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第二章 なぜ私ではないのか
呪身及びに龍身
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進むその背後から聞こえるルーゲンの錫杖の音は小さく、残響もすぐさま薄闇へと吸い込まれ消え去る。
そういう空間なのだなとジーナには把握できた。龍が支配する世界における龍の巨大な力の影響下にもっとも近いところ。
ジーナもここもまた負荷なく歩きはできたけれども距離感が狂っているのか、それほどでもない広さの部屋の中心にまだ辿り着けない。
歩数は十分に歩んだはずであるのに、まだ途中。闇の中。そのせいか龍は見えず、色は見えず、その血を流している箇所、傷痕だって見えはしない。
ここはどこかの闇のなかに似ている。
だからジーナは印に触れ、金色を放つ。輝きは闇を照らし龍の間の暗い色彩を塗り替えたように雰囲気を変える。
背後から隊員達の声が聞こえる。動ける、と。そうだこの印の力は龍の力を上回る。これはそういう力なのだ。
ジーナも中心の龍が姿が見えた。
横たわるその紫色の皮膚……自分の眼が裂けるばかりに開くのを感じながらジーナは足を大股にして前に出そうとする。毒龍がそこにいる。やはりお前であったのだ。そうだそうでなければならない。
「隊長慌てるな!」
肩を掴まれ振り返るとブリアンがそこにいてジーナは睨む。
「止めるな!」
「あんたはその金色の瞳になると別人になっちまうが、ここは事前の打ち合わせ通りに足並みをそろえる。そうだろルーゲン師」
顔色が蒼白となっているルーゲンが喘ぎながら近づいてくると二人の間に入った。
「ジーナ君、落ち着いて。君の今の状態は龍の空間においても有効だ。だがその力で以って隊員たちと歩調をとるべきです。単独で動いてはなりません。たとえ君だとしても一人で戦うべきではない」
はやる心を抑えながらジーナは後続の隊員が向かってくるのをもどかしい気分で待っていた。
先頭にジーナ、そのすぐ後ろにブリアンとルーゲン、続くはノイスとアルに隊員達と予定通りの陣形をとりジーナはその紫色の物体を目指して進んでいく。
先ほどまでの狂った距離感にはならずひとつ歩けば一歩進み、そのぶん龍に近づくという緊張よりも高揚感にジーナの心は満たされていった。
これが毒龍であるのなら……このまま討てるというのなら……ここで使命が果たされるというのなら……私は印を戻しに故郷に帰れる。
それはひいては……そうだそれはそのまま……あの方の……彼女を……ヘイム……それを救うことに。
入り乱れる想念に急かされ動かされるようにジーナの足は龍の元へ、背負いしその罪を討つために近づき、止った。
先頭にジーナ、その後ろにブリアンとルーゲン。そのあとに隊員が並ぶ。彼らはこれ以上龍には近づけない。いや、それでいい。
一人ジーナは更に龍に近づき、見えてくるその姿。紫色の龍は死に絶えたように横たわっている。身体の右側を上にし瞼を閉じている。左側は負傷しているのだから下にしているのだろうとジーナは思いつづける。
そうであるはずだと。お前の左眼はこの俺の手で斬ったのだからな。
自分がつけたその傷をこの龍は有している。
月に照らされた際に見えた紫の鱗の色と傷以外にこの龍を判断する材料などない。ジーナは瞼を閉じて最後の思考に入る。
口も聞けぬこの龍……だから、このまま討てばもうそれでいいのだ、とジーナは決心し瞼を開き剣を抜き金色を光らせると、声が聞こえた。
『ジーナか……』
呼びかけと共にジーナはいま、時が止まっていることを意識した。剣を抜き構えるその流れが途中で停止していることにまず気づき、後ろを振り向かずとも背後から人の命の気配はまるで感じなかった。
龍の力によるものか? だがなんのために呼びかけた?
