妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

文字の大きさ
2 / 17

第2話 静かな決意

しおりを挟む
 ビジネスホテルの薄いカーテン越しに、朝の光が差し込んでいた。狭い部屋の天井を見つめながら、聖士はゆっくりと呼吸を整えた。昨日、銀行で確認した数字は夢でも錯覚でもなかった。通帳の桁数が脳裏に焼き付き、瞼を閉じるたびに浮かび上がる。

 枕元のスマートフォンには、数件の未読通知。彩花からのものも混じっていたが、タップはしなかった。今の自分に必要なのは、感情ではなく整理だと思った。

 小さなテーブルに腰を下ろし、ノートを開く。昨日書いた決意の言葉の下へ、新たな行を作る。

 ――まずは、住む場所を確保する。
 ――次に、仕事や生活の契約を整理する。
 ――感情の整理は、そのあとでいい。

 ペン先が紙の上を滑るたび、心の中のざわつきが少しずつ静まっていく気がした。

「焦るな。順番にやればいい」

 声に出してみると、その響きが少しだけ自分を支えてくれた。

 ホテルを出て、朝の街を歩く。冬の空気は冷たいが、昨日まで感じていた重さはなかった。コンビニでコーヒーを買い、ベンチに腰掛ける。紙コップから立ち上る湯気を見つめながら、携帯を取り出した。

 弁護士事務所の番号を検索し、指先を静かに画面へ落とす。

「……離婚相談をお願いしたいのですが」

 受付の柔らかな声が、受話口から落ち着いた温度で響いた。予約日は二日後に決まった。通話を終えると、胸の奥で小さな音がした。何かが、ようやく前へと動き始めた感覚。

 次に向かったのは不動産会社だった。受付カウンター越しに姿勢のいい男性社員が笑顔で頭を下げる。

「本日はどのような物件をお探しでしょうか」

 聖士は一拍置いてから答えた。

「防音性が高いタワーマンションを。価格は……まずは条件優先で」

 男性の表情が一瞬だけ固まり、それから仕事モードの笑みに戻る。

「承知しました。上階・防音仕様・セキュリティ重視の物件を中心にお持ちいたします」

 差し出された資料の束は、これまでの人生で見たどの数字よりも遠い世界のものだった。それでも、今はその門の前に立っている。

 ――本当に、手を伸ばしていいのか。

 心の奥に小さな声がよぎる。しかし、それに答える前に、別の思いが浮かんだ。

 ――もう、誰にも奪われない場所が欲しい。

 モデルルームの内覧へ向かうエレベーターの中、鏡に映る自分の顔は、数日前より少しだけ険しさが取れていた。

 扉が開くと、広がるのは静寂だった。窓から見える東京の街並みは、冬の陽を受けて硬質な光を放っている。足音さえ吸い込まれるような防音の床。壁を指先で軽く叩くと、音は鈍く、深いところで消えた。

「こちらは完全防音仕様です。楽器演奏や収録、配信を想定した設計になっております」

 案内役の担当者が説明する。その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に微かな熱が灯った。

 ――配信。
 ――あの頃、こっそり作っていた3Dモデル。
 ――誰にも見せなかった自分のもう一つの顔。

 封じ込めていた記憶が、ゆっくりと扉を叩く。

 彩花と結婚した頃、聖士は趣味を一つずつ手放していった。家庭のため、仕事のため。そう信じてきた。だが、それはいつの間にか、自分自身を消す作業へと変わっていたのかもしれない。

「ここなら……何をしても、誰にも迷惑をかけない」

 思わず漏れた独り言に、担当者が首を傾げた。聖士はかすかに微笑み、頭を下げる。

「検討します。……いえ、前向きに」

 内覧を終え、不動産会社を出る頃には、胸の中に一本の線が引かれていた。選択肢ではなく、道筋として。

 ホテルへ戻る途中、スマートフォンが震えた。画面には、妻・彩花(あやか)の名前が表示される。一度画面を見つめ、通話に出る。

「……どこにいるの。連絡くらい返してよ」

 声はわずかに苛立ちを含んでいた。罪悪感よりも、義務を求める響き。

「今は話すことはない。手続きは弁護士を通す」

 短くそう告げると、沈黙が流れた。受話口の向こうで小さく息を呑む音がする。

「本気なの? いきなり家を出て……私だって――」

 その先を聞く前に、聖士は通話を切った。胸の奥が冷たくなる代わりに、頭は静かだった。

 夜。ホテルの机にノートパソコンを広げる。フォルダの奥に眠っていた3Dソフトを起動した。画面に現れたのは、かつて休日の夜に少しずつ作っていた少女のアバターデザイン。まだ未完成で、髪の先や表情のパーツが荒いままだ。

「……久しぶりだな」

 マウスを握る指先が、自然と動き始める。頬のラインを滑らかにし、瞳の色を整え、唇に柔らかな表情を与える。時間を忘れて画面へ没頭する感覚は、どれほどぶりだろう。

 やがて、仮の完成データを保存し、深く息を吐いた。背筋に心地よい疲労が残る。

 ――俺は、もう一度生き直す。
 ――男として、ではなく。
 ――「自分」として。

 机の上の通帳へ視線を落とす。重い数字は、もう恐怖ではなく、決断の重さへと変わりつつあった。

 窓の外には、都会の灯りが遠くまで続いている。小さな部屋の中で、聖士は目を閉じた。

 これから始まる新しい日々の輪郭が、まだぼやけているながらも、確かにそこに存在している気がした。

 ――ここからだ。
 ――本当の意味で、人生が始まるのは。

 静かな夜が、ゆっくりと更けていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

僕が諦めた初恋の彼女は、偽ヒーローに身も心も捧げた後、全てを失ってから本当のヒーローが僕だったと知ったらしい

ledled
恋愛
高校二年生の水無月湊は、同じ図書委員の学年一の美少女・白鷺院麗華への恋を、戦う前に諦めた。 彼女には、心の底から焦がれる「ヒーロー」がいると知ってしまったからだ。 失恋の痛みを噛み締める湊の耳に、麗華がクラスのチャラ男と付き合い始めたという噂が届く。彼女は、その男こそが探し続けたヒーローだと信じきっていた。 だが湊は知らない。彼女が神格化するヒーローが、過去の記憶すらない自分自身だったことを。 そして麗華もまだ知らない。偽りの愛に全てを捧げた先に待つ絶望と、真実を知った時にはもう何もかもが手遅れだということを。 これは、残酷なすれ違いから始まる、後悔と再生のラブストーリー。 ※この小説は生成AIを活用して執筆しています。内容は人による監修・編集済みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

親友に恋人を奪われた俺は、姉の様に思っていた親友の父親の後妻を貰う事にしました。傷ついた二人の恋愛物語

石のやっさん
恋愛
同世代の輪から浮いていた和也は、村の権力者の息子正一より、とうとう、その輪のなから外されてしまった。幼馴染もかっての婚約者芽瑠も全員正一の物ので、そこに居場所が無いと悟った和也はそれを受け入れる事にした。 本来なら絶望的な状況の筈だが……和也の顔は笑っていた。 『勇者からの追放物』を書く時にに集めた資料を基に異世界でなくどこかの日本にありそうな架空な場所での物語を書いてみました。 「25周年アニバーサリーカップ」出展にあたり 主人公の年齢を25歳 ヒロインの年齢を30歳にしました。 カクヨムでカクヨムコン10に応募して中間突破した作品を加筆修正した作品です。 大きく物語は変わりませんが、所々、加筆修正が入ります。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

処理中です...