様々な日常を描いていく

和泉響

文字の大きさ
1 / 12
少し不思議な話

初雪の夜のバーで

しおりを挟む
 初雪がぱらぱらと舞う夜は、マフラーやコートに身を包んだ人々が行き交い、冷たい空気と白い吐息を混ぜている。そんな街にひっそりと佇む、とあるバーのカウンター席に、夕焼け色のカクテルを悲しげな眼で見つめる男がいる。紺色のスーツは型を残しつつも彼に馴染んでいるが、ネクタイは普段あまりしていないのか、よく首元に手が伸びていて苦しそうだ。
 一方のバーテンダーは優しげな眼差しで彼を見つめていて、時々グラスの中身を気にしている。
「あ、あの……」
「何でしょうか?」
 スーツの彼がぼそっと話しかけたのを、バーテンダーは決して聞き逃さない。
「少し……話を聞いていただけませんか?」
「もちろん、構いませんよ」
 彼はカクテルに手を添えて、躊躇いながら、自分の自己紹介をした。
 彼の名前は山川悠貴やまかわゆうき。大学四年生で、現在就職活動をしている。しかし、秋が過ぎても彼に届くのは不採用の通知のみ。
「人見知りなのもあって……なかなか面接が上手くいかないんです……。一次選考で受かっても、二次選考で落ちちゃったり……」
 彼はかなり思いつめた様子で、今にも涙が出てきそうな顔をしている。
「そうだったんですね」
 バーテンダーが微笑みかけると、彼はいくらか安心したように、カクテルを一口飲んだ。
 からんからん。
 その時、ドアベルが客人を知らせる音色を奏でた。ドアには、背の高いシルクハットの紳士が立っていて、雪を落としながら静かに一礼した。
 タキシードに身を包み、黒いステッキを持っている。シルクハットを脱ぐと、真っ白な髪が露になった。
「マスター、バーボンをロックでお願いします」
 渋い声でそう言うと山川に気づき、今夜は冷えますね、と話しかけた。
「二人とも、この店に来るのは初めてですよね。ありがとうございます」
 バーテンダーは嬉しそうに酒を作っている。
「初めまして、私は松村という者です」
 シルクハットを膝に乗せて、紳士――松村は微笑んだ。
「は、初めまして。山川……です」
 それからバーテンダーがバーボンを松村の前に置き、山川の二杯目のカクテルを作っていた。いくつか雑談をしていたが、ほかの客が来ることは無かった。
 不意に、松村がシルクハットを被り、服を整えだした。まだグラスには半分くらい酒が残っている。
「あ、帰る訳ではありません。一つ、私の趣味に付き合ってほしいのですが……よろしいでしょうか?」
「趣味……ですか?」
「はい。少々、手品を嗜んでおりまして……」
 すると山川はぱっと顔を輝かせた。
「手品見るの、大好きなんです!是非見せてください!」
 するとバーテンダーも手を止め、
「是非私にもお見せください」
 と言った。松村はその様子を見て満足そうに笑い、懐から一枚のコインを取り出した。五百円玉くらいで、見たこともない装飾が施されている。
「山川さん、このコインにペンで何か書いてください」
「分かりました」
 山川がコインに二重丸を書くと、松村はそれを受け取り、バーテンダーに見せる。
「ではマスター、何かいらないグラスはありますかな?」
「これで宜しければ」
 バーテンダーがグラスを渡すと、松村はその中にコインを入れた。
「山川さん、手でグラスに蓋をして振ってください」
 山川はこくりと頷いて、コインを確認してから、言われた通りにグラスを振った。からから、とコインとグラスがぶつかる音が響く。
「では、コインを見てみてください」
「わかりました。…………えっ!?」
 山川はコインとグラスとを交互に見ながら、目を大きく見開き動揺している。
「どうされました?」
「コインに、二重丸が無いんです……!」
 するとバーテンダーも驚き、山川からコインを受け取る。
「確かに、ありませんね……」
 松村はにこにこと笑いながら、楽しそうにバーテンダーの方を向き、
「マスター、ズボンのポケットに何か入っていませんか?」
 と言った。慌ててバーテンダーがポケットに手を突っ込むと、中から二重丸が書かれた、あのコインが出てきた。
「こ、これは……」
「松村さん、凄いですね!!」
「本当に驚きました……」
 二人がそう言うと松村はにっこりと笑い、残りの酒を飲み干した。そして急に真面目な顔つきになり、
「それでは、次はとっておきの手品を披露しましょう」
 と言った。
「とっておき……どんな手品なんですか?」
 バーテンダーは自分の仕事を忘れたように、松村の言葉を待つ。
「それは……記憶を消す、手品でございます」
「……記憶を、消す?」
「左様でございます」
「本当にそんな事が可能なのですか?」
 バーテンダーがそう聞くと、松村はにやりと口角を上げた。
「はい、可能ですよ」
 そんな馬鹿な、とバーテンダーが思ったより速く、山川が口を開いた。
「じゃあ、僕の……僕の嫌な記憶を、消してください!」
「わかりました」
 あっさりと了承した松村は、左手をそっと山川の頭に乗せ、何やら呪文のようなものを唱えだした。バーテンダーは彼が就職活動の事で落ち込んでいたことを思い出した。確かに、嫌な記憶かもしれない。それでも、記憶を失ってしまうことは、決していいことではないと思った。
「あの、やめた方がいいのではないでしょうか」
 少し語気を強めてバーテンダーが話しかけたが、山川は眠ったように目を瞑ったまま動かない。松村もひたすら呪文を唱え続けている。バーテンダーはどうしていいのか分からず、ただその光景を見つめることしか出来ない。この状況は、最早手品なんて簡単な言葉では表せなかった。

