七日目のはるか

藤谷 郁

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6.合コンですよ

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 春花は夕子を連れて、駅前のコーヒースタンドに移動した。窓際の席に落ち着くと、彼女に先ほどの生理現象について説明した。
 どうして女友達にこんな話をしなきゃいけないの? と理不尽な思いにかられるが、夕子はさして驚きもせず、ただただ興味深そうに耳を傾けている。
(……ドン引きされるよりましだけど、何かムカつく)
 だいたい、こうなった原因を作ったのは他でもない夕子だ。無責任な友人に対し、春花は複雑な気分だった。

「そうだ。ちょっと電話してくる」
 一旦店の外に出ると、バイト先に連絡を入れた。神田春花の弟だと名乗り、姉は急病で一週間ほど休みますと嘘の理由を告げた。
 完全に男性の声になっているので、相手は春花本人だと気付かない。『お大事に』と気遣われ、ちょっぴり後ろめたくなる。
 でも、本当のことを言っても信じてもらえないだろうし、仕方がない。
 
「あとは、いいかな」
 席に戻り、やっておくべきことを考えたが、今は思いつかない。ふうっと息をつき、コーヒーを飲んだ。
「ねえねえ」
 夕子が目を光らせ、ヒソヒソと話しかけてきた。
「何よ」
「さっきから、こっちをチラ見してる女の子達がいるよ。春花のことが気になるみたい」

 夕子は面白そうにウププと笑う。
「はあ?」
 彼女が目で指すほうを振り向くと、カウンター席に並ぶ女子大生風の二人が、春花に微笑んでみせた。
 派手なタイプの二人組。一瞬、大学の友人かと思ったが、すぐに打ち消す。今の自分は男性体なのだ。親しい友達であろうと、女子大生の春花だと気付くはずもない

 ということは――

「ほらね、春花にアプローチしてる」
「なっ、何言ってんの」
 春花は狼狽した。
「あんたってもともとイケメンだし、背も高くなってかっこいいじゃん。逆ナンだよ、逆ナン」
「あのねえ」

 春花は不愉快になり、顔をしかめた。
 あの二人組は、志村達のように目をギラつかせている。しかも夕子が傍にいるのにお構いなしだ。にアプローチだなんて、ふざけてる。
「照れなくてもいいじゃない」
「怒るよ」
 からかう夕子を真顔で睨みつけた。

(そういえば、実家の弟も女の子に人気があるみたいだし、もしかして、この手の顔がモテるってこと? うう……冗談じゃないよ)

 春花は急いでコーヒーを飲み干す。居心地の悪さから早く脱したかった。
 女達の熱い視線を避けながら、コーヒースタンドを出た。


「さてと、これからどうしよう。夕子は大学に行くんだよね」
「うん」
 春花はふと、彼のことを思い出した。
「ところで、真崎先生ってどういう人なの? 今朝はバタバタして、あまりよく話せなかったけど」
「あは、面白い先生でしょ」
「……さすが、あんたの先生だけあるよね」
 皮肉をこめて言ったのだが、夕子はなぜか生き生きと目を輝かせる。

「真崎先生って、うちの大学では学生人気ナンバーワンなのよ。若くして教授になられたこともあって、尊敬されてるし。それに、講義は熱心だし、精力的に研究活動もしておられるし、とにかくすごいんだから。新しい学説や情報を積極的に取り入れ、偏見を持たず、ご自分でも論文を書いて学会にも参加して科学誌に取り上げられたり……」
「わ、わかった、わかったから」
 聞いていると切りがなさそうだ。春花はもういいと手を振り、話の向きを変えた。

「真崎先生はいくつぐらいだっけ?」
「年齢? 今年で41かな」
「なるほど。確かに若い教授だね」
「でしょ? たまたまポストが空いたから棚ぼた式にって、先生は謙遜されてるけどね」
 棚ぼた式に教授になれるものだろうか?
 春花は彼のにこにこした表情を頭に浮かべ、不思議な人だと思った。


