16 / 34
マリオネットな恋について
しおりを挟む
『キッソン先生(先日の手紙にご自分でおっしゃっていたのでわたくしもそう呼びますね)。
お手紙ありがとうございます。手紙の文字がとても美しくて見惚れてしまいました。数百年前にいらしたら、きっと写本に携わっておられたのでしょうね。しばらくため息が止まりませんでした。
マゴット伯爵夫人の申し出にはとても驚きましたが、わたくしの恋に先生がご協力くだされば、これほど力強いことはありません。先生はわたくしなどよりよほど経験豊富でいらっしゃるので、期待してしまいます。文面ではわかりにくいでしょうが、今とてもわくわくした気持ちでいっぱいです。わたくしの婚約が決まったら、真っ先にお知らせすることをお約束します。きっとその時の一番の功労者は先生ですもの。
ところで、手紙にありました、『わたくしのことを知りたい』ということのようですが、わたくしの世話をしてくれるキヤに相談しますと、淑女がべらべらと殿方に話してはいけないと申しますので、まずは当たり障りのないことを。
わたくしの性格について――キヤから言わせると『困ったお嬢様』で、お兄様に聞いたところ『可愛い妹じゃないかな』と苦笑いをしていらっしゃいました。わたくしはわたくし自身の性格をそこまで深く考えないのですが、優柔不断なのかな、と思うことはあります。今日のおやつもシュークリームにするかクレープにするかで迷っています。
好きなもの。ガラス細工や、お菓子です。ガラスはキラキラしているところ。とりわけよく教会にある薔薇窓のステンドグラスは一日中眺めていたって飽きないほどです。お菓子はファルセットのパティスリーのものがお気に入りです。味もですが、見た目を追求しているので、二度美味しい出来栄えなのです。
嫌いなもの。……何でしょう。今ぱっと思いつくものがありません。またわかりましたら後日お知らせします。
得意なことと趣味。そうですね、侯爵さまもお聞き及びかもしれませんが、恋愛小説を書くこと、でしょうか。あとは散歩とか……最近ではサイクリングも。ペダルを漕ぐと、漕いだだけぐんと加速するのがいいですね。そんなところでしょうか。
では、お返事をお待ちしています。
セフィーヌ・フラゴニア』
ジドレルは帰国してまもなく、官吏登用の試験を受けて内務省の役人となっていた。そのうち外務省に入らなければならないかもしれないが、父公爵と同じ職場を必ずしも選ぶ必要もないのでそうしている。
その仕事から帰宅すると、執事が銀の盆を持ってくる。その上に置いてある手紙を開封すると、このような文面が飛び込んできた。文末にあるやたら勇ましい筆記体で書かれた名前に目が吸い寄せられた。
セフィーヌ、フラゴニア……。
「若旦那さま、今なんと?」
「いや、何も言っていないが? それがどうかしたか?」
怪訝そうな顔をしたジドレルに、執事は何か気づいたようにも見えたが、すぐに内心に押し込めて首を振る。
「失礼いたしました。お返事は書かれますか」
「書く。確か部屋にある便箋が切れていたから新しいものを持ってきてくれ」
「かしこまりました」
ジドレルは正面の大階段を上がり、自室でアスコットタイを外し、シャツにベスト姿で大きなソファーに寝転がった。が、ふと思い立って火がついている暖炉前のロッキングチェアに揺られた。しかしそれでも落ち着かず、立ち上がって本棚を物色する。次々と本の背表紙を撫でていた指が、ある本で止まる。『赤薔薇の誘惑』。人差し指を折り曲げて取り出そうとしたところで、ノックの音が二度響く。
「若旦那さま、失礼いたします」
「あ、ああ……」
執事は指示通りに新しい便箋をジドレルの書き物机に置く。パタン、と再びドアが閉められる。
ジドレルは左手でくしゃりと握りしめていた手紙を見て、苦笑する。――一体、どこに動揺する必要があるのか。
