聖なる告白

藤谷 郁

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その民宿は、海が一望できる崖の上にあった。坂を歩いて上るのは少し大変だが、そんな苦労も吹き飛んでしまうほどロケーションが良い。


「さすが、沙織おすすめの宿だね」

「でしょ?」


私は汗を拭いながら、壮大な景色を眺めた。


チェックインを済ませて荷物を部屋に運んだあと、さっそく大浴場に向かった。家族風呂ていどの広さらしいが、アパートの小さなバスタブを思えば、じゅうぶん伸び伸びと入れるだろう。


「おじゃましまーす……っと、あれっ?」


浴場を覗くと、誰もいない。まだ早い時間なのでチェックインした客は少なく、風呂もすいているのだ。私は洗い場を独り占めして髪と体を洗い、ゆったりと湯船に浸かった。


「ふうー、気持ちいい。沙織も入ればいいのに」


沙織は彼氏と電話するとか言って、部屋に残った。結婚間近のラブラブカップルなので、こまめに連絡しないと寂しいらしい。まったく、うらやましい限りである。


心地よいお湯の中、私は目を閉じて島の音に耳を澄ました。


(風向きかな……海水浴場のBGMがここまで聞こえる。それと、あれは船のエンジン音だ)


宿のすぐ近くに漁港がある。八月は毎朝広場で魚市場が開かれると、宿のおかみさんが教えてくれた。魚介類が大好きな私は、早起きして買い物しようと即座に予定した。


(クール便で実家にも送ろうかな。この前帰省したばかりだけど……)


なんて考えるうちに、だんだん眠くなってきた。私は慌てて風呂を上がり、浴衣に着替えて大浴場をあとにする。



「長湯したら喉が渇いちゃった」

部屋に冷蔵庫はあるが、中身は空っぽだ。自動販売機がロビーにあったことを思い出し、立ち寄ることにした。

「ビールもいいけど、お酒は夜にゆっくり飲みたいから、お茶にしておこう」

手提げバッグから小銭入れを取り出し、緑茶のペットボトルを買った。部屋に戻ろうと歩きかけて、ドキッとする。

カウンターの前に一人の男性が立っている。海パン姿で、タオルを肩に引っ掛けただけの、今、海から上がったばかりという格好だ。

背の高い、たくましい後ろ姿に釘付けになる。その輪郭に見覚えがあった。


「えっ、ずっと海においでだったんですか? それはまた、かなり泳がれましたねえ」

「透明度が高くて、気持ちのいい海なんで、つい……それよりすみません、こんななりで。着替えを持たずに出かけてしまって」

「いえいえ、水着のままで結構でございますよ。この辺りの民宿はどこもそうですし。あっ、お風呂が沸いてますので、よろしければお入りになってください」

「ありがとうございます」


おかみさんとの会話がロビーに響く。どこかで聞いたような声だ。

いや、そんなことより!

この男性は、浜で見かけたあの人に間違いない。背が高くて格好良い、理想的なアスリートボディ。私の網膜に、しっかりと焼き付いている。


(嘘……こんなところでまた会えるなんて。沙織が言ったとおり、本当に同じ民宿に泊まって……?)


でも、いくら小さな島とはいえ、こんな偶然があるだろうか。

そう思いながらも私は喜びに震える。その場から動けず、男性が荷物を受け取りこちらに歩いてくる姿を凝視してしまった。

日に焼けた肌。割れた腹筋、引き締まった腰回り。濡れた前髪が垂れて、顔がよく見えないけれど、たぶん、きっとイケメンに決まって……


「あれっ、君は」

「えっ?」


男性は、自動販売機の前に突っ立っている私に気付き、なぜか足を止めた。


(えっ、何。なんでこっちを見てる? 『君』って、私のこと?)


キョロキョロと周りを見回す。ロビーにいるのは私だけだ。


「やっぱりそうだ!」

「……!?」


彼がまっすぐに近付いて来た。


(一体、何が起こったというの!?)


突然のことに焦りまくる私の前に、彼が立ちはだかる。汗に濡れた胸板が野性的で、官能的すぎて、くらくらしてきた。こんないいカラダ、見たことない!


小室こむろさんじゃないか。君も来てたのか。うわあ、びっくりしたなあ」

「……は、はい?」


小室は私の苗字だ。つまり彼は今、私の名前を呼んだ。

なぜ、どうして。

ぼうっと見上げる私に、彼はじれったそうに前髪をかき上げた。


「僕だよ、宮森一平。会社の同期。まさか、白衣じゃないとわかんないとか?」

「……え、えええ~~っ!!」


思わず叫び、ペットボトルを取り落とした。

まったく、ぜんぜん、想像もしていなかった男が現れたことに、理解が追い付かない。

ていうか、どうして一平君がここに? ていうか、そのカラダはCG、それともVFX? 一体どういう特殊効果なわけ?


「小室さん、聞いてる?」

「はっ」


穏やかで優しいこの声は、確かに一平君だ。私はようやく彼だと認識した。


「あ、ああ……うん。ごめん、夢でも見てるのかと思った」

「ええ?」


一平君は目を丸くし、楽しげに笑った。そういえば、いつもの眼鏡をかけていない。眼鏡なしの顔を、初めて見た気がする。


「夢じゃないよ。ほら」


一平君はペットボトルを拾い、私に手渡した。

この重み、この冷たさ――うん、現実だ!

ということは、彼のカラダも特殊効果ではなく……

思わず知らず、じろじろと見てしまった。一平君は視線の意味に気付いたようで、何となく居心地悪そうに斜めを向く。


「かっ、重ね重ね、ごめんなさい。私、びっくりしちゃって……」

「い、いや。別にいいけど」


普段の一平君は、上品なシャツの上に白衣をまとい、研究室で仕事に勤しんでいる。いかにもインドア派の、スポーツが苦手な理系男子というイメージなのに。


「脱いだらすごかったんだね」

「えっ?」


私はぱっと口を押える。今のは、ものすごくイヤラシイ言い方だった。


「そ、そうかな。まあ、着痩せするタイプではあるけど」


気まずい沈黙が、二人の間に流れる。

私がもじもじしていると、一平君がこちらに向き直り、彼がここにいるわけを話した。


「この宿、山科やましなさんに紹介してもらったんだ。先月の同期会で彼女といろいろ話してたら、民宿の話題が出て。それで、興味を持った僕が盆休みに行こうかなって言ったら、彼女が予約してくれて……」

「沙織の紹介!?」


山科というのは、沙織のことだ。ちなみに一平君は同期の女子を、苗字にさん付けで呼ぶ。他の男達は下の名前にちゃん付けで呼ぶのに。

若さがないとか他人行儀だとか、皆にからかわれている。


「私は沙織に誘われて、泊まりに来たんだよ。沙織と一緒に」

「山科さんも?」


一平君はまたしても目を丸くする。眼鏡の奥の目は、案外大きかったのだと知った。


「じゃあ、同じ日に予約したのか。でも、そんなこと一言も聞いてないけど」

「私だって……」


あれっ? と、私は首をひねる。


「もしかして一平君、お昼を過ぎた頃、ビーチの真ん中辺りで泳いでた?」

「うん」


何で知ってるのという顔で、私を見る。


「私達、ビーチの真ん中にある『児島屋』っていう海の家で、焼きそばを食べてたの。それで、その時一平君を見かけたような……」

「ような?」

「いやだって、一平君はもっとほっそりした体型だと思ってたし。まさか、あの人があなただったなんて、気付かなかったもの。一平君だと分かってたら、声をかけてたよ」

「そうだったんだ」


彼は不思議そうに自分の体を見下ろす。


「でも僕、そんなに痩せ型に思われてるのか。まあ、会社で裸になることはないし、筋トレが趣味だとか、特に話したことはないけど」


この人は自分をまったく分かっていない。脱いだらすごいというレベルではない。


「ああ、この前山科さんには話したっけ。彼女も筋トレに興味があるのか、ずいぶん食い付いてきたなあ」


(沙織……あの子ってば、もしかして)


もしかしたら沙織は、ビーチを歩くアスリートボディが一平君だと気付いていたのかもしれない。いや、むしろ彼女が仕組んだのだ。この島で、この民宿で、私と一平君が出会うシチュエーションを。


――旅先で理想の男性と出会うなんて運命的じゃん。期待しちゃいなよ。


私がアウトドア派のスポーツマンタイプの男性が好みだと彼女は知っている。一平君が実はそうだと知って、わざわざ運命的な出会いを果たすよう演出した。

どうせすぐにばれるのに! でも……

ペットボトルをぎゅっと握りしめ、一平君を窺う。これまで、まったく気付かなかった。

強い意思を感じさせる大きな目。穏やかな言動からは考えられない、獰猛な体つき。何時間も泳ぎ続ける体力。すべてがドストライクだ。ときめきなどこれっぽっちも感じなかった同期の男に、今、急激に惹かれている。


「演出の勝利だわ……」

「何が?」


顔を近付けてくる一平君から、さっと目を逸らす。

色気がありすぎて正視できない。

沙織の罠とはいえ、一平君のカラダに一目惚れしたのは事実である。


(勇一君のことを言えないよ)


私こそ肉欲の塊だと、自覚した。

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