ライバル執事が元メイドな私を口説いてきて、案外私はちょろかった。

川上桃園

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第4話

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 お屋敷近くの広場のベンチに、スティーブンが座っていました。いつもの執事服ではなく、白のシャツにスラックスというラフな恰好です。シンプルな組み合わせなのに、姿勢がよいので見栄えがします。彼は服装にも気をつかうので、服ひとつとっても仕立てがよいものを着ています。

「イヴリン!」

 私を見つけるや、彼は片手をあげました。少し早足で私のところまで来ると、うっすらと頰を上気させています。子どもみたい。

「よかった。ほんとに来てくれたね……きれいだ」

 ぼそっと「きれいだ」と言ったのが、彼の本音に聞こえた気がして、そわそわと落ち着かなくなりました。仕事ではないシチュエーションがそうさせるだけなのです。自分にそう言い聞かせます。

「あまりそんなことを言うのは……よくないと思う」

 ここで皮肉げに「照れていますね」とからかえばいいものを、なぜか彼は空いた両手で口元を覆い、私から目を逸らしました。

「似合っていると思ったから言ったんだよ……。ピンクの口紅も、君に合っている。本当はずっと見てみたかったんだ」

 優しげに言われると、自分の唇についた紅を擦り落としたくてたまらなくなりました。あのスティーブンに「女性」として見られているのが、恥ずかしい。

「どうぞ」

 右手を取られてベンチに座るように促されました。ベンチにはしっかりハンカチーフまで敷かれています。まるでレディーのような扱いです。

「す、すみません……」

 なぜでしょう。いつもと違う反応をしている気がしました。
 スティーブンは隣に座りました。手は、握られたままです。

「スティーブンさん、手は……」
「いけませんか? 私に触れられて気持ち悪いですか?」

 手の甲をつつ、と親指でなぞられて心臓の鼓動が跳ね上がります。つとめて冷静な声を出そうとしたのに、自分から出る声が予想以上に甘やかなもので愕然としました。

「気持ち悪いということは、ありませんけど……。でも、私たち、今までこういう感じではなかったでしょう」
「こう言う感じ、とは」
「恋人のような、甘い関係ではなかったでしょう。……私を生意気だと思っていたでしょう?」

 仕事に生きる「鉄の女」。私の評判はそのようなものです。特定の恋人をつくらず、いつでも真面目に仕事に打ち込む、ルイ坊っちゃんがもっとも信頼するメイド……。男性使用人の仕事のやり方に苦言を呈したことも一度や二度ではありません。

「それはあなたが一所懸命だっただけです。あなたにはあなたの立場があり、私には私の立場があった。それぐらいは理解しています。好ましく思うことこそあれ、生意気とは思いませんよ」

 スティーブンが、おかしい。意見の対立で何度も揉めて来たはずの相手が、急にころっと変わってしまうものでしょうか。言葉に詰まりました。

「君の質問はそれで終わり? なら次は私の番だね」

 頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱されているのにこの上何を…と身構えていたら。

「それじゃあ、デートの手始めに……散歩でもしましょう」
「散歩?」
「そう。デートは気晴らしでもあるし、散歩はいいアイディアも浮かびやすい。ほら、腕をこう……組んで」

 しっかり腕を組まされます。これまでにないぐらい体同士が密着しました。私も散歩は好きですが、男性と腕を組んで散歩することなどほとんどありません。
 大通りを歩いていきます。休みの際には何度も通ってきた大通りでした。なのにそれはいつも知る景色とは違うように思えます。なぜなら。

「私とあなたが結婚した時のメリットは、仕事を辞めずに済むことです。執事と家政婦《ハウスキーパー》の二人三脚でルイさまたちをお支えできますよ」
「デメリットは……特にありませんね。あっても言いません」
「もし子どもができたら、ルイさまたちのお子様の遊び相手になるでしょう。ただ二人のままだったとしてもそれはそれで楽しい」
「そう都合よく時期を合わせられるかって? ……そこはがんばりましょう。お互いの努力が大切です」
「結婚したら、この通りに家を借りましょう。それまではお互いの部屋を行き来するか……夜を忍んであなたの元を訪ねるのもよいですね」

