恋の記録

藤谷 郁

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幸せの部屋

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私が昼休憩から戻ってくると、土屋さんが出勤していた。


「皆さん、昨日は本当にすみませんでした。感情的になって職場放棄するなんて、私らしくなかったです。先ほど店長から、私がいなくて他のスタッフが大変だったと聞き、めいっぱい反省しました。新たな気持ちで頑張っていきますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします!」


彼女の前に並ぶライトノベル担当のスタッフに、深々と頭を下げる。昨日のことを謝罪したのだ。

スタッフが困惑するのを見て、古池店長が口を添えた。


「いかがですか、皆さん。昨日の行動については、私から厳重注意いたしました。土屋さんもこうして反省されたことだし、許してやってもらえませんかねえ」


皆、何も言わずに頷く。

誰も土屋さんを責めなかった。


「僕らは別に……なあ」

「うん。チーフが戻ってくれて、良かったです」


土屋さんの顔が、ぱーっと明るくなる。店長もにこにこと笑い、スタッフと一緒に彼女を取り囲んだ。


「よかったですね、土屋さん。皆さんの期待を裏切らないよう、これからも頑張ってください」

「はいっ、店長」


私はげんなりとし、店長が繰り広げる茶番劇から目を背けた。

なんという空々しさ。

土屋さんを見捨てておきながら、それをおくびにも出さず、本人のみならずスタッフをも平気で騙す。土屋さんは、やる気がない――と言い切った同じ口で、よくも頑張ってくださいなどと言えたものだ。

しかし土屋さんは、彼の言葉を信じているようだ。上司を見つめる瞳に、疑惑の色はなかった。


スタッフは解散し、各々持ち場に戻った。

私も売り場に出るため歩きかけるが、土屋さんが行く手を阻むようにサッと立ち塞がる。

彼女はもう笑っていない。私に対するライバル心は健在のようだ。


「あの、一条さん。昨日は、ライトノベルの仕事を手伝ってくださったそうで……ありがとうございました」


いかにも悔しそうな口調で、礼を述べる。

私の企画案が原因で、彼女は職場放棄したのだ。その原因に仕事を手伝ってもらうなど、一番の屈辱だろう。


「どういたしまして」


余計なことを言わず、短く返事をする。店長がデスクの書類を整理する振りをしながら、こちらを窺うのがわかった。


「フェアの企画会議は、予定どおり水曜日に行います。きちんとアイデアをまとめて、企画案を提出してくださいね」

「ええ。用意は出来ています」


私の落ち着いた態度が気に入らないのか、土屋さんはムッとする。店長のほうをちらりと見てから、私にしか聞こえない声で言った。


「上手いこと取り入ったみたいだけど、私は負けませんから。絶対に、譲るもんですか」

「はい?」


ぷいと横を向き、事務所を出て行ってしまった。


(上手いこと取り入った? なにをばかな……)


私が店長にすり寄って企画案を通したとでも考えたのだろうか。冗談じゃない。誰がそんな、姑息なマネ――

店長の視線を感じて、ハッとした。こちらを見て、意味ありげな笑みを浮かべている。

気味が悪い。まるで、秘密を共有する関係だと言わんばかりだ。でも、土屋さんの配置換えを知っているのは店長と私だけ。不本意だが、それは秘密の共有である。


さっさと売り場に入り、コミックコーナーの棚補充を手伝う。一分一秒ごとに、店長への嫌悪感が増していた。


(ああ、ヤダヤダ。それにしても、譲るもんですかってどういう意味よ。もしかしてライトノベルの棚? 土屋さんの仕事を奪う気なんてまったくないのに、勝手なことばかり言って……)


ぼやきながらも作業に集中していたが、大人の女性向けコミックを並べようとして、ふと手を止める。

これは、売れ筋の単行本だ。半裸の男女が絡み合う、きわどい表紙。帯には【不倫をテーマにした問題作!】と、宣伝文句が踊っている。


 まさか――


不倫という言葉から、一つの想念が生まれた。

土屋さんの激しい感情。店長を見る目つき。彼女のライバル心は、仕事だけに限らないのでは…… 

単行本を棚に押し込み、思い切り頭を振った。 


「なにを考えてるの。店長は愛妻家として評判だし、そんなわけ……」


いや、そんなわけがあるかもしれない。

店長のセクハラ疑惑を思い出し、ゾッとする。愛妻家というのは表向きの顔だ。あの人は、何食わぬ顔で周りを欺く。 


「えっ、ということはつまり、譲らないっていうのは仕事ではなく、店長を……ってこと? やめてよ!」


思わず叫んでしまい、慌てて周囲を見回す。幸い近くに客はおらず、私はふうっと息をついてから作業を続けた。

信じられない。だけど、もし推測が合っているとしたら、とんでもない事態だ。ドロドロの関係に、勝手に引きずり込まないでほしい。 


私は真剣に願った。

店長も土屋さんも、この店からいなくなってください――と。
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