『その金色の力はジーナのものであるが……お前ではないようだな』
口を動かしての言葉のやり取りではないとジーナは気づき心に思う。いいや私だと。
「龍よ。私はジーナだ。龍を討つものだ」
『そうではない。その名は女のものであり、そうではないことは俺よりもお前の方が知っているはずだ。お前ではないのだ』
違うとジーナは心の中で返す。龍にではなく自分に対して言うように、自らに対して騙るように、それ以外の言葉を出させないように。
「私は印を携えお前を討ちに来た。問答は無用だ」
『いいや違う。お前は印を持つものだと騙る偽者。印の力を用いて龍を討つ資格などないものだ、立ち去れ』
「資格とは何だ? これから討たれるものがつべこべ言うんじゃない。お前はただ、ジーナによって討たれる龍に過ぎないのだ」
掲げた剣を振り下ろそうとするも腕は動かず、まだ意識のみが言葉となって渦巻き遠くから聞こえる声と絡まり合い会話となって、身体に流れて来る。血の逆流に抗うように意識が遠ざかりそうになる。
こんな問答など、する必要などないのに。下ろせば、もうそれで……だが振り下ろせない
『いいやそうではない。俺こそがその資格を与えたものであるのだからな……ジーナに龍を討つ印を授けたのは……この俺だ』
心臓の鼓動が鳴る代わりにジーナは落ちて行く感覚の中にあった。落下していく中で言葉は身まだ体をまとわりつき、離れない。
「いったいなにを言っているのだ。やめろ」
『お前こそなんだというのだ。ジーナではないというのに印を携え龍を討とうとするお前こそなんだというのだ? いや正体は知っている。この呪われたものめが……ジーナを殺した呪身めが!』
心臓が止まり寒さが来て身の感覚が失われ、意識が遥か彼方へ跳んでいきそうな中でジーナは叫ぶ、叫ぶしかなかった。
「殺していない、受け継いたのだ!」
『死を願った癖に』
ジーナは今この身体に滲むのはあの闇の冷たさだと思い出した。
『願ったことは、望んだことであり、それはあの時にお前が殺したこと同様だ。お前がジーナとなり龍を討ったとしてもそれを以って贖罪とはならないのだ。お前はなにも継いではいない。奪ったにすぎない』
夕陽の色が辺りを包んでいきそれはあの日のものだとジーナは認識し、どうしてか次の言葉が何であるのかが先んじて分かり、言葉を合わせた。
「死ぬのはジーナでも龍でもなく私自身だ」
『そうだ死ぬべきなのは龍でもジーナでもなくお前自身だ』
冷たさからくる無感覚に夕陽の光りが世界から切り離されたようにジーナは声と声の中へとさらに入っていく。
入っていくそのさなかにジーナは拒むように言った。
「だが、たとえこの身が死の運命にあろうと、先に死ぬのはお前だ。私は、ジーナは、お前を倒し故郷に帰るんだ」
『いいや帰れない。呪身は龍に倒され死ぬ。お前だってこの言葉の意味を知っているはずだ。何故この騙りのための名前があるということを。お前の名は、死だ。もとから存在などしていない』
「お前こそ……騙りではないか偽龍め」
意識は消えずそれどころか鮮明にさえなっていきジーナは自らの声に言葉に自身の全てを委ねるようにもたれかかる。
その言葉のみが自分であるかのように。
「私はお前の正体が分かっている。この毒龍が。そうだお前は西からやって来て中央の龍を殺し、それに成り変わった。この偽龍め!」
『……俺こそお前の正体が分かっている。この呪身めが。そうだお前はジーナを殺し西からやってきてこの地で名乗り成り変わった。この偽者が!』
言葉どころか声までもが異音ではなくなりだし、同音のひとつに、重なり合いつつあった。
こんなに否定しなければならない相手だというのに、どうして一つになりたがる?
