はるいろ恋愛工房

藤谷 郁

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1巻

1-2

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「でも、いいのかしら本当に。お店の商品を壊したのは梨乃なのに、それをその、奈良さんって方がかぶってくれたんでしょう。しかも、高価なお皿だっていうのに」

 横で聞いていた母親が、その「高価なお皿」と同じ、ただし売り物にならない不良品の銘々皿めいめいざらに薯蕷饅頭を取り分けながら、心配そうな顔をする。

「あ、あれの分は、きちんと請求するって言われてるし、もちろん払うつもりでいるよ」

 煎茶をれる手を休めて梨乃が言うと、友章は笑った。

「あいつは請求なんてしないよ。お前に気を遣わせないように言っただけだ」
「まあ、そうなの」

 感心の声を上げる母親に、友章はうなずいた。

「誰にでも優しいっていうか、ああいうところが女性に受けるんだろうなあ」

 ちらりと梨乃を見やる。

「女性に、受ける?」

 梨乃は湯呑みを兄の前に置くと、自分も椅子に座り薯蕷饅頭をつまんだ。ふたつに割ると、ふわっと山芋の香りがした。この素朴な饅頭は兄の好物である。

「奈良さんって、あの……もてるの?」

 彼について知りたいことで、梨乃が最も気になる要素はそこだった。
 もっとはっきり言えば、恋人や、配偶者の有無。彼とお近づきになると決めたのはいいけれど、考えてみれば、既に相手がいるならどうしようもないのだ。
 友章はとぼけて満腹の腹をさすっている。

「お兄ちゃん」

 饅頭まんじゅうを割ったままの恰好で責める妹に、友章はにやにやしながら言う。

「もてるもてる。営業一課では俺の次くらいに人気者だぜ」
「それじゃ、大したことないわね」

 母親の茶々に、リビングでテレビニュースを見ていた父親も振り向いて笑った。梨乃だけが深刻に眉を寄せている。

「そ、そうなの」

 友章は冗談めかしたが、実際美形の上に如才じょさいない彼は人気者だ。
 梨乃は奈良の姿を思い浮かべる。
 彼は素敵だし、誰にでも優しいならそれはもてるだろうなと、今になって複雑な思いがした。
 友章は饅頭をぱくっと口に放り込むと、いかにも可笑しそうに身体を揺らした。

「おいおい、あんまり妹をいじめるな」

 食卓に移動してきた父親が、いつもの息子のおふざけを見抜いて注意した。

「え? もう、どういうこと?」

 表情を曇らせる梨乃に、友章は煎茶を飲み干してから、真面目になって教えた。

「哲美はな、茶碗や皿にしか興味のない陶芸バカだよ。彼女なんていないいない。もてることはもてるけど、あれは女いらずの変わり者。一生独身だね」


 三月は決算月でもあり、特に月曜日は各部署から伝票データが大量に回ってくるため、経理課は非常に忙しい。業務を終えてタイムカードを押した頃には、午後九時を過ぎていた。
 急いで更衣室に駆け込みあわただしく着替えると、梨乃は携帯電話を構えて電話帳のキーを押した。玉虫陶芸教室の電話番号はすでに登録してある。

「早く電話して、見学の予約をしなくちゃ」

 今日は電話をしようにも時間がなく、昼休憩も食事をするのが精一杯だった。陶芸教室の案内には午後九時半まで開いているとあったから、今ならまだ間に合う。更衣室も幸い一人きりで誰もいない。

「よし」

 発信のボタンを押した。
 電話に出るのは、陶芸教室の先生だろうか。少なくとも奈良ではない。にもかかわらず、梨乃は全身まるごとどきどきして、ひっくり返りそうになっている。
 数秒後、応答の声があった。悲鳴を上げそうなくらい驚いたがかろうじてこらえる。

「お待たせいたしました。玉虫陶芸教室講師の玉田です」
(タマダ、たまだ、玉田さん……)

 ということは、代表講師の女性だ。
 梨乃は頭の中に案内チラシの写真を思い浮かべる。顔はよくわからなかったが代表講師というからには、てっきりかなりのベテランの年配の女性だとばかり思い込んでいたので、聞こえてきた若い声が意外に感じられた。

「もしもし」
「あっ、すみません。あの、私、尾崎という者ですが、そちらの教室の案内チラシを見て電話したのですが」

 恥ずかしいくらい上ずっている梨乃に、相手は「あらっ」と明るい反応をした。

「もしかして、哲美君の紹介で入会される、尾崎梨乃さんですか?」
「えっ、あ、はい」

 はきはきとした口調に釣られ、「入会」と言われたにもかかわらず、つい肯定してしまう。話が既に通っていることにもびっくりしたが、親しげな『哲美君』という呼び方にも別の意味でどきっとした。