机上の小さなランプに火をつけて、するりと椅子に腰かける。インク壺に万年筆のペン先を浸して、滑らかに文字を綴っていく。
彼自身にとっては片手間で済ませられるような、気まぐれな手紙の返信を書く。
照明に当たるジドレル・キッソンの横顔。その表情が本人でも驚くほどに優しかったのを、誰も知らない。
※
「お嬢様、手紙が届きましたよ」
「ありがとう。どちらから?」
「マゴット伯爵夫人と、キッソン侯爵さまですよ」
セフィーヌはキヤが差し出した銀の盆から二通の手紙を受け取った。同じく盆からペーパーナイフを取り出すと、うーん、と少し考える。
「キヤ、どちらを先に開封すればいいと思う?」
「夫人からの手紙ですね」
わかった、とセフィーヌは素直にキヤの意見を採用する。この際、侯爵よりも夫人だと即答したキヤの本心はあまり気にしていない。
『(略)……件の『子豚の君』について耳にしたことがあったので一つ。かのヤデック・シーレ氏はロンド通りの貸本屋『ミューズ』に週二日ほど通っているようです。もしかしたら通っているうちにお会いできるかもしれません。
クレラリア・マゴット
追伸。侯爵にはきっちりと釘を刺しておきましたが、それでも駄目なら、またお知らせください。』
一読したセフィーヌはがばっと振り向いて、
「キヤ! 明日、ロンド通りの貸本屋『ミューズ』へ行くわ!」
「はい? 貸本屋……でございますか。どうしてまた」
セフィーヌはにこりと微笑み、手紙を突き出した。読めばすぐにキヤもなるほど、と納得することになる。
「シーレさまに会って、この思いの丈を全身でぶつけるのよ!」
ジドレル・キッソンを利用してみませんか、と言われた日。
セフィーヌは自分が恋した男の名を知る。
ヤデック・シーレ氏。
ファルセットの大使館に務める外交官の一人で、祖国で古い歴史を持つ地主の家系の次男で、独身の三十歳。
ほんの二月前に赴任してきたばかりで、大規模な催しに参加したのは先日の狩猟会が初めてだということ。彼はマゴット伯爵の知人に連れられて来たらしい。ちなみに狩猟会での成果はゼロ。途中で体力切れして、疲労困憊の体で戻ったらしく、邸宅で行われていた婦人たちのお茶会に加わったとのこと。あとから聞かされたセフィーヌは無理やりにでもお茶会に参加しておけばよかったと後悔したのは言うまでもない。
その日からセフィーヌは彼を「シーレさま」と呼ぶことにしている。本人と二度目の邂逅はできていないが、会えない日々は会えた日の喜びを増すスパイスと思って、ぐっと気持ちをこらえている。
今回の『恋』は今までのものと一味違う。夫人がシーレ氏について知っていることを色々教えてくれているし、『ジドレル・キッソン』という強力なアドバイザーまで控えている。ここまで助けてもらっていながら何の成果もあがらないなんて『恋の狩人』失格だ、ぐらいには考えていた。
「あまり心配はしておりませんが、全身でぶつかって粉々に砕けてしまわないでくださいね」
「うん、頑張る!」
セフィーヌはいそいそと夫人へのお礼をしたためた。次は二通目を開ける番である。
「あぁ、お嬢様、少々お待ちくださいませ」
キヤが思い出したように部屋を出ていき、そして戻ってきた時には細長い箱を持っていた。
「こちらも一緒に届いていたのを失念しておりました」
「ありがとう」
箱にかけられていた青いリボンをしゅるしゅるっと解き、小さな勿忘草(わすれなぐさ)とシダの葉を組み合わせた素敵な包み紙を破らないように丁寧に剝がしていく。剥がした包み紙は綺麗に折り畳んでセフィーヌの『綺麗なものコレクション』の引き出しにそっと入れた。
