課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁

文字の大きさ
11 / 15
金目鯛の煮つけ

しおりを挟む
まあ確かに、間宮課長のひねくれた性格から考えると――そんな気がするような、しないような。


「悪気はないのですよ、きっと」

「はあ」


ほのぼのとした雰囲気が漂い、なんだかほだされてしまった。


「そんなわけで、道端で泣いているのが野口さんだと分かりました。きみは立ち去ってしまったが、僕は家に帰ってからも気になって、間宮さんに電話してみようと思ったのです。仕事で何かあったのではないか、と」

「えっ、間宮課長に?」


そんな話をしたら、また余計な詮索をされてしまう。焦る冬美に、課長は首を横に振った。


「電話はやめました。ちょうどそのとき、アイドルの誰かが結婚するというニュースがテレビに流れたからです。スケキヨ、という少々古風な名前に聞き覚えがある。間宮さんがきみについて語ったとき、耳にした名前だと思い出し、なんとなく理解したわけです」

「……そうだったんですか」


推しロスで泣いていたのを、この人は察したのだ。しかも会社をやめたいとまで思い詰めたことも。


(だから白浜で、あんなにも寄り添ってくれたのかな……あれっ、でも……)


冬美はふと、ひとつの可能性を考える。が、すぐに打ち消す。まさかそんなこと、ありえない。


「励ましてあげたいけど、きみにとって僕は同じ会社の人間というだけで、何者でもない。どうすることもできないなと、無力感に苛まれて、昨夜はよく眠れませんでした」

「そ、そんなに?」


赤の他人の私を、なぜそこまで……冬美は不思議に思いつつ、やっぱりもしやと考える。いやまさかそんなバカなこと、ありえない。

だが、バカを承知で訊いてみた。


「まさか、課長。私を心配して、下田までつけてきたなんてことは」

「ええっ?」


今度は課長が驚く。そして、とんでもないと手を振った。


「いやいや、違います。それではストーカーになってしまいますよ」

「で、ですよね」


でも、こんな偶然があるだろうか。さらに追及したくてむずむずしていると、課長が答えてくれた。少し赤い顔で。


「どうしても眠れないから、きみがそこまで好きなスケキヨくんとはどんな男なのか、気になって調べたのです。すると、彼が伊豆下田出身であることが分かりました。その情報が頭に残ってたんでしょうね。朝起きて一番に、『金目鯛の煮つけが食べたい』と思い付き、いつの間にか電車に乗っていました」

「じゃあやっぱり、私と会ったのは偶然だったんですね」

「もちろん、偶然です」


何万分の一の確率だろう。冬美がたまたま乗った電車に、課長が乗り合わせるとは。


「き、金目鯛のお導きでしょうか……?」

「えっ?」


課長はぽかんとして、ぷっと噴き出した。変な例えだったかなと冬美は赤面するが、彼はもう笑わなかった。


「そうかもしれません。でも、導いてくれたのは金目鯛だけじゃない。助清くんも、あとは間宮さんでしょうね」


あの人がここまで導いた? 冬美にとって、思いも寄らぬ話である。


「でも僕は、ご縁だと思いますよ」

「ご縁……」


課長が黙って歩き出す。

階段のところで差し出された彼の手に、冬美は戸惑いつつも素直につかまる。そのとたん、距離が一気に近づくのを感じた。


「電車の中できみを見つけたときは本当にびっくりした。でも、これはご縁だと思ったのです。出会うべくして出会った。それこそ不思議な力に導かれるように」


ファンタジックなストーリーだが、課長らしいと思う。冬美は無言で肯定した。


「声をかけたのは、きみが心配だったから。黒船電車は下田行き。傷心旅行であるのは明白であり、もしものことがあってはいけない。だからといって、いきなり励ますのも無神経だと考えて、事情を知らないふりで接しました。謝ります」

「そんな、とんでもない。私は今日、課長に救われました。自分の幸せがなんなのか再確認して、いちばん良い形で気持ちの整理ができたんです」


きらきらと輝く白浜の海を思い出す。課長がいてくれたから、新たな一歩を踏み出せたのだ。


「そうか……ありがとう、野口さん」


お礼を言うのは私のほうなのに、変な人。

冬美はしかし、笑顔だけ返した。

課長になら、それで十分伝わると感じだから。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】二十五の誓い ― 傷物令嬢の私と銀の騎士 ―

朝日みらい
恋愛
侯爵令嬢リリアナと、執事の息子アレン。 身分違いながら、無邪気に未来を語るふたり。 丘で摘んだ25本の白薔薇を並べ、指切りを交わす。 「25歳になったら、迎えに行く。君を僕の花嫁にする。」 「わたし、そのときまでここで待ってる。薔薇を25本咲かせてね。」 それは、幼い二人の25の誓い、その最初の試練が静かに始まろうとしていたのです。

先生

藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。 町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。 ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。 だけど薫は恋愛初心者。 どうすればいいのかわからなくて…… ※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)

フローライト

藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。 ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。 結婚するのか、それとも独身で過ごすのか? 「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」 そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。 写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。 「趣味はこうぶつ?」 釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった… ※他サイトにも掲載

あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~【after story】

けいこ
恋愛
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~ のafter storyです。 よろしくお願い致しますm(_ _)m

君とソーダ水を

藤谷 郁
恋愛
とある事情で掃除機をかけるのが嫌いな香澄。 そんな彼女の前に「お掃除大好き!」という風変わりな青年が現れた。 少し女っぽくて変わってるけど、とってもいい人。傍にいると安らぎを覚える。 彼と付き合い始めて、幸せを感じる香澄だけれど…… ※初期作品の転載です

幼馴染以上恋人未満 〜お試し交際始めてみました〜

鳴宮鶉子
恋愛
婚約破棄され傷心してる理愛の前に現れたハイスペックな幼馴染。『俺とお試し交際してみないか?』

実在しないのかもしれない

真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・? ※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。 ※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。 ※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

処理中です...