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苛立ち、一人
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「なあ」
隅原のクラスの時間割では、体育は週に2回ある。
「隅原ー」
つまり
「聞いてるー?」
週に最低でも100分は、このお喋りな男の隣に座らなければならない。
隅原は見学用紙を書いていた手を止めると、角野を少し睨む。
「今、書いてるから」
そう言うと、角野は自分の半分以下しか埋まっていない見学用紙をヒラヒラさせた。
「はーい」
(もっと書いた方がいい)
内心で隅原はそう思ったが、口には出さなかった。
あの日、オーボエを吹く角野の教室に入ったのは、ただの気の迷いだ。
これ以上角野に踏み込む気も、踏み込まれる気も毛頭ない。
だというのに
「てか、隅原って楽器やったことある?」
隅原のシャーペンが止まったタイミングで、角野が話しかけてきた。
隅原は少し言葉に詰まる。
本当の事は言いたくないが、嘘をつきたいわけではない。
「…なんで?」
そっけなく言っても、角野は動じない。
「前、テンポ調整してくれたじゃん。あれって『遅いテンポで吹けるようになってから、徐々にテンポを上げて練習しろ』ってことでしょ?」
隅原の胃が重くなる。
本当に
あんなことしなければよかった。
そんな思いが体にのしかかる。
何故あんな軽率な事をしたのか、自分でも分からなかった。
きっと人とまともに話したのが、久しぶりだったせいだ。
この後悔を深く胸に刻もう。
(あんな事はもうしない)
そう自分に誓っていると、角野が隅原の顔の前で手を振った。
「隅原さーん?」
隅原は角野と目を合わせると、小さく口を開いた。
「あんな事は、もうしない」
「えー何で?」
角野は軽い調子でヘラヘラ笑った。
「俺は助かるけどなー、メトロノームいちいちいじるのもめんどくせーし」
(僕が演奏する立場で、勝手にテンポを変えられたら嫌だけどな)
隅原は角野の瞳を探った。
角野は愛された飼い犬のような輝く瞳で、隅原の返事を持っている。
どうやら本気で言っているようだ。
(こんな人種がいるのか)
隅原は信じられないような気持ちで、口を開く。
「じゃあ、チューナーのメトロノームを使えば。ボタンを押すだけで、テンポを変えられるでしょ」
「チューナーのは音が好みじゃねえんだよな。チューナーは『ピッ ピッ』って感じで、メトロノームのメトロノームは」
角野は、振り子式メトロノームのように、手を動かして口から擬音を出す。
「『カチ カチ カチ』って感じだろ。俺はメトロノームのメトロノームの方が好きだなー」
(気持ちは、分かるけど)
隅原は心の中で同意して
(言い方が気になる。振り子式メトロノームだよね。伝わるは、伝わるんだけど)
指摘するべきか、しないべきか。
隅原は一瞬悩んだ後、悩んでいるのが馬鹿らしくなって
「振り子式メトロノームでしょ」
とさりげなく言ってみる。
「おっ、それそれ」
角野はスッキリとした笑みを浮かべた。
「てか、やっぱり詳しいじゃん。元吹部とか?」
答えたくなくて、隅原は黙った。
何か話したら、感情が動いてしまいそうだった。
隣で少し笑った空気がした。
「ま、それはともかく!」
そのわざとらしく明るい声に、気を遣われていると感じた。
(だから人と話すには嫌なんだ)
気を遣うのも、気を遣われるのも、居心地が悪い。
「で、今日は来んの?」
予想外の言葉に、つい角野の表情を見た。
角野は不思議そうに笑って、何も言わずに見返した。
隅原の返事を待っているらしい。
「もうしないって言ったけど」
「それはメトロノームの調整だろ。前も言ったじゃん、別に何もしなくていいって」
角野はまた笑った。
(何がおかしいんだ)
隅原は苛立つ自分の心を落ち着かせるために、角野から目を逸らした。
「部外者が居たら変でしょ」
「別にー、変じゃないけど。そういう人、他にもいるし」
(ゆるい部活だな)
また強くなる苛立ちを、抑えつける。
「なーまた来いよ。やっぱり人がいる方が張り合いでるし」
「行かないよ」
この場を立ち去りたくても、体育の時間は終わらない。
終わらない限り、このベンチから離れられない。
