妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第3章 配信者「姫宮みこと」

第46話 緊張

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 その曲は、完成した瞬間から「ここへ来る」運命だったのだと思う。

 桐立健太郎のスタジオで、最終ミックスが鳴り終わったとき、しばらく誰も言葉を発しなかった。
 スピーカーから吐き出された余韻が、空気の中に薄く漂っている。

「……どうだい」

 先に口を開いたのは桐立だった。
 椅子にもたれ、腕を組みながら、こちらを見ている。その目はプロデューサーのものでもあり、作曲家のものでもあり、何より――歌に人生を捧げてきた人間の目だった。

「……正直、怖いです」

 思わず本音が漏れた。
 ノートパソコンのキーボードに置いた指先が、わずかに震えている。

「怖い?」

「はい。この曲……姫宮みことに、似合いすぎてて」

 桐立は一瞬きょとんとした顔をしてから、腹を抱えて笑った。

「それは最高の褒め言葉だよ。歌はね、歌い手を選ぶ。逆もまた然りだ」

 彼は立ち上がり、ミキサーの前に立つ。

「この曲は、君がここまで積み上げてきた全部を、正直に映してる。逃げ場も、ごまかしもない。だから――」

 振り返り、真っ直ぐに言った。

「本番で歌えたら、必ず刺さる」

 その言葉が、胸の奥に沈んだ。
 逃げられない、という意味でもあった。



 リハーサル当日。
 実際の収録現場に足を踏み入れた瞬間、空気が違うと分かった。

 広いスタジオ。天井から吊られた無数の照明。床にはマーカーが貼られ、カメラレールが静かに光っている。
 VTuberの出演を前提とした歌番組用の特設スタジオだった。

「ここが……本番か……」

 スタッフに案内され、控室を抜ける。
 途中、すれ違ったアーティストの中に、見覚えのある顔があった。

「あら? あなたが噂の……」

 声をかけてきたのは、樫畑清美だった。
 五十七歳とは思えない張りのある声と、派手すぎない衣装。演歌とポップスを融合させ、若者層にまで浸透した異色の演歌歌手だ。

「初めまして。樫畑です」

「……姫宮みこと、です」

 軽く頭を下げると、彼女は目を細めて笑った。

「不思議ね。顔は見えないのに、雰囲気で分かるの」

「……?」

「歌、楽しみにしてるわ。いい声の人は、立ってるだけで分かるものよ」

 それだけ言って、颯爽と去っていった。
 背中を見送りながら、背筋が伸びる。



 収録方法の説明は、リハーサル前に行われた。

 姫宮みことはステージに「立つ」わけではない。
 実際には、隣のモーションキャプチャールームで歌う。

 全身にはセンサー付きのスーツ。
 顔の前には高性能カメラが固定され、表情をリアルタイムで読み取る。
 歌声は高品質マイクで収録され、ボイスチェンジャーを通して姫宮の声に変換される。

