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美男と野獣
思わぬ助っ人
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三人は大灯台を後にした。
アミはショックを受けたのか、ずっと俯いたまま歩いている。
隣を行くリエルも、何か考え込んでいるようで、整った顔をわずかに歪めていた。
事情を何ひとつ知らされないまま、二人に挟まれて歩くムトは、どう声をかけるべきか分からずにいた。
――そのときだった。
「これはこれは、ムト・ノーヴァ様。何かお困りのご様子で?」
背後から、唐突に声がかかる。
振り向くと、裕福そうな身なりの、小太りの中年男性が立っていた。
「え、ムト・ノーヴァ様!?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
“様”付けもそうだが、それ以上に――自分に名字があること自体、初耳だった。
苗字というものは、貴族やよほどの名家の者につくものだと思っていたのに。
「ええ。あの英雄ムト様でいらっしゃいますよね?」
男は嬉しそうに続ける。
「以前、この町は猛獣の被害に悩まされておりまして。そこで、あなたが自ら出向いて退治してくださった。――覚えておりませんかな?」
「……それは、きっと“以前のムト”でしょう」
割って入ったのはアミだった。
最近こうした場面に慣れてきたのか、説明は驚くほど滑らかだ。
だが、その声には、どうしようもないやるせなさが滲んでいた。
「なんと……ムト殿は記憶喪失と。それはそれは、お気の毒に」
男はそう言いながら、今度はアミとリエルに視線を向ける。
「ところで、あなた方は?」
「僕はリエルです」
「アミ・グレイスと申します。差し支えなければ、あなたのお名前を伺っても?」
「ああ、失礼しました。」
男は胸に手を当て、軽く頭を下げる。
「私はノイマン・セキア。この港の責任者――いわば、町長を務めております」
「そんなお偉い方が、どうして?」
ムトが尋ねると、ノイマンは穏やかに笑った。
「通りを歩いておりましたら、見覚えのある英雄様のお顔が目に入りましてな。
それに、どうにもお困りのご様子でしたので、声をかけさせていただいた次第です。」
「なるほど……お気遣い、ありがとうございます。実は……」
ムトは、船に乗る予定だったこと、船長が行方不明になっていること、
そして、その行き先に心当たりがあるらしいことを、簡潔に伝えた。
「……なるほど」
ノイマンは表情を曇らせる。
「実は私も、レイフ殿の失踪には頭を抱えておりましてな。
もしムト殿ご一行が捜索に向かわれるのであれば、我々も可能な限りお力添えいたしましょう」
思わぬ申し出に、ムトは思わず目を見張った。
棚から牡丹餅とは、まさにこのことだ。
「して、どのようなご計画で?」
そう問われ、ムトは少し言いづらそうに頭をかく。
「それが……今から馬車でムーンベリーの森へ向かおうかと考えてはいたんですが、
距離もありますし、今からだと道中が暗くて危険で。
そのうえ、泊まる場所もなくて……」
口にしてみて、改めて無計画さを実感する。
本来なら、今日は船で夜を明かす予定だったのだ。
「ならば、今夜は私の屋敷に泊まっていきなさい」
ノイマンは即答した。
「明朝の出発には、町一番の馬と騎手を手配いたしましょうぞ」
ノイマンの屋敷は、港の喧騒から少し離れた高台にあった
石造りの建物は派手さこそないが、手入れが行き届いており、年を経た重みがある。
広間に通されると、すでに夕食の支度が整えられていた。
温かな香草の匂いが漂い、白いクロスの上には銀の食器が並んでいる。
「どうぞ、お掛けください」
そう促されるより早く、アミは自然な所作で椅子を引いた。
音を立てず、裾を軽く押さえて腰を下ろす。
視線の落とし方、背筋の伸ばし方――
それらは意識していないからこそ、身についているものだった。
ムトは、その隣で動きを真似しようとして、微妙に遅れる。
椅子が小さく軋み、思わず肩をすくめた。
「……あ」
誰も責める者はいない。
だが、妙に居心地が悪かった。