「まあ、やっぱり。うふふ、哲美君からよろしくと頼まれておりますので、すぐにわかりました。早速のお電話をありがとうございます。では、入会申し込みの用紙を送らせていただきますので、ご住所を……」
「は、いえその、その前に私、一度見学をしたいのですが!」

 どんどんと進む流れを止めるため、大きな声になってしまった。

「ご見学を?」

 だが相手は落ち着いたもので、梨乃は何だか自分が子供のように思えてきた。携帯を握る手に汗がにじんでいる。

「はい、見学をしたいのですが」

 奈良は確か、『一度見学に来てみませんか』と言ったはずだ。即入会となっているこの流れに、入る気満々の梨乃も躊躇ちゅうちょしてしまう。

「哲美君ったら、もう」

 相手が小さな息を漏らした。不満そうではあるけれどやはり親しげな、そう、身内のような親密さを匂わせるため息だった。

「申し訳ありません。どうやらこちらの思い込みで、即入会の手続きをするところでした。そうですよね、一度ご見学されたほうが……あ、失礼ですが陶芸のご経験は?」

 ウッと言葉に詰まる。ご経験どころか、この救いようのない不器用ぶりをどう伝えればよいのやら。

「いいえ。全く、ないです」

 端的に答えた。適切な表現を探せなかった。

「わかりました。では、そうですね、平日は月、木の午後七時半から九時半まで、日曜日は午前十時から正午まで教室を開いておりますので、尾崎さんのご都合の良い日のご予約を承りますが」
「はい、ではええと、次の日曜日にお願いします」
「次の日曜日、というと、三月十八日になりますね」

 玉田代表講師は「当日に必要なものは汚れてもいい服装だけです」と笑ってから、日にちと時間を再度確認する。

「詳しい講座内容や料金などが書かれたパンフレットがありますので、送付しますね。申し込み用紙もやはり同封しておきます。記入してお持ちくだされば手続きもその場で行えますので」
「はい、ありがとうございます」

 梨乃はそれならと、住所を告げた。

「では、お会いできるのを楽しみにしております」

 嬉しそうに言い、梨乃が電話を切るのを待っていてくれた。

(親切な人だな)

 無事見学の段取りができて安堵した梨乃だが、ただひとつ、『哲美君』という親密な響きだけが耳に残り、一人きりの更衣室でしばし佇んでいた。


 玉虫陶芸教室に電話した二日後の水曜日。
 梨乃が仕事から帰ると、母親がぱたぱたと廊下を小走りして出迎えた。手に茶封筒を持っている。

「ねえ、玉虫陶芸教室ってところから手紙が来てるんだけど」
「えっ、もう?」

 いぶかしげな様子の母親から角四の封筒を受け取ると、宛名の下に教室の名前が印刷されている。

「仕事の速い人だなあ」

 てきぱきとした玉田代表講師の口調を思い出し、思わず感嘆の声を上げる。

「宛名は確かに尾崎梨乃様になってるけど、何なのこれ」

 この家にはついぞご縁のない世界から舞い込んだ手紙に、母親は首をかしげている。

「ちょっと、習うことになって」
「陶芸を、あんたが?」

 母親は娘の不器用さを知っている。図工や美術の成績がどんなものだったのかも。

「あ、もしかしてこの間の、友章の同僚って人の影響?」

 ぽんと手を打つ母親に「そうじゃないけど、ただ、やってみたくなって」などと曖昧な返事をして、二階の自室に駆け上がった。不純な動機を指摘されたようでいたたまれなかった。


 梨乃は早速、書類作りに取り掛かった。
 だが、必要事項を記入しながらも、いよいよという段になって迷いが生まれた。
 それは、さっき初めて感じた違和感だった。
 こんな動機で入会してもいいのだろうか。大チャンスだと気負きおいこんだが、客観的に見ればかなり不純な動機である。

「うーん」

 迷いを映してゆがむ文字に、ますます迷う。
 ぱたっとペンを置くと、チェストの上からこちらを見下ろす、虫賀焼むしがやき銘々皿めいめいざらに目をやった。兄が引き取ってきた不良品だけれど、奈良とのご縁を結んだ日の記念として、プレートスタンドを用意して飾ったのだ。

