ワイルド・プロポーズ

藤谷 郁

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三十路のお見合い

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「逃げる時に、落としちゃったんだわ。お気に入りの傘だったのに」
 私はため息をつき、ますますあの男、『ミイちゃん』を憎らしく思った。
「それにしても、どうしよう。こんな格好じゃ、お見合いの席に出られやしない」
 大量に汗をかいたので、せっかくのお洒落が台無しだ。メイクは崩れ、ワンピースもよれてしまった。何より汗の匂いが気になる。

 約束の時間まであと一時間三十分。私は頭を捻った。
 市内にショッピングセンターがあるので、そこで洋服を買ってトイレで着替えようか。でも、汗を拭くことはできないし、どうにも不効率だ。
 いっそのこと、どこか適当なホテルの部屋を取り、シャワーを浴びて身支度をやり直してはどうか。
「そうだわ。まずはショッピングセンターで服と化粧品を買って、ホテルで着替えればぎりぎり間に合う」

 この方法がベストかどうか分からないが、とにかく善は急げだ。私は素早く、午前中にチェックインできるホテルを検索し、電話をかけようとした。
「わっ?」
 スマートフォンが震えた。見ると、金田専務からの着信だ。今日、取り持ち役の専務とは、見合い会場となるリゾートホテルで待ち合わせている。今の今まで、彼の存在をすっかり忘れていた。

「はい、北見です」
 逸る気持ちを抑えて応答すると、機嫌よさげな声が聞こえてくる。
『もしもし、私だ。君のことだから大丈夫だと思うが、一応電話したよ。今日は準備万端だろうね』
「は、はあ……それが」
 私はばつの悪い思いで、現状を報告した。
『何だって。地元のチンピラに絡まれて逃げたあ? 無事だったのかね!』
「はい。今は駅のトイレにいます」

 ホッとするやら呆れるやらの専務に、身支度をやり直すための対策を聞かせた。すると彼は、大きな声で遮ってくる。
『北見君、そんなまだるっこしいやり方じゃダメだ。いいかね? 今すぐ見合い会場のリゾートホテルに直行しなさい』
「えっ? で、でもこの格好では……」
『着替えと部屋を用意するよう、私が支配人に連絡しておく。あのリゾートホテルは嶺倉家が地主として経営援助してるんだ。御曹司の結婚相手が困っていると聞けば、悪いようにはせんだろう。いいね? すぐに行くんだぞ』

「ええっ? ちょっと待ってくださ……あっ」
 唐突に電話が切れた。
「そんな、支配人に連絡なんかしたら、ナンパされたことがバレて、嶺倉さんに伝わってしまう……ていうか、結婚相手になるかどうか、まだ分からないのに」
 気の早い専務の発言に頬を染めるが、照れている場合ではない。とにかく専務の指示どおり、リゾートホテルに直行するべくタクシー乗り場に向かった。



 タクシーを降りた私を出迎え、恭しくお辞儀をしたその男性は、ホテルの支配人だと名乗る。上品な執事といった雰囲気だ。
「これはこれは北見様、ようこそコーラルホワイトホテルへ。嶺倉の坊ちゃんから、くれぐれも失礼のないようにと、仰せつかっております」
「お、お世話になります」
 嶺倉の坊ちゃんというのは、嶺倉京史のことだ。ということは、既に私の現状について、全部彼に伝わってしまったということ。

(は、恥ずかしい……)

 どうして専務は、あけすけにことを運んでしまったのか。私はメイクの剥げた顔に、冷汗を浮かべる。
「こちらへどうぞ。女性の従業員が、ご案内いたします」
「すみません、お願いいたします」

 ロビーに入ると、制服を着た女性に私は預けられる。彼女はブライダル部門の主任だという。コーラルホワイトホテルでは、結婚業務も行っているようだ。
澤田さわだと申します。北見様のお支度をお手伝いするよう、嶺倉様から仰せつかっております」
「そ、そうなんですか。お手数をお掛けします」
 メイクも着替えも一人でできるのに、お支度だなんて、ずいぶん大げさなことになってしまった。

 私はだが、嶺倉京史の親切と優しさに感激する。下品なナンパ男に比べて、何と紳士な男性だろう。早く会いたいと、彼に向かう気持ちが高まってきた。


「お部屋は、こちらでございます」
「え……」
 驚いたことに、最上階のスイートルームに案内された。
 真っ白な内装とインテリアは、珊瑚礁の浜辺を思わせる。窓の外には、広々としたルーフバルコニー。青い空と海が見渡せるオーシャンビューの部屋は贅沢すぎて、私を萎縮させた。
「あの、すみません。この部屋は嶺倉さんが?」
「はい。嶺倉様がご用意されました」

 ということは、費用もすべて嶺倉さんが持つのだ。一時借りるだけとはいえ、かなりの料金が発生するはずだが、そこまで甘えていいものだろうか。
 しかし、そんな私の心配をよそに、彼女はてきぱきと段取りを進める。
「嶺倉様とのお約束は正午と伺っております。まずはバスルームで汗を流していただき、その後、私がヘアメイクをいたします。そして、ドレスはこちらになります」
「ドレスって……まさか、それも嶺倉さんが用意を?」
「当ホテルのブティックでセレクトする、ブランドドレスでございます。北見様の魅力を存分に引き出せるデザインをと、嶺倉様が電子カタログで吟味して、お選びになられました」

 彼女は微笑むと、ベッドに置かれた箱からそのドレスを取り出し、さらりと広げる。
「え……えっ? これを、嶺倉さんが選……」
 胸元が大きく開いた、真っ赤なドレス。ノースリーブで、しかも身体にぴたりとフィットするデザインだ。まるで、ボディラインを強調するかのようなセクシーなドレスに、私は抵抗を覚える。
 嶺倉京史は一体、私に対してどんなイメージを持っているのか? 彼が会社ロビーで見かけたという私は、地味で冴えないアラサー女のはずだ。こんな、ハリウッドセレブが纏うようなドレスを選ぶはずがない。

「ま、待ってください。本当に、嶺倉さんがこれを私に選んだのですか?」
「はい。とても気に入っておいででした」
 ドレスを一旦置くと、彼女は箱からビニールの包みを取り出し、私に差し出した。
「こちらは下着でございます。サイズは伺っておりますので、ご安心ください」
「は……はい?」

 受け取って見ると、いかにも高級そうな下着である。
 私はごくりと唾を呑み込む。

「も、もしかして、これも嶺倉さんが用意……って、まさか、そんなことは」
「当ホテルのブティックでは下着も扱っております。電子カタログで、嶺倉様が吟味してお選びになられました」
「でもっ、サイズは……」
 うろたえる私に、澤田さんはもう一度にこりと微笑む。
「サイズも、嶺倉様が指定されました。もし間違っている場合は、お取替えいたしますが?」
 私はただ、ふるふると首を横に振る。

 手にした下着は、私にぴったりのサイズだった。


 
 
 
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