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【三】暗雲
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暦は神無月に近づき、涼しい日が増えてきた。
梅雨の間に手入れをしたという庭は、夏の間に雑草が元気を取り戻している。
涼しくなってきた今の時期に、一度手を入れた方がいい。香代は家の者に呼びかけて草刈りをすることにした。
一気に終わらせてしまおうと思えば、いくら人手があっても足りないくらいだ。下男下女に任せきりにせず、香代自身も庭へ出ることにした。
「奥さまはお屋敷にいてください」
「いいのです、たまには身体を動かさなくては」
家の者は香代を気にかけたが、香代自身、たまには外で身体を動かしたかった。
というのも――三日前、吉夜と結ばれてから、家の中で吉夜の香りに遭遇するたび、ひとり悶々とするようになってしまったのだ。
香代を抱いた翌朝、吉夜は布団についた赤い証を見るや、過剰なほど香代の身体を気にかけた。
「今日は休んでいろ」と香代に念を押し、下女にあれこれ指示をして、香代は部屋を出ないようにと言い残して行ったのだ。
さすがにその翌日からは部屋から出ることを許されたものの、吉夜はそれまで以上に優しく香代を気にかけ、甘やかすようになっている。
饅頭を買って帰ったり、花を届けさせたり、香袋をくれたり。
夕餉のあとは、香代とふたりで茶を飲んでから、書斎へ向かうようになった。
そんな毎日が、ますます吉夜への想いを膨らませていく。
針仕事をしていても、帳簿をつけていても、ふと気づくと、吉夜のことを考えてしまうのだった。
吉夜の香りが漂えば、それだけで身体が火照るような気もする。
初めての行為に痛みを感じた身体は、三日経つ今はなんともなくなっていた。
それどころか――あの日が遠ざかれば遠ざかるほど、受け止めた吉夜の熱が恋しい。
(今夜は……どうだろう)
重ねた肌の温もりを思い出して、身体の奥が疼く。
そんな自分がひどくはしたなく思えて、ひとりうろたえてしまうのだ。
家の中のあちこちにただよう甘やかな吉夜の残像から逃れるように、香代はくわを手に庭へ出た。
夏ほどではないが、秋晴れで日差しが強い日だった。
おのおの、手ぬぐいを肩にかけ、笠を被ったり頬被りをしている。
今日の草刈りは入り口の横からと決め、洗濯物や炊事に数人を残し、草刈りや剪定を始めた。
「ああ……この間手を入れたばかりなのに、もうこんなに生えてきてる」
「仕方ないな、ドクダミは……薬になるのはありがたいが、臭いが強くて鼻が馬鹿になりそうだ」
「元々頭が馬鹿だからな、鼻まで馬鹿になるのは勘弁願いたいもんだ。ははははは」
「あんたたち、いいから手を動かしなさいよ」
「おお、怖い怖い。奥さまより女衆の方がよっぽど怖いな」
外で身体を動かすと、口も心も自然と軽くなるのだろう。あちこちから賑やかなやりとりが聞こえた。
香代は下人たちの会話をそれとなく耳に入れながら、黙々と手を動かす。この手の仕事は嫌いではなく、ついつい夢中になりすぎるきらいがある。
昼どきになると、香代は手を止め、声をかけながら様子を見て回った。
「そろそろ一度休みましょう。おにぎりを準備してくれていますから日陰で休んで」
「はい、ありがとうございます」
家の者たちからは、すぐに明るい返事があった。渋々作業している様子はなく、みなやる気に満ちている。
ひととおり見て回ったところでは、どこも順調に進んでいるようだ。
(これなら……三日とかからず終えられるかもしれない)
そう見るとがぜん意欲が湧いた。自分は休むのもそこそこに庭に戻る。
香代は休憩を挟むのも忘れ、黙々と草刈りを続けた。
「奥さま、少し休まれては?」
「ええ。もう少ししたら……。みなは休みながら進めてくださいね」
声をかけられて答えたが、意識は手元にばかり向いている。
ここまで刈ったら。もう少し。あと少し――自分にそう言い聞かせているうち、日が傾く時間になった。
草を入れたカゴを手に、下男が香代に声をかける。
「奥さま。刈った草の置き場なんですが、納屋の裏がいっぱいになりそうで……」
「はい、今行きます」
返事をして顔を上げた、そのときだった。
急に、視界が色を失った。立ち上がり欠けていた身体が、ぐらり、と揺らぐ。
あ、と思ったときには遅かった。
「――奥さま!」
周りの者が驚く声が聞こえた。下男の持ったカゴから草が落ちる。
風が青い香りを運んでくる。
苦味と酸味を孕んだ特有の香りが、香代の鼻先に広がった。
(――ドクダミ)
青い縁を持つ深緑色の葉。過去に見た情景がまぶたの裏に浮かぶ。
どくん、と心臓が跳ねた。
息を吸おうとしたのに、喉がうまく動かない。代わりに、ひゅっ、と音が鳴った。
耳に聞こえるざらついた音は、血が流れる音だろうか。
感じる香りが、青だけになる。胸がいっぱいで息が吸えない。視界が真っ白になって、自分が土を踏んでいるのか、立っているのかも分からない。
(息を――)
息を吸え、じゃないと倒れる。
