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お正月
三日夜 董也(ⅱ)
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「相変わらず寒いな、この家」
董也は独り言を言うとソファの上で毛布に包まった。風呂上がりの体が急速に冷えていくのを感じる。
「咲歩ちゃん家古いからなあ」
咲歩の一家が引っ越してきたのは自分の家より後だったが、もともとあった中古の家をリフォームかけて入居したはずで、そのせいもあるのか自分の家より寒い気がする。
董也はソファに寝転がって照明がついたままの天井を見上げる。物音はしない。外もまだ正月のせいもあってか車の音もせず、聞こえてくる音はエアコンが動いている音ぐらいだった。しばらくそのまま天井を見上げていたが、やがて起き上がると部屋のエアコンと天井灯を消した。
そのまま毛布を持って二階へ上がる。勝手知ったる他人の家、迷うことなく目当ての部屋のドアをそっと音もなく開けて中に入った。中は常夜灯の灯がぼんやりと部屋をオレンジ色に染めている。その壁際にあるベットには一人分の上布団が盛り上がり、そこから寝息が静かに聞こえた。
董也はその横にそっと立つとベットを見下ろす。咲歩が眠っている。
「……馬鹿なのは咲歩ちゃんだよ」
そっと言ったその声に彼女が起きる気配はなかった。咲歩は顔半分まで上布団に隠して壁を向いて真ん中より外側で横向きに寝ていた。その上に自分の影を落としながら董也はしばし見ていた。
それからベットの壁際に、持ってきた毛布をひくと細心の注意を払って咲歩越しにその中に潜り混んだ。
「あったかい……」
思わず呟いてしまう。顔の位置を咲歩と合わせる。流石に起きるかな、と言い訳を考えていたが、咲歩は穏やかな寝息をたてたまま起きない。どうしたんだろう?眠剤でも飲んでいるのだろうか。起きないならそれはそれで都合が良いけど。
「普段から眠れなくなっているんだったら嫌だな……」
元気な咲歩でいて欲しいと思う。それが勝手な願望であることはわかっている。咲歩ちゃんはちゃんと傷つく人だ。おまけに、そうとは気付かせない人だ。それがいいかどうかは別にして、そんな所も好きだった。
幼稚園の年中の時に咲歩が隣に引っ越して来てから、考えてみれば長い付き合いだ。いつもひっついていた訳ではない。陰キャだった僕と比べて彼女は友達もいたし。それでもずっと仲は良かった。
咲歩の事を想うとき、いつも頭に浮かぶ場面がある。
あれは確か高校二年だったと思う。夕方、学校からの帰り道、いつもの細い橋の上を通りかかると咲歩ちゃんが真ん中あたりで立っていた。普段から人がそんなに通る道じゃないから当然彼女一人。川下側にある大きな通りにかかる橋の上ではテールランプが並んで光っていた。その下の川面は炎のように赤く、見上げた空は赤と宇宙の色が混ざっている。咲歩ちゃん自身も赤く染まりながら無感情な顔でぼうっと立っていた。
「……咲歩ちゃん?」
声をかけるとこっちを見ていつもの顔になって僕の名を呼んで……その頃はまだ二人きりの時は、とあ、って呼んでて……笑った。
「すごい夕日だね」
「そうだね。綺麗だよね」
そう屈託なさげに話す彼女がその頃、友人関係で悩んでるのを僕は知っていた。相談されたことはないけれど。
咲歩ちゃんは友達が多かったし好かれていたけれど、一方で嫌う人は嫌っていた。彼女は正しい女の子で、でもそれを押しつけるような人でもなかったけれども、でも一部の人にとってはイヤなタイプの人だったと思う。……その気持ちも僕はわかった。
「なんだか話すの久しぶりだね。元気?」
「元気だよ。とあは?」
まあまあ、と適当に返事する僕によかった、と彼女は笑顔で言う。どこか寂しそうな影が見えたのは夕日のせいだったろうか。
それからしばらくその場で川を見ながら話したと思う。何を話したか覚えてないし、全然たわいもない話だったと思うけれど、多分咲歩ちゃんには気分転換になったんだろう。話している内に声が明るくなっていった覚えがある。
で、帰ろうか、となって僕を見た時の咲歩の、その時の姿が脳裏に焼き付いている。
夕日に照らされていた彼女は微笑んでいて、瞳が強くて綺麗で、長い黒髪が風に揺れていて、僕は何故だかドラクロワの自由の女神を思い出していた。
なんでだかわからない。似てる所なんてないのに。夕方の強い風に流れる髪が、たなびく旗を連想でもさせたのだろうか。
脳内で起こった事への理屈はわからないが、とにかく、咲歩ちゃんはその時から僕の女神になったんだと思う。今、思い返すと。
そして確かに言えるのは、あの時、僕は分かりやすく恋に落ちたんだ。ずっと好きだったし、特別だったよ? でも、あの時、次元が変わったんだよ。僕の周りでしていた音が、止んだ気がしたんだ。