「奈良哲美……さん」

 あの日、声をかけてくれた。
 割れた小皿を拾おうとした私の手首を掴み、指を切るからと止めてくれた。
 割ったのは自分だと言い、かばってくれた。
 混み合うエレベーターでも、前に立って守ってくれた。
 コーヒーをご馳走してくれて、気を遣わせないようにもしてくれた。
 陶芸教室に勧誘するためだけに、そんな親切をするはずがない。あの人は、兄の言うように『陶芸バカ』の『変わり者』かもしれないけれど、同時に周りに対して親切で、とってもいい人なのだ。
 週末の出来事が、頭の中をひと息に通り過ぎた。
 迷いは消え、梨乃は書類に署名捺印した。


 陶芸教室の見学を明後日に控えた金曜日。
 月曜日と同じく残業で遅くなり、帰り仕度が整った頃にはやはり午後九時を回っていた。

「今週は遅くなっちゃったね。これからデートなのお?」

 更衣室に聖子が入ってきて、にやにや顔で冷やかした。どうしてもデートに結びつけたがる彼女に梨乃は嘆息して、

「もう、だから違いますって」

 と、少しむくれて見せた。

「あはは、そう? そういえば、今日は随分カジュアルだね。いつもは大人っぽいワンピとか、細身スカートとか、落ち着いたコーディネートなのに」

 よく見ているなあと苦笑しながら、『まほろば』で奈良との仮想デートを楽しんでいた自分の一生懸命さを振り返った。本当に、想像だけでも、あんなに充実していたのだ。

「チェックのシャツにスキニージーンズか。うん、軽やかで、二十四歳らしい組み合わせだね」

 聖子は着替えながら、後輩のファッションを微笑ほほえましそうに眺めた。

「でも、彼氏はオトナなんでしょ?」
「いませんよ、彼氏なんて」

 好きな人は、確かにオトナだけれど。
 心の中で付け足した。

「ふーん、マジで?」
「う、うん」

 不意に真顔になった聖子にどきっとした。いつも冗談交じりでからかってばかりの彼女が、八センチヒールで間を詰めてきた。

「じゃあさ、営業の皆さんから花見のお誘いが来てるんだけど、どう?」

 聖子の恋人は営業部に所属しており、時々飲み会のセッティングを頼まれているらしい。それは梨乃も知っている。

「どうって……」
「フリーなら紹介したい男のコがいるんだけど。結構イケメンで、かっこいいよお」

 聖子は周りで着替えている女子に聞こえないよう、声を落とした。

「や、それはちょっと」
「あ、やっぱりいるんだ、彼氏」
「いいえ、そのっ」

 これで許してくれるかどうかわからないが、梨乃は現状ありのままを伝えた。

「好きな人がいるんです。片思い、ですけど」
「あ、そう」

 聖子は意外にあっさりと解放してくれた。しかし「状況が変わったら、教えてね」などと言い、「男は一人じゃないよ」とも言い添えた。
 失恋を前提にされたようで嫌な気持ちになったが、これは年上女性からの真っ当なアドバイスで、彼女は梨乃が背伸びをしていることを見抜いた上で心配してくれているのかもしれない。
 梨乃は良いほうに考え、とりあえずその話は終わりとなった。


『まほろば』のあるターミナル駅のビルを見上げ、梨乃はふと寂しさを感じた。
 今夜は初めから残業で遅くなるとわかっていたので、珍しくお洒落しゃれをしてこなかった。お店の商品を壊してしまったし、いずれにせよ行きづらい。

「今日はこのまま、帰らなきゃ」

 和風小物の買い物と、〝どこかの営業さん〟に会う週末のふたつの楽しみが、身体の芯まで習慣になっていたのだと痛感した。
『まほろば』はその名のとおり梨乃にとって素晴らしく、心から安らげる大切な場所。今でもまるで心の故郷のようだと思っている。

「でも、これからは」

 彼女の双眸そうぼうは、街の灯りを反射しきらきらと輝く。
 お気に入りのお店には行けず、片思いは続いている。
 だけど、新たな道が目の前にひらけている。

「うん、頑張る」

 心は早くも日曜日へと、希望の一歩を踏み出していた。



    3


 フロントガラス越しに晴れた空を見上げ、梨乃は深呼吸をした。
 ここは玉虫陶芸教室の駐車場。休日のためか高速道路も一般道も空いており、予想より早く到着してしまった。教室が始まる午前十時まで、まだ二十分も余裕がある。
 だが、車の中でぼんやりしていても恰好がつかないので、梨乃はとりあえず車から降りた。草と砂利の地面にロープを張っただけの簡素な駐車場から、あたりを見回す。
 小山に囲まれたのどかな風景。周りには畑や雑木林が広がり、その間を草花がのびのびと生えたあぜ道が縫い、それに沿うように大小の民家が転々と散らばっている。

