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渡り廊下、二人
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ふーと、一息ついてオーボエを机の上に置いた。
思い切り伸びをして、体をほぐす。自然と大きなあくびが出た。
続いて目をつむって、首を大きく回す。
はあ、と大きく息を吐きながら目を開けると、譜面台の向こうに人が立っていた。
声もなく驚く角野に隅原は、いつもの小さいのに何故かはっきりと聞こえる声で
「角野」
と呼びかけた。
角野は思わず、まじまじと隅原の顔を見つめた。角野は椅子に座っているので少し見上げるような状態だが、正面からじっと眺めるのはこれが初めてだ。
隅原は目が合っているのに、どこを見ているのかわからないような、そんなちょっとぼんやりしたような瞳をしていた。
「角野?」
隅原が一歩近づいて軽くかがむ。
「体調、悪いの?」
角野の瞳をのぞき込む。
隅原はそこで、急に我に返った。
「いやー全然!なんでもない!」
焦ってそう言うと
隅原がまた一歩近づいた。
「本当に?」
「ホント、ホント!」
角野が急に気恥ずかしくなって
「いやー、なんか正面から見るの珍しいなーって。ほら俺達、いつも隣に座ってるじゃん」
と急いで冗談めかすと。
「なにそれ」
と隅原は見慣れた、あきれ顔になった。
隅原は静かに二歩下がると
「練習、邪魔してごめん」
と机の上のオーボエをちらりと見た。
「いやー全然いいって!休憩したかったし」
角野は手をブンブン振りながら
(『話しかけてくれて嬉しい』とか言ったら、流石にきもいよな)
なんていつもは考えないことを考えた。
そんな細かいことを、グチグチ考える性格じゃなかったのに。
「隅原はどうしたの?」
落ち着かなさをごまかすように問うと、隅原は
「角野を探してたんだ」
とその場にしゃがんだ。
譜面台とその上の譜面に隠れて、隅原の顔が見えなくなる。
角野はもっと落ち着かなくなって
「何?どうしたの?」
と譜面越しの隅原に聞いた。
何の根拠なく嫌な予感がして、胸がざわついた。
隅原はいつもだったら落ち着くけれど、今はひどくもどかしくテンポで
「台本のことでさ」
と呟く。
「おう」
角野は隅原の唯一見える、ズボンの裾と上履きを眺めた。
「前提条件を聞いてなかったなって」
思いもよらない言葉に、拍子抜けする。
「前提条件?」
思わず体を横にずらして隅原の顔を覗いた。
「うん」
彼は静かに頷いた。
そしてぼんやりと角野を見つめて
「構成人数とか、劇の長さとか、場面転換は何回するかとか」
と一つ一つ数えるように話す。
(なんだそんなことか)
内心はそう思いながら、角野はいかにも真剣に聞いていますよ、という風に頷く。
「後は今ある衣装とか、演じる人がどんな役をしたいか、とかかな」
(確かに必要だよな)
と思いつつ
(軽い気持ちで聞いたのに、思ったより真剣に考えてるな)
と自分とは全く違う部分が、少し面白い。
「女性の役とかってどうしてるの?」
あくまで真剣な隅原に、そんな気持ちがばれないように、角野はあえて真剣な顔をつくった。
「女の役もフツーに出てくるけどな。全然だめだよ。一応、女の服着てるけど、どこからどう見ても『男!』って感じでさ」
女装で盛り上がるのも男子校っぽくて、角野もそういう馬鹿っぽいノリは正直嫌いじゃない。
でも隅原はそういうのは嫌いそうだ。
「そうなんだ」
隅原は深刻そうに頷いた。
「じゃあ男だけが出てくる話がいいね」
「確かにそうだな」
(演劇部の誰よりも真剣に考えてるな)
角野は少し申し訳なくなった。
勿論、まじめに練習している部員もいるが、それでも学生の演劇だ。
真剣にやっていない部員の演技はもっとひどい。
(むしろ隅原には見せない方がいいんじゃねえかな)
そんなことを考えていると、隅原がふと自分の腕時計を確認する。
「練習、邪魔してごめん」
と角野を見た。
「全然いいって」
角野が自然と笑った。
「俺も細かいことは分かんねーから、演劇部のやつに聞いておくな」
隅原は静かに頷くと、手を膝についてゆっくりと立ち上がった。
