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第2章

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「懐かしいな」
「ええ、そうですね」
「店をやっているとは聞いてはいたが、ここまでとはなぁ」

 彼は、照れたように笑って見せた。初めて見る彼の笑顔は、寂しそうに見える。

「君の償いは不要なものだった」
「過去の事ですから、もう良いんですよ」
「そうか……」

 居心地の良い店内に、少しばかりの沈黙が流れる。

「どうしてこんな事をしているんだ? 」
「え? 」
「世間に恨みを持ってもおかしくないような人生だったはずだ」
「先ほども言いましたが、過去の事です。それに、恨みがあるのは皆一緒でしょう」
「そうかもしれないが……」
「私は、私の店で私の作った料理を振る舞うのが好きなんです。それによって、少しでも人の心が癒せれば良いんですよ」
「君の心は? 」
「私の? 」
「ああ、人を癒すばかりで、自分の心を疎かにすれば、荒んでしまう」
「……」

 彼は、少し考え込んでいるようだった。しかし、嘘は言っていない。人の為にと息巻いておきながら、自分にとっての幸せを掴めない人は少なからずいる。そうして今度は、自分自身が病んでしまう。彼にはそうなって欲しくない。

「私は……やりたい事をやろうと決めたんです。どんなに馬鹿にされ、反対されようと私は後悔はしないと思っています」
「しかし……! 」
「それが! それが、私の幸せなんです」
「……そうか」

 彼のためだと思って来たが、どうやら私の思い違いだったようだ。彼はきっと、この先どんなに不幸な事が待ち受けていようと、その悲劇を受け入れるのだろう。そして、後悔する事もなく一生を終えるのだろう。それが彼の『幸せ』なのだとしたら、他人が彼をどうこう言う必要はない。


 私は、彼にまた会う約束をし、店を後にした。

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