肝心の箱の中身は、色ガラスで作った一輪の赤い薔薇だ。花弁の一枚一枚まできれいに別れており、葉脈まで写し取った葉や、剣のように外側へ尖ったような形まで本物のようだった。強いて違いを言えば、光を受けて、強く照り輝いている、ただそのだけのように見える。
セフィーヌは箱ごと持ち上げ、とっくりと鑑賞し、それをキヤにも見せながら、「きれいね!」と嬉しそうな声を上げる。セフィーヌの口元はその感動をもっと言葉を落とし込もうとしてもうまくできずに落ち着かなさそうにむずむずするばかり。
続いて手紙を読む。便箋は数枚にも及んでいた。
『(略)……あなたは甘いものや美しいものに対しては無条件に好奇心を燃やすのですか。それはとてもいいことを聞きました。先日は赤薔薇でしたが、今回は薔薇を練りこんだ飴細工を贈りましょう。花弁から茎までとても精巧な作りとなっていて、見た目はガラスのように美しいですが、食べられるのですよ。お気に召せばいいのですが。また感想を聞かせてください。
(略)……ただ、あなたは急ぎすぎるきらいがあるのかもしれませんね。あなたの『恋』はまるでお湯が沸騰して吹きこぼれたように唐突です。欲しいものを手に入れたいのなら、こらえることも大切です。獲物は射程圏内に入ってから仕留めなければ。
そこで、一つ目のアドバイスです。『恋した相手に自分から近づかないこと』。このことを約束してください。すなわち、『すぐに告白してはいけない』ということでもあります。普通なかなか互いに『ひとめぼれ』する状況にはならないのはご存知でしょう。あなたが一方的に『ひとめぼれ』して告白するのは気持ちを押し付けているようなもの。あまり良い手ではないでしょう。不安なようだったら誰かに事前に止めてくれるように頼むのもよいですね。
あなたの先生、ジドレル・キッソンより
追伸 先生と呼ばれると真面目に助言しなければという気になりました。』
「あら、普通に助言していらっしゃいますね」
手紙の内容を聞いたキヤは意外そうな顔だった。
「だって『先生』だもの。『先生』は『生徒』がよりよい方向に行くように助言するものでしょう?」
セフィーヌは薔薇の飴細工をそっとつつきながら、ご機嫌そうにまたもにっこり。
「キッソン『先生』は良い方よ? 手紙からわかるもの、この方はとても優しくて、親身になってくれて……」
エメラルドグリーンが一瞬きらりと濡れたように光る。
「あの方が『先生』になってくださること自体、稀有なことでしょう? わたくし、あの方の誠意はきちんと受け取るつもり。『先生』でいてくださる限り、わたくしだっていつまでも恨み言を言っているばかりにはいられないでしょう?」
わたくしも頑張って、シーレさまに思いを伝えなくちゃ。
セフィーヌは子どもでないから知っている。世の中にはキス以上のことをされても、さして罪悪感を抱かない男性が山のようにいることを。何らかの形であれ、『償い』に応じた『キッソン侯爵』は『良い方』だし、助言をくれる『キッソン先生』も『良い方』なのだ。
侯爵に恋の成功の秘訣を教えてもらえればいいというマゴット夫人の提案に「いいのかしら」と首を傾げながら彼女が出した答えは、
『キッソン侯爵さまに直接お目にかかりたいとは思いませんが、わたくしとシーレさまがうまくいくように応援していただければとても助かります』
というもの。だったら、とマゴット夫人が勧めたのは、『キッソン侯爵との文通』である。初めは怒り心頭だった両親だったが、セフィーヌが「殿方と文通なんて経験がないけれど、できるのかしら」と思っているうちに、マゴット夫妻によって渋々説得されていた。
『セフィーヌさま、私も微力ながら恋のお手伝いをさせていただきます。いずれは世界一幸せな花嫁にしてさしあげますからね』
涙ぐみながらセフィーヌの両手を握る夫人。あまりの断言口調だったために、セフィーヌもその気になった。
――そっか。助けを借りればいいんだわ!