自分と同じ声となる。
「私が同じだというのか?」
『そうだお前はそれと同じなのだ呪身め。俺ではない、それとな』
声はさらに重なり合い絡み合い、同じものとなりつつあるなかで、光の空間にひび割れだした。
『なぁ、俺がそれに見えるのか?』
自分の声を出す必要は無かった。
『そう見たいのだな? じつに呪身らしい欺瞞だ』
それは自分の声であり、自分への言葉でしかなかった。
『分かっている癖に……』
わかっていた。その声、罪の声。
『この俺がお前が捜している龍でないことを、お前は誰よりも知っている!』
「……知っていた。そして私自身もまた……違う」
その身はこの身は呪龍を中央に導きひとつになろうとする呪身……
そしてこれは私の声、すべては私の声だ、と思うと共に停止していた光の空間は音もなく砕け散り、二つの眼で以って男を睨み付ける朱き鱗の龍が現れ、その金色の眼が輝き部屋中を光で覆った。
その立ち上がる姿と燦然とした輝きによって場にいた全てのものは立ち竦み呆然とするなか、ルーゲンだけはかろうじて意識を保ち龍を睨み返した。
「まだこれほどの力を残していたのか!」
叫ぶも、だがここまでだとルーゲンには分かっていた。足は動けはしないがこの自分の意識を抑えつけられないぐらいに弱っているのなら、少し時間を置きこの錫杖の力が戻り鈴を鳴らせばもうそこまでだと。
しかしルーゲンは、見た。中央の座の後ろの幕から一人の男が出て来るのを。
この龍の力が最大限に、見ればジーナでさえ動きが止まるほどの圧力の中こちらに進めるものとは……決まっているけれどもそれはありえない。
見知ったその男がここで出てくることはあるわけがない。その思いとは逆に男は剣を携えていた。
龍の前で帯剣が許される存在、最早疑うべくもなくそれは、その男は、そのシオンの兄は、龍の騎士は剣を抜き、腰だめにし駆け出した。
駆け出すその先は、狙いは、何が目的か、瞬時に判断を下したルーゲンは、龍を導くものはその錫杖を床に叩き付ける。
震え砕かれる破壊の鈴の音は悲鳴に似た音色で以て龍の空間を引っ掻き裂け目を開くと、聞いたこともない言葉とものが飛んできた。
「龍の偽騎士が!」
動けるようになったアルが丸めていた隊旗の竿を投擲すると唸りをあげ宙を裂きながら龍の騎士へと竿先がぶつかり怯むと次にノイスの怒声が続く。
「起きろブリアン!隊長を!」
無意識のままノイスは失いつつある名を、同じ言葉を知らぬまま告げる。
「龍身を守れ!」
遅れて目覚めたブリアンは指示の意味を思考することも聞き返すこともなく、床を蹴り龍の騎士へと飛びかかった。
「第二隊! 鈴はもう、鳴らせない! まだ音が鳴っている間に早く!」
身を支える錫杖は最早なく膝を屈し喘ぎ倒れ伏しながらルーゲンは指示を叫ぶ、ジーナの代理を果たす。
「龍のもとへ!」
いつもの掛け声、だから隊員達の身体は自然と前のめりとなり、腹の底から湧き出る言葉、
「罪を滅ぼしに」
隊員達はいつもの隊長の言葉を聞き知っていた。知っていたが言えなかっただがここで言葉は自然と出る。
第二隊員たちは雄叫びと共に意識を突破させた。
「龍を討ちに行くぞ!」
いつもの自分の言葉と突撃の足音が耳に入ったためか男の意識が微かに戻った。私の、ジーナの言葉。
変わらず朱い龍は両の眼にて睨み付け動きを止め、自分は剣を振り上げたまま。
分かったのは自分は生きておりまた龍も生きているということ、分かっているのはどちらかが死ななければならないということ。
そして分からないのは自分が……
「動けジーナ君!」
その叫び声と鈴の残響はジーナの耳にはまだ入らなかった。
龍がもう動こうとしているのをジーナはその前足の動きを眼で追っていた。
