“新しい主”が欲しかった──ナナを真似る女、飼いたがる男

nana

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第16話 「誰にも、戻れない夜」

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主の部屋を出たのは、日付が変わってしばらくしてからだった。
髪の根元に残る手の感触も、肌に浮いた跡も、
すぐに消える。
でも、心のどこかに沈殿する「重さ」だけは、どうやっても取れなかった。

彼女と私は、また並んで歩いていた。
駅までは10分もかからない。
なのに、その足取りは、妙に遅かった。

無言だった。
気まずいわけでも、喧嘩をしたわけでもない。
ただ、ふたりとも**“言葉を出す前の顔”をしていた。**

「ねえ」
彼女がふと、口を開いた。
「今日の主さん、なんか…いつもより“試して”ましたよね」

私は頷いた。
でも、試されたのはきっと、主にじゃない。

“ナナでいようとする私自身”が、
私のことを試しはじめていた。

どこまで、できる?
どこまで、まだやれる?
誰かのために、自分を演じ続けるって、どんなこと?

あの夜。
彼女の肩に額を預けたとき。
ふいに、
「もうやめていい」って言ってくれたら泣いてしまいそうだった。

でも誰も言わなかった。
彼女も、主も。
そして、私自身も。

演じることが苦しいのではない。
“降りること”が怖いのだ。

ナナという名前で呼ばれない私は、
もうどこにも存在できない気がしていた。

「ナナさんって…いつも強いですね」
彼女が言った。

私は首を振った。
「ちゃうで。
私、今にも壊れそうやで」

本当は、ずっと前から分かってた。
私は、ナナという“仮の名前”に依存してる。
誰かに認められるには、
誰かの役を演じ続けるしかないって。

それが、
私の“選ばれた証”やったから。

ふたりは改札の前で足を止めた。
「また、すぐ呼ばれますかね」
彼女が言った。
私は少し考えて、こう答えた。

「次、呼ばれても、
私は“ナナ”で行けるか分からへん」

そう言った瞬間、
心の中の何かが、ゆっくり剥がれた気がした。

彼女は頷いた。
「それでもいいと思います」
「ナナさんは、もう十分やってきたし」

駅のホームで、電車を待つ。
風が吹く。
その風が、今日の私たちを、
誰でもないふたりに戻してくれた気がした。

私はそっと、彼女の手を握った。
誰かに命じられたわけじゃない。
見返りもない。
ただ、
“今夜だけ、まだ壊れたくない”と思ったから。

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