それはまるで隕石が落ちてきたような衝撃であった。
直進しか知らぬイノシシだったセフィーヌ、千回目の恋にしてようやく自分の力だけでは『恋』は手に入らないことを悟る。遅いと言ってはいけない。ここまで来てやっと気づけたことこそが奇蹟なのだから。
ちょっと痛い目を見たことから彼女にはこれまでにない心境の変化が起きていた。それこそが夫人の提案に彼女が頷いたことに大きく影響している。イノシシは止まり、左右を見渡すウサギとなる。
セフィーヌの恋模様はこれ以降、今までの999回とまったく違う様相を呈していく。色男と評判のキッソン侯爵は自ら手を出した令嬢の恋を応援するという稀有な立場に追いやられたわけだが、皮肉にも彼女が恋を叶えるきっかけになったのが、侯爵が彼女に狼藉を働いたことだったわけだから何がどう転ぶかわからない。
ただ、運命の糸は本人たちも気づかないままに縺れて。解れて。下手な操り手が二つのマリオネットを激しく動かそうとした時のように――気づけば複雑に絡み合って離れられなくなっている。
お手紙ありがとうございます。手紙の文字がとても美しくて見惚れてしまいました。数百年前にいらしたら、きっと写本に携わっておられたのでしょうね。しばらくため息が止まりませんでした。
マゴット伯爵夫人の申し出にはとても驚きましたが、わたくしの恋に先生がご協力くだされば、これほど力強いことはありません。先生はわたくしなどよりよほど経験豊富でいらっしゃるので、期待してしまいます。文面ではわかりにくいでしょうが、今とてもわくわくした気持ちでいっぱいです。わたくしの婚約が決まったら、真っ先にお知らせすることをお約束します。きっとその時の一番の功労者は先生ですもの。
ところで、手紙にありました、『わたくしのことを知りたい』ということのようですが、わたくしの世話をしてくれるキヤに相談しますと、淑女がべらべらと殿方に話してはいけないと申しますので、まずは当たり障りのないことを。
わたくしの性格について――キヤから言わせると『困ったお嬢様』で、お兄様に聞いたところ『可愛い妹じゃないかな』と苦笑いをしていらっしゃいました。わたくしはわたくし自身の性格をそこまで深く考えないのですが、優柔不断なのかな、と思うことはあります。今日のおやつもシュークリームにするかクレープにするかで迷っています。
好きなもの。ガラス細工や、お菓子です。ガラスはキラキラしているところ。とりわけよく教会にある薔薇窓のステンドグラスは一日中眺めていたって飽きないほどです。お菓子はファルセットのパティスリーのものがお気に入りです。味もですが、見た目を追求しているので、二度美味しい出来栄えなのです。
嫌いなもの。……何でしょう。今ぱっと思いつくものがありません。またわかりましたら後日お知らせします。
得意なことと趣味。そうですね、侯爵さまもお聞き及びかもしれませんが、恋愛小説を書くこと、でしょうか。あとは散歩とか……最近ではサイクリングも。ペダルを漕ぐと、漕いだだけぐんと加速するのがいいですね。そんなところでしょうか。
では、お返事をお待ちしています。
セフィーヌ・フラゴニア』
ジドレルは帰国してまもなく、官吏登用の試験を受けて内務省の役人となっていた。そのうち外務省に入らなければならないかもしれないが、父公爵と同じ職場を必ずしも選ぶ必要もないのでそうしている。
その仕事から帰宅すると、執事が銀の盆を持ってくる。その上に置いてある手紙を開封すると、このような文面が飛び込んできた。文末にあるやたら勇ましい筆記体で書かれた名前に目が吸い寄せられた。
セフィーヌ、フラゴニア……。
「若旦那さま、今なんと?」
「いや、何も言っていないが? それがどうかしたか?」
怪訝そうな顔をしたジドレルに、執事は何か気づいたようにも見えたが、すぐに内心に押し込めて首を振る。
「失礼いたしました。お返事は書かれますか」
「書く。確か部屋にある便箋が切れていたから新しいものを持ってきてくれ」
「かしこまりました」
