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第一章 なぜ私であるのか

私の方が綺麗ですよね

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「悪い方向に受け取らないでくれ」

「悪意も方向もなにも、そうとしか聞こえませんよ。あっいまうんざりしましたよね。すみませんねこんな女で。嫌な女ですよね。けどこれが私なんですよ。あなたが知らなかっただけで、これでやっと知ることができましたね、素の私が、良かった良かったご苦労様でした」

 いや今までも結構どころかかなり酷い感じだったけどとジーナは心の中で思うも口には出さなかった。

 胸の疼きは増していき思考が狭まっていると感じつつもジーナは言葉だけは途絶えさせぬようにした。呼吸と同じようにしなければならないと。

「ハイネさんはそんな人じゃない」

「あーあごめんなさいね幻想を抱かせちゃって。ですから私はそういう女なんで。もしかして助けられた義理でそう言っていますか? だったらそんな必要はありませんよ。私、重っ苦しい男の心とかは嫌いですし」

 胸の痛みは一段と増し呼吸がつまるが、それでもジーナは声を出し、繋がりを保とうとする。

「だから、そうじゃない。違う」

「そういうのもういいですから」

 ハイネは悲鳴じみた声を出しジーナの胸は締め付けられた。

「そうですね……そう、勘違いしているみたいですから、言いますよ。あなたを助けようとし頑張ったように見えるのもただ単純に、例の指輪が欲しかっただけです。そうですよあんな高価そうなものを貰う前に死なれたら、困るじゃないですか。ここにいるのはあなたからそういう話がくるのを待っているだけですからね。けどあなたはくれなそうですから、もういいです」

 声を出そうともがくが呼吸ができずにジーナの手が宙を舞い、ハイネの言葉へのせめてもの抵抗のように。

「これでもう分かりましたよね?もう無理に私を擁護とかせずにそのまま黙って私のことを正直に嫌ってください。私もあなたのことを、もう……ジーナさん?」

 瞼を閉じてはいないのに視界が暗くなり、落ちて行くかどこかへ行く感覚に捕らえられていく途中で耳だけは聞こえるのかジーナはなにかが傍で飛び跳ねた音が聞こえ、それから背中と胸に手が、誰のかとよく知っている手が添えられるのが分かり崩れ落ちずに済んだと息をついた。呼吸が可能となった。

「ジーナさん、大丈夫ですか?声、聞こえますか?」

「聞こえるよ。おかげで助かったし今回もありがとう」

 ジーナはハイネの手をとりそれに向かって頭を下げた。

「いま支えてくれた時のことを意識がない時もしてくれたのだろうな。触れられた瞬間に身体が覚えているように真っ直ぐになったし、そのあなたの手によって命が続いたと、いま言葉として言えるようになった」

 まだ顔は上げられず視線は手の位置のままであったがハイネは手を動かずまた口を挟まずに聞いていた。

「だから私はハイネさんの言葉を否定しているんだ。本人に対して否定するとか変な話だけど」

「演技だと、したら?」

 声だけが聞こえるが遠くからの言葉であり非力な響きしかなかった。

「なら私の今のも演技だと白状しよう。全部出まかせをいったわけだけど」

 開かれたままの窓から風がおこりハイネの髪がなびいたのか濃い匂いが流れてきた。それから頬に髪が当たる感触がした、首を振っているのか?

「あなたはそういうことをしない」

「ならハイネさんもそういうことはしない。人を試したり騙したりとかそういうことをしない」

「そんな幼稚な返しはやめてください。私はそんな低レベルな言い争いなんかしたくありませんよ」

「ハイネさんがやめたらやめる。やめると約束する」

 子供みたいと呟いたハイネは息を長く吐き、ジーナの胸に乗せたままの手の指を動かした。

「痛くなったのは同じ箇所で?」

 布越しだというのにハイネの指は強く身体に刺さるとジーナはある意味で痛かった。

「そこではなくてちょっと隣の違う場所が痛くなった」

「どうして痛くなったのですか?」

 幾分か弾むような声でハイネが尋ねた。

「分からない。私の心と体に聞いてくれ」

「自分の心のことじゃないですか」

「それが一番分からないところじゃないのか?」

 それ以上ハイネはなにも言わずに箇所を探り、当てた。心臓の上であった。

「そこだけど、もう痛みはなくなった。これもハイネさんのおかげだろうな」

「勝手に治っただけですよ。前回のもそうですが、あなたは自分で倒れて自分で起きたんです。私はなんにもしていない」

「けどあなたは最初にその時に動いた。私はそこを大きく見るよ。その心と優しさを」

「なんですそれ。ああ分かりました、そう言うとこちらが迷惑そうな反応をするから敢えて言うんですね。あるいは私を思うように動かそうと考えての発言。賢いですね。だけどねジーナさん。そうやって無理に褒めたりしても、私はあげませんし何もしませんよ。あなたの望むことはなにも、あげず、しません」

