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 オリヴィアはカツカツとヒールの足音を響かせながら廊下を勢いよく歩いていた。後ろから小走りで追いかけているのはオリヴィアの護衛騎士であるテオである。

 テオは、オリヴィアの婚約者であるカルステンが出席していないと聞いて、走るような速度で歩き颯爽と男子寮へと向かうその背中を追いかけた。

 廊下を歩くオリヴィアの高く結われた金髪の髪は、風になびいてキラキラと揺れている。そのまま外廊下を抜けて男子寮の扉を風の魔法を使って勢いよく開き、バァンと轟音を響かせながら王族であるカルステンの使う部屋へと向かおうとした。

 しかしオリヴィアの足音とは別に、今は出席していないカルステン以外はいないはずの寮内に女性の柔い声が響いた。

「あっ、ああっ」

 なんとも扇情的な声にオリヴィアは眉間にものすごく深い皺を刻みながら声のする方へと向かう。学園の制服に身を包んでいても、その体からは歴戦の猛者のような覇気が漂っているように思う。

 彼女が怒りをあらわにすることはよくあることではあるが、その多くが相手を威嚇する場合であったり交渉事を有利に進める目的があっての事だ。まったくそういった事態ではないこの状況でのオリヴィアから伝わってくる怒気にテオは震え上がるような心地だった。

 こんなに機嫌が悪くてはテオが割を食うというのに、相も変わらずオリヴィアの婚約者はよくやらかしてくれる。

 しかしよくやらかすにしても今回のは質が違う。失態ではなく、裏切りだ。

 今年を無事に過ごせばやっと成人して正式に婚姻を結び、色々と気苦労の多い王太子の婚約者であるオリヴィアも、魔術師の称号と王太子妃の正式な座を手に入れて落ち着けるはずであったのに、最後の一年でこれである。

「……」

 声のする方へと、オリヴィアは迷うことなく足を勧めた。こんな状況であってもオリヴィアは躊躇するでもなく戸惑うでもなく、その鋭く吊りあがった瞳をさらに鋭くさせながら、談話室の扉へと向かう。

「あっ、だめぇ、カルステン、あ、あなたには婚約者が」
「そんなものは関係ない、ただいまこうして君と交わりたい、そのためだったら私はすべての物を捨てたってかまわないのだ」
「そ、そんなぁ。そんな悲しい事を言わないで、私たちは、いずれ結ばれる運命なのぉ。だから、それまではぁ、ああっ」
「この先の未来で結ばれようとも私は、今、其方の熱が欲しいのだ。其方の事以外考えられないっ!」

 乱れた声が扉越しに聞こえてくる。オリヴィアはそれをただ聞き、少しその恐ろしい雰囲気を和らげて、それから扉にそっと手を触れた。

 そんなオリヴィアの気持ちに寄り添うように、テオも何も言わずに一歩下がる。

 カルステンの相手が、どこぞの令嬢なり平民でお遊びならばオリヴィアにとってまったく問題もなかったが、そうではない。

 扉の向こうから聞こえるフワフワとした話し方や声からして、今、学園中、いや、国中で話題の彼女だということが想像に容易い。これまでも怪しげな場面は何度も目撃していたが、これは決定的な事実だ。

 彼女は、異世界からやってきた召喚者。

 名を、マイ・サクラギといい、不思議な黒髪と運命の女神の聖痕を持つ聖女だ。彼女は突然やってきた。まるで決まっていたかのように今年の初めにカルステンの元へと現れて、教会の認証を経て正式に聖女となった。

 後ろ盾はもちろんカルステンであり、身寄りのない彼女はカルステンの計らいでこのデオルディ王国国立魔法学園の最終学年に編入してきた。それから運命の女神の加護で、いくつもの奇跡に近い事象を見せこの国の人間を虜にしていた。

 そんな聖女は、どうやら今度はカルステンと結ばれる運命を見つけたらしい。

 数多いる女神の中でも運命の女神の加護については曖昧な部分が多い。

 俗説によると運命を手繰り寄せる力があるというが定かではない。しかしとにかく、聖女の力というのは他の誰もが逆立ちしても成せない事を簡単にやってしまえるような力であり絶対的なものだ。

 そんなものを持ったマイはオリヴィアの婚約者の心まですでに掌握している。そして体までも彼女の者になって、主であるオリヴィアは今どんな心地なのだろうと想像もできなかった。

 テオは、いつも強気に輝いているオリヴィアの宝石のような緑の瞳がどんな風に悲嘆に暮れているのか見るのもなんだか悲しくて視線を伏せて何か声をかけようとした。

「オリヴィ━━━━

 しかしその声は遮られ、同時に部屋の中からする甘ったるい声も止まる。それもそのはず、ドゴンと鈍い音がしたと思ったら、すました顔のオリヴィアの利き腕である右手が談話室の重たい木の扉を貫いていたからだ。

 普通に殴ってそんな風になるはずがない。きっと魔法を使ったのだろうと思うのだが、魔術を持っている人間でも無意識に魔法を使ってしまうほど、簡単に魔術を操る人間はいない。

 しかしどうやら、本当に無意識にそうなったらしくオリヴィアも少し驚きながら、穴の開いた扉から手をぬいて、その穴の隙間から向こう側にいる二人を睨みつけて口を開く。

「殿下」

 背筋が伸びるような声にテオは体がびくっとして、伺うようにしてオリヴィアを見る。

 彼女は、美しい女性であるのに、まるで猛獣のごときどう猛さを孕んでいた。

「盛りのついた獣のように日の高いうちから発情するなど下賤の極みですわ。どうかお控えになられて、カラコロと音のなる頭を少しでも改善する為にも授業出てくださいませ」

 艶のある声で罵り、髪をなびかせながらオリヴィアは続けざまに言った。

「それから、そちらの節操無し、お前はもう少し淑女たる自覚を持つべきですわ。お前が聖女を名乗るなどこの国のつつましやかな聖女たちの顔に泥を塗るのと同義ですのよ」

 切れのある言葉選びに、テオは、ひえっと心の中で怯えながら、華麗に身を翻し彼女たちの言葉など聞く気もなく来た道を歩くオリヴィアに続く。

 相変わらず歩くのが尋常じゃないほど早いオリヴィアに小走りでついていきながら背後で、憤慨して喚き散らすカルステンの声を少し心地よく感じた。



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