ジドレルは正面の大階段を上がり、自室でアスコットタイを外し、シャツにベスト姿で大きなソファーに寝転がった。が、ふと思い立って火がついている暖炉前のロッキングチェアに揺られた。しかしそれでも落ち着かず、立ち上がって本棚を物色する。次々と本の背表紙を撫でていた指が、ある本で止まる。『赤薔薇の誘惑』。人差し指を折り曲げて取り出そうとしたところで、ノックの音が二度響く。
「若旦那さま、失礼いたします」
「あ、ああ……」
執事は指示通りに新しい便箋をジドレルの書き物机に置く。パタン、と再びドアが閉められる。
ジドレルは左手でくしゃりと握りしめていた手紙を見て、苦笑する。――一体、どこに動揺する必要があるのか。
机上の小さなランプに火をつけて、するりと椅子に腰かける。インク壺に万年筆のペン先を浸して、滑らかに文字を綴っていく。
彼自身にとっては片手間で済ませられるような、気まぐれな手紙の返信を書く。
照明に当たるジドレル・キッソンの横顔。その表情が本人でも驚くほどに優しかったのを、誰も知らない。
※
「お嬢様、手紙が届きましたよ」
「ありがとう。どちらから?」
「マゴット伯爵夫人と、キッソン侯爵さまですよ」
セフィーヌはキヤが差し出した銀の盆から二通の手紙を受け取った。同じく盆からペーパーナイフを取り出すと、うーん、と少し考える。
「キヤ、どちらを先に開封すればいいと思う?」
「夫人からの手紙ですね」
わかった、とセフィーヌは素直にキヤの意見を採用する。この際、侯爵よりも夫人だと即答したキヤの本心はあまり気にしていない。
『(略)……件の『子豚の君』について耳にしたことがあったので一つ。かのヤデック・シーレ氏はロンド通りの貸本屋『ミューズ』に週二日ほど通っているようです。もしかしたら通っているうちにお会いできるかもしれません。
クレラリア・マゴット
追伸。侯爵にはきっちりと釘を刺しておきましたが、それでも駄目なら、またお知らせください。』
一読したセフィーヌはがばっと振り向いて、
「キヤ! 明日、ロンド通りの貸本屋『ミューズ』へ行くわ!」
「はい? 貸本屋……でございますか。どうしてまた」
セフィーヌはにこりと微笑み、手紙を突き出した。読めばすぐにキヤもなるほど、と納得することになる。
「シーレさまに会って、この思いの丈を全身でぶつけるのよ!」
ジドレル・キッソンを利用してみませんか、と言われた日。
セフィーヌは自分が恋した男の名を知る。
ヤデック・シーレ氏。
ファルセットの大使館に務める外交官の一人で、祖国で古い歴史を持つ地主の家系の次男で、独身の三十歳。
ほんの二月前に赴任してきたばかりで、大規模な催しに参加したのは先日の狩猟会が初めてだということ。彼はマゴット伯爵の知人に連れられて来たらしい。ちなみに狩猟会での成果はゼロ。途中で体力切れして、疲労困憊の体で戻ったらしく、邸宅で行われていた婦人たちのお茶会に加わったとのこと。あとから聞かされたセフィーヌは無理やりにでもお茶会に参加しておけばよかったと後悔したのは言うまでもない。
その日からセフィーヌは彼を「シーレさま」と呼ぶことにしている。本人と二度目の邂逅はできていないが、会えない日々は会えた日の喜びを増すスパイスと思って、ぐっと気持ちをこらえている。
今回の『恋』は今までのものと一味違う。夫人がシーレ氏について知っていることを色々教えてくれているし、『ジドレル・キッソン』という強力なアドバイザーまで控えている。ここまで助けてもらっていながら何の成果もあがらないなんて『恋の狩人』失格だ、ぐらいには考えていた。
「あまり心配はしておりませんが、全身でぶつかって粉々に砕けてしまわないでくださいね」
「うん、頑張る!」
セフィーヌはいそいそと夫人へのお礼をしたためた。次は二通目を開ける番である。
「あぁ、お嬢様、少々お待ちくださいませ」
キヤが思い出したように部屋を出ていき、そして戻ってきた時には細長い箱を持っていた。
「こちらも一緒に届いていたのを失念しておりました」
「ありがとう」
箱にかけられていた青いリボンをしゅるしゅるっと解き、小さな勿忘草(わすれなぐさ)とシダの葉を組み合わせた素敵な包み紙を破らないように丁寧に剝がしていく。剥がした包み紙は綺麗に折り畳んでセフィーヌの『綺麗なものコレクション』の引き出しにそっと入れた。
