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しおりを挟む……。こんなふうに、終わるんだとは思っていなかった。だからと言って、永遠に続くのだと思っていたわけじゃない。
胸に握り締めたナイフを見る。
あいつがわざわざ作って、俺によこして、それが今日、俺の事を殺すんだ。
ちょうどいい刃渡りだ、おろしたてだから切れ味もいいだろうし、痣の上からつき立てれば心臓を易々と止められる。多少は痛みがあるだろうが、引き抜けばすぐに出血で、意識が落ちるだろう。
部屋の前に到着して、扉を開けたらすぐにヴァレールが俺を殺しにかかってきたらどうしようかと思う。
それだと、俺の話も聞いて貰えなくなってしまう。
そのぐらいはさせて欲しいんだけどな。最後ぐらいは、満足して死にてぇんけど。
それが許されないほどであれば、まぁそれはそれでやむ無しだ。
仕方がない。迷ったって時間を無駄に消費するだけだ。扉を開けよう。
伸ばした手は、無様なほどに震えていて、それでも、自分の恐怖に目を瞑って、押し開く。
暗い部屋で、彼はソファに一人佇んでいた。
俺からの襲撃に備えて、誰かをそばにつけていてもおかしくないはずなのに、ただ一人で酒を飲んでいる。
「……」
眉をしかめてこちらに視線を送り、無言でまた視線を落とす。
俺からも何も言うことはできなくて、何とはなしに近づいて行った。
「……」
「……」
空気が重たい。けれど、出会い頭に殺されるようなことはなくて安堵する。
どう話を振ったらいいのか分からずに、向かいに腰掛けた。
俺が、どうこうするよりも彼の指示に従った方がいいかもしれない。こうして、無抵抗でこの部屋にいるのだから、俺の意思は少なからず伝わっているだろう。
「わざわざ、君からやってくるとはね」
グラスを出すのが面倒だったのか、自分のグラスを俺の方にスライドさせて、ヴァレールは酒瓶から直接酒を煽った。
珍しいこともあるものだと思いつつ。渡された酒を舐める。
「オーギュストには、帰ってもらったよ」
「……あいつ、何がしたかったんだよ」
振られた話題に、素直に聞きたかったことを返す。
「さぁ、馬鹿の思考は測り兼ねる。大方、君が欲しかった、それだけだろう。だから、わざわざわ、私の仕事を明言した」
「……だとしても俺は、あいつのにはならねぇよ」
「本人は君の感情など興味が無いからね、私と君の関係性を壊して、自分のものになると本気で思ったのさ」
ヴァレールの言うことが本当ならば、それは確かにバカ以外の何物でもない。自分の都合のいいように世界が回ると思っているという事だ。
お幸せな世界に生きている、馬鹿なんだろう。
「しかし安心していい。彼はちゃんと家に返してやったが、君のことは愚か、仕事や家族の事もまともに覚えていないし、他人に伝えられるだけの発語能力もないだろう」
「なに、したんだよ」
「君にやったより、乱暴な事さ。知る必要はない」
……馬鹿だった代償がデカすぎだ。
そう考えたのと同時に、それほど他人に知られたく無かったのだと認識する。
そりゃそうだ、あんたにとって一生の汚点だろうな。俺は。
話が一区切りするとヴァレールはテーブルに手を伸ばす、彼がなにをするのかまったく分からない俺は、その一挙手一投足に体が怯えて、でもそれを隠そうと言う気にならない。
怖いものは怖くて、今から情けない事をするのだから、いいのだ。また酒を舐める。初日の時に勧められたようなきつい香りの酒ではなく、少し甘みがあった。
ヴァレールの手は、テーブルの上の瓶を掴み。
ザラザラとテーブルに出した。
粒状の薬剤でどんな用途のものなのか分からない。
「これなら、一定量飲めば眠るように死ねる、酒は危機感を麻痺されることが出来るしな」
数を数えて、ひとまとまりにより分けた。
どうやらそれが致死量らしい。
そんなややこしい事をせずとも、俺は別に、刺殺されてもいいのに。
でも、ヴァレールなりの気遣いだと言うのなら素直に受け入れよう。
