紫ろまんす~カタブツ文学乙女と古典な恋~

川上桃園

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飛火の野守

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 では、それから私と鳥足くんが付き合いだしたとか、そういうわけもなく。私は今までと変わりなく文学やら歴史やら芸術に傾倒する人生を送っている。
 学芸員になる目標は立てたものの、実際の美術館や博物館は地方公共団体が持っているものもたくさんある。実際の試験科目が今まで受けていた公務員講座でやる科目と重複していることもあり、これまでと同じように公務員講座へ通っている。
 例の妹は最近、おとなしい。また好きな人ができたと聞かされたが、なぜ私に言うのかわからない。

「ほら、相手がさ、ゲーム好きのオタクなんやよ。姉ちゃんもオタクやから。オタクには強いやろ」

 謎理論である。勝手にやってくれ。姉ちゃんは助けてやれん。
 オタクにも守備範囲があるんやよ、とだけアドバイスしておいた。


 日本文学研究室は今日も平和である。田村くんはますますお菓子づくりの腕があがってきているし、田村くんへ微妙に対抗心を燃やす梢ちゃんとは、これまでと変わらずとりとめのない雑談で盛り上がる。

「恋の和歌って本当に多いじゃないですか」
「そうだね」
「平安時代の人たちにとっても恋は重大な関心ごとだったんですよね。昔も今も人のやることって変わらないのかもしれないですね」
「恋ってわかりやすくいろんな感情が動くもんね。喜怒哀楽のすべてが詰まっているから。私も恋の和歌が一番わかりやすくて好きなんだよね」
「私は和泉式部の歌が好きなんですよ」

 和泉式部は恋の歌を熱烈に詠った歌人なのだが、二人の兄弟皇子と次々と関係を持ったことから恋に奔放的な女性だったと評価される人でもある。その辺りのことはかの『和泉式部日記』にも詳しい。

「梢ちゃんは情熱的なんだねえ」
「神坂さんは?」
「うーん。壬生忠岑《みぶのただみね》かなあ」

 ーー春日野の 雪間をわけて 生ひ出でくる 草のはつかに 見えし君はも

 春日野の雪の合間を分けて生えてくる若草のように。ほんのわずかに姿が見えたあなたにーー見とれてしまっていたのです。




「そうだ、紫さん」

 帰りがたまたま一緒になった時、鳥足くんは通学バッグからなにやら取り出した。

「後で読んでください」

 私にそれだけを言い残し、鳥足くんは別の路線の電車に乗り込んでいった。
 私は私で別の電車に乗り、よっこいせ、とひとりで席に座った時、自分のカバンからそれを抜き出した。
 シンプルな白いレターセット。折り畳まれた便せんを開いてみれば。

「かすがのの」

 美しい文字でそれだけ綴られている。ちょうど昼間にこの和歌を思い出したばかりだ。
 初めて、鳥足くんと会った時に呟いた和歌である。
 彼はなにを思って、これを書いたのか。彼なりに悩んでやっとのことで捻りだした言葉かもしれない。

――かすがのの。

 以前、「手紙なら返事をする」と言ったけれど。本当に手紙が来てしまったから、私も真面目に応えなければならないだろう。
 さて、どう返事したものか。

――春日野の 飛火《とぶひ》の野守《のもり》 出でて見よ いまいく日《か》ありて 若菜摘みてむ
(飛火野の番人さん、外に出て見ていらしてはどうですか? あと何日経てば若菜を摘めるのかを――私も知りたいのです)

 ガタンゴトン、と揺れる車内で、真っ黒な窓の外を見れば、ガラスに映り込んだ顔は微笑んでいた。
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