肝心の箱の中身は、色ガラスで作った一輪の赤い薔薇だ。花弁の一枚一枚まできれいに別れており、葉脈まで写し取った葉や、剣のように外側へ尖ったような形まで本物のようだった。強いて違いを言えば、光を受けて、強く照り輝いている、ただそのだけのように見える。
セフィーヌは箱ごと持ち上げ、とっくりと鑑賞し、それをキヤにも見せながら、「きれいね!」と嬉しそうな声を上げる。セフィーヌの口元はその感動をもっと言葉を落とし込もうとしてもうまくできずに落ち着かなさそうにむずむずするばかり。
続いて手紙を読む。便箋は数枚にも及んでいた。
『(略)……あなたは甘いものや美しいものに対しては無条件に好奇心を燃やすのですか。それはとてもいいことを聞きました。先日は赤薔薇でしたが、今回は薔薇を練りこんだ飴細工を贈りましょう。花弁から茎までとても精巧な作りとなっていて、見た目はガラスのように美しいですが、食べられるのですよ。お気に召せばいいのですが。また感想を聞かせてください。
(略)……ただ、あなたは急ぎすぎるきらいがあるのかもしれませんね。あなたの『恋』はまるでお湯が沸騰して吹きこぼれたように唐突です。欲しいものを手に入れたいのなら、こらえることも大切です。獲物は射程圏内に入ってから仕留めなければ。
そこで、一つ目のアドバイスです。『恋した相手に自分から近づかないこと』。このことを約束してください。すなわち、『すぐに告白してはいけない』ということでもあります。普通なかなか互いに『ひとめぼれ』する状況にはならないのはご存知でしょう。あなたが一方的に『ひとめぼれ』して告白するのは気持ちを押し付けているようなもの。あまり良い手ではないでしょう。不安なようだったら誰かに事前に止めてくれるように頼むのもよいですね。
あなたの先生、ジドレル・キッソンより
追伸 先生と呼ばれると真面目に助言しなければという気になりました。』
「あら、普通に助言していらっしゃいますね」
手紙の内容を聞いたキヤは意外そうな顔だった。
「だって『先生』だもの。『先生』は『生徒』がよりよい方向に行くように助言するものでしょう?」
セフィーヌは薔薇の飴細工をそっとつつきながら、ご機嫌そうにまたもにっこり。
「キッソン『先生』は良い方よ? 手紙からわかるもの、この方はとても優しくて、親身になってくれて……」
エメラルドグリーンが一瞬きらりと濡れたように光る。
「あの方が『先生』になってくださること自体、稀有なことでしょう? わたくし、あの方の誠意はきちんと受け取るつもり。『先生』でいてくださる限り、わたくしだっていつまでも恨み言を言っているばかりにはいられないでしょう?」
わたくしも頑張って、シーレさまに思いを伝えなくちゃ。
セフィーヌは子どもでないから知っている。世の中にはキス以上のことをされても、さして罪悪感を抱かない男性が山のようにいることを。何らかの形であれ、『償い』に応じた『キッソン侯爵』は『良い方』だし、助言をくれる『キッソン先生』も『良い方』なのだ。
侯爵に恋の成功の秘訣を教えてもらえればいいというマゴット夫人の提案に「いいのかしら」と首を傾げながら彼女が出した答えは、
『キッソン侯爵さまに直接お目にかかりたいとは思いませんが、わたくしとシーレさまがうまくいくように応援していただければとても助かります』
というもの。だったら、とマゴット夫人が勧めたのは、『キッソン侯爵との文通』である。初めは怒り心頭だった両親だったが、セフィーヌが「殿方と文通なんて経験がないけれど、できるのかしら」と思っているうちに、マゴット夫妻によって渋々説得されていた。
『セフィーヌさま、私も微力ながら恋のお手伝いをさせていただきます。いずれは世界一幸せな花嫁にしてさしあげますからね』
涙ぐみながらセフィーヌの両手を握る夫人。あまりの断言口調だったために、セフィーヌもその気になった。
――そっか。助けを借りればいいんだわ!
それはまるで隕石が落ちてきたような衝撃であった。
直進しか知らぬイノシシだったセフィーヌ、千回目の恋にしてようやく自分の力だけでは『恋』は手に入らないことを悟る。遅いと言ってはいけない。ここまで来てやっと気づけたことこそが奇蹟なのだから。
