妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲

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第3章 配信者「姫宮みこと」

第45話 切れ者参上

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 配信開始まで、あと五分。

 OBSのプレビュー画面には、いつもと変わらない姫宮みことの待機画面が映っている。淡い色合いの背景、控えめに瞬くエフェクト、そして中央で微笑むアバター。
 けれど、その裏でキーボードに置かれた俺の指先は、いつもよりわずかに硬かった。

(落ち着け)

 自分に言い聞かせる。
 今日は、ただの雑談配信だ。歌枠でもなければ、重大発表もない。
 にもかかわらず、胸の奥がざわついているのは――理由が分かっている。

 桐立健太郎。
 その名前が、ここ数日、界隈を静かに、しかし確実に揺らしていた。

 俺自身は、まだ何も言っていない。
 だが、世間は勝手に想像し、期待し、盛り上がる。
 そして、その熱は必ず、配信者本人へと流れ込んでくる。

「……配信、始めます」

 深呼吸を一つ。
 開始ボタンを押す。

 ――配信開始。

「こんばんは。姫宮みことです」

 声を出した瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
 ボイスチェンジャー越しの声は、今日も安定している。

〈こんばんは!〉
〈待ってた〉
〈今日も生きててえらい〉

 いつものコメント欄。
 その中にちらほらと混じり始める、歌の話題。

〈歌枠じゃないのか~〉

「今日は普通の雑談ですよ。残念でした」

 軽く笑いを含ませて返すと、コメントが弾む。

〈まぁ雑談が本体〉
〈歌は逃げない〉
〈姫宮が喋ってくれればそれでいい〉

 ありがたい。
 だが、その空気を、鋭く切り裂く一文が流れた。

〈切れ者参上〉

 その一言は、やけに異質だった。

(……あ?)

 次の瞬間、コメント欄の流れが変わる。

〈あ、この人来た〉
〈久しぶりじゃん〉
〈分析班の人だ〉

 知らないリスナーなら意味が分からないだろう。だが、長く配信を見ている層なら、誰もが知っている。

 ――通称、“切れ者”。

 特定の箱にも属さず、配信者でもない。
 だが、音響、歌唱、構成、配信設計に関して、異常なまでに鋭い考察を落としていくリスナー。
 称賛もするが、遠慮なく核心を突く。
 そのコメントは、時に配信の空気を凍らせ、時に本質を暴く。