先にあるその爪、この身を貫くのか引き裂くのかそれとも両方か、意識が戻るも身体の動きが戻らないジーナは朦朧とした意識の中でいまここで自分が望んでいるものを探った。
私はこのまま……この金色の光の中へ……この命を捧げに……
「君は何のためにここに来た!」
ルーゲンの絶叫はジーナの耳に微かに入りるも、だが声は心の中で変換される。
夕陽、闇の小部屋、冷たさが伝わる指先、衰え切った命の感覚、名前は失われ思い出せないあの娘の声に変わった。
「砂漠を越えた君は、その君の使命は何だ!」
分かっている……私は
「思い出すんだ! 龍を討つものよ!」
忘れてなどいない。ここにいるのはジーナだということを。私はそれになった身である。
声が消えると印にはかつてないほどの熱が宿り腕は動きを再開させる。生きているように、私はここにいると主張するように。
ジーナの、龍を討つものの眼には金色の光りが再び放たれ龍の輝きを呑み込み、喰らった。
龍は瞼を閉じはじめ、剣が振り落とされだすと背後から声と共に何かが飛び込んでくる。
「駄目だ隊長止まれ!」
止ることはできない。この剣がこの龍の首を斬るということは、それは次の龍にもこうするのだと、だからもう止まれない。
刃は金色の光を反射させながらゆっくりと落ちていくのをジーナは見続けていく、斬るしかない、その迷いも共に。
龍を討ち、印を故郷に戻す。この名である限りはそれ以外の何でもない。結末は、既に見えていた。
刃に跳ね返る光のなかに未来があった。龍を討ち、帰る光景が、刃の影のなかに後姿のヘイムが、いた。
落ちていく光は角度を変え振り向こうとする瞬間にジーナは瞼を閉じると、声が甦る。
『それでも……私が、いますからね』
手に手応えと同時にふたつの音が鳴り、それから胸に衝撃がきた。
そういう空間なのだなとジーナには把握できた。龍が支配する世界における龍の巨大な力の影響下にもっとも近いところ。
ジーナもここもまた負荷なく歩きはできたけれども距離感が狂っているのか、それほどでもない広さの部屋の中心にまだ辿り着けない。
歩数は十分に歩んだはずであるのに、まだ途中。闇の中。そのせいか龍は見えず、色は見えず、その血を流している箇所、傷痕だって見えはしない。
ここはどこかの闇のなかに似ている。
だからジーナは印に触れ、金色を放つ。輝きは闇を照らし龍の間の暗い色彩を塗り替えたように雰囲気を変える。
背後から隊員達の声が聞こえる。動ける、と。そうだこの印の力は龍の力を上回る。これはそういう力なのだ。
ジーナも中心の龍が姿が見えた。
横たわるその紫色の皮膚……自分の眼が裂けるばかりに開くのを感じながらジーナは足を大股にして前に出そうとする。毒龍がそこにいる。やはりお前であったのだ。そうだそうでなければならない。
「隊長慌てるな!」
肩を掴まれ振り返るとブリアンがそこにいてジーナは睨む。
「止めるな!」
「あんたはその金色の瞳になると別人になっちまうが、ここは事前の打ち合わせ通りに足並みをそろえる。そうだろルーゲン師」
顔色が蒼白となっているルーゲンが喘ぎながら近づいてくると二人の間に入った。
「ジーナ君、落ち着いて。君の今の状態は龍の空間においても有効だ。だがその力で以って隊員たちと歩調をとるべきです。単独で動いてはなりません。たとえ君だとしても一人で戦うべきではない」
はやる心を抑えながらジーナは後続の隊員が向かってくるのをもどかしい気分で待っていた。
先頭にジーナ、そのすぐ後ろにブリアンとルーゲン、続くはノイスとアルに隊員達と予定通りの陣形をとりジーナはその紫色の物体を目指して進んでいく。
先ほどまでの狂った距離感にはならずひとつ歩けば一歩進み、そのぶん龍に近づくという緊張よりも高揚感にジーナの心は満たされていった。