そしてまたゆっくりと顔を上げ
「じゃあ、また」
と隅原を見た。
「おう、またな」
角野が笑って手を振ると、隅原は頷いて歩き出した。
角野はその背中を見ながら一つの迷いを感じた。
迷っているうちに、背中はゆっくりとしかし着実に遠ざかる。
「いろいろありがとなー」
結局軽い調子でそう呼びかけると、隅原が立ち止まった。
振り返ると、今度はこちらに歩いてくる。
(ど、どうしたんだ)
少しドキドキしながらその歩みを見守る。
もどかしいほどゆっくりした歩きが、逆に心臓に悪い。
ジェットコースターのゆっくり上がっていく時みたいだ。
足音もなく角野の前に到着した隅原が、口を開いた。
「なんて言ったの?」
「え?」
思わず聞き返した角野に、少し申し訳なさそうな顔をする。
「さっき何か言ったでしょ。ごめん、聞き取れなくて」
「えー、あーさっきの」
角野は申し訳なさと恥ずかしさで、ハハハと乾いた笑いを浮かべた。
「いやー全然、大したことないよ!『ありがとなー』とかそんなこと言ってただけ。むしろごめんな!わざわざ聞きにこさせて」
その気まずげな笑みを見て、隅原は少し目を見開いた。
「別にいいよ」
そして真っ直ぐに角野の瞳を見て。
「別にいい」
と小さく笑った。
それを見て、角野は大きく笑った。
「分かった!でもありがとな!」
その笑みを見て、隅原は頷いた。
「あと」
そして机の上のオーボエに目を向ける。
「うまくなったね」
「え、そう?」
角野はにやつかないに気を付けたが、自分ではどのくらい抑えられているのか分からなかった。
隅原が見る自分が見たかった。
どんな顔をしているんだろう?
「うん」
隅原はいつものように頷く。
「特に、今日は良かった」
「マジで!」
「うん」
いちいち真剣にうなずいてくれるのが、少し舞い上がりそうなほどうれしい。
「じゃあ、頑張ってね」
そう言うと、隅原は歩き出した。
「はい、頑張ります!」
冗談めかして言うと、隅原が振り返った。
「無理はしないでね」
「おう!」
そう元気よく返すと、隅原は背中を見せて歩いていく。
(お前もな)
角野は遠ざかる背中に、そう心の中で呼びかけた。
思い切り伸びをして、体をほぐす。自然と大きなあくびが出た。
続いて目をつむって、首を大きく回す。
はあ、と大きく息を吐きながら目を開けると、譜面台の向こうに人が立っていた。
声もなく驚く角野に隅原は、いつもの小さいのに何故かはっきりと聞こえる声で
「角野」
と呼びかけた。
角野は思わず、まじまじと隅原の顔を見つめた。角野は椅子に座っているので少し見上げるような状態だが、正面からじっと眺めるのはこれが初めてだ。
隅原は目が合っているのに、どこを見ているのかわからないような、そんなちょっとぼんやりしたような瞳をしていた。
「角野?」
隅原が一歩近づいて軽くかがむ。
「体調、悪いの?」
角野の瞳をのぞき込む。
隅原はそこで、急に我に返った。
「いやー全然!なんでもない!」
焦ってそう言うと
隅原がまた一歩近づいた。
「本当に?」
「ホント、ホント!」
角野が急に気恥ずかしくなって
「いやー、なんか正面から見るの珍しいなーって。ほら俺達、いつも隣に座ってるじゃん」
と急いで冗談めかすと。
「なにそれ」
と隅原は見慣れた、あきれ顔になった。
隅原は静かに二歩下がると
「練習、邪魔してごめん」
と机の上のオーボエをちらりと見た。
「いやー全然いいって!休憩したかったし」
角野は手をブンブン振りながら
(『話しかけてくれて嬉しい』とか言ったら、流石にきもいよな)
なんていつもは考えないことを考えた。
そんな細かいことを、グチグチ考える性格じゃなかったのに。
「隅原はどうしたの?」
落ち着かなさをごまかすように問うと、隅原は
「角野を探してたんだ」
とその場にしゃがんだ。
譜面台とその上の譜面に隠れて、隅原の顔が見えなくなる。
角野はもっと落ち着かなくなって
「何?どうしたの?」
と譜面越しの隅原に聞いた。
何の根拠なく嫌な予感がして、胸がざわついた。
隅原はいつもだったら落ち着くけれど、今はひどくもどかしくテンポで
「台本のことでさ」
と呟く。
「おう」
