様々な日常を描いていく

和泉響

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誰かの日常の話

約束の雨

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 つむじに落ちた雨粒がじわりと溶け込んだ。それがきっかけとなったのか、雨粒は徐々に地面を濃い色で染めていく。埃のような雨の匂いがたちこめて、僕は小さな咳を一つした。
「傘忘れちゃったよ」
「予報じゃ曇りだって言ってたのに」
 歩道を歩いていると、そんな消極的な言葉が耳を掠めていく。ポケットからイヤホンを取り出して耳にはめると、外の音はくぐもって聞こえにくくなった。
 特に音楽を流す訳でもないので、本当は耳栓の方が良いのだろう。しかし、耳栓をしてるところを見られたら他人を不快にさせるだろうから、これが一番良い方法なのだ。
 雨足は次第に強くなっていき、ぐったりと濡れた服が身体にへばりついていた。髪からも水滴がぽとぽとと落ちている。駅まではあと五分だ。少しくらい我慢しよう、と歩を進める。
 ざあ……ざぁ……。
 雨の音が激しくなり、イヤホンの隙間からノイズのような音となって鼓膜を震わせる。雨音以外は何も聞こえない、はずだった。
「……や……」
 その異音に気づいて振り返ると、同じクラスの女子が驚いた顔で僕に話しかけていた。イヤホンを耳から外すと、彼女は桃色の傘をこちらに傾ける。
梶山かじやまくん、びちょびちょじゃん。傘忘れたの?」
「うん」
 彼女がこちらに傘を傾けたことにより、彼女の左肩が濡れ始めていた。
「僕はもうこんなに濡れちゃったから、傘はいいよ。里中さとなかさんが濡れちゃう」
 差し出された傘を押し返すと、彼女は少し不機嫌そうな顔をした。
「そりゃ、濡れてるけど、このまま私だけが傘をさして行くのも気が引けるの」
 だからはい、と彼女はまた傘をこちらに差し出す。
「いいってば」
「私が良くない!はい、傘持って。二人で入れば解決でしょ?」
 桃色の相合傘なんてどこのバカップルだ、と思ったが、本人は全く気にしていないようなので、大人しく付き合うことにする。
 里中真実さとなかまみは、一言で言うと、「お節介スプリンクラー」だ。世界のあらゆるものに優しくし、親切にする、よく出来た女の子。
 彼女の心の内はどうだか知らないが、ヒトは優しくされて悪い気は起きない動物だ。彼女はとても皆に好かれている。
「梶山くん、何の音楽が好きなの?」
「え?」
「だっていつもイヤホンしてるからさ」
 ここは素直に答えた方が良いだろう。まぁ、嘘をつく前に思いつける音楽家がいないのだが。
「好きな音楽は特にないよ。これは耳栓代わりで、いつも曲は聞いてない」
 彼女はそうだったんだ、と頷いた。普通は耳栓と聞いて少しくらい嫌な顔をするだろうが、やはり彼女はそんな顔一つ見せない。
「おすすめの曲教えてあげようか?耳栓も強度が増すよ」
 にこっと笑ってそう言う。好意を無下にする訳にもいかず、ただ頷く。
「初恋って曲で、マコトって人が歌ってるやつ」
 聞いたことの無い歌手だった。
「恋愛系か、僕にその良さが伝わるかな」
「うーん、曲名こそ恋愛系だけど、歌詞はそこまで恋愛系じゃないの。あとは聞いてからのお楽しみ」
 そう言うと、彼女はふふっと微笑んだ。
 駅に到着すると、僕は下り線、彼女は上り線のホームに向かった。
「それじゃ、聞いてみてね、マコトだよ!マ、コ、ト!」
「分かったよ、今日はどうもありがと」
 やがて電車が来ると、窓際に立てかかり、忘れないうちにさっきの曲を検索した。周りの人がびしょ濡れの自分を見て、ひそひそと何かを呟いていたので、そっとイヤホンをつけ直した。
「ねえ……覚えてる?あの日交わした小さな約束……今……果たしに行くよ」
 初恋、マコトと呼ばれる女性がそう歌い出すと共に、アコースティックギターの音色が響く。素人が顔部分を隠して弾き語りをする、大手動画サイトに投稿された動画だった。
「あれはそう、僕と君だけで……交わした……昔の約束」
 再生回数は百四十八回、高評価は十三個で、低評価が三個。投稿日は一年前で、コメント欄は空白だった。
「忘れているかもしれないけれど、僕はそれでも行くよ」
 歌の善し悪しは分からないが、素人にしては多分上手い部類なのだろう。感情が込められていて、不思議と落ち着く。
「雨宿りした日、繋がれる手と手、笑いかけた僕に君は……」
「ねえ、覚えてる?あの日交わした小さな約束。今、果たしに行くよ。だからそこで待っていてね……あの日のような黒い雨雲が、君を襲っても」
 この後は同じように二番が繰り返されていき、サビが終わると、少し曲調が変化した。
「待って、行かないで。待って、忘れないで。今でも僕は君のことを……」
 マコトの声は鼻声になっていた。どうやら泣きながら歌っているように感じる。
 ラスサビは転調し盛大になった。曲に対しての知識が乏しい僕でも、胸が締め付けられるような感覚を感じた。
「ねえ、覚えてる?あの日交わした小さな約束……今、果たしに来たよ」
 そう、マコトが歌い終えると、彼女はずず、と鼻水をすすった。
「ご視聴、ありがとうございます。これは、私が作ったオリジナル曲です」
 マコトはそのまま、ゆったりと昔話を始めた。