 手を引きながらハイネが突き放すとジーナは言った。

「それもどちらかというと私の台詞のような気がするけど、まぁどっちでもいいか。それで指輪の件だけど、貰ってくれないか」

 そう言うとまた沈黙が降りてきたが、無意識のうちにまだ閉じたまま瞼の裏の闇の世界にいるジーナにとってそれは待っている時間にすらならなかった。

 ここにいる限りは時が消滅しいつでも永遠の今にいられるという錯覚のもとハイネの迷いの息遣いを耳にしていた。

「私にそれをつける理由はありませんので、やはり」

「いいからつけてもらいたい。だいぶ拗れているけれどこれはハイネさんが貰わないと話が収まらないんだって。そっちがいらないといっても、これはあなたがつけないといけない、だって」

 意識の暗闇の中でジーナは宝石を思い出すと闇の中それが輝いた。

「凄く綺麗な色の宝石でね、ハイネさんの瞳の茜色の時と同じかと思って、それで実際どうなのかと見たくて」

 いま、なにかよからぬことを口走ったよう気がしたとジーナは思うも、気のせいかなと彼はすぐに忘れると、ハイネの声が近くから聞こえた。

「……私はそんな色の眼ではありませんけれど」

「私といる時はたまにそんな瞳になるな。それがとても印象的で、だから買ったわけで」

「そうなのですか? 私はあなたといる時そのような色の瞳をするのですね。その時は鏡を持っていませんから分からないです」

 声はもっと近くなるも、ハイネはどこにいるのかジーナは暗闇のなか距離感が感覚的にも掴めなくなっていると、右頬から顎に手と指が掛かり少し持ち上げられる。手の温度からそれは彼女のものであり、そこにハイネがいるのだろう。

「ねぇ、こうしませんか? 私の瞳よりも宝石の方が綺麗でしたら、それ貰います。自分のより綺麗でないのなら、持っていても仕方がありませんし。ただどちらかが綺麗であるのかどうかは私には分かりませんので、あなたが教えてください。まだ瞼は上げないでください」

 奇妙な賭けだなと思ったもののジーナは頷いた。

「けど私は絶対に宝石の方をあげるけどそれでいいのか」

「ご安心を。私は負ける気が一切ありませんから、真剣に行きますよ」

 なにを真剣に行くのか?分からないままでいるとハイネの掌の熱があがり、声がこれ以上に無く近くまで来た。

「動かないでくださいね」

 すると唇に何かが押し当てられその言葉がそのまま内側で響きだしジーナはすぐにこれが何であるのか分かり、衝撃から瞼が自然と開くと眼前に茜色の光が広がっている。

「どうですこの瞳、あなたは宝石の方が綺麗とか言いましたが」

 ハイネの鼻と自分の鼻がつくかつかぬかの距離の間で、ジーナは顔の認識よりも先に瞳に魅入られた。その浸食してくる光。

「私の方が綺麗ですよね」

 心の中の言葉を代わって言われるがジーナはさっき痛んだ胸の痛みが、また再発した。何かを止めている、その先を止めているのだと。痛みによって何かを喰い止めている。

「宝石の方が」

「嘘」

 吐息と共に柔らかな声がジーナの言葉を掻き消し、また茜色の輝きを見せて来る。その光りを増しながら、光の領分を広げていく。だから瞼を閉じることができない。それは返事となる。

「言って、ください」

 心を撫でて来る囁き声が心地良さと苦痛を同時に与えて来る。目に見える傷がなく血が流れていないだけ。

「そうしたら逆にあげますから」

 ジーナはまだハイネの瞳から逃れることができず、茜光のなか、救済のような声を胸の痛みと共に聞いていた。瞼を閉じこの光を受け入れたら……

「ジーナ……あげますから」

 腕を伸ばし抱きすくめると抵抗もなく腕の中にハイネが入ってきた。抱きしめるのはハイネと一閃のように広がっていく痛みであり、このまま落ちて行くことも、遠くに行くこともできないジーナはその耳元に告げる。

「宝石の方が綺麗だ」
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