ライバル執事が元メイドな私を口説いてきて、案外私はちょろかった。

川上桃園

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第1話

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 このたび長年メイドとしてお仕えしていたルイ坊ちゃんがめでたくご結婚されました。
 昔はトカゲの尻尾集めに喜々としていたルイ坊ちゃん。
 勉強嫌いで家庭教師から逃走するべく木にのぼろうとして派手に落ちてしまった坊ちゃん。
 おねしょをしてしまったことをこっそり私に打ち明けていた坊ちゃん。
 そんな坊ちゃんが成長し、花嫁とともに並びたった時、あまりに御立派になられた姿に感無量になってしまって、ひっそりと泣いてしまいました。
 お相手のアリス様は坊ちゃんと相思相愛です。社交界で意気投合し、あれよあれよと婚約話が進んでそのまま結婚されてしまいました。
 お二人は教会で結婚式をあげた後、新婚旅行へ行かれました。
 旅行での日々がとても楽しかったのでしょう、お屋敷に帰ってこられた坊ちゃんが、ご自分の部屋でアリス様との旅行のお土産を次々と私へ披露されながら、こんなことを言い出されたのです。

「結婚っていいものなんだね。僕、すごい今、幸せなんだ」
「よろしゅうございましたね」

 うん、と坊ちゃんは微笑まれました。言葉通り、とてもお幸せそうです。
 傍らにアリス様がいらっしゃらなくても、この笑み崩れようです。おふたりがともに暮らされるようになったら、きっととんでもなく甘い空間になるのでしょう。
 アリス様はお父様とともに考古学者をされておいでです。今はピラミッドの発掘が大詰めを迎えているそうで、新婚旅行の行き先からそのまま発掘現場へ出発されたのだとか。新妻としばらくお別れとなった坊ちゃんはさみしがっているかと思いきや、案外、お元気です。
 逢わない時間が互いの愛を深めあうのだとか。なるほど。

「僕自身も結婚してみて思ったんだけど、今時、使用人たちも必ず独身でいないといけないだとか、恋愛してはいけない、という考えはひどく前時代的だね」
「はあ。とはいえ、恋愛で公私混同することもございますし、適度な節度は守っていただきたいところではございますね」

 坊ちゃんの近くに控えた私がそう申し上げますと、たしかにね、と坊ちゃんは同意した。

「でもたとえば、同じ屋敷の使用人同士が結婚したらずっとここに仕えてくれると思わない?」
「そのような考え方もあると思います」
「ねえ、イヴリン、君も結婚したらどうだろう」

 ……たっぷり、四拍。何をおっしゃるのですか、と声が上ずりました。
 私は十五の年からお屋敷に奉公し、今は三十一歳です。結婚するならばもうとっくにしています。それに最近、私は前任のマーサさんから家政婦《ハウスキーパー》の役割を引き継いだばかりでした。
 家政婦《ハウスキーパー》とは、メイドたちを束ねる管理職です。メイド上がりにしては出世したと言えるでしょう。お給金も多くなりましたし、いまさら結婚なんて考えられないことでした。
 しかし、私の遠慮を気にすることなく坊ちゃんは畳みかけてきました。

「僕、イヴリンには結婚してほしいな。こんなに楽しいことをイヴリンが知らないのはもったいないと思うんだ。ずっとお屋敷のためにがんばってくれているし。ねぇ、だれか好きな人はいないの?」
「好きな相手、ですか。……特におりませんが」

 ずっと隣で静かに佇んでいたもうひとりの人物がわざとらしく咳払いをしました。このようなプライベートな話題を耳にした以上、後であてこすりを言ってきそうです。この話題を早く切り上げたくてたまらなくなりました。