「山の匂いが気持ちいい」

 もう一度深呼吸をして、爽やかな空気の中を歩いていった。少し肌寒く、バッグに入れておいた春物のカーディガンを羽織る。ついでにバッグの中身を確認した。

「汚れてもいい服とタオルと、入会申し込み用紙。うん、ちゃんと持ってきた」

 もうひとつ提げている紙袋には、手土産として持参した土川屋の和菓子が入っている。来る前に本店に寄り、昨日予約しておいた分を買ってきたのだ。

「準備は万端。さて、と」

 今運転してきた駐車場横の道路を横切ると、教室がある。
 周りの民家とは少しおもむきの異なる白っぽい建物が、陶芸教室の会場だった。切妻屋根きりづまやねは深緑色、二階建ての一階部分に『玉虫陶芸教室』の文字が書かれた看板が掲げられていて、その下に入口がある。ガラスの扉は自動ドアだが、梨乃が近づいても反応しない。まだ誰もいないようである。

「やっぱり、少し早すぎたよね」

 張り切って早起きして出てきたのはいいが、こうなると余計に緊張してくる。

「落ち着かなくちゃ」

 もう一度駐車場の方向へ歩き、山並みに目をやった。

「虫賀市かあ」

 焼物の生産が盛んなことで知られるこの町は、静かで穏やかで、まるであの人のようだと、梨乃は緑の山と青い空に奈良の笑顔を思い浮かべた。その時だった。

「おはようございます!」
「ひゃあっ」

 いつの間にか奈良が後ろに来ていた。声をかけられるまで音も気配もしなかった。

「今、鍵を開けるからね。こちらへどうぞ、梨乃さん」

 にっこりと、たった今まで思い浮かべていた笑顔が彼女を呼んだ。それも、下の名前で。

「い、いつの間に……じゃなくって、あの、おはようございます。よろしくお願いします」
「こちらこそ」

 奈良は作業ズボンに長袖の綿シャツという恰好で、いつものスーツではない。その姿が梨乃にはとてつもなく新鮮で、男らしく映る。
 それにしても、いつどこから現れたのかさっぱりわからない。確かに今の今まで、誰もいなかったはずなのに。
 奈良は手に持っていた鍵で自動ドアのロックを外し、手で扉を開く。先に入った彼はあちこちの電灯を点けてまわり、奥の部屋に入ったかと思うと、すぐに手に何かを持って出てきた。

「まだ十五分あるな。まあいいや、始めちゃおう」
「えっ」

 目をぱちくりさせて隅に立っている梨乃を横目に、奈良は中にあった作業台の上にその〝何か〟をどんと置く。

「汚れてもいい服、持ってきたね? 着替えて、ここに来て」

 そのかたまりを見て、梨乃はハッとした。ビニールに包まれたそれは、粘土のようだった。どうやら、玉田代表講師ではなく彼が今から教えてくれるようだ。
 梨乃は汗が噴き出しそうに勝手に熱くなる身体を震わせ、とにかく言われたとおりにするべくカーディガンを脱いでバッグに入れ、代わりに古いトレーナーを取り出した。

「そうそう、動きやすい古着は取っておいたほうがいいよ。これからいろんな役に立つ」
(これからって、これからって、やっぱり入会決定ですか)

 頭の中がぐるぐるになりそうな奈良の言葉。
 ブラウスの上にトレーナーを着ながら、震えを抑えられないまま焦りまくった。
 準備を整え奈良のそばに寄ると、彼は「よーし、やるか!」と気合いを入れた。梨乃はびくっとしながらも、彼のまた違った男らしさを発見していた。

(ああ、素敵すぎる)
「土はね、扱いやすいようにブレンドされたものを使う。だが土の固さは均一じゃないから、練る必要があるんだ。今日は手びねりで湯呑みと丸皿を作ってもらうから、荒練あらねりだけでいいからね」
「は、はい?」

 半分わかったような、わからないような梨乃の返事に、奈良は励ますようににっこりと笑う。

(なんて優しい笑顔なの)

 混乱しつつも梨乃は嬉しくて涙が出そうだった。
 奈良は粘土の塊を太い針金で切り分けると、自分の前に置いた。大きなサイコロといった感じである。

「コツを覚えるまでは結構体力を使うし、筋肉痛になったりする」

 そう言いながら、ぐいぐいと練り始めた。押し込んだり、たたんだり、繰り返し。かなり力が要りそうなのに、奈良の横顔は涼しげである。

「まあ、こういったことは実践あるのみだね。やってみて」
「えっ!」
「えっ、じゃなくて」

 驚く彼女に呆れた目を向け、奈良は練りかけの粘土を指さした。

「でも」

 頭の中に幼稚園時代の粘土遊びの思い出がよみがえる。ひとつも思うようにならない頑固な塊に、苦しめられたあの幼い日々。
 しかし今は感傷的になっている場合ではなかった。奈良の顔から笑みが消え、いつの間にか真顔になっている。

