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第16話 水面下の使者
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二ヶ月という時間は、戦争の爪痕を消すには短すぎたが、人の警戒心を鈍らせるには十分だった。
王都の街路は活気を取り戻し、酒場には笑い声が戻り、市場では魚と果物が並ぶ。表面だけ見れば、平和そのものだ。
けれど、僕の立場から見える景色はまったく違っていた。
乙女騎士団団長という肩書きと、騎士爵という身分。
その二つを得てから、僕の周囲には「静かな敵意」が増えた。
露骨な敵はいない。
だが、味方の顔をした視線が、確実に増えている。
政務会合の帰り、マルタが低い声で言った。
「団長、ここ数日で港の倉庫が三つ、別名義に移っています」
「帝国絡み?」
「ほぼ確実に。帳簿の付け方が、あまりにも雑です」
帝国は、正面から要求が通らないと分かった瞬間、別の手段に切り替えてきたらしい。
金で人を動かす。
情報で国を揺さぶる。
同盟国の内部に不和の種を蒔く。
どれも、戦争より安い。
イリナからも、同じ頃に報告が上がってきた。
「魔法師団の下級士官に、帝国商人を名乗る者が接触しています。条件は“将来の栄達”」
「……裏切りを誘ってる」
「はい。ただし、今のところ実害はありません。むしろ——」
彼女は言葉を切った。
「彼らは、団長の動向を探っています」
僕、か。
帝国にとって、僕は邪魔なのだろう。
兵を出さず、金も出さず、それでいて情報と主導権を握ろうとする存在。
使いにくい同盟国の象徴。
その日の夜、僕は団長室で書類に目を通していた。
机の上には、カルロタの監視報告もある。
彼女は相変わらず大人しく、むしろ王都の暮らしを楽しんでいるようですらあった。
「……君も、カードだな」
呟いた瞬間、背筋が冷えた。
気配。
マルタでも、イリナでも、アダライスでもない。
騎士でも、魔法師でもない。
部屋の隅。
いつの間にか、そこに“誰か”が立っていた。
黒い外套。
顔は影に隠れ、気配は薄い。
「驚かせてしまったようだな、人の団長」
声は低く、だが落ち着いていた。
僕は立ち上がらなかった。
逃げても無駄だと、直感で分かったからだ。
「……誰?」
「魔王軍、北方斥候隊所属。名は不要だ」
魔王軍。
その言葉だけで、頭が一気に冴えた。
「ここは王都だ。どうやって——」
「我が国と帝国が停戦した隙を使った。それだけだ」
淡々とした口調。
敵意は、感じない。
「用件は?」
「スカウトだ」
あまりに率直で、逆に言葉を失った。
「……僕を?」
「正確には、貴殿の“立場”だ」
外套の下で、彼は肩をすくめた。
「魔王軍は今、分裂しかけている。帝国との戦争は長引き、補給も士気も限界だ」
カルロタの言葉と、合致する。
「だから?」
「だから我々は、“戦わずに勝つ存在”を求めている」
彼の視線が、はっきりと僕を捉えた。
「貴殿は戦わずして、戦場を動かす。
兵は貴殿を見て前に出る。
敵は、貴殿がいるだけで慎重になる」
買いかぶりだ。
そう言いたかったが、言葉が出なかった。
「魔王軍に来い、ロイク・リュエット」
名を呼ばれ、胸が鳴った。
「貴殿を“象徴”として迎える。
剣も魔法も不要だ」
……帝国と同じだ。
僕は、静かに息を吐いた。
「断る」
即答だった。
隠密は、少しだけ目を細めた。
「理由を聞こう」
「僕は、この国の団長だ。
ここを捨てて、別の旗の下に立つ気はない」
「忠義か?」
「責任だ」
それは、本音だった。
隠密はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「ならば、提案を変えよう」
「……?」
「貴殿を、敵にしない」
妙な言い回しだった。
「魔王軍は、当面この公国を攻撃しない。
その代わり——」
「代わりに?」
「帝国が貴国を裏切った場合、我々は貴殿に情報を渡す」
重たい沈黙が落ちた。
「帝国は、必ず裏切る。
あの国は、勝利のためなら同盟国を切る」
それは、聖騎士団長の言葉と同じだった。
「考えておけ。団長」
隠密は、来た時と同じように、音もなく消えた。
