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金目鯛の煮つけ
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まあ確かに、間宮課長のひねくれた性格から考えると――そんな気がするような、しないような。
「悪気はないのですよ、きっと」
「はあ」
ほのぼのとした雰囲気が漂い、なんだかほだされてしまった。
「そんなわけで、道端で泣いているのが野口さんだと分かりました。きみは立ち去ってしまったが、僕は家に帰ってからも気になって、間宮さんに電話してみようと思ったのです。仕事で何かあったのではないか、と」
「えっ、間宮課長に?」
そんな話をしたら、また余計な詮索をされてしまう。焦る冬美に、課長は首を横に振った。
「電話はやめました。ちょうどそのとき、アイドルの誰かが結婚するというニュースがテレビに流れたからです。スケキヨ、という少々古風な名前に聞き覚えがある。間宮さんがきみについて語ったとき、耳にした名前だと思い出し、なんとなく理解したわけです」
「……そうだったんですか」
推しロスで泣いていたのを、この人は察したのだ。しかも会社をやめたいとまで思い詰めたことも。
(だから白浜で、あんなにも寄り添ってくれたのかな……あれっ、でも……)
冬美はふと、ひとつの可能性を考える。が、すぐに打ち消す。まさかそんなこと、ありえない。
「励ましてあげたいけど、きみにとって僕は同じ会社の人間というだけで、何者でもない。どうすることもできないなと、無力感に苛まれて、昨夜はよく眠れませんでした」
「そ、そんなに?」
赤の他人の私を、なぜそこまで……冬美は不思議に思いつつ、やっぱりもしやと考える。いやまさかそんなバカなこと、ありえない。
だが、バカを承知で訊いてみた。
「まさか、課長。私を心配して、下田までつけてきたなんてことは」
「ええっ?」
今度は課長が驚く。そして、とんでもないと手を振った。
「いやいや、違います。それではストーカーになってしまいますよ」
「で、ですよね」
でも、こんな偶然があるだろうか。さらに追及したくてむずむずしていると、課長が答えてくれた。少し赤い顔で。
「どうしても眠れないから、きみがそこまで好きなスケキヨくんとはどんな男なのか、気になって調べたのです。すると、彼が伊豆下田出身であることが分かりました。その情報が頭に残ってたんでしょうね。朝起きて一番に、『金目鯛の煮つけが食べたい』と思い付き、いつの間にか電車に乗っていました」
「じゃあやっぱり、私と会ったのは偶然だったんですね」
「もちろん、偶然です」
何万分の一の確率だろう。冬美がたまたま乗った電車に、課長が乗り合わせるとは。
「き、金目鯛のお導きでしょうか……?」
「えっ?」
課長はぽかんとして、ぷっと噴き出した。変な例えだったかなと冬美は赤面するが、彼はもう笑わなかった。
「そうかもしれません。でも、導いてくれたのは金目鯛だけじゃない。助清くんも、あとは間宮さんでしょうね」
あの人がここまで導いた? 冬美にとって、思いも寄らぬ話である。
「でも僕は、ご縁だと思いますよ」
「ご縁……」
課長が黙って歩き出す。
階段のところで差し出された彼の手に、冬美は戸惑いつつも素直につかまる。そのとたん、距離が一気に近づくのを感じた。
「電車の中できみを見つけたときは本当にびっくりした。でも、これはご縁だと思ったのです。出会うべくして出会った。それこそ不思議な力に導かれるように」
ファンタジックなストーリーだが、課長らしいと思う。冬美は無言で肯定した。
「声をかけたのは、きみが心配だったから。黒船電車は下田行き。傷心旅行であるのは明白であり、もしものことがあってはいけない。だからといって、いきなり励ますのも無神経だと考えて、事情を知らないふりで接しました。謝ります」
「そんな、とんでもない。私は今日、課長に救われました。自分の幸せがなんなのか再確認して、いちばん良い形で気持ちの整理ができたんです」
きらきらと輝く白浜の海を思い出す。課長がいてくれたから、新たな一歩を踏み出せたのだ。
「そうか……ありがとう、野口さん」