「はい、やってみます」

 恐る恐る両手をかけた。ひんやりとした手触りに、鳥肌が立ちそうになる。

「まず押し込んで、体重をかけて。さっき僕がやったみたいに、こうして」
「は、はあ」

 言われたとおり、見たとおり、とにかくやるしかなかった。横に伸びたら今度は縦に。押し込んで伸ばしてを繰り返す。初めての梨乃には、かなりの重労働。緊張もしているので、熱いやらひやひやするやらでいろんな汗をかいてしまう。
 おまけにすぐそばに奈良の顔と身体があり時々手を添えたりするので、あらぬ想像をしてしまうという、変なところで余裕がある梨乃だった。


「うん、頑張ったね。いい感じだよ」

 仕上げは奈良がやってくれた。
 砲弾ほうだんの形にまとめて、台の上に立てる。これで出来上がりだと言う。
 頑張りを褒められたのは嬉しいけれど、たったこれだけの作業で全体力を使い果たしてしまいクタクタだ。「こんなの私だけ?」と誰かに聞きたかったが、午前十時になったのに教室にはまだ誰も来ない。随分のんびりとしたものである。

「今度は道具を教えよう」

 奈良は疲れている梨乃に気づかないのか、さっさと次の用意をする。
 梨乃はバッグからタオルを出して汗を拭くと、作業台に戻った。奈良はそれを見て、なぜか嬉しそうに目を細めた。
 彼は練った粘土に濡れ雑巾ぞうきんをかけ、梨乃を椅子に座らせた。

「まず初めに湯呑みを作ってもらうから、使うのは、手ろくろ、コテ、剣先けんさき、なめし皮に……本当は、練りの作業を始める前にこれらは用意しておくべき。今日はちょっと、僕も張り切りすぎてうっかりしてたけど……あ、いやつまり」

 奈良はコホンと咳ばらいをする。

「土が乾いちゃうからね」
「あ、なるほど」

 少し気になる咳ばらいだったが、どうやって使うのか謎の道具達を前に、梨乃は行儀よく指示を待った。と、その時。

「ああー、ごめんなさいね、尾崎さん。遅くなってしまって」

 あわただしく入ってきた女性に、ハッとして振り返る。聞き覚えのあるはきはきとした口調から、代表講師の玉田園子であるのに気づいて、椅子から立ち上がった。

「五分の遅刻だよ」

 奈良が壁時計を見て言うと、「ごめんごめん」と謝りながら梨乃の前まで近づいてくる。
 梨乃より少し年上だろうか、目鼻の作りがはっきりとした美人だった。声や話し方から、なんとなくきれいな女性を想像していた梨乃は納得してしまう。

「初めまして。玉虫陶芸教室代表講師の、玉田園子です」
「こちらこそ初めまして。私は尾崎梨乃といいます。えと、今日はよろしくお願いします」

 深く頭を下げた彼女に、梨乃も恐縮してややぎこちない挨拶を返す。

「はい、どうぞよろしくお願いします……って、もう始めてたの?」

 園子は軽くウエーブのかかった薄茶色の髪を後ろで束ねながら、呆れたように奈良に言った。

「うん。二時間なんてすぐに過ぎちゃうからね、早めに取り掛かったほうがいいだろ。それに、彼女は張り切って二十分も前に到着している。意気込みに応えなきゃ」

 梨乃は「えっ」と彼を見た。自分がここに着いた時刻を知っているとは。
 そう言えば、奈良がいつの間にか後ろに立っていたのも不思議だった。教室は鍵がかかっていたから中で待っていたということもないし、どこから現れたのか皆目かいもくわからない。
 梨乃の疑問を察したのか、園子が面白そうに教えてくれた。

「この人ね、ここの裏に住んでるから、きっと尾崎さんの車が停まる音を聞きつけて、庭づたいに出てきたのよ。突然現れたでしょ」

 梨乃は目をぱちくりとさせた。

「裏に、ですか」
「いや、たまたま外にいたから。それに、どうせ僕が鍵を開ける係になってるからね。まあ、どっちでもいいでしょう、そんなことは」

 奈良は頭をかきながら、言い訳するように説明する。

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