部屋には、静寂だけが残った。
僕は椅子に深く座り込み、天井を見上げる。
帝国。
魔王軍。
公国。
誰もが、僕を“使おう”としている。
「……本当に、厄介な立場になったな」
呟いても、答えは返らない。
ただ一つ分かっているのは。
もう、僕は戦場の端で怯えるだけの人間ではない、ということだけだった。
◆
僕は王都の執務室で、各地から届く報告書に目を通していた。乙女騎士団の団長という立場になってから、戦場だけでなく、紙の上でも戦う時間が増えた。兵の配置、補給線、税の調整、街道の警備強化。戦争が止まっても、仕事は減らない。
むしろ増えた。
そんな中で、南西からの来訪は予想されていたとはいえ、タイミングがあまりにも露骨だった。
ストロース王国と、さらに南に位置するエルフの国、エスティ妖精国。二国の使者が、ほぼ同時に王都へ入ったという報告を聞いたとき、僕はため息をついた。
来るべきものが来た、という感覚だった。
謁見は非公開。公王の判断で、限られた者だけが同席を許された。貴族数名、文官、そして乙女騎士団団長としての僕。
会議室は静かだった。重厚な扉が閉められ、外の喧騒は完全に遮断される。ここで交わされる言葉は、国の進路そのものになる。
先に口を開いたのは、ストロース王国の使者だった。
中年の男。姿勢は良く、声に無駄がない。内務局長にして侯爵、アビリアンと名乗った男は、礼儀正しく頭を下げたあと、すぐに本題に入った。
「我が国は、現在、帝国より強い圧力を受けております」
率直だった。回りくどい前置きもない。
金銭、物資、そして兵の提供。名目は共同防衛だが、実質は従属を求める要求だという。断れば、通商路を絞られ、場合によっては軍事的示威行動も辞さない構えらしい。
「魔王軍からも、同様に接触がありました」
その言葉に、会議室の空気がわずかに張り詰めた。
続いて口を開いたのは、妖精国から来た女官、セレフィーヌだった。
彼女は人族とは違う耳と、年齢を感じさせない整った顔立ちをしていた。だが、話し方は落ち着いていて、感情を表に出さない。
「我が国も、似た状況です。ただし、より穏やかな形で」
穏やか、という言葉を彼女は選んだが、その実、妖精国の森林資源や魔法触媒を巡る圧力は相当なものらしい。直接的な脅迫はない。だが、選択肢を削るやり方だ。
二国の説明を聞きながら、僕は黙っていた。
彼らが知りたいのは、状況の共有ではない。ダブリン公国が、どちら側に立つのか。その一点だ。
公王は、あえて僕に視線を向けた。
発言を促されているのが分かった。
「僕たちの立場は、すでに伝わっていると思います」
静かに、だが曖昧さを残さずに言う。
「帝国とも、魔王軍とも、全面的な協調は考えていません。現時点では」
アビリアン侯爵は眉を動かした。それは評価の動きだった。肯定でも否定でもない。
「それは、理想論ではありませんか」
「現実論です」
即座に返す。
「どちらかに完全に与すれば、短期的には楽になります。でも、長期的には選択肢を失う」
妖精国の女官が、わずかに微笑んだ。
「貴国は、小国にしては、ずいぶんと大胆ですね」
「大胆でなければ、生き残れません」
僕はそう答えた。
帝国と魔王軍の戦争は、帝国が先に仕掛けたものだ。これは公には語られないが、知る者は知っている事実だ。正義の名を掲げた侵攻。その結果が、今の停戦だ。
「一番危険なのは、正義を名乗る国です」
会議室が静まり返った。
誰も否定しなかった。それが答えだった。
アビリアン侯爵は、深く息を吐いた。
「我々は、生き残るための現実を選びます。ですが……」
言葉を切り、僕を見る。
「貴国が孤立する選択をした場合、助ける余裕はない」
「承知しています」
セレフィーヌは、別の問いを投げかけてきた。
「騎士団長殿。貴方は、剣で国を守る方ですか。それとも、人で守る方ですか」
少し考えてから答えた。
「人です。剣は、その手段にすぎません」
その答えに、彼女ははっきりと頷いた。
会談は、それ以上踏み込むことなく終わった。三国同盟も、明確な協定もない。ただ、互いに無視できない存在として認識した。それだけで十分だった。
使者たちが去ったあと、僕は一人、会議室に残った。
剣を交えずとも、国は削られていく。戦争は、もう始まっている。