「さあ、どうでしょうか」
 松村がカードをカウンターに置き、左手をゆっくりと離した。山川は目を開き、驚いた顔をして辺りを見回し、
「……ここはどこですか?」
 と言った。松村が場所を説明すると、山川は首を傾げてこう言った。
「特に何も用事は無かった筈なんですけど……。バーって、落ち込んだ時とかに行ってみようと思ってましたので……」
 そう、山川は本当に就職活動に関する記憶を失ってしまったのだ。就職活動のことで落ち込んでいてバーに来たのだから、バーに来たことさえも忘れてしまったのだろう。松村は山川に家に帰るように伝え、代わりに代金を支払った。
 山川が帰ると、バーテンダーは震える声で松村を問いだした。
「彼は本当に大丈夫なんですか?記憶を消すなんて……!そもそも、貴方はなぜ記憶を消せるのですか!?」
 松村はこれまたゆったりとした笑みを浮かべ、
「彼が望んだのですよ?私は山川さんの望みを叶えただけです」
 と言った。松村は紙幣をカウンターに置き、立て続けにこう言った。
「それと……私が記憶を消せるということは、他言無用でお願いしますね?」
 バーテンダーは化物を見るような目で彼を見た。よく見たら、よく考えたら……いろいろとおかしい所があった。
 百八十センチメートルのバーテンダーより遥かに高い身長、外は雪が降るほど寒いのに、コートや手袋といった防寒具を一切身につけていなかった。そして、見たこともない装飾が施されたコイン……。
「怖がらせるつもりは無かったのですが。すみませんマスター、私に関する貴方の記憶を消させていただきますね」
 バーテンダーは松村が伸ばした左手から逃げようと仰け反った。棚においてある酒が、がしゃがしゃんと落ちていき、周囲にむわぁっと酒の匂いが立ち込める。松村は半ば無理矢理バーテンダーの頭を掴むと、またあの呪文を唱え出す。
「や、あがっ、やめ」
 バーテンダーは不思議な力に押さえつけられたように、抵抗できなくなった。やがて強烈な眠気が襲ってくると、瞼を開けていられなくなり、足元がふらつく。松村が片手とは思えないほどの力で、ぐっと手前に引き寄せると、バーテンダーはいとも簡単に前のめりになり、松村に頭を差し出すような形になる。

「やはり私達は、ヒトとは共存していけないのでしょうか……。ただ、一緒に楽しく過ごしたかっただけだったのですが……。どうやら、余計なことをしてしまったようですね」
 そんな松村の言葉も、バーテンダーに届くことは無かった。

 からんからん。

 初雪が舞い、微かに白くなった街道に、独り、その足跡は小さな斑点と共に続いてゆく。
                                         
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

処理中です...