 春花は夕子と別れたあと、街を適当にぶらぶらした。途中、うっかり女子トイレに入るところだったのを除けば、別段問題はなかった。
 ちなみに男子トイレでは個室で用を済ませた。用を足すこと自体については、初めはさすがにショックを受けた。が、徐々に慣れた。
 形態が変化したとはいえ、もともと自分の体である。

 しかし、これで何かを失ったのは確かであり、そのことには、少し打ちのめされてしまった。


  夕方、真崎が約束どおりアパートまで迎えに来た。 
 春花は昼間と同じく、シャツに麻のジャケットを羽織った格好で、アウディの助手席に乗り込んだ。 
「さて、神田さん。どうですか、調子は」 
 真崎がにこやかに訊いてくる。何だかずいぶん、嬉しそうな様子だ。 
「快適でしたよ。……思ったよりは」 
「それは結構」 
 満足げに頷くと彼はアクセルを踏み、車は滑らかに走り出した。 


「あのう、これから大学に行くのですか。それとも、例の吉川という博士の所へ?」 
 春花は真崎の横顔を見ながら、行き先を訊ねた。 
「いいえ、そんな無粋な場所ではありません」
 無粋――どういう意味かわからず、春花は首を傾げる。 
「それじゃあ一体どこへ? 何しに行くのです」 
「ま、行けばわかりますよ。ところで、どうですか? 私のこのファッション、なかなか決まっていますでしょう」 
「はい?」 
 彼はチラリと春花を見、思いきり胸をそらせた。 

 そういえば、今朝と違うスーツを着ている。
 シャツもネクタイも色柄を合わせ、コーディネートしていた。さり気なくラペルピンなど飾っている。
 上から下まで随分お洒落なスタイルだ。若々しい外見にピタリと調和して、30代前半くらいに見える。

(ふうん。この先生、意外といい男なんだ……)

 春花はあらためて、彼の全身をじろじろと眺め回した。
「高級レストランにでも行くのですか?」 
「まさか。貧乏学生の集まりですから、そんないい店ではないでしょう」 
「貧乏学生??」 
 どういうことなのか、さっぱりだった。 

 それから10分ほど走ると街中に出た。今はラッシュの時間帯であり、通りは車や人であふれている。真崎は、大通り沿いにある高層マンションの駐車場に車を滑り込ませると、春花に降りるよう促した。 
「どこですか、ここは」 
「私のマンションです」 
「マンション!?」 
 思わず身を硬くした。この教授、自宅に連れて来るとは、何を考えているのだ。 

「違いますよ、誤解しないで下さい。歩くのです、ここから」 
 真崎は警戒する春花に気付くと、慌てて通りを指差した。 
「歩くって……」 
「アルコールが出ますからね」 
「お酒ですか?」
「ええ。というより、今のあなたは男性体ですから、私に何かされる心配は無用と言うものです」
 春花はハッとし、口を押さえた。

「それもそうですね……確かに」
 自分が男であることを忘れていた。あらぬ誤解を彼に向けたことが恥ずかしく、春花は赤面する。
「そっ、それにしても、いいかげんどこへ行くのか教えてくださいよ!」 
  照れ隠しに語気を強くし、真崎に返答を迫った。
「近くの居酒屋で行われる合コンです」 
「ごうこん?」 
 言葉の意味をとっさに理解できず、春花は目をパチクリさせる。 

「研究室の学生に誘われたんですよ。先生もどうぞって」 
「誘われたって……でも、いやしかし、教授はその……」 
「私、こう見えて独身なのです。参加資格は十分にあるでしょう」 
「えっ、やっぱり独身だったのですか……て、そうじゃなくて! 先生はともかく、私が行ってどうするんです。私はてっきり今後について話し合うのかと」 
「言ったでしょう、男ならではの経験をしなさいって。さ、行きますよ」 
 ニヤリと笑って手招きをする。 

 予想外の展開にうろたえる春花だが、真崎の作るペースにはなぜか逆らえず、ついて行くしかなかった。 


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