 途中では、通りの店をのぞき、軽く昼食をとりました。ただ。
 ……すべてがこの調子なのです。至近距離でずっと口説かれているのですから、私もどうにかなってしまいそうでした。

「スティーブンさん……私、あなたの素敵結婚生活プランにお付き合いするとは一言も言っていません」
「では想像してください、イヴリン」

 彼は私の顔を覗き込んだ。

「私はあなたを愛していますよ。今はあなたの気持ちがそこまでついてこなくてもいい……ただ『イエス』とさえいってくれればいいのです」

 でも、と彼の手が私の頬をさらりと撫でました。拒絶することもできたはずなのに……動けませんでした。

「私が今のあなたの様子を見る限りでは、まんざら望み薄というわけでもなさそうだとは思っていますが。いかがでしょう。試してみますか?」
「……試すとは、何を」
「恋人同士でしかしないことをするんですよ」

 私たちは教会に来ていました。小さな庭のガゼボには人気がなく、剪定を忘れられた白い薔薇がひっそりと咲いています。
 彼は懇願するように囁きかけました。

「イヴリン。恋人にしか許さないことを、私に許してくれませんか?」

 自分の喉がひきつれたように乾くのを感じました。私の目はスティーブンの唇に吸い寄せられます。

「それは……どんなこと?」
「キスですよ。子どものようにたわいのないものではありませんよ。我々は大人ですから」

 掠れた声が耳朶を打ちました。
 キスまでしてしまったら今までのようには行かなくなるでしょう。今後の関係性ががらりと変わります。これを受け入れてしまったら、私はきっと……。
 私の手は勝手に彼の肩から胸のあたりを滑り降りて。諦めたような呼気が漏れました。

「……いいわ。スティーブン」
「イヴリン、それは……」
「キスしてもいい、と言ったわ。……試すんでしょう?」

 教会の裏手の外壁。だれもみていない物陰でした。
 スティーブンはそろそろと私を抱き寄せて、そっと唇を寄せてきます。互いによい歳なのに、意外にもスティーブンの息が震えています。彼も緊張しているのだと思うと溜飲が下がりました。
 ひそやかに交わしたキスは……やっぱり拒めるものではありませんでした。一度してしまえば、二度も三度も同じことなのです。際限がなくなりました。
 唇が離れると、互いの息が上がっていました。足りない、と反射的に思ってしまったのだから重症です。

「……結婚しましょう、イヴリン。今のキスでわかったでしょう? 私たちの相性はけして悪くないのだから」

 スティーブンの口の端に私の口紅がついていました。扇情的で目のやり場に困るのです。

「スティーブン……あなたはいつからそのつもりで……」

 これまで気づいていませんでしたが、スティーブンの気持ちが一日二日のものではないのが伝わりました。
 整わない息で問えば。

「わりと以前から、と言ったら? わかりやすかったと思いますよ。なにせ、ルイさまにも見破られたぐらいですから」
「ルイさまとはじめから組んでいたのですね。妙なことをおっしゃると思えば……」
「ええ、屋敷の方々はみんな協力的でした。私とあなたの人望だと思いませんか?」

 結婚を勧めてきた坊ちゃん。興味津々ながらも嘲笑する様子がなかった使用人たちの反応。服や化粧品を選んでくれたメアリーとアンナ。いろいろとお膳立てされています。みんな、そうなればよいと思っていたのでしょう。

「私とあなたが結婚したところでたいして変わりません。元々、執事と家政婦《ハウスキーパー》は仕事上の夫婦みたいなものでしょう。それが実際の夫婦になるだけですから。一緒にルイさまたちをお支えしましょう」

