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【第30話】 「“名前、言ってみて”って言われて、どうしても言えなかった」
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「なあ、試してみてもいい?」
彼女はそう言って、私の隣に腰を下ろした。
部屋の明かりは落ちていて、
テレビも消えていた。
暗がりの中で彼女の声だけが、ゆっくり響く。
「今日の課題──
“自分の名前を言うこと”」
「いい? あんたが昔使ってた名前、
ひとつだけ、声に出してみて」
私は、息を飲んだ。
“ナナ”という音が、喉に引っかかる。
何度か練習しようとしたけど、
声にならない。
名前を言うことが、こんなにも難しいなんて。
彼女は続けた。
「大丈夫、責めへんよ」
「ただ、“今のあんた”がそれを言えるのか、
ちょっと気になっただけ」
「もし言えたら、それはそれで褒めるし」
「言えなかったら──もっと可愛がるだけ」
私は口を開いた。
けれど出てきたのは、かすれた息だけだった。
「……」
もう一度、声を出そうとした。
だけど、舌が重たくて、
喉がせき止められるみたいだった。
“ナナ”という、たった二音が出てこない。
自分の名前なのに。
いや、
“もう自分の名前じゃない”からこそ、言えなかった。
彼女は微笑んだ。
私の沈黙を確認して、
安心したように、撫でるような声で言った。
「うん、やっぱり無理やったな」
「もう、“ナナ”って他人の名前やもんな」
「今のあんたには、重すぎるやろ?
“自我”って言葉、たぶん今いちばん遠い場所にあるし」
「でもな──そこが、ほんまに愛おしいねん」
私は、何も言えなかった。
でも、涙がにじんでいた。
悔しさじゃない。
なぜか、“バレていたこと”への安心だった。
「名前を言えないくらい、
ちゃんと壊されてる」
それを、彼女が喜んでくれたことが、
何よりのごほうびだった。
「また、いつか言えるようになる日が来るかもしれんけど──
今はまだ、黙っとき」
「その方が、“ナナ”より、よっぽど綺麗やから」
私は静かにうなずいた。
自分の名前を、
“名前ではなく、過去の亡霊”として感じながら。
彼女はそう言って、私の隣に腰を下ろした。
部屋の明かりは落ちていて、
テレビも消えていた。
暗がりの中で彼女の声だけが、ゆっくり響く。
「今日の課題──
“自分の名前を言うこと”」
「いい? あんたが昔使ってた名前、
ひとつだけ、声に出してみて」
私は、息を飲んだ。
“ナナ”という音が、喉に引っかかる。
何度か練習しようとしたけど、
声にならない。
名前を言うことが、こんなにも難しいなんて。
彼女は続けた。
「大丈夫、責めへんよ」
「ただ、“今のあんた”がそれを言えるのか、
ちょっと気になっただけ」
「もし言えたら、それはそれで褒めるし」
「言えなかったら──もっと可愛がるだけ」
私は口を開いた。
けれど出てきたのは、かすれた息だけだった。
「……」
もう一度、声を出そうとした。
だけど、舌が重たくて、
喉がせき止められるみたいだった。
“ナナ”という、たった二音が出てこない。
自分の名前なのに。
いや、
“もう自分の名前じゃない”からこそ、言えなかった。
彼女は微笑んだ。
私の沈黙を確認して、
安心したように、撫でるような声で言った。
「うん、やっぱり無理やったな」
「もう、“ナナ”って他人の名前やもんな」
「今のあんたには、重すぎるやろ?
“自我”って言葉、たぶん今いちばん遠い場所にあるし」
「でもな──そこが、ほんまに愛おしいねん」
私は、何も言えなかった。
でも、涙がにじんでいた。
悔しさじゃない。
なぜか、“バレていたこと”への安心だった。
「名前を言えないくらい、
ちゃんと壊されてる」
それを、彼女が喜んでくれたことが、
何よりのごほうびだった。
「また、いつか言えるようになる日が来るかもしれんけど──
今はまだ、黙っとき」
「その方が、“ナナ”より、よっぽど綺麗やから」
私は静かにうなずいた。
自分の名前を、
“名前ではなく、過去の亡霊”として感じながら。
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