貴妃の脱走

川上桃園

文字の大きさ
6 / 18
乙女の独走

しおりを挟む
   どこかぽけっとしたところのある緋杏にも、しっかりとした趣味がある。
 そして、趣味のためなら、時間を惜しまない。
 彼女に一日休みが与えられたとき、その使い方は主に三つ。一つは、住み込み先の饅頭屋の奥方に連れられて、物見遊山に出かけること。二つ目は、「晶さん」とともに街をそぞろ歩くこと。……最後の一つは、画商に顔を出すことだ。

「すみませーん」

 緋杏は薄暗い店内を見渡しながら、のんびりと声をかける。
 すると、妙に頭のてかった老人が腰を曲げたまま、黙って緋杏へと手招きする。
 彼女は、嬉しげに一つ頷いて、とことこと歩く。まばらにいる客を避け、壁にかけられた掛け軸や、棚の竹篭の中にある巻物をちらちらと眺めながら、店の奥へと行く。
 そこには、大きめの作業机が構えていて、老人はそのそばに杖をつきながら立っている。
 机には、五六本の巻物が巻かれたままに置いてあった。

「こんにちは、おじいさん」

 緋杏はむっつりとしている老人に笑いかける。

「今日も、見せていただけませんか?」
「……買う気もないのにか」
「うん」
「……はぁ」

 深い溜め息。買いもしないのに、品を見せる。不毛な行為である。だとて、老人にもそう無下にできぬ理由がある。残念なことに、彼女は昔馴染みの店で働いているのだ。しかも、その昔馴染みは、彼女を娘のように気に入っている。

(見た目はただの、吹けば飛ぶような軽そうな娘なんだがねえ……。「軽い」を「儚い」と取り違えているんじゃねえか、あいつ)

 童子そのものの、きらきらとした眼で彼女が巻き物の紐を次々と解いていく。

(絵の善し悪しなんて、わかんねえだろうなあ。あぁ、価値がわからん者(もん)に見せることほど不毛なことはねえわな)

老人はどっかりと粗末な椅子に座って、机の上に頬杖をつく。向かい側では、巻き物の両端を持った娘が、うーん、と中に描かれた絵を見つめている。口元は緩みがち、今にも微笑みかけそうな。

「おじいさん。最近、一番流行っている絵師って誰かしら?」
「ああん? あー、相変わらず、元画院画家の遊山人(ゆうさんじん)が圧倒的だよ。寧布衣(ねいふい)といった新進画家も出てきているが、彼らはどうにも俗っぽいもんだから、高官の受けが悪い」
「ふうん。……じゃあ、この人は?」

 大きな黒目が指し示す先には、先ほどからずっと眺めていた巻き物がある。
 老人は虚をつかれたような顔をし、しげしげと中の絵を見る。少しばかり、内心で驚いた。

「この絵は……遊石(ゆうせき)じゃねえか」

 遊山人の後を継ぐと目されている弟子である。まだ世に出てきたばかりだが、その一作二作の山水画が目の肥えた知識人たちを唸らせた。今後、大いに注目すべき絵師の一人。……そして、間違いなく、少女に見せた巻き物の中で最も価値が高い逸品を制作している。

「遊石、と言うのね」

 緋杏は確かめるように呟いた。
 画面には、番の鳩が二羽向かい合うように舞っている。羽毛の一本一本、つぶらな瞳まで繊細な線で表現され、薄い着色を施されている。決して目立つような描き方をしていないのに、思わず惹きつけられて見入ってしまう。

「私、この絵が一番気に入ったわ。ありがとう、見せてくれて」
「はいはい。でも、それはすでに売約済みでね、数日中にはどっかの蔵に仕舞われちまうだろうよ」
「と、いうことはこれが見納めになってしまうわね」

 緋杏はちょっぴり残念そうな顔をして見せて、名残惜しげに絵を巻きなおす。老人の手に返して、ぺこりと頭を下げた。

「じゃあ、これで失礼します、おじいさん。また来ます」
「いや……そんなに来なくてもいいのだがなあ」

 老人の独り言は、幸いにも彼女の耳には入らない。彼女は相変わらず、綿の上を歩くようなおぼつかない足取りで店を出た。……そして、今度は別の画商の元へと向かうのだ。




 ふらりふらり。緋杏は見ている者が不安になるような歩き方をするが、街に下りてしばらく経った分、実際に人にぶつかることは少なくなった。か細い体は変わらないが、心根はわずかながら、たくましくなっている。 
 歩きなれた街の雑踏を、ふんふんと鼻歌を口ずさみながら、あれやこれやと店先を覗いている。
 美味しそうな串焼きの匂いにつられ、大道芸人の宙返りに拍手をおくり、売り子の声に引かれて装身具の露天に目を走らせる。虹がかかるさまに似た橋を渡って、次の画商へ――と。

「あ! あの!」

 緋杏は自分の背中に声が投げられたように感じて、後ろを振り向く。強く射抜くような視線に出くわした。

「この先の、画商に、御用が、あるのでは、ない、でしょうか!」

 怒っているようなきつい口調だが、なぜか勢いづくようにぶちんぶちんと言葉を短く切られていた。 小脇に包みを持った、職人が着るような簡素な身なりをした背の低い若者が彼女の目の前に立っている。目鼻立ちが整った、なかなかの美人であった。
 緋杏が何かを言う前に、相手はさらに続ける。

「それでしたら、私、と、一緒に、参りませんか!……私は、絵師で! 顔が利くので!」

 ぎゅっと脇をきつく締めて、頬は絵の具よりも真っ赤っか。相手がどれだけの勇気が振り絞った結果であるか、わかろうというものである。
 緋杏は目をぱちくりとさせている。細い首をこてんと傾け……じいっと、相手の顔と服装を不思議そうに眺めて、一言。

「ねえ、あなた…………どうして、女の子なのに、男の子の格好をしているの?」
「へっ。ええっ?」

 雑踏の中、互いに見つめ合った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最強の騎士団長に嫁いだ偽りの公爵令嬢は、溺愛から逃げられない

花瀬ゆらぎ
恋愛
囚われた弟を救うため、貧民育ちのリーゼは公爵令嬢になりすまし、騎士団長シルヴィオに嫁いだ。 彼女に与えられた任務は、夫を監視すること。 結婚後、新居で待っていたのは、「氷の騎士」と恐れられる無口な夫。 しかし──戦地から帰還した彼は、別人のようにリーゼを溺愛し始めて……!? 「あなたのことを考えない日は一日たりともなかった」 次第にシルヴィオに惹かれていくリーゼ。けれど彼女は知らない。この結婚には、さらなる罠が仕掛けられていることを。 守り守られ真の夫婦を目指す恋愛ファンタジー! ※ヒロインが実家で虐げられるシリアスな展開がありますが、ヒーローによる救済・溺愛へと繋がります。

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました

唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」 不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。 どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。 私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。 「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。 身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

【完】隣国に売られるように渡った王女

まるねこ
恋愛
幼いころから王妃の命令で勉強ばかりしていたリヴィア。乳母に支えられながら成長し、ある日、父である国王陛下から呼び出しがあった。 「リヴィア、お前は長年王女として過ごしているが未だ婚約者がいなかったな。良い嫁ぎ先を選んでおいた」と。 リヴィアの不遇はいつまで続くのか。 Copyright©︎2024-まるねこ

<完結>溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。 本編完結済み。 続きのお話を、掲載中です。 続きのお話も、完結しました。

鈍感令嬢は分からない

yukiya
恋愛
 彼が好きな人と結婚したいようだから、私から別れを切り出したのに…どうしてこうなったんだっけ?

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

処理中です...