すぐ眠くなんのかな。それなら、酒ももっと飲んだ方がいいだろうと思い、口に含む。
今日に限っては全然、酔っている気がしない。
心臓は大きく音を立ててどんどんと覚醒していくような気さえした。
死にたくないと防衛本能が叫ぶ、ヴァレールはタバコに火をつけて、その薬を掴んで、それを俺に渡す……のだと思いきや。
自らの口の中にザラザラと入れた。
……、あ…………、まって。
こんな状況から、彼を救う方法が思い浮かばずに、迷いに迷った挙句、テーブルを蹴飛ばして彼の元に向かい、そのままみぞおちにナイフの柄を押し当てた。
「くっ、かはっ」
「っあ!、悪ぃ、いや、あんた、だってっ!!」
飲み込んでいなかったようで、薬は口から落ちて行く。
口をゆすがせなければと思いソファの上に押し倒し、水差しを運んできて、彼の口目掛けて、ダパダパと注ぐ。
まったく俺の行動のいとが読めなかったのか、彼は心底理解できないというように俺を見上げた。
服は濡れて、ヴァレールはむせてしまっている。セットしていた髪も落ちてきてしまっており、それをかきあげて、口を開いた。
「っ、ゴホ……君にこんな乱暴をされたのは初めてだな、っ、どうした」
「はぁ?だって、なん、なんだ?何してんだ?」
「自害だな」
「な、んで」
「……私が君の家族を虐殺しているのは事実だからだろうな、退いてくれないか、薬が飲めない」
手を伸ばされて肩を掴まれる、それでも退く気はないだって、俺がその薬を飲むならまだしも、あんたが飲むなんて意味がわからないだろう。
動けずに居れば、ヴァレールは少し逡巡して、それから、優しく笑った。
「あぁ、君が直接私を殺してくれるのかな」
ナイフの鞘を抜き取って、俺が握っている上から彼は手を添えて、自分の方へと剣先を向けた。
「さあ、刺しなさい」
「っ!」
「どうした、シリル」
「なんでっ」
「わざわざ言う必要は無いだろう?」
「っなん、だよっ」
グッと力を入れられ、反射的にナイフを自分の方に引き戻して彼の手を振り払う。そしてそれを力の限り遠くへと投げ捨てる。
そのまま、彼の頬を殴った。反射的に人に対して手が出たのは初めてだった。殺す目的でもないのに、殴ってしまった。
「っ…………、まあ、良い、抵抗はしないよ」
ヴァレールは俺の乱暴を咎めるでもなく、力なく、そういい、俺を見つめた。
口の中が切れているのか、殴った部分が赤く色づいていて、酷い罪悪感に見舞われる。そんな事するつもりじゃなかった、そもそも、なんでこいつが死ぬんだ。
俺が死ぬのに。それでいいのに。
そうしたらあんたは、俺を殺した事を一生背負って生きていけばいいんだ。そうしてさえくれれば俺は死ぬのだって怖くない。
なのに。なんでだよ。
なんであんたがそんな諦めたみたいな顔してんだよ。
殺さなければと確かに思った。でも、死んで欲しいなんて思って無いんだ。
なんだかもう、どうしようも無いような感情が胸の中で渦巻いて、また腕を振りかぶってみるが、それじゃあ意味が無いと自分の理性が語りかける。
殴るのはやめて、彼の胸ぐらを掴んだ。
「あんたが、なんで死ぬんだっ」
「……」
「な、なんであんたなんだっ」
「……」
「俺を殺せよ、ぉ、っ、俺がっ、」
本当に言いたいことだけは言えないけれど、とにかくヴァレールが死ぬことは無いのだと口に出す。
でも、それをいう度に、そんなふうに追い詰められたヴァレールが可哀想で、悲しい。
こいつは、そんな風な死に方をするような悪人じゃねぇんだ。俺だって、助けてくれたんだ。
言えない思いは、顔を熱くさせて、涙で視界が歪む。
あっという間ににポロポロと頬を伝ってこぼれ落ちて、嗚咽が漏れる。
「…………いいんだシリル、死ぬべきは私だろう。君はここで受けた恩や、絆された情のせいで、結論を間違えているだけなんだ」
「ま、違い、だと」
「そうだ。本来、初めに君らを殺したのは私だ、ここで復習を果たすときだよ。シリル。私の偽善に騙されちゃいけない」
復習……なんか。
そんなもんしてなんになる。
俺は何も持っていないのに、そんな事をしてせっかく手に入れたものを失って何が復讐だ。