 それらのデータは即座に統合され、3Dモデルに反映。
 スタジオ側では、AR合成によって、まるでそこに姫宮みことが「存在している」かのように映し出される。

「生放送じゃないから、多少の補正は後でできるけど」

 スタッフが説明する。

「基本は一発勝負です。感情のノリは、その瞬間しか出ませんから」

 つまり――歌手と同じだ。



 リハーサルは、容赦なかった。

「そこ、息が浅い」

「母音が前に出すぎてる」

「感情を乗せる前に、音程を信用しすぎない」

 桐立の指摘は的確で、逃げ道がない。
 歌に関して、彼は徹底的にプロだった。

 何度も歌い直し、喉が熱を持つ。
 それでも、桐立は止めなかった。

「まだいける。姫宮みことは、こんなもんじゃない」

 その言葉だけが、支えだった。



 本番。

 スタジオの照明が落ち、カウントが始まる。
 モニターの向こうで、姫宮みことが微笑む。

 ――歌い出し。

 世界が、静まった。

 音が、言葉が、感情が、一直線に伸びていく。
 練習も、迷いも、全部まとめて――ここへ来た。

 最後のフレーズを歌い終え、余韻が消える。

 数秒の沈黙。
 そして、拍手。

 モーションキャプチャールームの外からも、はっきり聞こえた。



 収録後。
 機材を外し、控室に戻る途中で、桐立に呼び止められた。

「姫宮」

 振り返る。

 彼は、珍しく少し照れたように笑っていた。

「やっぱり、姫宮みことは天才だ」

「……そんな」

「とても光栄なことだよ。君の歌に、俺の曲が乗るなんて」

 その言葉は、作曲家としての最大級の賛辞だった。

◇◆◇◆

 テレビ放送までは、まだ三週間ほどあった。

 それが、やけに長く感じられる。
 出演者の正式発表はまだで、守秘義務の塊みたいな契約書が頭の中に貼り付いているせいで、配信でも一言も触れられない。

「今日はねー、いつもどおり雑談と歌、だよっ」

 モニターの向こうで、姫宮みことがいつもの笑顔を浮かべる。
 配信開始から数分で、コメント欄は賑やかになっていた。

〈こんみこ!〉
〈今日もかわいい〉
〈声の調子よさそう〉

「ありがと。今日はちょっと歌いたい気分なんだ」

 内心は、ずっと落ち着かない。
 あのスタジオ、あの照明、桐立の言葉。
 全部が、まだ身体の奥に残っている。

 けれど、それを匂わせるわけにはいかない。
 何もなかった顔で、いつも通りを演じる。

「じゃあ、一曲目いくよー」

 歌い始めると、自然と呼吸が整った。
 コメントが流れ、リスナーとの距離が戻ってくる。

〈最近歌うまくなってない?〉
〈声の伸びが違う〉

「そ、そうかな……? 気のせいじゃない?」

 はぐらかしながらも、少しだけ嬉しい。
 あの厳しい指導が、確かに血肉になっている。

 雑談に戻ると、いつもの話題になる。

「最近? うーん、相変わらずボイトレ行ったり、ジム行ったりだね」

〈意識高い〉
〈プロ目指してる?〉

「ま、まぁ……健康のため、かな?」

 コメント欄に草が生える。
 こうして笑っていられる時間が、今はありがたかった。

 配信を終え、機材を片付けていると、玄関の音がした。

「ただいまー!」

 雪乃が帰ってきた。
 ほどなくして、リビングに飛び込んでくる。

「おかえり……」

 言いかけたところで、雪乃の目がきらきらしているのに気づいた。

「ねえねえ! テレビの収録どうだった!?」

 思わず、肩が跳ねる。

「……ど、どうしてそれを」

「だって、最近そわそわしてるし。絶対そうだと思った!」

 誤魔化しきれない。
 ため息をついて、正直に答える。

「……褒められたよ。なんとかできた、かな……」

「えっ、すごいじゃん!」

 雪乃は自分のことのように喜んで、拳を握った。

「放送、楽しみだね!」

「……うん」

 その夜は、少しだけよく眠れた。



 二週間後。

 テレビ放送の一週間前になって、ついに出演者の発表が行われた。

 桐立健太郎の名前。
 樫畑清美の名前。
 そして――姫宮みこと。

 配信を始める前から、通知が止まらない。

〈姫宮みこと!?〉
〈まじでテレビ!?〉
〈おめでとう!!〉

 一方で、SNSの向こう側では、冷たい声もあった。

〈誰これ?〉
〈またVtuberかよ〉
〈どうせ中身オッサンでしょ〉

 胸の奥が、きゅっと縮む。
 分かっていたはずなのに、実際に見ると、やはり効く。

 それでも、その日の配信は、異様な熱気に包まれていた。

〈テレビ出演おめでとう!〉
〈スパチャをオンにしてくれ!〉
〈投げ銭させてくれぇ!〉

「えっ、えっ……?」

 コメントの勢いに、思わず声が裏返る。

「そ、そんな……」

〈祝わせて!〉
〈お祭りだろ!〉

 しばらく迷ってから、苦笑しながら言った。

「……そ、そんなに言うなら、放送後配信でオンにするね」

 コメント欄が爆発した。



 そして、放送日当日。

 朝から、変な汗が滲んでいた。
 ジムでのトレーニングも、集中できない。

 胸の奥が、ずっとざわついている。
 放送は夜のゴールデンタイムなのに、心臓はもう走り続けていた。

 学校終わりに朝来野くんと遊びに出ることが多かった雪乃も、今日は珍しく早く帰ってきた。

「今日は、家で見るから!」

 その言葉だけで、救われた気がした。

 十九時からの放送。
 なのに、十七時頃から、二人でテレビの前に座り込む。

「まだかな……」

「まだだよ」

 リモコンを握る手が、汗ばんでいる。
 雪乃も、落ち着かない様子で画面を見つめていた。

 カウントダウンの番組予告が流れる。

 ――もうすぐだ。

 逃げ場はない。
 けれど、ここまで来た。

 胸の高鳴りは、恐怖だけじゃない。
 期待も、確かに混じっていた。

 テレビの前に二人並んで、その瞬間を待つ。
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