女伯イゾルデ

川上桃園

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第13話

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 夜の祭りは、ひたすら音楽と酒と踊りに彩られている。このときばかりは屋台も夜にも商売をし、軒を連ねたその一帯は、蜜に誘われた蝶々のように人が群がる。
 昨日の昼間には叔父の血に染まった広場も随分と様変わりする。音楽の奔流は頭をくらくらとさせるし、いくつも円となって踊る男と女は足を高く上げては、かつんと硬い靴を鳴らし、流れるようにステップを踏む。花柄のスカートが回るたびにふわりと揺れる。踊りの円は広がっては縮んでいき、人を入れ替えながら、続いていく。男たちがつけた帽子の色はかぼちゃ色。女たちはスカーフとしてその色を首に巻いてみたり、髪覆いにつけてみたりする。わたしのようなかぼちゃ色のドレスも少なくない。
 祭りの夜は無礼講。老いも若きも、貴賤問わずに浮かれるものだ。この中にはわたしと同じく忍んで参加する者もいるだろう。
 冬は長くつらい。だからこそ春が来た時の喜びが大きいのだ。

「パウル。人通りが激しいからはぐれないようにね」

 はい、と少し自信なさげにくっついてくるパウルに声をかけつつ、できるだけ喧騒の隅の方を歩く。

「エリーゼも城の外に出られなくなってしまったわね。楽しみにしていた者も多かったでしょうに。申し訳ないことにしてしまったわね」

 今年の祭りはいつもと違って見える。目に映る色彩が薄い。

「……女伯さまはこのようなところに出ていてもよろしいのですか」

 わたしは足を止めた。本当ならば、許されないだろうけれど。

「色々と考えたいこともあるのですよ。……初日は雨が降るかもしれないと思ったけれど、この様子だとよさそうね」

 見上げれば、銀の光がぽつりぽつりとまばらに散りばめられた砂のように広がっている。月は、なんと柔らかく照らしてくれるのだろう。
 祭りの残りは三日。ただし、夜店が立つのはこの二日目と四日目、五日目だけ。明日は打って変わって教会の儀式が多くなる。ミサや合唱、典礼劇などをして、賑わしい祭りを一旦小休止させ、人々は敬虔さに身を任せる。

「せっかくだから、何か食べましょうか。……パウル、これだけ渡すから適当に何か見繕ってきて頂戴。わたしはここで待っているから」

 金貨を一枚、パウルの手のひらに落としてやる。それでも多いと思ったらしく、彼は口をもごもごさせていたが、わたしがじっと見つめているのに気付くと、いってまいります、と思い切った様子で駆け出して行った。
 建物の壁に背中を預け、眼をそっと伏せて待つ。時折、道行く人がわたしに気づいたようだったけれど、むやみに声をかけてはこなかった。ここはまだ中心部。そこまでガラの悪いものが立ち入りはしないだろう。
 ……そういえば、夫が消えたのもこんな夜だった。わたしと共に町に出て、夫は広場で先に帰れといい、人の流れの中に消えていった。あれが祭りの最後の夜。祭りで使われた廃材が広場で一斉に燃え上がる中での出来事だった。夫は、バスチアンはどこに消えたのか。その答えは誰も知らない。
 ただ、ある者は消える直前、夫と誰かフードを目深にかぶった人影が一緒にいたと証言した。その背格好から察するに女だと思われ、夫は親密そうに話しかけていたらしい。
 過ぎたことだ。わたしは思考を追い払った。過去に囚われすぎては今を見失ってしまう。
 これだけは言える。わたしはあの時、嫌な予感がして広場でずっと待っていた。今もまた、広場で待っている。その状況に過去を連想させられただけなのだ。
 違うのは、今待っている人は、確実に戻ってくる、ということだ。
 こつん、と目の前で靴音がした。そっと瞼を押し上げると、その先に茶色の革の靴の爪先が見え、黒いマントの裾が見える。そっと視野を上にあげてみれば、無意識のうちに息をつめていた。
 この辺りの伝承にある山の妖精をかたどった醜いお面がそこにある。目も口もてんでばらばら。頬骨も左右不対照で、人をたぶらかす邪悪な笑みを浮かべていた。

「あなたは誰?」

 尋ねても答えはない。不気味ではあったけれど、怖くはなかった。……それよりもその仮面の奥にある顔が気になった。

「わたしが誰か知っていて、そこにいるの?」 

 仮面へ手を伸ばしてみれば、緩慢に払いのけられる。何を話そうというわけでもなく、仮面の下の瞳はわたしを捉え続けている。
 旅芸人だろうか? 奇妙な恰好をする者といえば、そうかもしれなかった。祭りの夜のこと、現にこの広場にもたくさんの芸人たちが芸を見せては人々を楽しませているのだから。