俺を殺す気など毛頭ないことにも、むしろ自分を殺すことが正解だということにも、言いようの無いほど悲しくて、彼に泣すがる様に涙を流しながら体を預ける。
「っうぅ、っ、っぅ」
「……ナイフを持ってきただろう?どうしたんだ、私を殺すのではなかったのかな」
「っ、っズビッ、う、っ~っ、うるせぇ、っあんたに!……ゔぁれーる、に殺して、も、らおうって思って来たんだ」
「……」
「っうぅっ、あんたの家族、を俺のしゅぞくも、殺したんだ、っ、あんたに恨まれんのむり、だから」
だから、ここまで勇気を出して来たって言うのに。
それが蓋をあけてみれば、二人ともお互いに恨まれて死ぬと思っていただなんてバカみたいだ。
いや、俺はいいとしても、ヴァレールはなんでそんな風に思ってんだ。
あんたが、人を呪い殺したのには理由があって、既に家族を殺されるという復習もされていて、そのせいで、精神的に痛手を追ってなお、必死に生きているというのに……。
「……」
「っ、はぁ、っ、っうう、っ」
考えれば考えるほど、何故か、彼がバカみたいに愛おしくなって、涙がでてきた。 体温が暖かい。
俺が子供のように泣きじゃくるからか、ヴァレールは少し体を起こして、俺の頭を撫でる。
このまま彼に体を預けて、このことは無かったことにしたい。俺の事を知っているのはあとはフロランだけだ、それならきっちり説明すればわかってくれるかもしれない。
でも、それは、それをしてしまったら、この機会を逃してしまったら……。
「なぁ、ヴァレール、俺をころして」
「出来ない、君が私を恨んでいないと言うのなら、私も、同じように君を恨むことなどない」
「でも、それでも、あんただったんなら責任取ってくれよ」
「なんの事かな」
「……」
だって俺は。
言葉で伝えるよりも、見せた方が早いと思い、シャツのボタンを外す。それから、胸元にぐるぐると巻いている包帯を取り外した。
部屋が暗くとも、その部分が赤茶色に変色して、まるで虫が張ったかのように汚い痣がある事は、ありありと分かる。
「……その痣は……、馬鹿な、モーリスは……」
「いいだろ、んな事」
信じられないものを見るようにヴァレールは俺の痣に触れる。自分でも見ていなかったが、それは俺の胸全体に広がって体を蝕んでいる。
道理で、死を身近に感じるわけだ。
「俺、もう死ぬ」
場違いにも、彼の暖かくて大きな手が直に胸に触れるのが心地よかった。
「長くねぇって、自分でわかる」
口に出してみると、今まで抗って、見ないふりを続けてきた、恐怖と苦痛がじわじわ拡がって涙が溢れてきた。
強がっていた、ずっとずっと、必死に生きることで抗ってきた。
その自分の張り詰めた生き方が瓦解していく。
「これ、すげぇ痛ぇの、ゆっくり眠らせてもくんねぇし、忘れようとしても、呪いが俺に忘れんなって発作を起こすし」
自分で言ってて笑けてきた。死刑になるのを逃れて延命できたとしても、結局、こうやって、苦しめられる日常は変わらない。
それが、耐えられるわけない。本当はずっと、それこそ死んでしまうほど不安でたまらなかった。
「ヴァレール、殺して、っ、俺を殺して、あんたにあんたの家族みたいに、心を病むほど覚えていて欲しい、俺は生きてあんたのそばには居れねぇし、なんにも残せない、から、あんたの傷になりたい」
もはや、愛の告白に違わない。
あんたの事そのぐらいは、気に入っていた……好きだった。
そんなもの、そんな感情、あるだけ苦痛だとわかっていたのに。
優しげな声も、不器用な所も、たまにひでぇ事すんのも、全部、恋しくてやまない。
「……、」
俺が笑うと、ヴァレールは唇を引き結んで、拳を強く握った。
そして、きつく抱きしめる。
骨が軋みそうなほど、強く抱かれて、やっと彼に全てをさらけ出せたと安心した。
全部を彼に渡す事が出来た。知ってもらえて、それが嬉しい。
この体が、死にゆくとしても、躊躇うことなく抱きしめ返した。
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