お礼を言うのは私のほうなのに、変な人。
冬美はしかし、笑顔だけ返した。
課長になら、それで十分伝わると感じだから。
「悪気はないのですよ、きっと」
「はあ」
ほのぼのとした雰囲気が漂い、なんだかほだされてしまった。
「そんなわけで、道端で泣いているのが野口さんだと分かりました。きみは立ち去ってしまったが、僕は家に帰ってからも気になって、間宮さんに電話してみようと思ったのです。仕事で何かあったのではないか、と」
「えっ、間宮課長に?」
そんな話をしたら、また余計な詮索をされてしまう。焦る冬美に、課長は首を横に振った。
「電話はやめました。ちょうどそのとき、アイドルの誰かが結婚するというニュースがテレビに流れたからです。スケキヨ、という少々古風な名前に聞き覚えがある。間宮さんがきみについて語ったとき、耳にした名前だと思い出し、なんとなく理解したわけです」
「……そうだったんですか」
推しロスで泣いていたのを、この人は察したのだ。しかも会社をやめたいとまで思い詰めたことも。
(だから白浜で、あんなにも寄り添ってくれたのかな……あれっ、でも……)
冬美はふと、ひとつの可能性を考える。が、すぐに打ち消す。まさかそんなこと、ありえない。
「励ましてあげたいけど、きみにとって僕は同じ会社の人間というだけで、何者でもない。どうすることもできないなと、無力感に苛まれて、昨夜はよく眠れませんでした」
「そ、そんなに?」
赤の他人の私を、なぜそこまで……冬美は不思議に思いつつ、やっぱりもしやと考える。いやまさかそんなバカなこと、ありえない。
だが、バカを承知で訊いてみた。
「まさか、課長。私を心配して、下田までつけてきたなんてことは」
「ええっ?」
今度は課長が驚く。そして、とんでもないと手を振った。
「いやいや、違います。それではストーカーになってしまいますよ」
「で、ですよね」
でも、こんな偶然があるだろうか。さらに追及したくてむずむずしていると、課長が答えてくれた。少し赤い顔で。
「どうしても眠れないから、きみがそこまで好きなスケキヨくんとはどんな男なのか、気になって調べたのです。すると、彼が伊豆下田出身であることが分かりました。その情報が頭に残ってたんでしょうね。朝起きて一番に、『金目鯛の煮つけが食べたい』と思い付き、いつの間にか電車に乗っていました」
「じゃあやっぱり、私と会ったのは偶然だったんですね」
「もちろん、偶然です」
何万分の一の確率だろう。冬美がたまたま乗った電車に、課長が乗り合わせるとは。
「き、金目鯛のお導きでしょうか……?」
「えっ?」
課長はぽかんとして、ぷっと噴き出した。変な例えだったかなと冬美は赤面するが、彼はもう笑わなかった。
「そうかもしれません。でも、導いてくれたのは金目鯛だけじゃない。助清くんも、あとは間宮さんでしょうね」
あの人がここまで導いた? 冬美にとって、思いも寄らぬ話である。
「でも僕は、ご縁だと思いますよ」
「ご縁……」
課長が黙って歩き出す。
階段のところで差し出された彼の手に、冬美は戸惑いつつも素直につかまる。そのとたん、距離が一気に近づくのを感じた。
「電車の中できみを見つけたときは本当にびっくりした。でも、これはご縁だと思ったのです。出会うべくして出会った。それこそ不思議な力に導かれるように」
ファンタジックなストーリーだが、課長らしいと思う。冬美は無言で肯定した。
「声をかけたのは、きみが心配だったから。黒船電車は下田行き。傷心旅行であるのは明白であり、もしものことがあってはいけない。だからといって、いきなり励ますのも無神経だと考えて、事情を知らないふりで接しました。謝ります」
「そんな、とんでもない。私は今日、課長に救われました。自分の幸せがなんなのか再確認して、いちばん良い形で気持ちの整理ができたんです」
きらきらと輝く白浜の海を思い出す。課長がいてくれたから、新たな一歩を踏み出せたのだ。
「そうか……ありがとう、野口さん」
お礼を言うのは私のほうなのに、変な人。
冬美はしかし、笑顔だけ返した。
課長になら、それで十分伝わると感じだから。
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