これが毒龍であるのなら……このまま討てるというのなら……ここで使命が果たされるというのなら……私は印を戻しに故郷に帰れる。
それはひいては……そうだそれはそのまま……あの方の……彼女を……ヘイム……それを救うことに。
入り乱れる想念に急かされ動かされるようにジーナの足は龍の元へ、背負いしその罪を討つために近づき、止った。
先頭にジーナ、その後ろにブリアンとルーゲン。そのあとに隊員が並ぶ。彼らはこれ以上龍には近づけない。いや、それでいい。
一人ジーナは更に龍に近づき、見えてくるその姿。紫色の龍は死に絶えたように横たわっている。身体の右側を上にし瞼を閉じている。左側は負傷しているのだから下にしているのだろうとジーナは思いつづける。
そうであるはずだと。お前の左眼はこの俺の手で斬ったのだからな。
自分がつけたその傷をこの龍は有している。
月に照らされた際に見えた紫の鱗の色と傷以外にこの龍を判断する材料などない。ジーナは瞼を閉じて最後の思考に入る。
口も聞けぬこの龍……だから、このまま討てばもうそれでいいのだ、とジーナは決心し瞼を開き剣を抜き金色を光らせると、声が聞こえた。
『ジーナか……』
呼びかけと共にジーナはいま、時が止まっていることを意識した。剣を抜き構えるその流れが途中で停止していることにまず気づき、後ろを振り向かずとも背後から人の命の気配はまるで感じなかった。
龍の力によるものか? だがなんのために呼びかけた?
『その金色の力はジーナのものであるが……お前ではないようだな』
口を動かしての言葉のやり取りではないとジーナは気づき心に思う。いいや私だと。
「龍よ。私はジーナだ。龍を討つものだ」
『そうではない。その名は女のものであり、そうではないことは俺よりもお前の方が知っているはずだ。お前ではないのだ』
違うとジーナは心の中で返す。龍にではなく自分に対して言うように、自らに対して騙るように、それ以外の言葉を出させないように。
「私は印を携えお前を討ちに来た。問答は無用だ」
『いいや違う。お前は印を持つものだと騙る偽者。印の力を用いて龍を討つ資格などないものだ、立ち去れ』
「資格とは何だ? これから討たれるものがつべこべ言うんじゃない。お前はただ、ジーナによって討たれる龍に過ぎないのだ」
掲げた剣を振り下ろそうとするも腕は動かず、まだ意識のみが言葉となって渦巻き遠くから聞こえる声と絡まり合い会話となって、身体に流れて来る。血の逆流に抗うように意識が遠ざかりそうになる。
こんな問答など、する必要などないのに。下ろせば、もうそれで……だが振り下ろせない
『いいやそうではない。俺こそがその資格を与えたものであるのだからな……ジーナに龍を討つ印を授けたのは……この俺だ』
心臓の鼓動が鳴る代わりにジーナは落ちて行く感覚の中にあった。落下していく中で言葉は身まだ体をまとわりつき、離れない。
「いったいなにを言っているのだ。やめろ」
『お前こそなんだというのだ。ジーナではないというのに印を携え龍を討とうとするお前こそなんだというのだ? いや正体は知っている。この呪われたものめが……ジーナを殺した呪身めが!』
心臓が止まり寒さが来て身の感覚が失われ、意識が遥か彼方へ跳んでいきそうな中でジーナは叫ぶ、叫ぶしかなかった。
「殺していない、受け継いたのだ!」
『死を願った癖に』
ジーナは今この身体に滲むのはあの闇の冷たさだと思い出した。
『願ったことは、望んだことであり、それはあの時にお前が殺したこと同様だ。お前がジーナとなり龍を討ったとしてもそれを以って贖罪とはならないのだ。お前はなにも継いではいない。奪ったにすぎない』