角野は隅原の唯一見える、ズボンの裾と上履きを眺めた。
「前提条件を聞いてなかったなって」
思いもよらない言葉に、拍子抜けする。
「前提条件?」
思わず体を横にずらして隅原の顔を覗いた。
「うん」
彼は静かに頷いた。
そしてぼんやりと角野を見つめて
「構成人数とか、劇の長さとか、場面転換は何回するかとか」
と一つ一つ数えるように話す。
(なんだそんなことか)
内心はそう思いながら、角野はいかにも真剣に聞いていますよ、という風に頷く。
「後は今ある衣装とか、演じる人がどんな役をしたいか、とかかな」
(確かに必要だよな)
と思いつつ
(軽い気持ちで聞いたのに、思ったより真剣に考えてるな)
と自分とは全く違う部分が、少し面白い。
「女性の役とかってどうしてるの?」
あくまで真剣な隅原に、そんな気持ちがばれないように、角野はあえて真剣な顔をつくった。
「女の役もフツーに出てくるけどな。全然だめだよ。一応、女の服着てるけど、どこからどう見ても『男!』って感じでさ」
女装で盛り上がるのも男子校っぽくて、角野もそういう馬鹿っぽいノリは正直嫌いじゃない。
でも隅原はそういうのは嫌いそうだ。
「そうなんだ」
隅原は深刻そうに頷いた。
「じゃあ男だけが出てくる話がいいね」
「確かにそうだな」
(演劇部の誰よりも真剣に考えてるな)
角野は少し申し訳なくなった。
勿論、まじめに練習している部員もいるが、それでも学生の演劇だ。
真剣にやっていない部員の演技はもっとひどい。
(むしろ隅原には見せない方がいいんじゃねえかな)
そんなことを考えていると、隅原がふと自分の腕時計を確認する。
「練習、邪魔してごめん」
と角野を見た。
「全然いいって」
角野が自然と笑った。
「俺も細かいことは分かんねーから、演劇部のやつに聞いておくな」
隅原は静かに頷くと、手を膝についてゆっくりと立ち上がった。
そしてまたゆっくりと顔を上げ
「じゃあ、また」
と隅原を見た。
「おう、またな」
角野が笑って手を振ると、隅原は頷いて歩き出した。
角野はその背中を見ながら一つの迷いを感じた。
迷っているうちに、背中はゆっくりとしかし着実に遠ざかる。
「いろいろありがとなー」
結局軽い調子でそう呼びかけると、隅原が立ち止まった。
振り返ると、今度はこちらに歩いてくる。
(ど、どうしたんだ)
少しドキドキしながらその歩みを見守る。
もどかしいほどゆっくりした歩きが、逆に心臓に悪い。
ジェットコースターのゆっくり上がっていく時みたいだ。
足音もなく角野の前に到着した隅原が、口を開いた。
「なんて言ったの?」
「え?」
思わず聞き返した角野に、少し申し訳なさそうな顔をする。
「さっき何か言ったでしょ。ごめん、聞き取れなくて」
「えー、あーさっきの」
角野は申し訳なさと恥ずかしさで、ハハハと乾いた笑いを浮かべた。
「いやー全然、大したことないよ!『ありがとなー』とかそんなこと言ってただけ。むしろごめんな!わざわざ聞きにこさせて」
その気まずげな笑みを見て、隅原は少し目を見開いた。
「別にいいよ」
そして真っ直ぐに角野の瞳を見て。
「別にいい」
と小さく笑った。
それを見て、角野は大きく笑った。
「分かった!でもありがとな!」
その笑みを見て、隅原は頷いた。
「あと」
そして机の上のオーボエに目を向ける。
「うまくなったね」
「え、そう?」
角野はにやつかないに気を付けたが、自分ではどのくらい抑えられているのか分からなかった。
隅原が見る自分が見たかった。
どんな顔をしているんだろう?
「うん」
隅原はいつものように頷く。
「特に、今日は良かった」
「マジで!」
「うん」
いちいち真剣にうなずいてくれるのが、少し舞い上がりそうなほどうれしい。
「じゃあ、頑張ってね」
そう言うと、隅原は歩き出した。
「はい、頑張ります!」
冗談めかして言うと、隅原が振り返った。
「無理はしないでね」
「おう!」
そう元気よく返すと、隅原は背中を見せて歩いていく。
(お前もな)
角野は遠ざかる背中に、そう心の中で呼びかけた。
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