あからさまに校舎の時計を確認する隅原に、角野は笑った。
「ごめんごめん」
隅原のクラスの時間割では、体育は週に2回ある。
「隅原ー」
つまり
「聞いてるー?」
週に最低でも100分は、このお喋りな男の隣に座らなければならない。
隅原は見学用紙を書いていた手を止めると、角野を少し睨む。
「今、書いてるから」
そう言うと、角野は自分の半分以下しか埋まっていない見学用紙をヒラヒラさせた。
「はーい」
(もっと書いた方がいい)
内心で隅原はそう思ったが、口には出さなかった。
あの日、オーボエを吹く角野の教室に入ったのは、ただの気の迷いだ。
これ以上角野に踏み込む気も、踏み込まれる気も毛頭ない。
だというのに
「てか、隅原って楽器やったことある?」
隅原のシャーペンが止まったタイミングで、角野が話しかけてきた。
隅原は少し言葉に詰まる。
本当の事は言いたくないが、嘘をつきたいわけではない。
「…なんで?」
そっけなく言っても、角野は動じない。
「前、テンポ調整してくれたじゃん。あれって『遅いテンポで吹けるようになってから、徐々にテンポを上げて練習しろ』ってことでしょ?」
隅原の胃が重くなる。
本当に
あんなことしなければよかった。
そんな思いが体にのしかかる。
何故あんな軽率な事をしたのか、自分でも分からなかった。
きっと人とまともに話したのが、久しぶりだったせいだ。
この後悔を深く胸に刻もう。
(あんな事はもうしない)
そう自分に誓っていると、角野が隅原の顔の前で手を振った。
「隅原さーん?」
隅原は角野と目を合わせると、小さく口を開いた。
「あんな事は、もうしない」
「えー何で?」
角野は軽い調子でヘラヘラ笑った。
「俺は助かるけどなー、メトロノームいちいちいじるのもめんどくせーし」
(僕が演奏する立場で、勝手にテンポを変えられたら嫌だけどな)
隅原は角野の瞳を探った。
角野は愛された飼い犬のような輝く瞳で、隅原の返事を持っている。
どうやら本気で言っているようだ。
(こんな人種がいるのか)
隅原は信じられないような気持ちで、口を開く。
「じゃあ、チューナーのメトロノームを使えば。ボタンを押すだけで、テンポを変えられるでしょ」
「チューナーのは音が好みじゃねえんだよな。チューナーは『ピッ ピッ』って感じで、メトロノームのメトロノームは」
角野は、振り子式メトロノームのように、手を動かして口から擬音を出す。
「『カチ カチ カチ』って感じだろ。俺はメトロノームのメトロノームの方が好きだなー」
(気持ちは、分かるけど)
隅原は心の中で同意して
(言い方が気になる。振り子式メトロノームだよね。伝わるは、伝わるんだけど)
指摘するべきか、しないべきか。
隅原は一瞬悩んだ後、悩んでいるのが馬鹿らしくなって
「振り子式メトロノームでしょ」
とさりげなく言ってみる。
「おっ、それそれ」
角野はスッキリとした笑みを浮かべた。
「てか、やっぱり詳しいじゃん。元吹部とか?」
答えたくなくて、隅原は黙った。
何か話したら、感情が動いてしまいそうだった。
隣で少し笑った空気がした。
「ま、それはともかく!」
そのわざとらしく明るい声に、気を遣われていると感じた。
(だから人と話すには嫌なんだ)
気を遣うのも、気を遣われるのも、居心地が悪い。
「で、今日は来んの?」
予想外の言葉に、つい角野の表情を見た。
角野は不思議そうに笑って、何も言わずに見返した。
隅原の返事を待っているらしい。
「もうしないって言ったけど」
「それはメトロノームの調整だろ。前も言ったじゃん、別に何もしなくていいって」
角野はまた笑った。
(何がおかしいんだ)
隅原は苛立つ自分の心を落ち着かせるために、角野から目を逸らした。
「部外者が居たら変でしょ」
「別にー、変じゃないけど。そういう人、他にもいるし」
(ゆるい部活だな)
また強くなる苛立ちを、抑えつける。
「なーまた来いよ。やっぱり人がいる方が張り合いでるし」
「行かないよ」
この場を立ち去りたくても、体育の時間は終わらない。
終わらない限り、このベンチから離れられない。
あからさまに校舎の時計を確認する隅原に、角野は笑った。
「ごめんごめん」
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