***

 私は小さい頃、ある男の子に恋をしましたが、すぐに転校してしまいました。良いことは必ず巡ってやってくる、という祖母の言葉を胸に、日々様々な努力を施し、今日まで頑張ってきました。そして、ついに彼と再会できました。
 しかし、彼は私のことを覚えていませんでした。それもそのはずです。彼と遊んだのはたった一年、しかも何年も前の話なのです。私は悲しくなる前に、どうやったら彼にこの気持ちを伝えられるだろう、と考えました。そして、完成したのがこの曲です。
 私が彼とした約束は、ただ一つ。
「また、遊ぼうね」

***

 動画はここで終わっていた。僕がもし小さい頃に転校していたら、また話は違っただろう。もしかして、と淡い期待を持つことも出来たかもしれない。しかし、僕は生まれてからずっと同じ家で暮らしているので、このマコトが探しているのは僕ではないのだ。
 僕はそっとスマートフォンをしまい、小さく口ずさむ。ねえ、覚えてる……か。
 次の日、僕が教室に行くと、既に里中さんは登校していた。
「おはよう、里中さん。昨日教えてもらった曲、聴いたよ」
「おはよー梶山くん、どうだった?」
 僕は一呼吸置いて、こう告げた。
「うん、びっくりした。里中さんは歌が上手いね。曲も良かったよ」
 きょとんとした彼女は、直後にうふふと笑って、
「思い出してくれたの?」
 と言った。
「そもそも、君の初恋相手は僕じゃないよ」
 目を見開いた彼女を見て、少し心が痛む。
「そんな訳ないよ、梶山くんだよ、面影があるもん、名前も一緒で」
 彼女はまくし立てるように、涙目になりながら僕に詰め寄る。彼女は本当に間違えているのだ。
「違うんだよ。僕は生まれてからずっと、引っ越しなんかしてないんだ」
 さぁっと、外から風が入り込んできて、下を向いた彼女の髪を乱す。どうにか分かってもらえたのだろうか、そんなことを考えていると、彼女はお腹を抱えて笑いだした。
「うふ、あはは、やっぱりね……梶山くんが、梶山嘉人かじやまよしとくんが、私の初恋の人だよ」
「だから、違うって」
「違わないの」
 とん、と軽い力で肩を押される。
「転校したのは私の方だよ、忘れちゃったの?一年生の時だけ、梶山くんの小学校に通ってた……マミリンのこと」
 そう言えば、少し記憶に残っている。当時やっていた魔法少女のアニメと同じ名前だったので、あだ名がマミリンだった、いじめられっ子の女の子。確か転校したのか。
「そっか……でもなんで僕に、恋なんて」
「それは……えへへ、ゆっくり話していけば良いでしょ?」
 不敵に笑った彼女が髪の毛を耳にかける。
「梶山くん……ううん、ヨシくん!私と、付き合ってください」
 十年振りに呼ばれたそのあだ名に、僕はつい微笑んでしまうのであった。


 真実……嘘やいつわりでない、本当のこと。まこと。(Wikipediaより引用)
 
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