ただ、形が違うだけだ。
そしてダブリン公国は、確実にその中心へと引き寄せられている。
僕は団長として、その現実から目を逸らすわけにはいかなかった。
王都の街路は活気を取り戻し、酒場には笑い声が戻り、市場では魚と果物が並ぶ。表面だけ見れば、平和そのものだ。
けれど、僕の立場から見える景色はまったく違っていた。
乙女騎士団団長という肩書きと、騎士爵という身分。
その二つを得てから、僕の周囲には「静かな敵意」が増えた。
露骨な敵はいない。
だが、味方の顔をした視線が、確実に増えている。
政務会合の帰り、マルタが低い声で言った。
「団長、ここ数日で港の倉庫が三つ、別名義に移っています」
「帝国絡み?」
「ほぼ確実に。帳簿の付け方が、あまりにも雑です」
帝国は、正面から要求が通らないと分かった瞬間、別の手段に切り替えてきたらしい。
金で人を動かす。
情報で国を揺さぶる。
同盟国の内部に不和の種を蒔く。
どれも、戦争より安い。
イリナからも、同じ頃に報告が上がってきた。
「魔法師団の下級士官に、帝国商人を名乗る者が接触しています。条件は“将来の栄達”」
「……裏切りを誘ってる」
「はい。ただし、今のところ実害はありません。むしろ——」
彼女は言葉を切った。
「彼らは、団長の動向を探っています」
僕、か。
帝国にとって、僕は邪魔なのだろう。
兵を出さず、金も出さず、それでいて情報と主導権を握ろうとする存在。
使いにくい同盟国の象徴。
その日の夜、僕は団長室で書類に目を通していた。
机の上には、カルロタの監視報告もある。
彼女は相変わらず大人しく、むしろ王都の暮らしを楽しんでいるようですらあった。
「……君も、カードだな」
呟いた瞬間、背筋が冷えた。
気配。
マルタでも、イリナでも、アダライスでもない。
騎士でも、魔法師でもない。
部屋の隅。
いつの間にか、そこに“誰か”が立っていた。
黒い外套。
顔は影に隠れ、気配は薄い。
「驚かせてしまったようだな、人の団長」
声は低く、だが落ち着いていた。
僕は立ち上がらなかった。
逃げても無駄だと、直感で分かったからだ。
「……誰?」
「魔王軍、北方斥候隊所属。名は不要だ」
魔王軍。
その言葉だけで、頭が一気に冴えた。
「ここは王都だ。どうやって——」
「我が国と帝国が停戦した隙を使った。それだけだ」
淡々とした口調。
敵意は、感じない。
「用件は?」
「スカウトだ」
あまりに率直で、逆に言葉を失った。
「……僕を?」
「正確には、貴殿の“立場”だ」
外套の下で、彼は肩をすくめた。
「魔王軍は今、分裂しかけている。帝国との戦争は長引き、補給も士気も限界だ」
カルロタの言葉と、合致する。
「だから?」
「だから我々は、“戦わずに勝つ存在”を求めている」
彼の視線が、はっきりと僕を捉えた。
「貴殿は戦わずして、戦場を動かす。
兵は貴殿を見て前に出る。
敵は、貴殿がいるだけで慎重になる」
買いかぶりだ。
そう言いたかったが、言葉が出なかった。
「魔王軍に来い、ロイク・リュエット」
名を呼ばれ、胸が鳴った。
「貴殿を“象徴”として迎える。
剣も魔法も不要だ」
……帝国と同じだ。
僕は、静かに息を吐いた。
「断る」
即答だった。
隠密は、少しだけ目を細めた。
「理由を聞こう」
「僕は、この国の団長だ。
ここを捨てて、別の旗の下に立つ気はない」
「忠義か?」
「責任だ」
それは、本音だった。
隠密はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「ならば、提案を変えよう」
「……?」
「貴殿を、敵にしない」
妙な言い回しだった。
「魔王軍は、当面この公国を攻撃しない。
その代わり——」
「代わりに?」
「帝国が貴国を裏切った場合、我々は貴殿に情報を渡す」
重たい沈黙が落ちた。
「帝国は、必ず裏切る。
あの国は、勝利のためなら同盟国を切る」
それは、聖騎士団長の言葉と同じだった。
「考えておけ。団長」
隠密は、来た時と同じように、音もなく消えた。
部屋には、静寂だけが残った。
僕は椅子に深く座り込み、天井を見上げる。
帝国。
魔王軍。
公国。
誰もが、僕を“使おう”としている。