ちょっと痛い目を見たことから彼女にはこれまでにない心境の変化が起きていた。それこそが夫人の提案に彼女が頷いたことに大きく影響している。イノシシは止まり、左右を見渡すウサギとなる。
セフィーヌの恋模様はこれ以降、今までの999回とまったく違う様相を呈していく。色男と評判のキッソン侯爵は自ら手を出した令嬢の恋を応援するという稀有な立場に追いやられたわけだが、皮肉にも彼女が恋を叶えるきっかけになったのが、侯爵が彼女に狼藉を働いたことだったわけだから何がどう転ぶかわからない。
ただ、運命の糸は本人たちも気づかないままに縺れて。解れて。下手な操り手が二つのマリオネットを激しく動かそうとした時のように――気づけば複雑に絡み合って離れられなくなっている。
14
あなたにおすすめの小説
竜帝に捨てられ病気で死んで転生したのに、生まれ変わっても竜帝に気に入られそうです
みゅー
恋愛
シーディは前世の記憶を持っていた。前世では奉公に出された家で竜帝に気に入られ寵姫となるが、竜帝は豪族と婚約すると噂され同時にシーディの部屋へ通うことが減っていった。そんな時に病気になり、シーディは後宮を出ると一人寂しく息を引き取った。
時は流れ、シーディはある村外れの貧しいながらも優しい両親の元に生まれ変わっていた。そんなある日村に竜帝が訪れ、竜帝に見つかるがシーディの生まれ変わりだと気づかれずにすむ。
数日後、運命の乙女を探すためにの同じ年、同じ日に生まれた数人の乙女たちが後宮に召集され、シーディも後宮に呼ばれてしまう。
自分が運命の乙女ではないとわかっているシーディは、とにかく何事もなく村へ帰ることだけを目標に過ごすが……。
はたして本当にシーディは運命の乙女ではないのか、今度の人生で幸せをつかむことができるのか。
短編:竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました
を長編にしたものです。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜
鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。
誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。
幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。
ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。
一人の客人をもてなしたのだ。
その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。
【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。
彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。
そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。
そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。
やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。
ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、
「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。
学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。
☆第2部完結しました☆
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない
三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる