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窮地を救ったもの プレセア暦三〇四八年 王都コル某邸宅

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 魔力を持たない者の気配はわからない。魔法でない攻撃も感じとれない。そして単純な物理攻撃は現在マルセルが張っている対魔法用の防御壁では防げない。
 なたのようなものが目に見えた瞬間、ロアルドは終わったと思った。
 しかし次の瞬間、ロアルドとマルセルは後ろに下がっていた。マルセルが瞬間移動を使って後ろへ飛んだのだ。
 なたが空を斬った。
 ロアルドはマルセルが触れてくれたお蔭で鉈をよけることができた。
 しかし瞬時の判断だったためか、二人して後ろの壁に背中ごとぶち当たった。
「すまない……距離を見誤ったよ」
 マルセルは背中に受けたダメージが大きかったようで、壁にもたれたまま起き上がれなくなっていた。
 使用人の男が目の前に現れた。鉈が再び振り上げられた。
 ロアルドはマルセルから魔法を借り、空気弾を男に向けて放った。
 男は後ろへと吹っ飛んで倒れた。しかしゆっくりと立ち上がる。
 痛みを感じないらしく、男は無表情のまま再び鉈を握りしめ、振り上げる。
 ロアルドはマルセルの魔法を借りて男が握る鉈に重量負荷ヘビーロードをかけた。
 男は鉈を握ったまま、鉈の重みで後ろへと倒れた。
 この男を戦闘不能の状態にしない限り、この窮地を脱することはできないのか。
「君、魔法が使えたんだね」マルセルがほっとしたような笑みを浮かべた。
「ごめん、君のを借りたんだ」
「借りた?」
「詳しいことは後で話すよ」
 下の階で扉がぶち破られたような音がした。どうやら女の給仕たちが出てきたようだ。何を使ってぶち破ったのかはわからないが。
 倒れていた男が鉈を手放し、ゆっくりと立ち上がった。
 女たちが階段を上ってくる音がする。
「困ったな……」
 姉ジェシカだったら容赦なく彼らを戦闘不能にしただろう。腕を切り落としてもあとで修復すればよいくらいにしか考えない。
 しかしロアルドにはできなかった。
 もたもたしているわけにはいかない。目の前の部屋の中にグレースとスチュワート教授がいるはずだ。とはいっても、スナッチの圏外にいる魔法師から今も何らかの魔法攻撃が続いていて、マルセルは息を切らしながらそれを防御していた。
「こういう時、体の弱さを恨むよ……」マルセルは言った。「慣れない魔法を少し使ったくらいでこれだからな」
「僕も手伝うよ」
 ロアルドはマルセルの魔法を借りて防戦したが、発動のときに消費する魔力はマルセルのものなのだ。しかも魔法と違い、魔力は返すことができない。
 自分は何も失わない。消耗するのはマルセルだけだ。ロアルドは情けなかった。
 その時、建物が大きく揺れた。
「地震か?」にしては一瞬の揺れだ。衝撃といっても良かった。
 目の前にいた男と、至近距離まで近づいていた給仕の女ふたりが力を失ったかのように膝が折れ、その場に倒れた。
 そして魔法師による攻撃が止んだ。一切の攻撃魔法が飛んでこなくなった。
 轟音がしたかと思うと天井を突き破って赤い炎に包まれた少女が飛び降りてきた。
「これは何事なの?」少女はつぶやくように言った。
 それはこちらが訊きたい。ロアルドはその少女を見た。
 体は床から十センチほど宙に浮いていた。長い黒髪が炎のゆらめきのように大きく揺れている。
 黒いワンピースはルームウェアのようだ。スカート部分が風のようにそよぎ、裸足だった。
 そのぞっとするような美しい顔は、間違いなく神学科一年にして総代をつとめたアルベルチーヌだった。
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