「結婚など。お気遣いはありがたいのですが、私には結構ですから……」
「ねぇ、スティーブン」
「なんでしょう、ルイさま」

 なぜか隣にいた彼に話の矛先を向ける坊ちゃん。「スティーブン」。彼はこの屋敷の執事です。執事らしく今日も姿勢よくその場に立っておりました。

「イヴリンは魅力的だと思わない?」
「ええ、とても素晴らしい女性かと」

 執事の(あくまで)丁寧な応対に、うん、とルイさまは満足そうに頷かれました。今のやりとりは、なんの確認なのでしょう。
 ……うっすらと嫌な予感がしてきました。
 しかし、そんなはずはないとも思うのです。スティーブンは私のことが気に入らないでしょうから。
 執事は男性使用人のまとめ役。家政婦《ハウスキーパー》は女性使用人のまとめ役。屋敷内の使用人はおよそそのようにすみわけがされています。執事と家政婦《ハウスキーパー》は同じ屋敷の住人でありながら、時には方針をめぐってぴりつくこともあります。
 私とスティーブンの仲もそのようなものでした。もっとも、私が家政婦《ハウスキーパー》にあがる前から緊張感のある関係性だったことは付け加えておきますが。
 このお屋敷での勤続年数でいえば、六年前に執事として雇われたスティーブンと違い、十五の歳から奉公に出た私の方が圧倒的に長いのです。新参者の目上と古参の目下で対立するのもよくあることでしょう。もちろん普段の仕事では協力しあう場面もありますのでそこはこころえております。

「ルイさま、スティーブンにわざわざ聞く必要もありませんでしょう。私のことはもうよろしいですから……」
「いや、大事なことだから訊ねたんだよ。この『組み合わせ』はどうかなってね」

 ルイさまの目が私とスティーブンを交互に見ます。

「うん。並んでいるのを見て思った。結構いいんじゃないかな。どう思う、スティーブン」
「そうですね。大変、よろしいと思われますが」

 嘘でしょう。私はスティーブンを凝視しました。他人事のように言っていますが、事態が自分にも降りかかっているのをわかっていないに違いありません。
 スティーブンは私を一瞥はしたけれど、つん、ととりすまし顔で立っています。

「やっぱりね。スティーブン。僕は、君がイヴリンと結婚すればいいと思ったんだが、君はどう?」

 とんでもないことをおっしゃる坊ちゃんを私は慌てて止めようと口を開きかけるのですが、すぐさま「それは名案ですね」と隣の執事が素知らぬ顔で肯定したものだから、首根っこ掴んで正気かどうか確かめようかと思いました。

「イヴリン、私と結婚しましょう」

 私に向き直ったスティーブンがそう言いました。「今日は天気がよいので早く洗濯が乾くでしょう」みたいな世間話のついでのような調子で。

「……正気ですか」

 彼はかすかに微笑みます。微笑むといっても、皮肉を含んだものですが。……あぁ、からかわれている。
 私人としてのスティーブンは経験豊富な三十六歳男性です。詳しくは知りませんが、若い頃は相当遊んだとか。こんな恋愛経験皆無な年増女を捕まえて、質の悪いジョークを繰り広げるとは、呆れます。ため息をつきたいのをこらえます。

「坊ちゃん、お話は以上でしょうか。私は持ち場に戻ります。コックと今夜の夕食について打合せがあるのです」
「そんな……! だめだよ、イヴリン!」

 ルイ坊っちゃまは慌てた様子でした。

「もうちょっと真剣に考えてよ! スティーブンは乗り気なんだし! そ、そうだ、せめて、デートぐらいは行ってあげなよ! 君の気が変わるかもしれないし、ね、ね⁉︎」
「どうしてルイさまが必死になるんですか……」

 横目で見れば、スティーブンは相変わらずの本音が読めないアルカイックスマイルです。まぁ、執事の職業病ではありますが。

「一生のお願いだよ! 一回だけいい、スティーブンとデートしてきて! 僕のために!」

 その必死さに、私は隣の執事に尋ねていました。

「……スティーブンさんは坊ちゃんの弱みを握っているんですか」
「まさか。ルイさまは我々の幸せを願ってくださっているだけですよ」

 スティーブンが、自然な仕草で私の手をとり、口づけを落としました。紳士が淑女にするようでした。

「いがみあってばかりではよくないですよ。同じ使用人を束ねる者同士、友好を築くのも悪くないでしょう? 明日の午前十時、広場前で待っていますよ」

 じっと、上目遣いで見られました。すると、なんだか、急に落ち着かない気持ちになるのです。近くで見つめられるのに慣れていないからでした。

「……わかりました。受けて立ちましょう」

 そう言わなければ手を離してもらえそうになかったので、諦めてそう返答すれば、スティーブンの笑みが深まった…気がしたのです。
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