夕陽の色が辺りを包んでいきそれはあの日のものだとジーナは認識し、どうしてか次の言葉が何であるのかが先んじて分かり、言葉を合わせた。
「死ぬのはジーナでも龍でもなく私自身だ」
『そうだ死ぬべきなのは龍でもジーナでもなくお前自身だ』
冷たさからくる無感覚に夕陽の光りが世界から切り離されたようにジーナは声と声の中へとさらに入っていく。
入っていくそのさなかにジーナは拒むように言った。
「だが、たとえこの身が死の運命にあろうと、先に死ぬのはお前だ。私は、ジーナは、お前を倒し故郷に帰るんだ」
『いいや帰れない。呪身は龍に倒され死ぬ。お前だってこの言葉の意味を知っているはずだ。何故この騙りのための名前があるということを。お前の名は、死だ。もとから存在などしていない』
「お前こそ……騙りではないか偽龍め」
意識は消えずそれどころか鮮明にさえなっていきジーナは自らの声に言葉に自身の全てを委ねるようにもたれかかる。
その言葉のみが自分であるかのように。
「私はお前の正体が分かっている。この毒龍が。そうだお前は西からやって来て中央の龍を殺し、それに成り変わった。この偽龍め!」
『……俺こそお前の正体が分かっている。この呪身めが。そうだお前はジーナを殺し西からやってきてこの地で名乗り成り変わった。この偽者が!』
言葉どころか声までもが異音ではなくなりだし、同音のひとつに、重なり合いつつあった。
こんなに否定しなければならない相手だというのに、どうして一つになりたがる?
自分と同じ声となる。
「私が同じだというのか?」
『そうだお前はそれと同じなのだ呪身め。俺ではない、それとな』
声はさらに重なり合い絡み合い、同じものとなりつつあるなかで、光の空間にひび割れだした。
『なぁ、俺がそれに見えるのか?』
自分の声を出す必要は無かった。
『そう見たいのだな? じつに呪身らしい欺瞞だ』
それは自分の声であり、自分への言葉でしかなかった。
『分かっている癖に……』
わかっていた。その声、罪の声。
『この俺がお前が捜している龍でないことを、お前は誰よりも知っている!』
「……知っていた。そして私自身もまた……違う」
その身はこの身は呪龍を中央に導きひとつになろうとする呪身……
そしてこれは私の声、すべては私の声だ、と思うと共に停止していた光の空間は音もなく砕け散り、二つの眼で以って男を睨み付ける朱き鱗の龍が現れ、その金色の眼が輝き部屋中を光で覆った。
その立ち上がる姿と燦然とした輝きによって場にいた全てのものは立ち竦み呆然とするなか、ルーゲンだけはかろうじて意識を保ち龍を睨み返した。
「まだこれほどの力を残していたのか!」
叫ぶも、だがここまでだとルーゲンには分かっていた。足は動けはしないがこの自分の意識を抑えつけられないぐらいに弱っているのなら、少し時間を置きこの錫杖の力が戻り鈴を鳴らせばもうそこまでだと。
しかしルーゲンは、見た。中央の座の後ろの幕から一人の男が出て来るのを。
この龍の力が最大限に、見ればジーナでさえ動きが止まるほどの圧力の中こちらに進めるものとは……決まっているけれどもそれはありえない。
見知ったその男がここで出てくることはあるわけがない。その思いとは逆に男は剣を携えていた。
龍の前で帯剣が許される存在、最早疑うべくもなくそれは、その男は、そのシオンの兄は、龍の騎士は剣を抜き、腰だめにし駆け出した。
駆け出すその先は、狙いは、何が目的か、瞬時に判断を下したルーゲンは、龍を導くものはその錫杖を床に叩き付ける。
震え砕かれる破壊の鈴の音は悲鳴に似た音色で以て龍の空間を引っ掻き裂け目を開くと、聞いたこともない言葉とものが飛んできた。
「龍の偽騎士が!」