吉夜がそう言ったのが、聞こえた気がした。
息を――ともう一度、心の中で香代はとなえ、意識を失った。
梅雨の間に手入れをしたという庭は、夏の間に雑草が元気を取り戻している。
涼しくなってきた今の時期に、一度手を入れた方がいい。香代は家の者に呼びかけて草刈りをすることにした。
一気に終わらせてしまおうと思えば、いくら人手があっても足りないくらいだ。下男下女に任せきりにせず、香代自身も庭へ出ることにした。
「奥さまはお屋敷にいてください」
「いいのです、たまには身体を動かさなくては」
家の者は香代を気にかけたが、香代自身、たまには外で身体を動かしたかった。
というのも――三日前、吉夜と結ばれてから、家の中で吉夜の香りに遭遇するたび、ひとり悶々とするようになってしまったのだ。
香代を抱いた翌朝、吉夜は布団についた赤い証を見るや、過剰なほど香代の身体を気にかけた。
「今日は休んでいろ」と香代に念を押し、下女にあれこれ指示をして、香代は部屋を出ないようにと言い残して行ったのだ。
さすがにその翌日からは部屋から出ることを許されたものの、吉夜はそれまで以上に優しく香代を気にかけ、甘やかすようになっている。
饅頭を買って帰ったり、花を届けさせたり、香袋をくれたり。
夕餉のあとは、香代とふたりで茶を飲んでから、書斎へ向かうようになった。
そんな毎日が、ますます吉夜への想いを膨らませていく。
針仕事をしていても、帳簿をつけていても、ふと気づくと、吉夜のことを考えてしまうのだった。
吉夜の香りが漂えば、それだけで身体が火照るような気もする。
初めての行為に痛みを感じた身体は、三日経つ今はなんともなくなっていた。
それどころか――あの日が遠ざかれば遠ざかるほど、受け止めた吉夜の熱が恋しい。
(今夜は……どうだろう)
重ねた肌の温もりを思い出して、身体の奥が疼く。
そんな自分がひどくはしたなく思えて、ひとりうろたえてしまうのだ。
家の中のあちこちにただよう甘やかな吉夜の残像から逃れるように、香代はくわを手に庭へ出た。
夏ほどではないが、秋晴れで日差しが強い日だった。
おのおの、手ぬぐいを肩にかけ、笠を被ったり頬被りをしている。
今日の草刈りは入り口の横からと決め、洗濯物や炊事に数人を残し、草刈りや剪定を始めた。
「ああ……この間手を入れたばかりなのに、もうこんなに生えてきてる」
「仕方ないな、ドクダミは……薬になるのはありがたいが、臭いが強くて鼻が馬鹿になりそうだ」
「元々頭が馬鹿だからな、鼻まで馬鹿になるのは勘弁願いたいもんだ。ははははは」
「あんたたち、いいから手を動かしなさいよ」
「おお、怖い怖い。奥さまより女衆の方がよっぽど怖いな」
外で身体を動かすと、口も心も自然と軽くなるのだろう。あちこちから賑やかなやりとりが聞こえた。
香代は下人たちの会話をそれとなく耳に入れながら、黙々と手を動かす。この手の仕事は嫌いではなく、ついつい夢中になりすぎるきらいがある。
昼どきになると、香代は手を止め、声をかけながら様子を見て回った。
「そろそろ一度休みましょう。おにぎりを準備してくれていますから日陰で休んで」
「はい、ありがとうございます」
家の者たちからは、すぐに明るい返事があった。渋々作業している様子はなく、みなやる気に満ちている。
ひととおり見て回ったところでは、どこも順調に進んでいるようだ。
(これなら……三日とかからず終えられるかもしれない)
そう見るとがぜん意欲が湧いた。自分は休むのもそこそこに庭に戻る。
香代は休憩を挟むのも忘れ、黙々と草刈りを続けた。
「奥さま、少し休まれては?」
「ええ。もう少ししたら……。みなは休みながら進めてくださいね」
声をかけられて答えたが、意識は手元にばかり向いている。
ここまで刈ったら。もう少し。あと少し――自分にそう言い聞かせているうち、日が傾く時間になった。
草を入れたカゴを手に、下男が香代に声をかける。
「奥さま。刈った草の置き場なんですが、納屋の裏がいっぱいになりそうで……」
「はい、今行きます」
返事をして顔を上げた、そのときだった。
急に、視界が色を失った。立ち上がり欠けていた身体が、ぐらり、と揺らぐ。
あ、と思ったときには遅かった。
「――奥さま!」
周りの者が驚く声が聞こえた。下男の持ったカゴから草が落ちる。
風が青い香りを運んでくる。
苦味と酸味を孕んだ特有の香りが、香代の鼻先に広がった。
(――ドクダミ)
青い縁を持つ深緑色の葉。過去に見た情景がまぶたの裏に浮かぶ。
どくん、と心臓が跳ねた。
息を吸おうとしたのに、喉がうまく動かない。代わりに、ひゅっ、と音が鳴った。
耳に聞こえるざらついた音は、血が流れる音だろうか。
感じる香りが、青だけになる。胸がいっぱいで息が吸えない。視界が真っ白になって、自分が土を踏んでいるのか、立っているのかも分からない。
(息を――)
息を吸え、じゃないと倒れる。
吉夜がそう言ったのが、聞こえた気がした。
息を――ともう一度、心の中で香代はとなえ、意識を失った。
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