料理が運ばれると、ノイマンは満足そうに頷いた。
「ささやかではありますが、英雄殿へのもてなしです」
「い、いえ……そんな」
ムトは思わず手を振る。
“英雄”という言葉が、自分の上を滑っていく。
自分の記憶の中に、その実感がまるで存在しないからだ。
皿に手を伸ばそうとして、ふと止まる。
どれから食べていいのか、分からない。
その一瞬の迷いを、アミは見逃さなかった。
何も言わず、ナイフとフォークを取る。
順序を示すように、静かに切り分け、最初の一口を運ぶ。
――それだけで十分だった。
ムトは、ほっと息をつき、同じように真似をする。
「……慣れていらっしゃらないようですね」
ノイマンが、悪意なく笑う。
「ええ、まあ……」
ムトは曖昧に笑い返す。
「どうも、期待されてる“ムト様”と、今の俺が、ずいぶん違うみたいで」
その言葉に、アミの手が一瞬だけ止まった。
「……ムトは、ムトです」
低く、しかしはっきりとした声。
「英雄だった過去があろうと、今、ここにいるあなたが本物です」
そう言ってから、少し間を置き、付け加える。
「……それに、無理に思い出さなくてもいいんです」
ムトは驚いてアミを見る。
彼女は視線を皿に落としたままだったが、背筋は崩れていない。
その姿は、どこまでも品位を保ったまま、
それでいて――必死に何かを抑えているようにも見えた。
「……ありがとう」
短くそう言うと、ムトは料理を口に運ぶ。
味は、驚くほど優しかった。
英雄としての扱いに、違和感を覚えるのはムトだけ。
だが、それを真正面から否定せず、
そっと“今の彼”を肯定する者が、ここにはいた。
「……ありがとう」
短くそう言うと、ムトは料理を口に運ぶ。
味は、驚くほど優しかった。
その様子を見て、アミが小さく息をつく。
「……とても、家庭的なスープですね。
いえ、家庭的というより……港の味、でしょうか」
言葉を選びながら、そう評する。
上品な言い回しではあるが、どこか生活の匂いが混じっていた。
ノイマンは満足そうに頷く。
「お気に召したようで何よりです。
港町の者の、ささやかな工夫ですよ」
ムトはもう一口、スープを啜る。
味は、相変わらず優しい。
それ以上、特別なことは何も感じなかった。
静かな屋敷の夜は、そうして更けていく。
アミはショックを受けたのか、ずっと俯いたまま歩いている。
隣を行くリエルも、何か考え込んでいるようで、整った顔をわずかに歪めていた。
事情を何ひとつ知らされないまま、二人に挟まれて歩くムトは、どう声をかけるべきか分からずにいた。
――そのときだった。
「これはこれは、ムト・ノーヴァ様。何かお困りのご様子で?」
背後から、唐突に声がかかる。
振り向くと、裕福そうな身なりの、小太りの中年男性が立っていた。
「え、ムト・ノーヴァ様!?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
“様”付けもそうだが、それ以上に――自分に名字があること自体、初耳だった。
苗字というものは、貴族やよほどの名家の者につくものだと思っていたのに。
「ええ。あの英雄ムト様でいらっしゃいますよね?」
男は嬉しそうに続ける。
「以前、この町は猛獣の被害に悩まされておりまして。そこで、あなたが自ら出向いて退治してくださった。――覚えておりませんかな?」
「……それは、きっと“以前のムト”でしょう」
割って入ったのはアミだった。
最近こうした場面に慣れてきたのか、説明は驚くほど滑らかだ。
だが、その声には、どうしようもないやるせなさが滲んでいた。
「なんと……ムト殿は記憶喪失と。それはそれは、お気の毒に」
男はそう言いながら、今度はアミとリエルに視線を向ける。
「ところで、あなた方は?」
「僕はリエルです」
「アミ・グレイスと申します。差し支えなければ、あなたのお名前を伺っても?」
「ああ、失礼しました。」
男は胸に手を当て、軽く頭を下げる。
「私はノイマン・セキア。この港の責任者――いわば、町長を務めております」
「そんなお偉い方が、どうして?」
ムトが尋ねると、ノイマンは穏やかに笑った。
「通りを歩いておりましたら、見覚えのある英雄様のお顔が目に入りましてな。