動けるようになったアルが丸めていた隊旗の竿を投擲すると唸りをあげ宙を裂きながら龍の騎士へと竿先がぶつかり怯むと次にノイスの怒声が続く。
「起きろブリアン!隊長を!」
無意識のままノイスは失いつつある名を、同じ言葉を知らぬまま告げる。
「龍身を守れ!」
遅れて目覚めたブリアンは指示の意味を思考することも聞き返すこともなく、床を蹴り龍の騎士へと飛びかかった。
「第二隊! 鈴はもう、鳴らせない! まだ音が鳴っている間に早く!」
身を支える錫杖は最早なく膝を屈し喘ぎ倒れ伏しながらルーゲンは指示を叫ぶ、ジーナの代理を果たす。
「龍のもとへ!」
いつもの掛け声、だから隊員達の身体は自然と前のめりとなり、腹の底から湧き出る言葉、
「罪を滅ぼしに」
隊員達はいつもの隊長の言葉を聞き知っていた。知っていたが言えなかっただがここで言葉は自然と出る。
第二隊員たちは雄叫びと共に意識を突破させた。
「龍を討ちに行くぞ!」
いつもの自分の言葉と突撃の足音が耳に入ったためか男の意識が微かに戻った。私の、ジーナの言葉。
変わらず朱い龍は両の眼にて睨み付け動きを止め、自分は剣を振り上げたまま。
分かったのは自分は生きておりまた龍も生きているということ、分かっているのはどちらかが死ななければならないということ。
そして分からないのは自分が……
「動けジーナ君!」
その叫び声と鈴の残響はジーナの耳にはまだ入らなかった。
龍がもう動こうとしているのをジーナはその前足の動きを眼で追っていた。
先にあるその爪、この身を貫くのか引き裂くのかそれとも両方か、意識が戻るも身体の動きが戻らないジーナは朦朧とした意識の中でいまここで自分が望んでいるものを探った。
私はこのまま……この金色の光の中へ……この命を捧げに……
「君は何のためにここに来た!」
ルーゲンの絶叫はジーナの耳に微かに入りるも、だが声は心の中で変換される。
夕陽、闇の小部屋、冷たさが伝わる指先、衰え切った命の感覚、名前は失われ思い出せないあの娘の声に変わった。
「砂漠を越えた君は、その君の使命は何だ!」
分かっている……私は
「思い出すんだ! 龍を討つものよ!」
忘れてなどいない。ここにいるのはジーナだということを。私はそれになった身である。
声が消えると印にはかつてないほどの熱が宿り腕は動きを再開させる。生きているように、私はここにいると主張するように。
ジーナの、龍を討つものの眼には金色の光りが再び放たれ龍の輝きを呑み込み、喰らった。
龍は瞼を閉じはじめ、剣が振り落とされだすと背後から声と共に何かが飛び込んでくる。
「駄目だ隊長止まれ!」
止ることはできない。この剣がこの龍の首を斬るということは、それは次の龍にもこうするのだと、だからもう止まれない。
刃は金色の光を反射させながらゆっくりと落ちていくのをジーナは見続けていく、斬るしかない、その迷いも共に。
龍を討ち、印を故郷に戻す。この名である限りはそれ以外の何でもない。結末は、既に見えていた。
刃に跳ね返る光のなかに未来があった。龍を討ち、帰る光景が、刃の影のなかに後姿のヘイムが、いた。
落ちていく光は角度を変え振り向こうとする瞬間にジーナは瞼を閉じると、声が甦る。
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――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう!
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――結婚の約束、しただろう?
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