「……本当に、厄介な立場になったな」
呟いても、答えは返らない。
ただ一つ分かっているのは。
もう、僕は戦場の端で怯えるだけの人間ではない、ということだけだった。
◆
僕は王都の執務室で、各地から届く報告書に目を通していた。乙女騎士団の団長という立場になってから、戦場だけでなく、紙の上でも戦う時間が増えた。兵の配置、補給線、税の調整、街道の警備強化。戦争が止まっても、仕事は減らない。
むしろ増えた。
そんな中で、南西からの来訪は予想されていたとはいえ、タイミングがあまりにも露骨だった。
ストロース王国と、さらに南に位置するエルフの国、エスティ妖精国。二国の使者が、ほぼ同時に王都へ入ったという報告を聞いたとき、僕はため息をついた。
来るべきものが来た、という感覚だった。
謁見は非公開。公王の判断で、限られた者だけが同席を許された。貴族数名、文官、そして乙女騎士団団長としての僕。
会議室は静かだった。重厚な扉が閉められ、外の喧騒は完全に遮断される。ここで交わされる言葉は、国の進路そのものになる。
先に口を開いたのは、ストロース王国の使者だった。
中年の男。姿勢は良く、声に無駄がない。内務局長にして侯爵、アビリアンと名乗った男は、礼儀正しく頭を下げたあと、すぐに本題に入った。
「我が国は、現在、帝国より強い圧力を受けております」
率直だった。回りくどい前置きもない。
金銭、物資、そして兵の提供。名目は共同防衛だが、実質は従属を求める要求だという。断れば、通商路を絞られ、場合によっては軍事的示威行動も辞さない構えらしい。
「魔王軍からも、同様に接触がありました」
その言葉に、会議室の空気がわずかに張り詰めた。
続いて口を開いたのは、妖精国から来た女官、セレフィーヌだった。
彼女は人族とは違う耳と、年齢を感じさせない整った顔立ちをしていた。だが、話し方は落ち着いていて、感情を表に出さない。
「我が国も、似た状況です。ただし、より穏やかな形で」
穏やか、という言葉を彼女は選んだが、その実、妖精国の森林資源や魔法触媒を巡る圧力は相当なものらしい。直接的な脅迫はない。だが、選択肢を削るやり方だ。
二国の説明を聞きながら、僕は黙っていた。
彼らが知りたいのは、状況の共有ではない。ダブリン公国が、どちら側に立つのか。その一点だ。
公王は、あえて僕に視線を向けた。
発言を促されているのが分かった。
「僕たちの立場は、すでに伝わっていると思います」
静かに、だが曖昧さを残さずに言う。
「帝国とも、魔王軍とも、全面的な協調は考えていません。現時点では」
アビリアン侯爵は眉を動かした。それは評価の動きだった。肯定でも否定でもない。
「それは、理想論ではありませんか」
「現実論です」
即座に返す。
「どちらかに完全に与すれば、短期的には楽になります。でも、長期的には選択肢を失う」
妖精国の女官が、わずかに微笑んだ。
「貴国は、小国にしては、ずいぶんと大胆ですね」
「大胆でなければ、生き残れません」
僕はそう答えた。
帝国と魔王軍の戦争は、帝国が先に仕掛けたものだ。これは公には語られないが、知る者は知っている事実だ。正義の名を掲げた侵攻。その結果が、今の停戦だ。
「一番危険なのは、正義を名乗る国です」
会議室が静まり返った。
誰も否定しなかった。それが答えだった。
アビリアン侯爵は、深く息を吐いた。
「我々は、生き残るための現実を選びます。ですが……」
言葉を切り、僕を見る。
「貴国が孤立する選択をした場合、助ける余裕はない」
「承知しています」
セレフィーヌは、別の問いを投げかけてきた。
「騎士団長殿。貴方は、剣で国を守る方ですか。それとも、人で守る方ですか」
少し考えてから答えた。
「人です。剣は、その手段にすぎません」
その答えに、彼女ははっきりと頷いた。
会談は、それ以上踏み込むことなく終わった。三国同盟も、明確な協定もない。ただ、互いに無視できない存在として認識した。それだけで十分だった。
使者たちが去ったあと、僕は一人、会議室に残った。
剣を交えずとも、国は削られていく。戦争は、もう始まっている。
ただ、形が違うだけだ。
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