 スティーブンは、私のツボをこころえています。仕事はやめなくていい、ともに主人を支えよう。
 こんなに条件のいい縁談はないでしょう。私自身も、スティーブン相手なら……という気になっています。彼とはずっと一緒に働いていて、お互いの性格も知り尽くしています。結婚生活をするならこれほど勝手のわかる相手が今後出てくるとは思えません。
 私はこくりと頷いてみせました。

「……わかりました。結婚のお話を承諾いたします。スティーブンさん、末長くよろしくお願いします」
「ええ」

 喜ぶかと思っていたのに、スティーブンの返事が意外にあっさりしていて、不審に思います。だが、ふと、その場でうずくまってしまいました。

「スティーブンさん!」
「いや……ほっとして、腰が抜けた」
「は?」

 驚きを浮かべた私が反射的に助け起こそうと手を伸ばした時、背中に腕を回されて、私たちは芝生の上に倒れ込みました。不意打ちのように下にいた彼がキスします。

「隙がありますよ、イヴリン。この調子では結婚してもしまらない顔を他の使用人たちに見せるつもりですか? 私を見習ってください。あなたを愛して五年近く、あなたに気づかれることなく、ライバルを演じてこられましたよ?」

 たくらみ顔でそう言われて、私にも持ち前の反抗心が湧きました。

「……私、恋愛したところで公私混同はいたしませんよ。あなたこそ結婚に浮かれて仕事がおろそかになったりしませんよね?」
「いい男というものは、オンオフの切り替えが自在にできる。夫と執事の両方を完璧にこなしますよ。……あなたと違って」
「あら、そうですか」

 いつもの調子が戻ってきました。ぴりりときいたスパイスのような小気味いいやりとり。私もひそかに楽しんでいたのだとやっと気づきます。

「あなたが完璧なら私も完璧です。使用人たちの前ではつゆほど甘さは見せませんよ」
「見せるのは二人の時だけ?」
「だれも見聞きしない、ふたりきりの時だけですね」
「わかった、合意しよう」

 彼は私を助け起こし、そのついでとばかりに耳元で告げます。

「……ひとまずお屋敷に帰ったら私たちのことをルイさまに報告しましょう。君の花嫁姿が楽しみだ」

 体を支えていたはずの手がいつのまにか私の指を絡め取り、恋人のように組まれます。スティーブンの顔が、また近くなりました。

「近いうち、指輪も買いにいきましょう。付き合ってくれますね?」
「指輪って」
「結婚指輪です。答えはイエス、ですよね」

「イエス」と口にする前にスティーブンが堪えきれなくなったように唇を寄せました。私もわかっていたように目をつむって、彼を受け入れました。

「イヴリン、今、とても幸せな気分だよ。……君は?」

 囁きに答える代わりに、私はスティーブンの背中に腕を回しました。……あぁ、もうわざわざ聞かないでほしい。


 三ヶ月後。私とスティーブンはめでたく結婚しました。まさかの超スピード婚に、詳細を知らない周囲からは驚愕されましたが、主人夫婦にも使用人たちにも祝福されました。結婚式の会場には、なんとお屋敷を使わせてもらえたのです。
 結婚後、私たちはお屋敷近くの家に移り住み、通いで家政婦《ハウスキーパー》と執事をしています。仕事が遅くなった日などはお屋敷に泊まることもあるけれど。
 結婚生活は案外うまく行っています。普段は角を突き合わせていても、二人きりの時はとびきり甘く。スティーブンが、恋人や妻に対してここまで優しく甘やかす人間とは知りませんでした。君だけだよ、と本人は言っていたけれど、言われて悪い気はしません。

「ねぇ、イヴリン。私のことを好きになってくれた?」
「ええ、もちろん。愛していますよ、スティーブン」

 ……今日も、私たちはふたりきりの甘い駆け引きに興じるのです。
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