董也は独り言を言うとソファの上で毛布に包まった。風呂上がりの体が急速に冷えていくのを感じる。
「咲歩ちゃん家古いからなあ」
咲歩の一家が引っ越してきたのは自分の家より後だったが、もともとあった中古の家をリフォームかけて入居したはずで、そのせいもあるのか自分の家より寒い気がする。
董也はソファに寝転がって照明がついたままの天井を見上げる。物音はしない。外もまだ正月のせいもあってか車の音もせず、聞こえてくる音はエアコンが動いている音ぐらいだった。しばらくそのまま天井を見上げていたが、やがて起き上がると部屋のエアコンと天井灯を消した。
そのまま毛布を持って二階へ上がる。勝手知ったる他人の家、迷うことなく目当ての部屋のドアをそっと音もなく開けて中に入った。中は常夜灯の灯がぼんやりと部屋をオレンジ色に染めている。その壁際にあるベットには一人分の上布団が盛り上がり、そこから寝息が静かに聞こえた。
董也はその横にそっと立つとベットを見下ろす。咲歩が眠っている。
「……馬鹿なのは咲歩ちゃんだよ」
そっと言ったその声に彼女が起きる気配はなかった。咲歩は顔半分まで上布団に隠して壁を向いて真ん中より外側で横向きに寝ていた。その上に自分の影を落としながら董也はしばし見ていた。
それからベットの壁際に、持ってきた毛布をひくと細心の注意を払って咲歩越しにその中に潜り混んだ。
「あったかい……」
思わず呟いてしまう。顔の位置を咲歩と合わせる。流石に起きるかな、と言い訳を考えていたが、咲歩は穏やかな寝息をたてたまま起きない。どうしたんだろう?眠剤でも飲んでいるのだろうか。起きないならそれはそれで都合が良いけど。
「普段から眠れなくなっているんだったら嫌だな……」
元気な咲歩でいて欲しいと思う。それが勝手な願望であることはわかっている。咲歩ちゃんはちゃんと傷つく人だ。おまけに、そうとは気付かせない人だ。それがいいかどうかは別にして、そんな所も好きだった。
幼稚園の年中の時に咲歩が隣に引っ越して来てから、考えてみれば長い付き合いだ。いつもひっついていた訳ではない。陰キャだった僕と比べて彼女は友達もいたし。それでもずっと仲は良かった。
咲歩の事を想うとき、いつも頭に浮かぶ場面がある。
あれは確か高校二年だったと思う。夕方、学校からの帰り道、いつもの細い橋の上を通りかかると咲歩ちゃんが真ん中あたりで立っていた。普段から人がそんなに通る道じゃないから当然彼女一人。川下側にある大きな通りにかかる橋の上ではテールランプが並んで光っていた。その下の川面は炎のように赤く、見上げた空は赤と宇宙の色が混ざっている。咲歩ちゃん自身も赤く染まりながら無感情な顔でぼうっと立っていた。
「……咲歩ちゃん?」
声をかけるとこっちを見ていつもの顔になって僕の名を呼んで……その頃はまだ二人きりの時は、とあ、って呼んでて……笑った。
「すごい夕日だね」
「そうだね。綺麗だよね」
そう屈託なさげに話す彼女がその頃、友人関係で悩んでるのを僕は知っていた。相談されたことはないけれど。
咲歩ちゃんは友達が多かったし好かれていたけれど、一方で嫌う人は嫌っていた。彼女は正しい女の子で、でもそれを押しつけるような人でもなかったけれども、でも一部の人にとってはイヤなタイプの人だったと思う。……その気持ちも僕はわかった。
「なんだか話すの久しぶりだね。元気?」
「元気だよ。とあは?」
まあまあ、と適当に返事する僕によかった、と彼女は笑顔で言う。どこか寂しそうな影が見えたのは夕日のせいだったろうか。
それからしばらくその場で川を見ながら話したと思う。何を話したか覚えてないし、全然たわいもない話だったと思うけれど、多分咲歩ちゃんには気分転換になったんだろう。話している内に声が明るくなっていった覚えがある。
で、帰ろうか、となって僕を見た時の咲歩の、その時の姿が脳裏に焼き付いている。
夕日に照らされていた彼女は微笑んでいて、瞳が強くて綺麗で、長い黒髪が風に揺れていて、僕は何故だかドラクロワの自由の女神を思い出していた。
なんでだかわからない。似てる所なんてないのに。夕方の強い風に流れる髪が、たなびく旗を連想でもさせたのだろうか。
脳内で起こった事への理屈はわからないが、とにかく、咲歩ちゃんはその時から僕の女神になったんだと思う。今、思い返すと。
そして確かに言えるのは、あの時、僕は分かりやすく恋に落ちたんだ。ずっと好きだったし、特別だったよ? でも、あの時、次元が変わったんだよ。僕の周りでしていた音が、止んだ気がしたんだ。
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