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そしてまた紙芝居 プレセア暦三〇四六年 コーネル領商いの街広場

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 ウイリアム・エイカー教授は翌日にコーネル邸を発った。
 童話研究家のリチャード・エヴァンズは気ままな取材旅行だったようで、何日かコーネル邸に滞在するとのことだった。
 まだ暑い晩夏の休日、ロアルドとロージーはエヴァンズを商いの街へと案内した。それにジェシカが同行した。街をうろついてプレセア正教会の神官たちに呼び止められないとも限らない。
「お姉さまが一緒なんて感激だわ」ロージーは無邪気に喜んだ。
「怖い人が現れるかもしれないからだよ」ロアルドは注意を促した。
「ひとを用心棒みたいに言わないで」
「すみません……」
 怖さだけならジェシカの方が怖いとロアルドは思った。
「やはり商いの街は活気があって良いなあ」エヴァンズは暑さを何とも感じていないようだった。「広場で紙芝居をやっていないかなあ」
「どうでしょうか」あの時の紙芝居の男女がいたらまた面倒なことになるとロアルドは思った。
 今日もロージーは麦わら帽子に真っ白のワンピースを着ていた。あまりの可愛さに目立つことこの上ない。十年もしたら姉グレースのような美人になるとロアルドは思った。
 性格は三人の姉の誰にも似ていなかった。この無垢で無邪気な性格は母親ゆずりなのだろう。
 してみると、マチルダやジェシカは父親似なのだろうか。
 そんなことを考えていたら、大道芸人が集まる広場にやってきた。先日、紙芝居の男女と神官たちの大立ち回りがあった場所だ。
「あ、紙芝居、やっている」ロージーが目を輝かせた。
 ロージーが指さす先に中年男性がイーゼルを立てて、絵を見せながら語りをしていた。
 聖王千夜物語を語ったあの男女ではなかった。語り口もおっとりとしている。
「……屋敷には召使の娘がたくさんいました。その中にひとり、とても美しい娘がいたのです。名をロゼと言いました……」
「あら、ロージーね、可愛い」ジェシカが微笑む。
 ロージーもはにかんだような笑みを見せた。
 念のためロアルドは、紙芝居の男に近寄り、スナッチで彼を視たが、そこに何の魔法もなかった。
「……ロゼはとても踊りが上手でした。しかしロゼの美しさと踊りのうまさをねたんだ他の召使たちは、優しい主人の目を盗んでロゼをいじめていたのです……」
「まあ、ひどい……」ロージーは紙芝居にのめりこんでいた。
「……ロゼは主人の目にとまることなく、ひたすらきつい、汚い、危険な仕事をさせられていました。そんなロゼの唯一の楽しみはもちろん、広い庭で踊ることでした……」
 小さなこどもを連れた親たちが一緒になって見ている。しばしの間ジャグラーら大道芸人たちも小休止をとっていた。
「……ひとりこっそりと踊っているロゼを、主人は見つけました。そしてその美しさに感動を覚え、薔薇の花飾りのついたサンダルをプレゼントしたのです……」
 離れたところに教会の神官の姿があった。紙芝居を監視しているのか、ロアルドたちを監視しているのかはわからなかった。
「……ファーラ王がその地を訪れました。街中が歓迎しました。主人は一部の召使たちにもファーラ王のパレードに行くことを許しました。しかしその中にロゼの姿はありませんでした。ロゼは他の召使たちから川で洗濯の仕事を言いつけられていたのです……」
「かわいそう……お兄さまみたい……」
「ん?」ジェシカの目が少し吊り上がった。
「……ロゼは過ってサンダルを濡らしてしまいました。薔薇の花飾りを乾かそうとサンダルを脱いで置いておくと、大きなファルコが飛んできて、そのサンダルをくわえて持ち去ったのです……」
「何か、聞いたことがあるな……」ジェシカが思いだそうとしていた。
「……ファーラ王の前に薔薇の花飾りがついたサンダルをくわえたファルコが現れました。そしてファーラ王の前にサンダルを落として行ったのです。これは神の思し召しに違いない。そう考えたファーラ王は、このサンダルの持ち主を探し出すように家来に言いつけました……」
「これって……『灰かぶり』?」ジェシカはエヴァンズに訊いた。
「おそらくその類でしょう。もう少し聴いてみましょうか」
「街中を探し回ったファーラ王と家来たちは、とうとう主人の屋敷にやって来ました。ロゼは身を隠していたのですが、見つかってしまい、ファルコが落としていったサンダルがロゼの足にぴったりとおさまったのです。さらにロゼがもう片方のサンダルを所持していることがわかり、このサンダルの持ち主がロゼだと判明しました……」
「まあ、良かったわ」ロージーが安堵の笑みを浮かべた。
「……こうしてロゼはファーラ王と結婚し、幸せに暮らしました……」
 結婚といっても身分を考えたら側室のひとりだろう、とロアルドは思ったがそんなことはロージーには言えなかった。
「これは興味深い……」エヴァンズはロージーとは別の意味で興奮していた。「おそらく南の大陸の童話ですね」
「え? 『灰かぶり』の一種ではないのですか?」ジェシカが訊く。
「そうです、わがバングレア王国では『シンダーレラ』、ミシャルレ王国では『サンドリヨン』、エゼルムンド帝国では『アシェンプッテル』と言われている話です。靴がガラスではなく、サンダルなのが南の大陸バージョンですね」
 紙芝居が終わった。語りの中年男のところには投げ銭をする親子が集まっていた。
「ちょっと話を聞いてみましょう」
 エヴァンズが中年男から話を聞くというので、ロアルドたちも彼に従った。
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