 俺は、喉の奥で小さく息を呑んだ。

「……切れ者さん、こんばんは」

 あえて、名前を拾う。

〈こんばんは〉
〈今日は雑談ですか〉

 淡々とした返答。
 そこに、感情は感じられない。

「はい。今日は、ゆるく」

〈なるほど〉

 一拍置いて、次のコメント。

〈最近、発声が安定しましたね〉

 コメント欄がざわつく。

〈そこ気づくのか〉
〈耳いいな〉
〈プロかな?〉

 俺の背筋が、自然と伸びた。

「……ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」

〈ただし〉

 間髪入れずに続く。

〈ブレスが深くなった分、語尾の処理が甘い時がある〉
〈特に笑った直後〉

 図星だった。

 昨日、アーカイブを聴き返して、自分でも感じていた部分。
 それを、リアルタイムで指摘される。

「……鋭いですね」

〈切れ者ですから〉

 冗談めかした一文。
 だが、その裏に、確かな技術と経験があるのは分かる。

 コメント欄は完全に観戦モードに入っていた。

〈講評始まった〉
〈ありがたい〉
〈姫宮の成長回〉

 俺は、少しだけ姿勢を正した。

「じゃあ……せっかくなので、聞いてもいいですか」

〈どうぞ〉

「今の自分、どういう位置にいると思います?」

 自分でも、踏み込みすぎた質問だと思った。
 だが、聞かずにはいられなかった。

 数秒、切れ者のコメントが途切れる。

 その沈黙が、やけに長く感じられた。

〈“完成していない強者”〉

 一言。

〈技術も感情も、平均値はすでに超えている〉
〈でも、軸が一つに定まっていない〉
〈だから、伸びるし、危うい〉

 桐立が言った言葉と、重なる。

「……なるほど」

〈ここで慢心すれば、消える〉
〈でも、恐れて足を止めれば、それも終わり〉
〈だから今が、一番面白い〉

 コメント欄が、静かに熱を帯びていく。

〈良いこと言う〉
〈刺さるな〉
〈姫宮、聞いてる?〉

「……ちゃんと、聞いてます」

 胸の奥が、少し痛む。
 でも、それは嫌な痛みじゃない。

「切れ者さん」

〈はい〉

「これからも、容赦なく言ってください」

 一瞬の間。
 そして、返ってきたコメント。

〈その覚悟があるなら〉
〈見届けます〉

 その言葉に、胸が熱くなった。

 配信は、その後も続いた。
 他愛のない雑談、リスナーとの軽いやり取り。
 だが、空気はどこか引き締まっていた。

 切れ者は、それ以上多くを語らなかった。
 最後に一言だけ、こう残していった。

〈次の歌、楽しみにしてます〉

 それだけで、十分だった。

 配信終了。

 ヘッドセットを外し、椅子にもたれかかる。
 深く、長い息を吐いた。

「……参ったな」

 独り言が、静かな部屋に落ちる。

 評価されることは、怖い。
 見抜かれることは、もっと怖い。

 でも――。

 それでも、歌いたいと思っている自分がいる。

 モニタに映る、配信終了画面。
 そこに残る余韻が、確かに背中を押していた。

「切れ者参上、か……」

 苦笑しながら、俺は立ち上がる。

 この場所は、甘くない。
 でも、逃げ場でもない。

 磨かれる場所だ。

 そして、試される場所だ。

 ――だからこそ。

「……ここへ来た意味がある」

 そう呟いて、電気を消した。

 静かな夜が、また一つ、更新された。

◇◆◇◆

 夜が来る前の、いちばん中途半端な時間帯。
 空はまだ青みを残しているのに、部屋の中には夕方特有の影が伸びている。

 机の上に放り出していたスマホが、短く震えた。

〈今日の配信、切れ者さん来てましたね〉

 ほたるだ。
 思わず、小さく息が漏れる。

「見られてたか……」

 キーボードに手を置きかけて、やめる。
 こういうやり取りは、やっぱりスマホの方が落ち着く。

〈来てた。相変わらず鋭い〉

 すぐに既読がつく。

〈ですよね。でも、みことさんの伸び代をちゃんと評価してる感じがして〉
〈個人的には、悪くないと思いました〉

 相変わらずだ。
 言葉選びが丁寧で、距離感を崩さない。そのくせ、こちらの内側をちゃんと見ている。

〈ありがとう。正直、少し刺さったけど〉

〈刺さらない評価は、たぶん意味がないです〉
〈それより、次のサムネどうします?〉

 話題が、すっと切り替わる。
 このテンポに、何度救われただろう。

〈まだ迷ってる。歌系を前に出すか、いつも通りにするか〉

〈今は“期待させすぎない”が正解かもですね〉
〈あくまで、姫宮みことの日常配信、って温度で〉

 画面を見つめながら、深く頷く。

〈さすが〉

〈切れ者さんとは別ベクトルで切れ者なので〉

 思わず、吹き出した。

〈自分で言う?〉

〈言います。自己評価、大事ですから〉

 そのやり取りの途中で、玄関の鍵が回る音がした。

「ただいまー」

 雪乃の声だ。
 スマホを伏せ、椅子を回す。

「おかえり。テストどうだった?」

「ボチボチかな」

 リビングに入ってきた雪乃は、鞄を床に置くなり、ソファに倒れ込む。
 前髪が少し汗で張り付いている。

「ほら、水」

「ありがと、パパ」

 ペットボトルを受け取りながら、雪乃がふと思い出したように顔を上げた。

「あ、そうだ」

「ん?」

「今日ね、ほたるお姉ちゃんに会ったよ」

「……は?」

 思わず、変な声が出た。

「駅前のカフェ。友達と帰る途中でさ。ネイル見せてもらった」

「ネイル?」

「うん。キラキラしてた。パパ絶対分かんないやつ」

 コメディみたいな温度差に、頭が追いつかない。

「え、なんで……?」

「普通に。『あ、雪乃ちゃんだ』って声かけられて」

「……そう」

 胸の奥が、少しざわつく。
 変な意味じゃない。ただ、日常と配信と仕事の境目が、少しずつ溶けている感覚。

「でさ」

 雪乃がにやっと笑う。

「パパのこと、すごい褒めてた」

「……何を?」

「歌もだけど、人としてちゃんとしてるって」

「それ、盛ってない?」

「盛ってない。ほたるお姉ちゃん、真顔だったもん」

 妙にリアルな描写に、返す言葉を失う。

「パパ」

「ん?」

「ちゃんと頼りなよ」

 さらっと言われて、心臓が一瞬跳ねた。

「……何を?」

「色々」

 それ以上は言わず、雪乃は立ち上がる。

「シャワー浴びてくる。あとで配信でしょ?」

「うん」

「無理しないでね」

 背中越しに手を振って、雪乃は部屋を出ていった。

 残されたリビングで、俺はしばらく立ち尽くす。

「……参ったな」

 スマホを手に取り、さっきの続きを打つ。

〈今日、雪乃がほたるに会ったって〉

 少し間が空いて、返信。

〈あ、バレました?〉
〈駅前で偶然〉

〈褒めすぎ〉

〈事実しか言ってません〉

 その一文に、どう返せばいいか分からなくなる。

 時計を見る。
 配信まで、あと三十分。

 いつものように、機材を立ち上げる。
 マイクチェック、BGM、トラッキング。

 OBSの画面に、姫宮みことが現れる。

(切り替えろ)

 深呼吸。

 ――配信開始。

「こんばんは、姫宮みことです」

〈こんばんはー〉
〈待ってた〉
〈今日も雑談?〉

「今日は、ちょっと日常寄りの話をしようかなって」

 コメントが流れる。

〈それ好き〉
〈まったり助かる〉

「実は今日、家族から不意打ちを食らいまして」

〈不意打ち?〉
〈何があった〉

「仕事関係の人と、娘が偶然会ってたらしくて」

〈世間狭い〉
〈草〉

「世間、狭いですね。本当に」

 笑いながら話す。
 でも、その裏で、言葉を選んでいる自分がいる。

 話しすぎない。
 隠しすぎない。

 そのバランスの上で、今の自分は立っている。

〈姫宮、最近ちょっと大人だよね〉
〈落ち着き増した〉

「成長ってことにしておいてください」

 コメント欄が和やかに流れる。

 画面の向こうには、顔も名前も知らない人たち。
 でも、確かに、ここに“居る”。

 切れ者はいない。
 ほたるも、たぶん見ているだけだ。

 そして、雪乃は、きっと部屋でイヤホンをしている。

 その全部を背負って、俺は今日も話す。

 曖昧で、不完全で、それでも続いていく日常を。

「今日も、来てくれてありがとう」

 その言葉が、誰かに届くことを信じながら。

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