めて「テイム」を試みた瞬間、眠っていた真の才能が目覚める。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた

今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。 レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。 不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。 レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。 それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し…… ※短め

処理中です...