それに、どうにもお困りのご様子でしたので、声をかけさせていただいた次第です。」
「なるほど……お気遣い、ありがとうございます。実は……」
ムトは、船に乗る予定だったこと、船長が行方不明になっていること、
そして、その行き先に心当たりがあるらしいことを、簡潔に伝えた。
「……なるほど」
ノイマンは表情を曇らせる。
「実は私も、レイフ殿の失踪には頭を抱えておりましてな。
もしムト殿ご一行が捜索に向かわれるのであれば、我々も可能な限りお力添えいたしましょう」
思わぬ申し出に、ムトは思わず目を見張った。
棚から牡丹餅とは、まさにこのことだ。
「して、どのようなご計画で?」
そう問われ、ムトは少し言いづらそうに頭をかく。
「それが……今から馬車でムーンベリーの森へ向かおうかと考えてはいたんですが、
距離もありますし、今からだと道中が暗くて危険で。
そのうえ、泊まる場所もなくて……」
口にしてみて、改めて無計画さを実感する。
本来なら、今日は船で夜を明かす予定だったのだ。
「ならば、今夜は私の屋敷に泊まっていきなさい」
ノイマンは即答した。
「明朝の出発には、町一番の馬と騎手を手配いたしましょうぞ」
ノイマンの屋敷は、港の喧騒から少し離れた高台にあった
石造りの建物は派手さこそないが、手入れが行き届いており、年を経た重みがある。
広間に通されると、すでに夕食の支度が整えられていた。
温かな香草の匂いが漂い、白いクロスの上には銀の食器が並んでいる。
「どうぞ、お掛けください」
そう促されるより早く、アミは自然な所作で椅子を引いた。
音を立てず、裾を軽く押さえて腰を下ろす。
視線の落とし方、背筋の伸ばし方――
それらは意識していないからこそ、身についているものだった。
ムトは、その隣で動きを真似しようとして、微妙に遅れる。
椅子が小さく軋み、思わず肩をすくめた。
「……あ」
誰も責める者はいない。
だが、妙に居心地が悪かった。
料理が運ばれると、ノイマンは満足そうに頷いた。
「ささやかではありますが、英雄殿へのもてなしです」
「い、いえ……そんな」
ムトは思わず手を振る。
“英雄”という言葉が、自分の上を滑っていく。
自分の記憶の中に、その実感がまるで存在しないからだ。
皿に手を伸ばそうとして、ふと止まる。
どれから食べていいのか、分からない。
その一瞬の迷いを、アミは見逃さなかった。
何も言わず、ナイフとフォークを取る。
順序を示すように、静かに切り分け、最初の一口を運ぶ。
――それだけで十分だった。
ムトは、ほっと息をつき、同じように真似をする。
「……慣れていらっしゃらないようですね」
ノイマンが、悪意なく笑う。
「ええ、まあ……」
ムトは曖昧に笑い返す。
「どうも、期待されてる“ムト様”と、今の俺が、ずいぶん違うみたいで」
その言葉に、アミの手が一瞬だけ止まった。
「……ムトは、ムトです」
低く、しかしはっきりとした声。
「英雄だった過去があろうと、今、ここにいるあなたが本物です」
そう言ってから、少し間を置き、付け加える。
「……それに、無理に思い出さなくてもいいんです」
ムトは驚いてアミを見る。
彼女は視線を皿に落としたままだったが、背筋は崩れていない。
その姿は、どこまでも品位を保ったまま、
それでいて――必死に何かを抑えているようにも見えた。
「……ありがとう」
短くそう言うと、ムトは料理を口に運ぶ。
味は、驚くほど優しかった。
英雄としての扱いに、違和感を覚えるのはムトだけ。
だが、それを真正面から否定せず、
そっと“今の彼”を肯定する者が、ここにはいた。
「……ありがとう」
短くそう言うと、ムトは料理を口に運ぶ。
味は、驚くほど優しかった。
その様子を見て、アミが小さく息をつく。
「……とても、家庭的なスープですね。
いえ、家庭的というより……港の味、でしょうか」
言葉を選びながら、そう評する。
上品な言い回しではあるが、どこか生活の匂いが混じっていた。
ノイマンは満足そうに頷く。
「お気に召したようで何よりです。
港町の者の、ささやかな工夫ですよ」
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