「まあ、いいでしょう。一人きりで退屈していたの。待ち人が来るまでは相手をしてくださる?」

 少し首を傾けながら、微笑む。相手は立ち尽くしているだけ。微笑みかけたとき、わずかにマントを震わせたのがわかったけれど、風のせいかもしれない。
 何も反応がないのを了承と解釈して、再びじっとパウルが戻ってくるのを待つ。
 素顔もわからない不気味な仮面の相手なのに、わたしには不思議と居心地がよく感じられた。「彼」はわたしの言葉を待っている。そんな気がした。

「……そうね。少しだけ話を聞いてくれる? わたしもあなたもこの一夜限りで二度と会うこともないでしょうから」

 そうでしょう?
 祭りの熱気に酔っているのかもしれなかった。普段のわたしなら、なおさらそのようなことは言うまい。

「そのまま聞いていてくれるだけでいいわ。聞いたらすぐに忘れてしまいなさい」

 相手は何も言わないままだった。ただの張りぼての人形かと思うほど、まったく動かない。

「……今年の祈年祭にはすでに多くのことが起こってしまった。わたしの伴侶選びのことは棚上げとなり、叔父が大怪我をしてしまった。それに伴い、解決すべきことは山積み。考えるのも嫌になってしまうでしょう?」

 口に出すことで自分の考えを整理していく。何を優先させるべきか。何も考えなくていいことは何か。

「わたしが男であったならば、こんなに苦労することもなかったでしょうね。女が権力を握り続けるには、あまりにも不利すぎる。わたしの伴侶は必然的に大きな力を持ってしまう。選ぶ相手を間違えてしまえば……大勢の命さえ無くしてしまうかもしれない」

 そんな最悪の事態になったとしても止める力もないのだろう。そのことが歯がゆかった。

「どうしたらいいのでしょうね。たくさんの男たちが求めている座を誰に与えればよいのか。今いる客人たちの中から? それとも叔父に?」

 わたしはそっと目を伏せた。

「……誰を選んでも、つまらない結果になるのは目に見えているの。それでも選ばなくてはならない。息苦しい世の中ね」

 その息苦しさを微塵も感じさせない男がひどく妬ましい。

「きっとそうやってわたしはずっと自分の心を偽り続けるのでしょうね。それしか選びようがないのだから」

 言ってしまえば少し楽になる。吐き出してしまえば、大丈夫。もうわたしは、迷いはしない。
 ふふ、と柔らかく微笑んだ。

「全部、冗談よ。……驚いた?」

 すべてを煙に巻き、一瞬だけ見せた本心をきれいに覆い隠してみせる。
 どこからか聞こえてくるリュートのもの悲しい調べばかりが耳に触れてくる。耳を澄ましてみたい気持ちもあったけれど、どうも感傷を覚えそうで躊躇った。
 さて、とわたしは目の前に立つ相手にことさらに明るく振る舞った。

「これで話は終わり。聞いていてくださってありがとう」

 わたしは相手が立ち去るのだろうと思った。そうでなかったら、わたしが立ち去ろうと思っていた。だが。
 ついと醜い仮面が眼前に広がった、と思ったら、肩に硬い感触がある。マントから伸びた腕はわたしの背中に回されて、首筋に暖かい呼気が当たる。
 からん、と軽いものが落ちる音がする。抱きしめられながら、肩越しの視界に砕けた仮面の残骸を見た。
 強引ではなかった。だって、その腕は震えている。かがめられた体や肩にうずめた顔には委ねてしまいたくなる優しさがある。
 今、両手を突っ張り、身体を離してしまえば、相手がどんな男かわかる。……だが今だけは、まどろみのような心地よさに浸っていたかった。

「ねえ、あなたは誰なのかしら?」

 だらりと下がっていた両腕でマントの裾を掴む。相手はどこか緊張したように、さらに腕を震わせたようだった。

「あら、無礼なのは知っているのね」

 密やかな笑みを口にのせ囁いてみれば、自分の声音が思ったよりも甘いことに気づく。

「まあ、いいわ。……もう随分とこうして抱きしめられたことなんてないから」

 この感覚はバスチアンに抱きしめられたときと似ている。彼は遠慮がちで、躊躇いがちで。それなのに、その腕の中にいるとひどく安心する。
 一寸の間に、まさか、という思いが頭をよぎる。

「……バスチアン?」

 相手はぴくりとして、肯定とも否定とも取れぬ反応をしたが、さらに深く抱き込まれた。わたしはいつの間にかゆっくりと瞼を閉じた。首筋にかかる熱い吐息に震えても拒みはしなかった。
 祭りの輪の外のこと。今宵は誰も気にしない。すべてを知るのは神だけだろう。
 あなたが誰でも構わない。

「……もう少しだけこうしていてくださる?」

 わたしを呼ぶパウルの声が聞こえるまで、わたしはじっと動かなかった。
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